3-55 チョコレートリリー⑤
歌姫Spearは三巡節前――朝の世界ふうに言うなら一年半前に活動を開始した歌手である。
けれど、実はそれより前に、歌姫は全く別の名義で活動をしていたことを、私は知っている。
歌姫カタルマリーナ。
その名前は、とてつもなく不吉で、おぞましいイメージを内包していた為に当初は悪目立ちして話題になったが――その後すぐに忘れられた。
誰もその歌を聴こうともしなかった。
当然と言えば当然だろう。
その名前は、地上において最も忌み嫌われているキュトスの姉妹――その中で最も恐れられている三女のものだったからだ。
キュトスの七十一姉妹の名前を全て言える人はそういない。
私だって悪魔の九姉と有名どころくらいしか知らない。
けれど、どんな人に尋ねても――それこそキュトスの姉妹そのものを知らないような人であっても、【死の囀り】カタルマリーナの名前だけは知っているという。
言うことを聞かない子供を脅かす時に、キュトスの姉妹全体の名前を出すのではなくカタルマリーナの名前を出す地方もある。
そのさえずる声――この世のものとは思えぬ歌を耳にした者は、例外なく宇宙の深淵を覗いたかのごとき恐怖に囚われ、発狂すると言われている。
そんな名前で【歌姫】などと言われても、聞きたがるような人は少数派だろう。
面白半分、からかい半分に視聴して、わずかなフレーズだけで知ったような事を言って終わり。
そして忘れ去られていく。
カタルマリーナ時代の彼女を覚えている人が、私の他にどれだけいるだろうか。
不吉な名前。それでも、歌姫は強くその名前で活動することを希望した。
その理由が、かつてはわからなかった。
やがて理想を押し通すことができなくなり――彼女は消えていった。
けれど、不死女神の欠片の名前を冠していた歌姫は、そこから奇跡のように甦った。
歌姫Spearと名前を変えて活動を再開した彼女は、劇的に栄光の道を突き進んでいく。
実のところ、彼女の姿を実際に見た者は、一人もいない。
歌姫Spearはネットアイドルだ。
アストラル界とグラマー界に網目状に広がる情報の流れに乗って運ばれていくネットミーム。ちょっとした流行。けれどしつこく蘇り、決して下火になることがない。
実態が明らかで無いゆえに、下らない捏造記事や誹謗中傷、下世話な推測の数々がネット上を飛び交っている事も大きい。
念写での醜聞作り――品のない嘘を創造し、それを消費するという文化が存在するのである。どうしてか歌姫Spearはそうした連中に気に入られており、何かと悪い意味で話題になりがちだった。
すぐに消えるだろうと誰もが言った。
今でも言われ続けているし、馬鹿にする人は後を絶たない。
けれど消えない。
世界そのものに焼き付けられた刻印のように、その響きは絶えることなく広がり続けている。
あるいは、その在り方こそが彼女の『不死』なのかもしれなかった。
いつしか歌姫Spearはクロウサー社という強力な足場を手に入れていた。
呪具メーカーであるこの大企業は、当然のことながら歌という呪文を記録し再生する呪具、
音楽を流通させる媒体が端末に移行してからも蓄音機や音盤という形は呪力を有し続けたし、クロウサー社は新しい媒体にも手を伸ばしていた。
原盤の製作、事務所、出版――それら全てを包括するクロウサー社の支援を受けて、歌姫の名声は瞬く間に地上に広がったのだった。
地上において知らぬ者無き天上の美声、楽神の囀り。
世紀の歌姫Spearとは、この世界の至宝である。
「――と言うわけ。わかった?」
「う、うん」
私の念入りな説明を聞いて、プリエステラは引きつった声で答えた。
どうしたんだろう。
「で、肝心の楽曲の方なんだけど、これはもう下手に説明するより実際に聴いて貰った方がいいと思って――」
「ちょ、ちょっと待って! わかった、わかったから! とりあえず今日は寝よう? ね? もう遅いよ?」
「はあ、それにしても――今までPVの配信は全部チェックしてきたけど、歌姫Spearはずっとその素性を隠していたから直接ステージで歌声を聴く事はできなかった。そんな彼女の初ライヴが、まさか間近に迫っていたなんて! どうしよう、私これから外走ってきてもいいかな?!」
「うわぁ。やばいよ先輩、この人アストラル体がどっか飛んでるよ」
「ア、アズーリア様が壊れた――」
「なんか、アズ怖いよ?」
リーナとミルーニャ、メイファーラが怯えたような声を出している。
どうしたんだろう。
私の懇切丁寧な説明と、実はPVを加工して
言われてみれば当然で、素性を隠さなければならない理由は沢山あった。
それでもその歌声、仮想のステージ上のパフォーマンスの素晴らしさは揺るがない。私は熱弁して、その度に何故か周囲の皆が引いていくのが感じられたけれど、そんなことはまるで気にならなかった。
だって目の前にいるのだ。あの歌姫が。
「第一区の葬送式典――霊性複合体の合同慰霊コンサートに参加する事になっている。本当は当日に明かして驚かせようと思っていたけれど」
ハルベルトが、少し残念そうに呟く。
私は、加熱された頭が少し冷やされるのを感じた。
ガルズ・マウザ・クロウサー。あの男はまさにその葬送式典までに十三人を殺害し、生贄を献げる事で何らかの儀式呪術を行おうとしている。
恐らく、葬送式典の当日に何かを仕掛けるつもりなのだろう。
それまでに逮捕出来ればいいのだが、出来なければどうにかして当日に会場を守りきるしかない。
葬送式典は霊性複合体、巨大企業群、そして諸外国の来賓まで招いた極めて大規模な儀式である。
式典の為に費やされてきた膨大な費用を考えれば取りやめることなどできない。そしてそれに関連して生み出される巨大な経済効果と鎮魂によって発生する呪力は、地上に多大な恩恵を与えるのだ。
「もしこの名簿の順番通りに殺害が実行されていくのだとすれば、ハルが狙われるのはアズの次。十二日目」
ハルベルトが正体を明かすのを前倒しにした最大の理由。
殺害予告が記された名簿――その中には、歌姫Spearの名が確かに存在した。
「もちろん、この名簿に載っている人が上から順番に狙われると決まったわけではない。ハルの正体は露見していると考えた方がいい。どちらにせよハルとアズは常に行動を共にするのが安全」
ガルズは式典で何かを行うつもりなのだろう。
しかし同時に、ハルベルトと私を亡き者にするという意思も持っている。
「ハルたちをついで扱いするなんていい度胸」
「返り討ちにしてやろうね! 歌姫Spearのステージを邪魔するような屑は死ねばいいよっていうかぶっ殺すよ! 大丈夫、私がハルを守るから」
ぎゅっとハルベルトの手を両手で握りしめて力強く宣言する。
ハルベルトは少し仰け反りながら、こくこくと頷いている。
「先輩せんぱい、アズーリアって随分と好戦的な人なんだね」
「うう、こんなアズーリア様は見たくなかったですぅ」
そんな風にして、その夜は過ぎていった。
翌日。
心地良い眠りは謎の衝撃によって引き裂かれた。
襲撃かと意識が瞬時に覚醒して飛び起きる。
ハルベルトが放った警戒用の仮想使い魔はどうしたのだろう。
心配になって隣で寝ている筈の彼女の方を向く。
「起っきろーっ! 朝だよー!」
そして見た。寝ているハルベルトの真上に飛び上がり、両足で踏みつけようとしている――というかほとんど跳び蹴りに近かった――リーナ・ゾラ・クロウサーの姿を。
「むきゅっ」
謎の鳴き声を上げて起きるハルベルト。
体重が軽い上に重力が厳密に作用しない空の民がやるからまだ冗談で済む行為だが、下手をすれば大怪我をしかねない危険行為だった。
リーナの暴挙はそれからも繰り返され、全員から非難の眼差しを向けられていた。というかミルーニャは寝起きの悪い目つきのまま上段蹴りを浴びせていた。
部屋の隅まで吹っ飛んでいったリーナはまるで堪えた様子も無く、そのままふよふよと浮遊して元気にカーテンを開いていく。
朝の光が差し込む。まぶしさに私たちは眼を細めた。
「ちょっと早すぎない? 私、もうちょっと寝てたいんだけど」
何しろ私、おふとんごろごろ目おふとんからでたくない科のふしぎな生き物なので。そんな事を言おうと思ったけれど、朝の光を浴びたみんなはもうすっかり目を覚ましてしまったようだった。
「朝が来たら起きる! これが美容と健康に一番なんだよ!」
やたら元気がいい。まるで深夜の私みたいな雰囲気だった。
ミルーニャが諦めた様に嘆息する。
「空の民は、夜の民と対比させて朝の民とも言われてますからね。太陽の光を浴びるとやたら元気になるんですよ」
空の民のイメージといえば青空や太陽、そして雲といったものだ。
明るく朗らかなのはいいけれど、私とはちょっと相性が悪そうだなあと思った。
半分兎のハルベルトもどちらかといえば朝は苦手らしい。
兎のきぐるみのような、もそっとした寝間着のフードから恨みがましい視線をリーナに送っている。目つきは悪いが非常に愛らしい。
仕方無いから起きよう。
のろのろと身支度を整える私たち。
着替えが一瞬に済む私だけが一人早めに食堂に向かうと、リーナは一人で朝食を用意していた。てきぱきと動いて、調理場から卵焼きと付け合わせの野菜、そしてこんがり焼き上がった空魚の切り身が乗った空の民流の朝食を運んできては並べていく。
卓上の大きな籠には槍パンが突き刺さり、透明なグラスには野菜のジュースが注がれていく。
「随分と手際いいんだね。お嬢様ってこういうの使用人にやってもらうものじゃないの?」
「お姉ちゃん――おっと、先輩の所でお世話になってた時に家事は普通にしてたからねー。放っておくと、あっちのお母さんと先輩がやっちゃうから、なんか気まずくって。あ、ウチの事情は知ってるんだよね? 先輩が全部理解されてて幸せーって惚気てたんだけど」
「うん、大まかな所は」
ミルーニャとリーナ。腹違いの姉妹という複雑な関係。
けれど、どうやら二人の間には暗いわだかまりのようなものは無いようだ。
ミルーニャはリーナに対してよく暴力を振るっているけれど、それも本気ではなく、あくまでお互いの了解の上で行われているじゃれ合いのようなものに見える。
「ま、色々あって結局あの家は出てくことになっちゃったんだけど。実際の所、うちの母も大概どうしようもなくてさー。覇王メクセトの血を引いた子供さえ生まれれば後はどうでもいいとか言って、あっけなくお父さん捨てるんだもん。正直、見てらんないって思ったよ。お父さんのことも、あっちのお母さんのことも、それに先輩のことも」
少しだけ遠い目をして、リーナは朝食を用意する手を止めた。
だから、と言って、彼女は私の方を見て言った。
「お父さんの仇とってくれて、ありがとね。それからお姉ちゃんの事も」
「リーナは、その、事情とかは――」
「末妹選定の事? うん、先輩から教えてもらった。てか私も予備候補だったらしいよ。記憶無いけど」
ミルーニャを星見の塔に誘ったのはリーナだ。関係者であることは明白だった。
けれど、そうか。記憶は無いのか。
きっと選定の途中で脱落して、詳細については呪術で忘却させられてしまったのだろう。
「お姉――先輩から色々聞いて、納得したよ。なーんか、昔のこと思い出そうとすると所々辻褄合わないなーって感じる時があったんだ。ああそういうことだったかーって思ったね」
記憶が無いという事を、リーナはごく自然に受け止めていた。
もしかしたら内心には不安が渦巻いているのかもしれないけれど、それを表に出すことは無い。
私とは大違いだと、そんなことを思った。
「ガルズの奴、トライデントって魔女の手下になってるんでしょ? ハルベルトとアズーリアの競争相手なんだよね。なら私が一緒に戦えば、お父さんの仇を討ってくれたアズーリアへの恩返しになるよね」
目的が二つも達成できて得だとリーナは笑った。
その快活さが少し羨ましい。
新しく出来た仲間の明るさに、少しだけ気分が和らいだ。
正反対の気質だけれど、必ずしも相性が悪いということも無いのかもしれない。
「私もお皿並べるの手伝うよ」
そうしていると、身支度を調えたみんなが食堂に姿を現す。
さあ、朝食を摂って、一日を始めよう。
「てかさー、アズーリアは何、絶対にその黒衣しか着ちゃ駄目なの?」
「必要なことだから。それに、下に何も着てないわけじゃない」
朝食が終わって、片付けをした後。
明日の準備のため、六人で呪具の買い出しなどをしていると、第六区の路上で出し抜けにリーナが訊ねてきた。
「私だって、黒衣の下には街の人が着てるみたいな普通の服を身につけている。というか、夜の民はみんなそうだよ。普通にお洒落くらいするし」
「え、何それ。誰にも見せないのに何でお洒落とかするの?」
「誰も見なくても、私がそういう服を着ているって知ってるでしょう。服は自分の為に着るものだから、それでいいの。それに流行呪力の発生源にもなるし」
私はいつもの黒衣だが、その下には当然服を着ている。いつか見た変態のように、裸の上にマントだけなどという格好はしていない。いや、あの変態的な格好は全裸だったのを見かねた私がせめて身体を隠せるようにと渡したせいなのだが、全裸のままだったらより変態なので私は悪くない。全裸なのが悪い。
彼はどこかで生きているというけれど。
まさか、まだ全裸にマントだけということは――無いよね?
どうか、彼が服を手に入れていますように。
私は強く願った。
彼に十分な衣食住が与えられていることを。
彼が露出狂ではないことを。
「そうなんだ。どれどれ?」
言いながら、リーナが私の黒衣に下から潜り込んでくる。
「ちょっ、何っ、やめてっ」
「ほほーキュロットかー。ティアードになってんのはハルベルトとお揃いにしてんの? 可愛いー!」
「出てけーっ!」
叫んでいると、ミルーニャがリーナを引きずり出して思い切り蹴り飛ばす。軽いリーナは空高く舞い上がっていった。もう帰ってこなければいいのに。
メイファーラが寄ってきて、よしよしと頭を撫でてくれる。
「怖かったね」
「うん。スカートめくりされたメイの気持ちがわかったよ」
ゆっくりと落下してきたリーナはミルーニャに叱られてプリエステラに窘められていた。
ふと、ハルベルトが何やらこちらを見ているのに気付く。
「どうかした?」
「お揃いって言ってた」
う、と返事に窮する。
しまった、どうせばれないと思っていたのだけれど――リーナのせいで露見してしまった。
私はうなだれて、
「はい。素敵だなーって思ったので、ちょっと真似しました。ごめんなさい」
「なんで謝るの。馬鹿なの」
「え、でも、怒るかと思って」
「別に」
ハルベルトはぷいとそっぽを向いてしまった。
その表情は窺えない。
メイファーラがそっと耳打ちしてくる。
「アズ隊長、多分ですが、ハルさんは照れているものと思われます」
「それは本当ですか、メイ隊員」
こそこそと囁き合う私たちを不機嫌そうな視線が貫く。
「馬鹿な事を言ってないで、次の目的地に向かうから付いてきて。防御用の自動人形は幾つあっても足りない。二人にも運んで貰うから」
怒ったような口調だったけれど、そこまで不快に感じているわけではなさそうだ。私はわけもなく嬉しくなって、小走りにハルベルトの方へ駆け寄っていった。
襲撃を警戒しながらも、その日は何事も無く穏やかに過ぎていった。
二人目の犠牲者が出たという知らせは、夕方になってもたらされた。
智神の盾の調査によると、死亡したのはまたしても前日の昼食会に出席していた神官の一人。
骨を組み合わせ、削りだした三叉槍に貫かれて絶命したらしい。
異様なのは、それが外敵の侵入を決して許さない時の尖塔のただ中だったこと。
その上、周囲を護衛で固めて自身も何重にも防御障壁を張り巡らせていたにも関わらず、白昼堂々と殺害が実行されたこと。
そして、凶器である骨の槍が、被害者である神官自身の骨であったことだ。
今までごく普通に動いていた人間が、突如として痙攣する。
体内の骨が血肉を引き裂きながら胴体の中央へと蠢いて依り合わさって行く。
そして骨が抜けて柔らかくなった肉体を内部から突き破って出てくる鋭利な穂先。誰も彼を助けることはできなかった。
侵入の形跡は無し。感知呪術には何の反応もなく、外部から呪術が発動した形跡も無いという。
念のため、事前に時限式呪術を仕掛けられていないかどうかを確認することになった。名簿に名前が記された全員に身体検査が行われた。
それでも一切の異常が認められない。
異常が無いということがなによりも異常だった。
私はハルベルトと共に検査から帰ってくると、改めて仲間たちとガルズに襲撃された時の事を話し合った。
リーナが持つ知識を元に対策を幾つも立てたけれど、感知されない異常な暗殺や邪視の奥義【浄界】については彼女もお手上げで、ああでもないこうでもないと言い合っている内に時間は無為に過ぎていくばかり。
夕食を挟んで話し合ってもそんな調子だったから、少し休憩することになった。
私は月の光を浴びようと外に出て行く。
「アズーリア」
背後からの声に振り向いた。
月明かりに照らされる可憐な花。緑色の長髪が夜風に軽く靡いている。
「どうしたの、エスト」
「うん。出て行くのが見えたから。私もちょっと夜の散歩」
そう言えば、彼女と出会ったのもこんな月明かりの下だった。
つい数日前のことなのに、いつの間にかこんな風に一緒に寝泊まりするようになっている。
不思議な縁だと思っていると、プリエステラは迷うように口を開いた。
「なんか、色々と巻き込んじゃってごめんね。本当は、私たちだけで解決しなきゃいけない事なのに」
「そんなこと――巻き込むっていうなら、こっちだって」
ミルーニャのこと。ガルズの襲撃を受けるかもしれないこと。
思えば、どちらも末妹の選定に関わる出来事だ。
「この争いに、エストは無関係のはずなのに。こっちこそ巻き込んでごめん」
「その事なんだけど――」
プリエステラは迷うように口を開けたり閉じたりして――しばらくして、
「やっぱやめた! えっと、とにかく色々ありがとうってこと! 仇討ち手伝ってくれたことも、ミルーニャを説得してくれたことも」
そう言って、まっすぐに私を見つめた。
私は彼女に謝りたいことが沢山あったけれど、その瞳を見て言葉を飲み込んだ。
プリエステラはきっと、違うことを望んでいる。
「あのね。最初はちょっと羨ましかったんだ。私の目に映るアズーリアたちはとっても仲が良くて、仲間っていう居場所を持っているように見えた――あれで全員ほぼ初対面だっていうからびっくりしちゃったけど。私って生まれた時からティリビナの巫女になることが決まってたから――あの場所以外にも居場所が、友達が、欲しかったのかも」
「居場所? でも、ティリビナの民の人達に、エストはとっても好かれているように見えたよ」
「うん。それは、私も感じてる。私はみんなとは『違う』けど、異物は異物なりに受け入れて貰えてるんだって、それはわかってるし感謝してる。けどね、それでも時々、どこか私には別の居場所が用意されてたりしないかなーって。そんなこと考えたり――もちろん、みんなのことを捨てるつもりなんて無いよ?」
慌てたように言うプリエステラに、わかってると答えた。
彼女の同胞を想う気持ちは本物だ。そして、同胞達から彼女への気持ちも。
あの樹木巨人の呪力を私は見た。
力強い拳は、確かに呪鉱石の石像を打ち負かしたのだ。
「私は自然との関係性から呪力を引き出すちょっと変則的な使い魔の呪術師。自然界に溢れる植物たちは私の使い魔であり、同時に私は植物の使い魔でもある。私にとって関係性――自然や家族、同胞との絆は一番大事なもの。だから、昨日アズーリアが私たちの関係に名前を付けようって言ったとき、嬉しかったんだ。私も仲間って認めて貰えてるんだなあって」
プリエステラはあの時、一人だけ部外者だといじけるリーナを慰めながらどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
彼女がそんな風に考えていたなんて、私は想像すらしていなかった。
「【チョコレートリリー】――私もその一員なんだよね。大事な人が、五人も増えた。だから、私もみんなを守るよ。仲間を守る、それが私の生き方だから。明日、全員で無事にパレルノ山を脱出しようね」
「うん。そしたら、みんなでお祝いしようか。あ、ティリビナの民が食べられないものってある?」
「えっとね、あんまり無いかな。普通に野菜とか食べるし。自然と共生とか言っても狩猟も採集も、小規模な栽培もしてるからね」
月明かりの下で、私とプリエステラはしばらく言葉を交わした。
仲間想いの優しい少女。
その想いが向けられている先に、自分や、自分に近しい人達がいるのだと理解できて、私はなんだかどうしようもなく気恥ずかしくなる。
明日はいよいよティリビナの民たちの護送が行われる。
誰一人死なせない。
月の下で、私は決意を新たにするのだった。
――結論から言えば。
私たちが無事に明日の夜を迎え、明るく祝い合うことは無かった。
あまりにもあっけなく。
あまりにも無造作に。
金色の瞳は、死という暗闇を運んで来たのだ。
その絶望をまだ知らぬ私たちは、ただ無邪気に明るい未来を夢想する。
それが、穏やかだった前夜の事。
私がまだ、根拠のない希望を抱いて前を向いていた最後の夜。
なんて――空虚な希望だったのだろう。
そう、空虚。
生は虚しく、死もまた虚しい。
その言葉の意味を、私はその翌日に思い知らされる事になる。
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