3-81 オンステージ①
「タークスターク空から落ちた♪ タークズタークかみなり落ちた♪」
まず光。
それから悲鳴。
稲妻が甲冑を溶解させながら内部の人体を灼き尽くし、速やかな死と共に一条の魂魄が天の御殿へ飛んだ。
「誕生日は生まれた日♪ お祝いするのは31,536,000秒のうちたったの86,400秒だけ♪ 大事な大事な命の日♪ あとの31,449,600秒はー?」
仲間の死に怯むことなく呪術障壁を張りながら次々と呪術を放ち、槍を投擲し、超人的な跳躍力で上空で雷光を放ち続ける標的へと挑んでいく修道騎士たち。
しかし無意味。
鮮烈な黄緑の稲光によって形成された少女はばちばちと音を立てながらエプロンドレスを翻し、死の電撃を振りまいていく。
「生ーまれーてない日っ♪」
ほっそりとした右手が閃いて舞台の上から攻撃を仕掛けていた修道騎士たちが薙ぎ払われていく。三重展開された【霧の防壁】という理論上最高であるはずの防御は容易く貫通されてしまう。
「なーんでーもない日っ♪」
節回しは滅茶苦茶で、歌詞も同様にナンセンス。
しかし絶えず奏でられる悲鳴の伴奏は奇妙に音楽的で、まるでそれを狙って絶妙な殺害の瞬間を選んでいるようだった。
あるいは浮遊する稲妻の少女にとって、次々と雷を落としていく行為は鍵盤に指を振り下ろしていくような行為なのかもしれない。
「私とあなたが生まれなかった日♪ とっても素敵な皆殺し♪ 毎日毎日殺しましょう♪ 祝え、生まれてない日っ♪ ばんざーい♪」
松明の騎士団は、迷宮攻略の際には六人から構成される分隊が戦術行動の基本的な単位となる。
防衛の際には五分隊を束ねた小隊三十人、更にそれを五つ束ねて専門的な技術を有する呪術工作や後方支援の要たる兵站を維持する輜重兵といった要員を加えたおよそ二百人規模の中隊、というように規模が膨れあがっていく。
「嘘、でしょう――?」
私とリーナはその光景を箒の上からただ眺めることしかできなかった。
不用意に近付けば、わかり切った未来が待っているだろうから。
中隊規模の警備部隊、それも会場の民間人を守る為に選抜された優れた防御能力を有する百五十人が、一瞬にして全滅していた。
ガルズの復活によって再形成された浄界は無数の泡が浮かぶ闇夜であった。
四つの月は全て色の付いた泡となり、無数の星々もまた全てが空に浮かぶ泡。
半透明な天の御殿が逆さまに屹立し、大地からは死者が這いだしてくる。
おぞましい世界の中央、舞台の上空に浮遊する積層鏡。
その前に浮遊するのは可愛らしい少女。
流れるような豊かな髪、ふわりとした膝丈のエプロンドレス、そして眩い黄緑の稲妻を迸らせる険呑な全身。
稲妻によって構成された、仮想使い魔の少女。
術者である【賢天主】アリス本人を精巧に再現しているらしいその姿は、とても当時の守護の九槍の第三位、第六位、第九位を含む上位修道騎士たちを死に追いやり、アルセミア本国から送り込まれた三個師団を壊滅させ、九英雄を四英雄にした最強最悪の大魔将とは思えない。
だが、たった今起こった圧倒的な殺戮を見せられては、そうなのだと納得する他は無い。
第十二魔将ズタークスターク。冥王が創り出した沼女型哲学的ゾンビ。
それが地上に復活しただけでも未曾有の危機と言う他に無いというのに、脅威はそれだけではなかった。
会場は静まりかえっていた。
大地から這いだしてきた夥しい数の死者は観客たちに襲いかかったが、即座に発動した呪術防壁によってその動きは妨げられる。
多くの観客たちは精神を落ち着かせる【安らぎ】のお陰で誘導に従って避難を開始することが出来た。
だが、一部では混乱した人々が我先に逃げだそうと押し合いへし合い、お互いに重なり合って倒れて人が潰されていくという悲惨な光景が繰り広げられている。
肉と骨とが軋む狂騒が、ぴたりと停止する。
会場に拡散した粒子が不可思議なパターンの波を伝播させ、誰もがそれを注視してしまった。
複合鏡面に映し出された巨大な蝶。
ただ『美しい』という認識のみを強制的に押しつけ、他者の精神に干渉する恐るべき魅了呪術。
第八魔将、優美に泳ぐ蝶ハルハハール。完全な変身能力を持つ
護符や呪動装甲に守られた者や呪術適性が高かった者は難を逃れたようだが、私でさえ一瞬だけ心が震えるような感動を覚えてしまった。
惚けるようにして煌めく魔将に魅入られた人々は完全に逃げ遅れ、その場に釘付けにされてしまう。
「美しい僕は完璧に人心を掌握する――これで無用な混乱は最小限で済む。哀れな地上の民が潰れていくのは見るに堪えないからね――醜すぎて」
「あら、出遅れたわ。ハルハハールったら、甦った直後からもう鱗粉を拡散させていたのね。これだと、私が歌う必要は無いかしら」
「そんなことは無いさ、美しいアケルグリュス。僕の美しさが理解できない低脳どもがまだ残っている。君の歌で魅了してやるといい」
「それもそうね。では失礼して――」
巨大な蝶のすぐ傍で、すうと息を吸い込んだのは美貌の女性である。
ただし、その両腕は翼であり、下半身は魚。
第七魔将、楽想のアケルグリュス。
地獄には赤蜥蜴人、青蜥蜴人、黒蜥蜴人などの大神院によって異獣と定められた天眼の民たちがいる。
当時は天眼の民の一氏族であった緑蜥蜴人と地獄側蜥蜴人との和睦を実現させ、大神院による異獣認定とは関係無く自主的に緑蜥蜴人を地獄側に引き込んだ立役者こそが彼女である。
第二階層攻略当時は彼女に魅了された者たちによる地上でのテロルが頻発したと聞いている。
第一声の呪文によって音響設備をクラッキングして、有翼人魚の歌姫は高らかに声を響かせた。
美貌による視覚的魅了に加えて、聴覚に訴えかける旋律の魅了。
魔将に戦いを挑もうとしていた松明の騎士団さえ膝を屈しようとしたその時、音響設備が外部からもう一度乗っ取られ、より強力な歌声がアケルグリュスの歌を押しのける。
それは歌姫Spearとしての矜持なのだろうか。
今は休憩中。ステージの最中に乱入されるという不躾な挑戦を、彼女は真っ向から受けて立とうとしていた。
颯爽と姿を現した彼女の優美な姿に、ハルハハールに心奪われた中でもいくらか呪術抵抗が高めだった者たちが我に帰る。
二体の魔将による魅了は簡単に解除できるような代物ではない。
にもかかわらず、歌姫をそれをいとも簡単に為し遂げて見せた。
それは、少なくとも地上においては魔将よりも歌姫Spearこそが絶対的な存在であると見なされているということに他ならない。
「へえ、僕らの美しさに真っ向から喧嘩を売るなんて。面白いね」
ハルハハールが巨大な翅から燐光を放ち、アケルグリュスは一層力強く声を響かせていく。
美貌と歌声。
二種類の呪力が渦を巻き嵐となって、両者の中間点で激突する。
魔将二人を同時に相手取ることになった歌姫Spearの額を汗が伝う。
だが、その瞳から戦意は消えない。
私は援護に向かいたくてたまらなかったが――動けなかった。
正確には、雨あられと射出される闇色の棘による弾幕を回避するのに精一杯だったのだ。
第十五魔将エスフェイルの足下に広がる影から次々と射出される棘は、私が使う感応の触手と同じ性質のものだ。
私たち
その中でも高位の呪術師は体毛を束ねたり、未分化の疑似細菌を硬質化させたりして棘状の触手を分離、高速で射出する。
【
普通は二つの加護を同時に扱えば加護同士が反発しあって術の制御に失敗するのだが、影の天使と大地の天使は珍しく相性が良く、加えてエスフェイルの卓越した呪術の能力が驚異的な威力と連射性を両立していた。
その上、最悪な材料はまだある。
「まあるい月は、かつての大地の記憶なり! 第二衛星たる
エスフェイルの周囲を浮遊する、巨大な球体。
それは月だった。
かつてキールたちを飲み込んで使役した恐るべきエスフェイルの使い魔。
この使い魔はその形状が『球体の大地』と『夜に浮かぶ月』に類似しているということを利用して、人狼に二種類の加護を同時に与える。
それがたとえ空中戦であっても日中の戦いであっても、この使い魔さえいれば人狼は弱体化すること無く戦える。
その上、真夜中であればその力はさらに増大するというのだ。
模造の月が輝いて、エスフェイルに膨大な呪力を供給する。
「アズーリア、【静謐】は?!」
「対策されてる。一定周期ごとに棘の組成を変化させて、参照抵抗を付けてるみたい。もっと正確に解析しないと無駄撃ちになる可能性が高い」
リーナは凄まじい速度で回避を続けてくれているが、このままではまずい。流れ弾が周囲に被害を振りまく危険性もあった。
「リーナ、一旦距離を置こう! このまま攻めても私たちだけじゃ勝てない!」
「でも、ガルズが――ううん、わかった」
悔しそうに、リーナは棘の射程外へと逃れていく。
それに、と私は左手の金鎖の数を数える。
死の淵から甦った私は、またしても呪術適性が上昇し、フィリスの浸食率も高くなっていた。
その結果として、現在私がフィリスを使用できる回数は七から九に増えている。
普通に考えれば戦力は飛躍的に増していると喜ぶところなのだが――今は状況が悪すぎる。
遠ざかっていく舞台中央の浮遊積層鏡。
追撃してくる模造の月から逃れる為に呪文を唱えながら、私はちらりとその上に集結した影を数える。
十二体。
ガルズとマリーを加えれば十四だ。とても私一人でどうにかなるような数じゃない。その上現在は守護の九槍の半数が第四階層の防衛を行っているし、第二位たる聖女クナータは万が一の事態に備えて時の尖塔から出る事ができない。
そもそも、敵の狙いは聖女その人なのである。
前線に出せる筈も無い。
模造の月が、地面から這いだした死人を内部に取り込み、ぐるぐると振り回しながら次々とこちらに投げつけてくる。
リーナが回避し、私が【爆撃】で迎え撃つ。
援軍が来るまで、この敵をやり過ごさないと。
私は影の弾幕に紛れて密かに敵陣に送り込んでいた『密偵』に望みを託す。
危険な役目だが、『彼女』ならそうそう窮地に陥ることはないだろう。
空中を疾走しながら、私は積層鏡でのやりとりの盗撮映像を目の前に表示した。
お菓子に彩られた立体映像が魔将たちの声を運んでくる。
周囲の敵、その第一波を撃退した魔将たちは、今後の方針について話し合っているようだ。
「いかに敵とはいえ、民間人を巻き添えにするわけにはいかぬ。このままアケルグリュスとハルハハールに人心を操作させ、避難させるのがよかろう」
おそらくは地獄の交戦規定や審判たるヲルヲーラが定めた規則に基づいての発言であろう。
冷静で重みのある男性の声。
巨大な亀の甲羅にすっぽりと包まれた巨漢で、丸太のような手足は雄々しく、手に持った丸盾と簡素な鉄の棍棒が小さく見える。
そしてその頭部は湾曲した角が禍々しい、茶色の肌の牛そのものであった。
第四魔将、万殺鬼アインノーラ。
長く第一階層の守護者として君臨していた恐怖の象徴。
時の尖塔の前に存在していた大迷宮は数多くの修道騎士や探索者を飲み込み、最深部に辿り着くことができた者も、この牛頭の番人によって斬殺される。
「このまま我らが思うがまま力を振るえば、多くの血が流れよう。しかしそれによってけして消えぬ傷痕と憎しみ、遺恨を残して何になろうか。レストロオセ様はそのような事は望まれぬだろう。ここは一時地上側と話し合いの場を設け、民間人らの引き渡しについて――」
「下らんなアインノーラ。地上の者どもなど首を刎ねてしまえばそれでよい。
口を挟んだのは朱色の長衣を纏った壮年男性である。
一見して霊長類にも見えるが、雰囲気が異様だった。目には黒目や白目などの区分が無く、全てが朱色。
呪鉱石じみた瞳が一瞬だけ輝くと、その場に十人ほどの修道騎士が空間を渡って出現させられる。
戸惑う彼らの目の前で、ぱちん、と指を鳴らす。
「斬首刑に処す」
十人の首から下が、霞の如く消滅した。
ぼとりと落下した兜の下から染み出す赤い血液が、ずるずると男性の影の中に吸い込まれていく。
男の影は異形の赤色をしていた。
血を啜る影から無数の肉塊が盛り上がる。影の内部に潜んだ何かがゲタゲタと笑い出した。それは目と鼻と耳と口を備えた内臓である。複数の赤い心臓が集合した怪物が、影と同化しておぞましい笑い声で死を嘲笑した。
「クエスドレム殿! そのような残虐な殺め方はおやめ下さい! 彼らとて心ある者たち! 我らと同じ人類なのですぞ!」
アインノーラが非難する相手こそ、第十三魔将朱大公クエスドレム。
ジャッフハリム王族にして『朱』の色号を自在に操る高位呪術師である。
「アインノーラよ。お前は長く地上で戦ってきたというのに、この狂信者どものおぞましさを知らぬようだな。見るがいい、奴らの醜悪さを」
クエスドレムが朱の瞳を輝かせると、新たに出現したのはでっぷりと太った神官服の男性たち。
慌てふためく彼らは、前掛けに食べかけの食事を零しながら尻餅をついて命乞いを始める。
アインノーラは彼らを解放しようと一歩を踏み出すが、牛頭に亀の甲羅という姿に恐れおののいて失禁する神官たちに手を差し伸べ損ね――そして、ある事実に気付いた。
神官たちは、手に持った皿に乗った食品をナイフで切り分け、フォークで食べながらライブを観賞している最中だったのだ。
「貴様ら、貴様ら一体何を、何を食べて――」
アインノーラが震えながら問いかける。神官の一人が気がついたように、唯一皿に載ったまま無事だったそれを差し出し、歪んだ引きつり笑いを浮かべながら許しを請う。
四角いバターが乗った、焦げ目の付いた薄いパンケーキガメを。
扁平な甲羅を持つ、トントロポロロンズや羊少女のような食用奉仕種族である。
アインノーラは神官を見た。
神官は、にこりと笑って「おひとついかがですか?」と口にした。
直後、鉄の棍が振り下ろされ、潰れた肉塊が一つ出来上がった。
牛頭の魔将は怒り狂いながら残った神官たちをも叩きつぶし、高らかに吠える。
「なんという冒涜! なんという退廃! 偉大なる亜竜、賢く心優しき亀たちをこのような姿に貶め、あまつさえ己の快楽の為だけに貪るなど! ぬがああああ!」
アインノーラは繰り返し肉塊に棍棒を振り下ろし、入念に殺害を繰り返した後足場から叩き落とした。
その時、舞台上に大量の援軍が飛来する。
天を埋め尽くす大群。
飛行型の
その中央で腕組みをしながら仁王立ちするのは、呪動装甲を着込んだ聖騎士。
その手で無数の呪術糸を繰り、同時に大量の人形を操作する人形師だ。
「私が来たからには貴様らの好きにはさせんぞ死に損ないどもめ。宣名しよう。我が名はヨミル・バーンステイン! 松明の騎士団序列十三位にして天使ペレケテンヌルの加護を受けた私は同時に一万の自動鎧を操る事が可能! 後方支援部隊を必要としない、疲れを知らぬ一個師団相当の戦力による波状攻撃! 凌げるものなら凌い、で――」
序列十三位の修道騎士、ヨミルの声が途切れたのは、周囲の自動鎧がいつのまにかひとつ残らず破壊されていたからである。
アインノーラは大部隊の接近を感知すると、その瞳を爛々と輝かせた。
その全身が宝石のような輝く結界に包まれたかと思うと、同時に一万の自動鎧たちもそれぞれが輝く多面体に閉じ込められてしまう。
次の瞬間には宝石のような結界は解除され、ばらばらに破壊された金属の破片が落下していった。
「ば、馬鹿な。我が一万の軍勢が、ぜ、全全滅――」
愕然とするヨミルもまた、宝石の結界に包み込まれた後、真っ二つに胴を断ち切られて落下していく。
「ふん。知らん顔だな。あれが十三位とは、今の松明の騎士団はよほど人材不足と見える」
万殺鬼の異名をとる魔将は、巨大な棍棒の両側から炎と稲妻の刃を出現させながら呟く。
半円の両刃を持つ斧こそ、かつて地上に屍の山を築いた神滅具である。
【強制決闘権】により強引に一対一の状況を創り出すアインノーラにとって、数の利は意味を成さない。
度重なる攻撃も、強靱な亀の甲羅が展開する呪術的な防御に阻まれて無力化されるばかり。
力を合わせて挑むということが決してできない上に単体戦力としても極めて強力なアインノーラは、それを上回る強者が一騎打ちで倒す他に攻略手段が存在しない、こと防衛戦においては比類無き存在である。
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