3-82 オンステージ②


 圧勝したアインノーラはしかし悔しさと悲しみに震えながら涙を流していた。

 そのつぶらな瞳が食い散らかされたパンケーキガメの残骸を映す。


「このような侮辱は絶対に許されぬ! 血讐フェーデだ! 血讐しかない! 穢された我らの魂は地上の狂信者どもの血でしか購えぬ!」


 パンケーキガメの欠片を胸に抱きしめながら大泣きするアインノーラの背後に、ふわりと小さな影が近付いた。

 私のような黒衣の人物が優しげで中性的な声で発言する。


「アインノーラ君はまーた原始的な事を。悪鬼じゃないんだからさ。ま、俗情に寄りそうのも個人の価値観だからとやかくは言わないが」


「ユネクティア殿。ですが、これは余りにも!」


「こればかりは私もアインノーラと同意見ですな、師兄。あなたは地上の狂信者どもに甘すぎる」


 エスフェイルが遠く離れつつある私を目で追いながら口を挟んだ。

 ふわりと浮かぶ黒衣が、空洞の内部を晒しながらぼやきを返す。


「そうかなあ。まあそうなんだろうねえ」


 第十一魔将、光の幻姿ユネクティア。幻姿霊スペクターはエスフェイルのような人狼と同じく、かつての夜の民の氏族だった存在である。

 

「ハハハ! ユネクティア殿は甘い、お菓子のように甘い! されどそれも仕方無き事かな、なにしろそういう種族ですからな! 大地の眷族に近いエスフェイル殿とは意見を違えることもありましょう。それもまた多様で良し!」


 魔将たちの周囲を高速で飛び回る銀色の人影があった。

 速すぎて見えないそれが、発言の瞬間だけ制止して浮遊する。

 声は高いが、口調や抑揚はどこか男性的な色合いを帯びている。


 肌も服も全てが円筒形の帽子から流出し続ける銀色の流体で構成されており、服装は燕尾服であったりドレスであったりする上に体型までもが変化し続ける。

 ユネクティア同様に性別が不詳――というよりも存在しない銀霊クイックシルバー種の第五魔将の名は銀霊サジェリミーナ。


 くねくねと身体を揺らしながら、道化じみた口調で魔将たちの周囲を行き交っていたサジェリミーナは、唐突にある人物の前で制止した。


「さて。広大無辺なこの世界、様々な者がおりましょうが――酔狂にも我々を天頂から甦らせた死霊使い殿、あなたの目的をお聞かせ願いたい。我々はあなたに喚起、維持されている身。逆らおうなどとは思いませぬし、地上に反旗を翻したあなたには敬意を払っております。ですが!」


 ばっと銀色の腕を広げたサジェリミーナが、ガルズに対して魔将の面々を示す。

 異形の集団は戦意を漲らせながらも、自分たちを率いる男がどのような人物か見定めようとしていた。


「我らとて人。言われるがまま請われるがまま破壊と虐殺の限りを尽くせと言われても即座には承諾できぬ者もおりましょう。あなたに、我らを動かすだけの大義がおありですかな?」


 ガルズは穏やかな表情のまま答えた。


「僕が君たちに望むのはたった一つだ。聖女の血を地底に捧げてくれ。そして君たちの悲願である火竜を復活させ、行き詰まったこの世界を完璧に粉砕して欲しい。僕は全人類、いや、全ての生命を死に絶えさせたいんだ」


「世界の更新アップデート! なんと、このわたくしめと志を共にする方でありましたか! このサジェリミーナ、いたく感激しましたぞ! ハハハ!」


 銀色の閃光がガルズの周りを飛び回り、唐突にマリーの目の前で腰を折り挨拶をすると、そのままくるくると回転しながら空高く飛び上がっていってしまう。

 さしものガルズも相手の勢いにたじろいだが、どうにか言葉を続けていく。


「聖女を生贄に捧げ、地獄の最深層ジュデッカに凍結されている火竜を復活させる。この世界は終焉へと加速するが――何、火竜復活によって得られる呪力さえあれば、迫り来る滅びを上回る新たな世界を創造することも可能だ。例えば、あらゆる生命が滅んだ死の世界、そこで動き回る死人たち、なんていうのはどうかな。全生命が死に絶えた後、再生者として死の世界で死に続けるんだよ」


 ガルズの言葉に対して、魔将たちの反応は大まかに二種類に分かれた。

 アインノーラが顎に手を当てて唸る。


「我らレストロオセ派としてはそのような悪逆非道な行いには到底賛成はできんが――まあいい。いずれにせよ聖女の抹殺までは協力しようではないか。それさえ為し遂げれば、その後はジャッフハリム本国の我らが主が必ずより良い救世を為し遂げて下さるのだからな」


 魔将たちの大半はアインノーラと同意見の様子だったが、夜の民たるユネクティアとエスフェイルは周囲とは意見が異なるようだ。


「僕たちセレクティ派としても、一刻も早く炎帝陛下を完全復活させて地上太陽を再生したい所なんだけどね。今のまま聖女を生贄に捧げればコキュートスの封印は恐らく第一円カイーナ第二円アンテノーラあたりでぎりぎり持ち堪えてしまう可能性が高い。聖女をすぐに殺さず、一度捕獲するのはどうかな。その上で我らが総大将に冬の魔女を追い詰めてもらい、氷血呪を使わせて封印を弱める――それを繰り返せば確実な炎帝陛下の復活が見込める」


 ユネクティアの発言に対して、巌の如き大男が鼻を鳴らした。


「だからよぉー、それは何度やりゃあいいんだよ。え? そうやってあの腐れ氷女を消耗させる為に俺らが逐次投入されて、その度に死にまくった挙げ句がこの惨状じゃねえの? もう残ってんの四人とかじゃねえか。冥王さんとこから借りてるズタークまでやられてるとか終わってるだろ。つーか火竜が完全復活したらどいつもこいつも死ぬだろうが、頭イってんのかてめーらセレクティの犬どもはよ」


「ベフォニスきさま、我らが主を侮辱するか!」


 エスフェイルが牙を剥き出しにして威嚇するが、岩のような灰色の肌をした巨漢は鼻を鳴らすのみ。

 出現してからずっと、遠距離から繰り返し呪石弾で狙撃されているのだが、全く堪えた様子がない。それどころか、高速で飛来する弾丸を手で掴んだ上に口に放り込み、ばりぼりと咀嚼している。


 第六魔将、石喰いのベフォニスは、巨漢揃いの岩肌種トロルの基準からしても十分に大柄な肉体を見せつけるようにして小さなエスフェイルを威圧した。


「ああん? っていたのかよエスフェイル! ギャッハハハハ! おいおいエスフェイルちゃーん、なんでオメー死んでんだよ! 小さすぎてたった今気付いたぜ! 死を支配した我は無敵とかなんとかぬかしといてよー! それギャグ? ねえそれギャグなの? どんなふうにして死んだんですかー?」


「ベフォニス貴様、よほど殺されたいと見えるな」


 影を蠢かせて殺意を露わにする狼の前に、さっと黒衣が立ち塞がった。


「落ち着きなよエスフェイル。そうやって挑発に乗りやすい所がきみの悪いところだと、お師様も言っていたじゃあないか」


「師兄――」


「とりあえずここで争うのはよそう。まずは時の尖塔に向かう。その後聖女をどうするかは、時の尖塔の通信設備を奪ってジャッフハリム本国と連絡してからにしないかい? こういうのはまず、レストロオセ様かセレクティ様に指示を仰ぐのが筋というものだと思うんだよ」


「あ? ユネクティア、てめー何勝手に決めてやがる」


「では多数決。僕の意見に賛同してくれる者は挙手を」


 黒衣に包まれた手と闇色の前足だけが持ち上がり、後の全員は無反応だった。

 それは魔将たちの中に存在する境界線を可視化させるような光景だったが――何故か夜の民の二人は孤立無援の状態で平然としている。


「ふむ。賛成多数で、ひとまず僕の意見が通ったということでいいかな?」


「ち、しかたねえ」


「ふむ、公平な多数決の結果には従わねばならんな」


 魔将たちはしぶしぶとユネクティアの言葉に頷いた。

 よく見れば、高々と挙手しているものが夜の民たち以外にも存在した。

 九本の長大な腕を、円筒形の胴体から生やしている奇怪な生物。

 腕の真横に付いた目をぱちぱちと瞬きさせながら、第九魔将である賛同のピッチャールーは全ての手を持ち上げていた。


「というわけで、僕とエスフェイル、そしてピッチャールーのぶんを合わせて十一票、魔将としての意思統一はできた。後は君の差配にかかっているよ、ガルズ殿」


「あ、ああ」


 ガルズは余りにも異常な多数決の結果と、それに何の疑問もなく従う魔将を信じられないものを見るような目で見つめながらもどうにか返事をした。

 それから、


「ね、ねえマリー。僕は本当に彼らに任せていいんだろうか。なんだか不安になってきたんだけど」


「あー、なんかもう、全てがどうにでもなれーって感じですー」


 不安げに小さな相棒に縋るガルズの様子はお世辞にも頼りがいがありそうには思えない。この個性的過ぎる面々を率いなければならないという事実は、一度は一つの探索者集団の長であった彼をして不安にさせてしまうらしい。


 ユネクティアがふわりと黒衣を靡かせながら模造の月を操作し続けるエスフェイルの傍に近付いた。


「けれどまあ、確かに君ほどの使い手がやられてしまったのは意外だね。一体誰にやられたんだい? やっぱり冬の魔女? それともソルダ? あるいはカーズガンあたりかな?」


「――あれです」


 エスフェイルはそこで私たちを示した。現在、リーナが模造の月が投擲してくる飛行死人を振り切りながら私が呪文で反撃を繰り返している所だが、かつてとは異なり模造の月は慎重に距離を置いて呪文を回避してしまう。

 以前のような失敗は繰り返さないということなのだろう。





「へえ。これは驚いた。僕らの同族――あの小さい子、青い鳥ペリュトン、それも僕らと同じ霊媒だね。それにあの左手、もしや――うーん、これは最優先事項だな。ちょっと失礼、レストロオセ派の皆さんは先に時の尖塔に向かっていて欲しい。僕らは野暮用だ」


「ああ? てめーら勝手過ぎんだろいい加減にしろよオラ」


 ユネクティアはベフォニスの言葉を無視した。

 黒衣をばさりと広げると、そのままエスフェイルを包み込む。

 そして【心話】を発動させる。


『神なる意思、そのまことの名は瞋恚なり』


 黒衣の内側、その深淵から這いだした異形が、ユネクティアとエスフェイルの足下に滑り込むと、そのまま翼を広げて飛翔する。

 長い首、鋭い牙、くしゃくしゃに歪んだ顔に凶暴な顎、蝙蝠めいた羽に蜥蜴の尻尾、かぎ爪の付いた短い足。

 異形の怪物はその巨体で夜の民二人を乗せて飛翔したかと思うと、あっという間にこちらへと接近してくる。


「ふーむ。これはもしかして、噂に聞いていた言理の妖精かな?」


「なんと、それはまことですか?!」


 ユネクティアが私たちを追撃しながら分析する。私は【爆撃】を叩き込んだが、相手は回避することも無くそれを無視して、


「いや、君はそれにやられたんじゃないのかい? ちゃんと相手の手の内を確認しなければ駄目だとあれほど我らのお師様に言われたじゃないか」


「め、面目次第もありませぬ、師兄」


「君は実力はあるのに粗忽な所が玉に瑕だなあ。才能は僕より上なのにねえ」


 ユネクティアはいいながら、漆黒の触手を伸ばして追撃を仕掛ける。

 私は障壁を張りつつ同数の触手でそれを迎撃するが、


「うわっやばっ」


 リーナが叫ぶと共に、箒がバランスを崩して失速、くるくると周りながら高度を落としていく。重力、慣性を制御する結界が無ければ間違い無く振り落とされていただろう。


 私はそこでようやく気付いた。箒の頭に、不可視化された感応の触手が絡みついていたのだ。

 即座に振り払う。本人の言葉通り、エスフェイルのものよりもずっと脆弱だ。


 しかし、実体化させた触手に注意を引き付けておいて、弱く不安定な非実体の触手を高速戦闘の最中に本命として織り交ぜる技量は熟練の域にあった。

 相手は格上の夜の民二人、それも今度のエスフェイルには恐らく油断が無い上に精神的な支柱や頭脳役となる相手がいるから安い挑発が通用しない。


 広い舞台に墜落しそうになった私たちはどうにか持ち直して、魔将二人と交戦していた歌姫の傍で制動をかける。

 そこに落下してくる模造の月。

 巨大な質量体の真横から、似たような巨大な球体が直撃して弾き飛ばした。


「ハルベルトのお陰で観客の半数くらいは避難誘導に成功したけど――あとはあれをどうにかしないと駄目みたい。というわけで加勢するわ。と姉様は仰っています。セリアもそう思います」


 浮遊する肉の塊の上に乗った姉妹姫が二人同時に言い放つ。三角耳の妹と背後で浮遊する半透明の姉が、同時に呪力を放って迫り来る魔将たちを睨み据えた。

 第十一魔将ユネクティアは、幻姿霊特有の優れた邪視能力で新たに現れた姉妹姫たちを観察しながら呟いた。


「へえ。猫の取り替え子か。それに、あそこのアストラル体は少し違和感があるけれど吸血鬼ヴァンパイアかな。それも恐らく僕らと同じ霊媒個体――これは珍しい。四氏族の霊媒が揃うことなんて、天地が引き裂かれて以来初めてのことじゃないかな?」


「お願い、ナーグストール!」


 二つの球体が正面からぶつかり合い、飛び上がったセリアック=ニアが同じく跳躍したエスフェイルと爪を重ね合わせる。

 肉体を屈強な二足歩行の人狼型に変異させたエスフェイルを、セリアック=ニアの背後に浮遊する無数の球体を連結させて創った歪な人形のような何か――ナーグストールと呼ばれる幻獣が拳を次々と繰り出して攻め立てていく。

 

『【小玉鼠】、【きらきら蝙蝠】、【墓の下の穢れ】よ、在れ』


 【心話】で命じながら、半透明の少女が無数の文字列を視覚的な存在に置き換えていく。

 リールエルバが得意とする、鼠や蝙蝠の仮想使い魔、それに幻惑ウィルス。


 黒百合の子供たちの中で誰よりも使い魔の支配に秀でていた彼女の仮想使い魔は、『生物的に見えるふるまい』を繰り返しながらそれぞれが怪生物の上に乗った魔将ユネクティアに攻撃を行う。


 鼠は標的に近付くとあらかじめ設定されたプランに従って自分の身体を爆発させ、肉や内臓を撒き散らして悪臭や不快な感覚などを強制的に周囲に撒き散らす。

 リールエルバらしい、嫌がらせに特化した精神攻撃系呪術。


 蝙蝠は一定のパターンにしたがって光学信号を発しながら連携して複合呪文を発動させ、不可視の幻惑ウイルスが足場である怪生物を取り巻いていく。

 姉妹姫の攻撃は、並の異獣ならば数秒で死に至らしめるほどのものだ。

 しかし。


「舐めるなよ小娘」


「乱雑を両断せよ、【言理の真葉エアル・ア・フィリス】」


 ナーグストールの打撃によって無数の球体と化し、更には宝石になりつつあった肉体を強引に切り離して肉体を再形成、そのまま漆黒の棘そのものとなった両腕でナーグストールを姉妹姫ごと弾き飛ばすエスフェイル。


 左側の袖口から触手を伸ばすと、たちまち暗い緑色に変化させて細長い葉のような刃を形成、一刀のもとに全ての仮想使い魔を両断してみせたユネクティア。

 共に、尋常な異獣ではあり得ない。


「師兄、それは一体」


 怪生物の背中に着地しながらエスフェイルが訊ねる。

 黒衣の幻姿霊は葉のような刃を軽く振りながら私が放った【爆撃】を両断して、


「見よう見まねであの子の左手を摸倣してみたんだ。即席にして万能の対抗呪文といったところかな。あちらに通用するかどうかはわからないが、既存の【静謐】による解体ならこれで切断できる――いやしかし、思いの外消耗が激しいな」


 と事も無げに言ってのけた。


「流石は師兄!」


 エスフェイルは喜色を露わにして褒め称えているが、私は冷や汗ものだった。

 先程の呪術の手応え、完全に『解体』されていた。

 魔将ユネクティアが振るう刃はフィリスの見よう見まねでの模造品だという。


 あくまで見た目上、振る舞いの摸倣なので完全に同じではないだろうが、効果が同一ならそれは同じこと。

 夜の民四氏族の中でも邪視に優れた幻姿霊らしい摸倣の手腕だった。

 調子付いたエスフェイルが【心話】を発動させてこちらに精神攻撃をしかける。


『我が名はエスフェイル。四つ脚の同胞と二つ脚の同胞を束ねる長にして、死と闇を掌握せし王である。愚神を崇める狂信者よ、汝が名はなんぞや?』


 相手の名前を掌握、支配することは容易ではないし相手を宣名によって強化してしまう危険性があるので定石から離れた戦術だ。

 しかし古式ゆかしい呪殺合戦の作法そのままの戦い方ができるエスフェイルは、迂闊さを除けば極めて強力な呪術師である。


 強烈な欲望喚起の呪術が発動。『自己の存在を承認させたい』という意思を引き出そうとする狼の眼が爛々と光る。

 歌姫の呪文がそれを遮断し、私とリーナは守られたが、離れた場所に吹き飛ばされた姉妹姫に精神干渉呪術が直撃する。


 剥き出しのアストラル体を襲う干渉の嵐に、必死に抵抗しながら防壁を展開して妹を守るリールエルバだったが、ユネクティアが腕を一閃すると最後の守りが砕け散ってしまう。


 それでもどうにか妹だけは守ろうとして、リールエルバは一人攻撃を身に受けながら肉声を借りずに【心話】で宣名を行う。 


『く――トリシル=リールエルバ・ヴォーン・アム=オルトクォーレンよ』


 悔しそうに、普段なら絶対に口にしないはずの最初の名前を伝えてしまった。

 セリアック=ニアが口をおさえて息を飲む。

 エスフェイルの哄笑が響き渡った。


「その名、掌握したぞ、トリシル=リールエルバ――おや? 聞き覚えがあると思えば。以前、我ら人狼に死人操りや脳髄洗い、呪動装甲の技術を持ち込んできた魔女めと同一の意味を有する名ではないか。縁者だとすれば感謝せねばなあ。特にあの呪動装甲のお陰で四つ脚族の力は飛躍的に跳ね上がったものよ」


 リールエルバは顔面蒼白になって全身にラグを走らせながら存在を希薄化させていく。元の肉体に戻るどころか、そのままアストラル体を散逸させてしまいそうな程の狼狽ぶりだった。


 しかし彼女は自己の存在そのものを脅かされながら、憎悪を込めてエスフェイルを睨み付ける。


『――その名を口にしないで。二度目は無いわ。これは忠告よ』


「ほう。これはこれは。存在の弱所がこれほど明確な者も珍しい。貴様、出来損ないの紛い物であったか――トリシルよ、貴様、リールエルバの振りをしながら生きるのはどんな気分だね?」


『ち、ちがっ』


「違わぬ。お前は偽物。紛い物。存在してはならぬ出来損ない。肉で出来たがらくたよ。どうして恥ずかしげもなくそのような姿を晒していられるのだ? んん?」


 リールエルバは項垂れたまま半透明の裸身を自ら抱きしめて、存在を希薄化させてしまう。消滅まで後一歩という所で踏みとどまったようだが、精神に大きな傷を負った彼女がすぐに立ち直れるかどうかは不明だ。


「くはははは、弱い弱い、精神が脆すぎるぞ小娘ぇ! 前に会った本物らしき魔女はもっと堂々としておったがなあ! やはり偽物は偽物ということかな?」


「――違う」


 震えながら小さく丸まったリールエルバの前に、ふらつきながらセリアック=ニアが立つ。エスフェイルの棘で切り裂かれた衝撃で煌びやかなドレスは切り裂かれ、胸元からは大量の血が溢れている。

 口から吐血しながら、血まみれの妹姫が爪を伸ばした。


「違う、と姉様ならばそう仰るでしょう。セリアはそう思いますっ!」


 リールエルバは意識すら定かでなく、背後から言葉を囁かれているわけではない――しかし、セリアック=ニアは確信を込めて口にした。


「その名前を二回目に口にした奴は決して許さないと決めているの。不用意に口にして五体満足なのはリーナだけよ。だからお前はこの私が最悪に残酷に苦しめて殺し直してあげる。姉様はそう仰るでしょう。セリアもそう思います」


 まるで、彼女の中には常にリールエルバがいるのだとでも言うように。

 セリアック=ニアは私とフィリスの区別が分からないと言い、自分とナーグストールの区別が付かないと言った。


 同じように、彼女にとって最も身近な存在であるリールエルバは、もはや内心を問う必要が無い――自分の意思と区別をつける意味が無い存在なのかもしれない。

 セリアック=ニアは傷口を宝石化させて塞ぐと、戦意を昂ぶらせてエスフェイルに向かって疾走していく。


 私とリーナもまたセリアック=ニアを援護すべく行動を開始した。立ちはだかったユネクティアの刃が、私とリーナの呪文を切り裂いていく。

 援軍はしばらく期待できない。先程から散発的な攻撃が魔将の集団に対して行われているが、全て無駄に終わっているからだ。

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