3-80 十三階段③



 リーナは唇を噛んで、螺旋綴じのノートを手に取った。

 ページを千切ることで発動する、使い捨ての自作魔導書。

 その一枚でガルズを攻撃すれば、全てが終わる。


「その耳という障壁を乗り越える事は容易くないぞ。私は【空使い】を長子ではなく末子である娘の愛人の子、つまりお前に継がせた。お前こそが相応しいと信じたからこそだ。私の見立てが間違っていなかったということを見事証明して見せよ」


 サイリウスが語る、私の知らないリーナの事情。

 クロウサーという巨大な血族の中にいる彼女の気持ちは私にはわからない。

 その『家』のおぞましさに追い詰められたガルズの苦しみも。


「――わかり、ました」


 絞り出すような声。

 ガルズを止める。その後はどうするのか。それをずっと訊ねる事ができなかった。罪を償うといっても、きっとガルズは間違い無く死刑になるだろう。

 そして、彼は既に死亡しており、浄界によってかろうじて肉体を維持しているだけの動く死体でしかない。

 リーナにできることは、苦しみに満ちた生を終わらせてあげることだけ。

 彼女は顔面を蒼白にしながら、震える手でノートに手を伸ばす。

 ページを千切るだけでいい。

 そうすれば、彼女の戦いはようやく終わって、きっと新しい未来に向かって歩き出せるに違いないのだ。

 なのに。

 その為の第一歩が、どうしても踏み出せないというように、リーナはいつまでも固まっているだけ。

 サイリウスは無言のままリーナを睨み付けている。

 息の詰まるような時間がただただ過ぎていき、いつしか歌姫Spearの待望の新曲が発表され、会場の盛り上がりは最高潮に達していた。


「休憩まで待とう。それまでに覚悟を決めない場合、私が処刑する」


 サイリウスはそれだけ言うと、【月明かりメモリー】の叙情的な歌詞に合わせた淡い黄色の呪術灯を取り出して振り始める。

 そしてリーナに残された猶予は歌という明白な尺度によって目に見えて――否、音に聞こえて減少していく。

 【心の迷宮】、【春色カレイドスコープ】、【手を取り合って】――次々にプログラムを消化していく。

 そして前半最後の曲【鏡越しのマリアージュ】が始まる。

 その時リールエルバから状況の報告がされる。

 リーナの様子とステージが気になって私が目を離していた間に、第五階層でも状況の変化があったらしい。

 リールエルバによると、アキラは一時劣勢になったがトリシューラの援護によって持ち直したとのことだ。決定的な一撃を放ったことにより、ほぼ状況は決したとのこと。


『その戦いの様子がちょっと凄くてね――アストラルネットでは、まるで松明の騎士ソルダ・アーニスタのような戦い振りだとちょっとした騒ぎになっているわ。まあ、とりあえずあっちはもう大丈夫そう。いい加減疲れたから私はちょっと休みたいわぁ』

 

 無理もない。リールエルバは高度な呪文を並列して幾つも使用しながら【心話】まで使って私に状況を伝えてくれていたのだ。

 私が礼を述べると、リールエルバは半透明の身体をぐったりとさせてセリアック=ニアに後ろから抱きついた。

 戦いは終わる。

 地上でも第五階層でも、無慈悲に残酷に、余りにあっけなく命が消えていく。

 やがて歌が終わり、この上なく盛り上がった観衆は、前半の終了と休憩の告知を聞いて残念がりながらも満足した表情で後半の開始を待ち望む。

 そしてリーナは。


「お爺さま、マリーを、マリーだけでも第五階層に逃がしてあげる事はできませんか。彼女はまだ生きています。だから――」


「ならぬ」


 サイリウスは呪術灯を袖口にしまうと、ゆっくりと振り返った。

 威圧するようにリーナの前に移動すると、厳かに言い放つ。


「リーナ。お前は地上の秩序というものを理解しておらぬようだ。我々クロウサーという特別な存在の振る舞いがどのようにあるべきか――それを、見せてやろう」


 サイリウスはガルズとマリーをそれぞれ片手で掴む。軽々と(質量操作で実際に軽くしているのかもしれない)持ち上げると、そのまま浮遊していく。


「待って、待ってよ、お爺さま!」


 戸惑いながら制止する声を無視しながら、クロウサー家の当主は舞台の上に降り立った。舞台から捌けようとしていた歌姫が擂り鉢の出入り口で驚いて立ち止まる。状況が掴めていないのだろう。

 サイリウスは異形の肉塊とマリーを浮遊させ、更には指を鳴らすと二人の拡大映像がその場にいる全員に見えるように会場の上方を浮遊する積層鏡に映し出される。そのおぞましさに、悲鳴や嫌悪に満ちた声が上がった。


「私はクロウサー家当主、サイリウス・ゾラ・クロウサー。不躾にも騒ぎを持ち込んだ事は本意ではありませぬが、この場にいる全ての方々にはこれから行われる決定に関わる権利がございます」


 サイリウスは翼耳によって声を拡大しながら会場全体に響き渡るように叫ぶ。

 それから、二人が会場を襲撃し、罪もない人々の命を奪おうと企んでいたテロリストであることを説明する。

 それだけではない。

 ガルズの素性、つまりクロウサー家の一員であるということまで明かし、血族内部の勢力争いによって陥れられたという過去、その為に地上に復讐を誓った悲劇的な人物であるのだと語っていく。

 どこかで小さく、「かわいそう」という声が上がった。つられるようにして、同情の声が次々と上がる。


「これも全ては身内の愚行を止められなかったこの老いぼれの力不足ゆえ――せめて己の手で捕らえ、松明の騎士団に引き渡すべきかとも考えました。しかし既にその身を生ける死体と化してしまったこの者は、絶え間ない苦痛に苛まされ続けているのです。いずれ力尽きて死ぬことが決まり切った肉体を、復讐の一念のみで動かし続けるのみ。私は悩みました。私にとって一族の者は孫も当然。情に従って楽にしてやるべきか、それとも法に従って引き渡すべきか――だが引き渡した途端に死んでしまうやもしれぬ。それともまた再び息を吹き返して牙を剥くやもしれぬ」


 感情を込めて声を張り上げる老人の顔が鏡に映し出される。深い悲しみに包まれた老人の表情はくしゃくしゃに歪み、瞳は憂いに揺れていた。


「そこで気付いたのです。何の咎も無いというのに、我々の愚かさに巻き込まれてしまった皆様方――この会場にいる一人一人にこそ、この者の処遇を決定する権利があるのだと! この者を楽にしてやるべきか、それとも法に従って苦しめるべきか――どうかこの愚かな老いぼれに、その意思を聞かせては貰えないでしょうか」


 サイリウスの拡大された声にはどこか魔性の響きが感じられた。情感豊かな言葉は会場に浸透して同情を引き出していくと共に、提示された選択肢と組み合わさって思考の方向性を誘導していく。

 関係の無い自分たちの命を狙っていた、悲劇的な過去を持つテロリスト。

 死ぬのはどちらの選択肢でも時間の問題で、あるいは隙を見てまた自分たちに襲いかかってくるかもしれない。

 最初は小さく、ぽつりぽつりと上がっていた声が、次第にその数を増していく。


「かわいそうだねー」「見て、とても苦しそう」「あんな姿になってまで」「もう楽にしてやった方がいいんじゃないのか」「いや、ちゃんと逮捕して裁判にかけるべきだろ」「だからその前に死ぬってよ」「責任とれよジジイ」「やめなよ可哀想だよ」「悲しいけど地上ではよくあることだもんね」「許されるわけではないが、同情の余地はあるな」「楽にしてやるべきだ」「仕方無いよね」「かわいそう」「かわいそう」「かわいそう」「かわいそう」「かわいそう」


 ――例えば。

 これが自分たちの命を狙った邪悪なテロリストを晒し上げ、全員で殺せと大合唱して処刑する――というような流れであったならば、私はまだ感情の行き場をどうにか用意できた。

 けれど、これは。


「何、何なの、これ――」


 リーナが震えながらその光景を凝視する。

 多くの人に死を望まれるガルズ――それは彼のとった行動の結果として十分にあり得る結末だったが、サイリウスによってその性質は色合いを変えた。

 哀れみと同情によって、求められる死には意味付けが行われていた。

 ガルズの主張するようなただ空虚なだけの死ではなく――『仕方無く』『慈悲としての』『正しい』といった性質を持った死への変化。

 それは呪文――私が物語を利用してキロンを陥れたことに対する言い訳にも似た、綺麗な死。

 あるいはそれは、葬送式典という華やかさに彩られた死の祭典に相応しいのかもしれなかった。

 それは憎しみではない。

 同情、共感、悼み――命が終わるということに対する人の感情。

 ありふれた、ごく自然な心性。


「――感謝します。無関係の者を傷つけようとした罪人に対して示された皆様の優しさに、私は深い尊敬を覚えずにはいられない」


 サイリウスははらはらと涙を零し、感謝の言葉を述べていく。

 そうしながら、彼の目の前に巨大な呪力が収束していく。

 渦巻く風は圧縮されていき、弾丸として解き放たれる瞬間を待ち望む。


「ありがとう、ありがとう――皆様方の慈悲に感謝します。この者の罪深き魂が、どうか天の御殿にて浄化されんことを」


 サイリウスはリーナに地上の秩序、クロウサーの振る舞いを見せると言った。

 私はそれを、槍神教の恐怖による支配、上から抑え付けることによって従わせるようなことか、あるいは殺せ、奪え、勝ち取れという霊性複合体や複合巨大企業群の利潤だけを追求していく精神に関係したことだとばかり思っていた。

 けれど、あの老人がリーナに教えようとしていたのはそんな単純なことではなかった。

 あれは、そういったものよりもずっと言い訳がきかない、何か別のもの。

 人間の本性。

 善とか悪とかを超えて、高みから生物の活動を見下ろして観察するような、冷たく無機質な瞳。

 感情が込められているはずの老人の瞳の奥に、どうしてかいい知れない恐怖を感じた。

 サイリウスは振り返り、大仰に手を振って風の弾丸を解き放つ。

 リーナが悲鳴を上げて、肉塊が弾け飛び、夜闇の浄界が軋んでいく。

 天上で四つの赤い月に罅が入っていく。

 それと連動するかのように、ガルズは今度こそ完全な死を迎えていた。

 多分サイリウスはこういう所の詰めを誤ったりはしない。

 完璧に計算して、完全な結果をもたらす。


 老人の呪術は死体だけではなく死体を操作する魂を打ち砕き、今度こそガルズに復活を許さない死を与えたのだ。

 全てが終わってしまった。

 リーナがふらついて、後ろからセリアック=ニアがそれを支えた。

 震えながら縋り付くリーナの頭を、セリアック=ニアは何も言わずにそっと撫でる。私もリールエルバも何も言えず、ただその場には沈黙が落ちる。


「老いたわね、サイリウス」


 ひどく冷ややかな声が響く。

 何事かと思って振り返ると、そこにあったのは兎たちが運んでいた駕籠。

 御簾の奥にいて姿の見えない女性が、落胆したような口調で呟いていた。


「あの程度の罠にかかるとは――いえ、術者の捨て身の覚悟をこそ褒めるべきなのかしらね。拙いけれど、力強さは本物みたいだし」


「あの、何を」


「死には応報――加害者には被害者の報いを。自爆して道連れなんて、テロリストとしてはむしろありがちな手法。よく見なさい、アズーリア・ヘレゼクシュ」


 私は舞台の上を見て、そして慄然とした。

 未だ崩壊していない浄界の闇空の下、屍を晒す肉塊。

 その肉塊の中に同化して、苦痛と恐怖に顔を歪めながらサイリウス・ゾラ・クロウサーが蠢いていた。


「え?」


 蠢く肉塊の中に囚われて、余りにも強大に見えた老人は哀れみを誘う声を上げながら捕食されていく。

 死体の中に取り込まれ、霊体を喰われ肉体を取り込まれ肉塊の一部となっていく。その口が、ガルズの名を何度も呼ぶ。

 何だっけ。

 私は、これに似た光景を見たことがある。

 第五階層。エスフェイルと交戦し、全員が散り散りになって、アキラと最初に再会したあの時だ。

 エスフェイルを罠にかけて殺害することに成功したカインは、相手の死の呪いによって肉体を狼の胴体に同化させられて、初期化イニシャライズされた戦闘用哲学的ゾンビになりかけていた。

 どうして、あの時の事を思い出したんだろう。

 サイリウスが絶叫と共に肉塊に飲み込まれた。

 そしてゆっくりと浮遊した肉塊は、周囲から大量の大気を吸い込んで凄まじい風の渦を作り出す。

 マリーもまたその中に吸い込まれていき、肉塊は大気を取り込んでさらに膨張し続ける。

 まるでサイリウスが巨人となった時のように。

 膨れあがったそれは屍肉と半透明の大気が混在した斑の巨人とでも言うべきものだった。実体と非実体の怪物はサイリウスの巨人形態よりも更に巨大化し、そのまま浮遊する積層鏡を透過して上昇し、長大な手を天に伸ばした。

 その腕が、逆さまの天の御殿に届く。


「何をしているんでしょうね、あれは。いかに優れた死霊使いであっても、天の御殿に記録された死の履歴を全て参照することはできない。目当ての死者でもいるのかしら――この包囲された状況を覆せるような」


 女性の声で気付いた。修道騎士の一団が巨人の方に向かいつつあった。

 そして、リーナもまた箒を手に飛び上がろうとしているのに気付き、私は走りながら叫ぶ。


「私も行く!」


 セリアック=ニアとリールエルバを放置するのはどうかとも思ったが、セリアック=ニアは背後の巨大な肉の球をつんつんとつつきながらそっぽを向いて、リールエルバは手で行くように促している。

 ごめんなさいと小さく謝って、私はこの前のように箒に乗る。

 リーナは私が目の前に座ったことを確認すると、一切間を置かず浮遊、飛翔して最大限に加速した。

 空に向かって飛翔したあの時のように、私たちはあっという間に会場の中心、巨人が手を伸ばす天の御殿の近くまでやってくる。

 速度を落として周囲を回っていく。すると、リーナがそれに気付いた。


「アズーリア、あれって」


 リーナが指差す先にそれはあった。巨人の掌と比べるととてもちっぽけな、しかし途轍もない呪力を放散しながらひとりでに項がめくられていく黒い魔導書。


「【死人の森の断章】――この時の為に、温存していたんだ」


「やあ、遅かったじゃないか、リーナ、アズーリア」


 どこからともなく響く、ガルズの声。

 大気そのものが震えているのは、今や彼が大気と同化した存在だからだろうか。

 サイリウスと同化することで殺害し、死人として浄界で操作するという強引な手段によって、ガルズは一時的に死した巨人となっていた。


「両者の相似に基づいて――殺された瞬間に、殺人者を身の内に取り込む。魔将エスフェイルの道連れ呪術だ。君は良く知っているはずだ。何しろ君が詳細にこの魔導書に記録してくれたのだから。それだけじゃない、槍神教にも報告し、その情報は修道騎士の間で共有された。二度と同じ事を繰り返さない為に」


 やはり、ガルズが使ったのはエスフェイルと同じ呪術だったのだ。

 でも、どうやってそれを知ったのだろう。

 偶然? いいや、サイリウスは正面から倒すには強すぎた。最初からこうする計画だったとしか考えられない。

 私は彼が無謀な第六階層への攻略に赴く遠因を作ってしまった。

 もしかしたら彼はそのことで私について調べて――そうしていく内にこの呪術の存在を知り、この計画を思いついたのだろうか。

 本来ならば絶対に不可能なはずの、サイリウスの殺害。

 それを実行する為に。


「【死人の森の断章】にはその時の描写がしっかりと記されていた。君はその呪術で返り討ちにされないように、きちんと解析して解体したね――その記録は、解析の補助に使用されたこの魔導書に詳細に残っていたよ」


 私がエスフェイルを【静謐】で解体したことが、結果的に彼と【骨組みの花】を追い詰め、今は助けになってしまっている。これほどの皮肉があるだろうか。


「僕は夜の民のように影だけ分離させることはできないが――これでサイリウスは死んだわけだ。君もまた一度死んでいる。生贄はこれで十三人揃った!」


「何を馬鹿な! ハルベルトなら生きて」


「何を言っている? 知らないなハルベルトなんて。僕が名簿に載せた名前は歌姫Spearだ。知ってるかな、かの歌姫の最初の名は『カタルマリーナ』というのさ。不吉だと言われて炎上しただけで一度消えてしまったから、知らないのも無理はないかもしれないけど、僕はカタルマリーナ時代の彼女の歌も好きだったよ」


 ぞっとした。

 私以外にもあの頃の歌姫を知っている人がいた。

 そのことは、普段だったら嬉しくなることのはずだけれど。

 それは、私が詭弁を弄した時の裏返し。


「そして、歌姫なら殺したじゃないか――僕らが力を合わせてね」


 歌姫Spearは歌姫カタルマリーナ。

 そして、私たちは確かにパレルノ山で【死の囀り】カタルマリーナを殺害した。

 それらは厳密には違うものだ。

 けれど、言葉の上で少しずつ繋がったイメージが、微かな繋がりによって一つの形を生み出してしまう。


「屍の階段はここに積み上げられた――締め括りはこの上なく理想的な公開処刑! 貴賓席の人間だけでもよかったんだけど、まさかここまで完璧な処刑になるとはね。まったく上手く行きすぎて怖いくらいだ!」


 実体の無い天の御殿内部に入り込んだ巨大な腕、その掌の上で魔導書が一際強い光を放った。

 何かが始まろうとしている。

 私は槌矛から光を伸ばして魔導書を奪い取ろうとするが、荒れ狂う暴風と天の御殿から放出される呪力の嵐によって拘束帯は弾き返されてしまう。


「ガルズ! この馬鹿! こんなことして、何になるんだよっ」


 リーナの悲痛な叫びには一切頓着することなく、ガルズはただひたすら愉快でたまらないというように哄笑する。


「十三段目――ここが僕の処刑台にして新たな旅立ちの為の入り口だ!」


 天の御殿が鳴動する。

 夜空が歪曲し、四つの赤い月がぐるぐると空を巡り、大地からは血の海の代わりに大量の死者が這いだしてくる。

 腐った身体でただ目の前の動くものに襲いかかることだけを考える死者。

 そして天空には無数の霊魂――半透明の浮遊霊たちが乱舞する。

 十三の光が魔導書から放たれ、一つは巨人の方へ、残り十二は全て天の御殿に飲み込まれていく。

 そして、十二の生贄が生み出した呪力に導かれ、想定しうる限り最悪の災厄が出現する。

 魂を逆流させて大量死を引き起こす、あるいは死者の軍勢を従える。

 どちらの状況でも対抗できるように、松明の騎士団はそれらに対する備えをしていた。もし起こってしまっても迅速に対応できるように作られた指示書は頭に叩き込んである。

 だが、そんな想像はあまりにも楽観的だったのだと、私は理解する。


「さあ、死の舞踏を始めよう!」


 大気が圧縮し、巨人を取り込んだガルズは新たな肉体を得て復活する。

 実体を持った、ごく普通の空の民――いや、以前とは違う。

 その身体に抱きしめられていたマリーが顔を赤らめたことに気付いて、ガルズは優しげに微笑んだ。

 裸の肉体が泡立ちながら溶けたかと思うと、瞬時に皮膚が盛り上がって衣服を形成する。

 漆黒の長衣に同色の魔導書を持ったガルズの周囲を、無数の呪力の泡が浮かんでは消える。

 そのイメージが、ひとつの名前を連想させる。

 泡沫のハザーリャ。

 既視感があったのも当然だ。

 ガルズの雰囲気の変化は、二つの加護を同時に使いこなすハルベルトにそっくりだったのだ。

 天の御殿から舞い降りる死霊と虚空に浮かび上がる泡がガルズの周囲に浮かぶ。

 死霊と泡が接触すると、死霊は実体を持った存在となり、確かな形でこの世に甦っていく。

 再生者オルクス――甦った者。

 失われた十三番目の眷族種。

 そして、次々と復活していく再生者たちが浮遊する巨大な積層鏡の上に降り立っていく。

 六角形の床面に並ぶ異形の中で、見覚えのある影は一つ。その他は松明の騎士団が共有する映像記憶でしか見たことが無い。

 聞き覚えのある、不快な声が私を貫いた。


「く、はははははは! ああ、よもやこのような機会が死後に訪れようとは! 久しいな狂信者ぁ、貴様を殺す為、天の頂から甦ってきたぞ!!」


「嘘、でしょう」


 ぴんと立った三角の耳、その威圧感に反して小さな身体、茶色の毛皮。

 そして、影と繋がった闇色の脚。


「エス、フェイル――」


 天の御殿に刻まれた死の記憶。

 そこから甦る、これまで倒されてきた十二の魔将。

 殺すこと無く地上側に取り込んで寄生異獣にされた第一から第三魔将の姿は無い。死んでいないのだから、死霊使いに操れないのは当然だ。

 死体を寄生異獣として利用しているかどうかは関係が無い。

 天の御殿は死を観測し、記録し、保存するだけのシステムだ。

 私が存在を否定されただけで一度死んだように、肉体とは関係なく死は訪れる。


「さあ、存分に暴れるがいい終末の獣たちよ。僕はここで、君たちの存在を完璧に維持してあげようじゃないか」


 ガルズの言葉に各々は鼻を鳴らしたり舌打ちをしたりするが――逆らおうとする様子はまるでない。

 ただ、再び得た生で地上との戦いを――地獄のための戦いをまた始められるという歓喜だけがそこにあった。


 第四魔将、万殺鬼アインノーラ。牽牛種アステリオスの将。

 第五魔将、銀霊サジェリミーナ。銀霊種クイックシルバーの将。

 第六魔将、石喰いのベフォニス。岩肌種トロルの将。

 第七魔将、楽想のアケルグリュス。有翼人魚種セイレーンの姫君。

 第八魔将、優美に泳ぐ蝶ハルハハール。闇妖精種デックアールヴの将。

 第九魔将、賛同のピッチャールー。旧世界の古代兵器。

 第十魔将、三つ首の番犬サイザクタート。虹犬種ヴァルレメスの将。

 第十一魔将、光の幻姿ユネクティア。幻姿霊種スペクターの将。

 第十三魔将、朱大公クエスドレム。ジャッフハリムの王族たる色号使い。

 第十四魔将、痩せた黒蜥蜴ダエモデク。黒蜥蜴人リザードマンの将。

 第十五魔将、闇の脚エスフェイル。人狼種ウェアウルフの将。


 ――そして第十二魔将、網膜を灼く稲妻ズタークスターク。

 エルネトモランの真下にある地獄の帝都ジャッフハリム。

 そこから遙か北に存在する別の世界槍で、地上の北辺帝国と熾烈な争いを繰り広げている地底都市ザドーナ。

 哲学的ゾンビたちの軍勢たる方舟軍を統べる冥王の一人は、劣勢のジャッフハリムに援軍を派兵した。

 その天才的頭脳で地上の北辺帝国に快勝を続ける最強の冥王アリスの名はこのエルネトモランにも轟いている。

 正式な名を【賢天主】言理の魔女アメル・ア・フィリス

 その身体を恐るべき稲妻の呪文によって再現した、自律型仮想使い魔。

 人の形をとった雷光の魔女が、天空で莫大な呪力を放出しながら覚醒する。

 史上最悪の大魔将。

 かつてたった一人で松明の騎士団を壊滅寸前にまで追い込んだ最強最悪の怪物。

 死霊使いが嗤い、十二の凶獣が復活の雄叫びを上げる。




 その日。

 エルネトモランに、天より十三の災いが降臨した。  

 これより地上は闇に包まれ、未曾有の絶望が終末をもたらす。

 天に最も近い場所で繰り広げられる狂乱の宴。

 偽りの夜が明けることはなく、血色の月光がただ空虚な死を照らしていく。

 夜明けは来ない。

 今はまだ。





 


【後書き】

 ディスペータお姉様による『あとでテストに出ますからね』コーナー


「はい、ボスラッシュですよー♪

 というわけで今回からは『倒した記憶が無いのに恨み骨髄で襲いかかってこられて困る』という状況をなんとかするべく魔将紹介をしちゃいます。

 といっても見た目もまだ良く分からないと誰が誰だか分からないでしょうし――まずは倒されていない一から三までをおさらいしておきましょうか」


「まずは第一魔将。言理の妖精でお馴染みのエル・ア・フィリス。出現した経緯は皆さんご存じでしょうから今更説明する必要もありませんね――ふふふふ。そうそう、実は地上に現れたのは一番目じゃなかったりします」


「第二魔将は変異獣モルゾワーネス。何にでも変身できてしまう一種の生体兵器で、ソルダの機転によってクラッキングされて今はフラベウファという少女になっています。妹と同じ名前なのは何か秘密があるみたいですね」


「第三魔将は破壊と再生のヴェイフレイ。とっても強かったんですが、ちょっとお馬鹿さんだったせいでソルダに言いくるめられた挙げ句聖遺物の中に封印されてしまって――今ではいいように使われているみたいです。ちょっと可哀想かしら? 新しく『フォグラント』という初代松明の騎士の名前を付けられているみたいですね。コルセスカの『使い手』だったと言われていますけど――どんな人だったのかしら?」


「今回はここまでですよー。一気に名前が増えて大変なので、次回は冒頭に簡単な名簿を作っておきましょうか。それではまた次回」


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