3-51 チョコレートリリー①
事情聴取は手短に済んだ。
私とメイファーラの共有記憶から状況はフラベウファに伝わっていたからだ。ハルベルトとリーナが解放されるのを待って、私たちは当初の目的地であったミルーニャの呪具店に向かった。
私たちを先導したのは何故かリーナだった。彼女は事務所で忙しそうにしているミルーニャに一言断ると、返事も聞かないままに二階の自宅部分に上がり込み部屋に私たち三人を案内した。お茶菓子を用意すると言って出て行ったが、ここはひょっとしてミルーニャの自室なのでは。
白い壁紙、乳白色や薄桃色といった淡い色が目立つ、綺麗に片付いた部屋だった。本棚には何やら杖使いらしい難しそうな学術書が並んでいて、机の上には大量に書き込みがされた帳面が無造作に並べられている。中央に置かれた付箋だらけの大判の本は、一昨日彼女に渡した魔導書――彼女の父親の遺品だ。たしか名前は【死人の森の断章】だったか。
それにしても、本人に断らずに入ってきてしまってよかったのだろうか。
私は用意された円形のクッションにおずおずと腰を下ろすが、ハルベルトは躊躇無く椅子に座りメイファーラは寝台に飛び込んでいた。「ふかふかー」などと言っているが、ちょっとくつろぎすぎではないだろうか。
落ち着いたところで、私たちはまず状況を整理することにした。
「見立て殺人?」
「おそらくはそう。恐らく時限式で生贄を捧げていく劇場型の儀式呪術。失敗の危険性は高いけれど、成功した時に得られる呪力は莫大」
私の問いかけに、ハルベルトは小さく頷いて端末を操作した。
そこには、あの爆破の直後にネット上に公開された声明と名簿が表示されている。
声明文はありふれた体制批判と涜神の呪詛だったが、名簿の方が常軌を逸していた。言うだけならば大神院からの警告、最悪でも順正化処理で済むのだが、実際に暗殺やテロを実行するとなるとその難易度は跳ね上がる。
ましてや、名簿に記された十三人の大半はいわゆる要人であり、その警護態勢は盤石――そのはずだったのだが。
名簿の一番最初。その名前の上に、斜線が引かれていた。「まずは一人」と金眼の男は言っていた。
最初の爆破で命を落としたのは、あの夜の民の司教、群青様だった。小さな老体で食卓の上をとことこと歩いていた光景を思い出す。つい先程まで生きていたのに。
けれど信じざるを得なかった。事情聴取の為に時の尖塔に向かった私はその現場を見たのだ。崩壊する回廊の中央で、無数の破壊された白骨に取り囲まれて無惨な屍を曝す群青様を。骨で出来た三叉の槍が突き上げられ、分裂した小さな身体を貫いているのを。
許せない。悲しみよりも先に怒りが湧き上がった。
同胞だから、というだけじゃなくて、私はつい先程あの人に良くして貰ったばかりだ。些細な助け船、小さな気遣い、それでも私にとってはこの上なく嬉しいことだった。私はあの二人を完全に敵と見定めていた。
現場には激しい抵抗の後があり、腐乱死体や白骨死体といった操られた死者と戦闘を行ったのだと推測できた。常時付き従っていた六名の護衛は最初の爆発で全員死亡。爆発呪物の出所は未だに不明。爆破の関係者と思われる逃走した二人の行方も不明。
「過去視を警戒してるみたい。沢山の人を介したり時間を置いたり断続的に呪術を発動されると記憶を辿りづらくなるの。残留した爆撃呪石の欠片に触ったけど、事情を知らない人を何人も挟んでて最後まで見えなかった」
「でもメイ、最後に爆破を実行した人はわかるんでしょう?」
「それが、からっぽだったの」
メイファーラの言葉に首を傾げる。どういう意味だろう。
疑問にはハルベルトが答えた。
「使役した哲学的ゾンビに疑似霊体だけ憑依させて、正常な人間に見せかける手法。明らかに死霊使いの手口だけど、普通ならまず不可能」
「相手は並の使い手じゃないってこと?」
「複数の高位呪術師が完璧に連携しないとできない技術。まず杖使いが魂の無い肉体を
ガルズ・マウザ・クロウサーとマリー。トライデントの使い魔二人の実力が恐るべきものであることを改めて理解する。
しかし、腑に落ちない点があった。
「その、トライデントってハルの競争相手なんだよね? それがどうして槍神教や地上の権力者を殺す必要があるの? 私が入っているのはわかるとしても、まるでその他の人を暗殺するのが本来の目的に見えるよ」
名簿の十三人にはハルベルトの関係者である私が含まれていた。だが、逆に言えばトライデントの使い魔として納得できる殺害対象は私しかいなかった。
末妹選定に関する事情を知らない第三者が見れば、この殺害予定表は典型的な反体制主義者のものでしかない。私は最近目立ち始めた松明の騎士団の英雄だから含まれているだけのように見えるのだ。
まるで、私を殺すのがついでの用事であるような。
「大規模なテロを起こして本来の目的を隠す――なんてことを考えるにはやることが派手すぎるよね。そもそもこちらと敵対している事を隠していないみたいだし」
「おそらく、アズの殺害はついでの用事。本来の目的がある」
「やっぱりそうなんだ」
だとすれば、それは一体何なのだろう。
考え込んでいると、足音が近付いてくるのに気がつく。二人分だ――二人?
おかしいな、と首を傾げていると、室内の人口が倍になった。
「へいお待ち! リーナさん特製の八十八の茶葉をブレンドしまくった超絶ロクゼン茶とてきとーに失敬してきた賞味期限切れのお茶請けだよ!」
「適当な事を抜かすなこの馬鹿大学生」
鋭い上段蹴りがリーナの後頭部を打ち据えた。落下しかけたお盆をメイファーラが神懸かり的な反射速度で受け止める。
「アズーリア様、ちゃんとおもてなしできなくてごめんなさい。仕事を一段落させてきたので、これでゆっくりお話できます。あとお茶とお菓子はまともですのでご安心下さい。このどうしようもない馬鹿には虚言癖があるんです」
ミルーニャは最初に会った時のような作業用エプロン姿で、髪色も落ち着いた色に染め直していた。瞳には色つきのレンズを入れているらしい。
「それはいいけど、あの、リーナが悶絶してる――」
「あれは放置していいので」
後頭部にミルーニャの蹴りが直撃してたけど、本当に大丈夫なのだろうか。後遺症とか残らないよね?
リーナはほとんど初対面の私たちに対しても気さくに接してきた。大学の二回生で十九歳とのことなので、三つ年上なのだが、あまり年上という感じがしない。あちらが軽やかに名前で呼んでくるので、こちらも名前で呼んでいる。メイファーラとは違った意味で心理的な障壁を感じさせない女の子だった。
「うぐぐ、先輩きっつい」
「貴方の存在ほどきつくないです。いいからその辺の邪魔にならない所で小さくなってて下さい」
悄然と浮遊して移動するリーナ。カーペットが敷かれているのもあるが、当然足音は立たない。
さて、足音は二人分だった。ミルーニャが一人で、もう一人いるはずなのだが。
「元気そうね、ハル、アズーリア、それにメイファーラ。怪我の具合、悪そうだったから心配してたんだけど」
緑色の長髪を彩るように咲き誇る大輪の花。
華やかという言葉がこの上なく似合う、
「エスト、どうしてここに? ていうか、大丈夫なの?」
大丈夫、というのはつまり、異獣扱いである彼女がこの上方勢力まっただ中のエルネトモランに来て大丈夫なのかということである。
プリエステラは微笑んで、
「まあ、色々抜け道があるの。私は変装と呪力をちょっと偽装すればわりとどうにかなるんだな、これが」
「でも、万が一ってことも」
「まあ危険は承知だったけど、リーナが付き添ってくれてたし。それに、今回の打ち合わせ、私も参加してちゃんと状況把握しといた方がいいでしょ?」
「褒めてもいいのよ? 地道に通い詰めてティリビナの民から信頼を勝ち得ていたエストの大親友リーナさんを褒めちぎってもいいのよ?」
「いいから黙ってて下さい」
ミルーニャに頬を強くつねられてリーナが悲鳴を上げた。何でも、リーナは以前からティリビナの民の集落に足を運んで物資などを運んでいたんだとか。勿論、対価として様々な情報や特有の呪力が宿った民芸品などを得ていたとのこと。
「当日まではミルーニャがここで預かる事になってます。エストさんの説得に全てがかかっていると言っても過言ではないですから、ご本人抜きで話を進めるのも良くないでしょう」
確かに、私たちの計画にはプリエステラの協力が必要不可欠だ。
彼女は――ティリビナの民たちを護送して保護する計画のまさに当事者なのだから。
「それはそれとして、何かまた厄介そうな事になってるんだって?」
プリエステラは足の短い円卓の上に置かれたハルベルトの端末と、そこに表示された犯行声明と名簿を覗き込んだ。
私は彼女にどこまで説明しようか迷ったが、ハルベルトはとくに躊躇する様子も無く末妹選定のことからガルズとの対立のことまでを話してしまった。巻き込んでしまうかもしれないのに、いいのだろうか。
「なるほどね。それで、そいつの目的がわからないってわけだ」
プリエステラは私の正面、ハルベルトとミルーニャの間に座っている。ミルーニャの後ろの方でリーナが膝を抱えてふわふわと浮かんでいて、彼女をよしよしと慰めているメイファーラは寝台の上。
ミルーニャの部屋はそれなりに広いが、流石に六人も入るとやや窮屈な感じは否めなかった。リーナがやや高めに浮遊してくれているので、上の空間を有効活用できているのが救いだろうか。
そのリーナが卓上の端末をじっと睨み付けて言った。
「えっとね、その件に関しては私、わりと当事者だったりするんだけど」
卓上に置かれた焼き菓子を真上から手に取って、逆さまの状態で喋り出すリーナ。大きな三角帽子は落下する様子は無いし、服がずり落ちてくるような事もない。おそらく重力の向きを変えているのだろう。
「何から説明したものかな――まずは、アイツの素性かな」
「それについては、こちらでもある程度調べはついてる」
「ですね。何しろ、探索者の間ではそれなりに有名人ですから」
ハルベルトとミルーニャが交互に言う。実を言えば私も死霊使いガルズの名前は耳にしたことがある。
「四英雄ほどではないけれど、それに準ずると言われてた探索者だよね」
その名前は大抵は尊敬や羨望と共に語られていた。
ただ――その中に、多分にやっかみが混じっていたに違いないけれど、少し気になる表現がひとつ。
『英雄になれなかった男』という呼び名が、ガルズにはあった。
「その通りです、アズーリア様。クロウサー社専属の企業付探索者で、クロウサー家を構成する四つの血族のひとつ、マウザの長子。探索者集団【骨組みの花】を率いる高位呪術師として、将来を有望視されていました」
「『いました』っていうのは、過去形だよね」
「ええ。つい最近までの話です。ですが、第六階層の攻略に挑み、大魔将イェレイドに敗北してから姿を消しています」
私もその話は聞いていた。九人からなる手練れの探索者たちで、命無き死霊を斥候として放ち、十分な情報収集を行ってから攻略を行う堅実な集団。徹底した安全策をとる探索者たちがどうして無謀な大魔将の討伐に挑んだのか、誰も知るものはいない。
様々な噂が囁かれる中、唯一生き残ったガルズは頑なに口を閉ざし、そしてそのまま行方不明になったらしい。
その彼が、トライデントの使い魔となって姿を現した。
この事は、一体何を意味しているのだろうか。
「その姿を消した――ってのは規制された後の情報だね。本当は、そんな穏やかなものじゃない」
リーナの声には暗い憎しみが宿っていた。明るい髪色と顔立ちに似つかわしくない、強い敵意。
「あいつは、迷宮から帰ってきてからおかしくなっちゃったの。一見すると以前のまんま、へにゃへにゃしたヘタレやろーって感じなんだけど。なんだか、目の奧の所が、決定的に違っちゃってた」
私は以前のガルズを知らない。けれど、リーナの言葉が理解できるような気がした。
あの、輝かしい金色の中央に開いた底無しの孔。全てを飲み込む絶望の色。
「私は直接居合わせたわけじゃない。その場に辿り着いた時には全てが終わってた。その日は降雨量の調整がどうしてかずれてて、予定にない雨が降ってた。傘も無いのに土砂降りで、仕方無いから近くにあったマウザの屋敷で雨宿りさせてもらおうと思ったの。迷宮から帰って以来、ずっと塞ぎ込んでた従兄弟の顔でも見て慰めてやるかって思ってた。それで、私が行ったらどうしてか鍵がかかって無くて、返事も無くて、それで――」
リーナはその時の事を冷静に、できるだけ淡々と語ろうとしているように見えた。まるで、あまりにも忌まわしい記憶に耐えるようにして。
ふわりと正常な向きになって、壁際によりかかる。その表情は、暗く沈んでいる。
「屋敷に入ったら、みんなが殺し合ってた」
沈黙が部屋に満ちた。リーナは震える両手で長いスカートを掴んで、甦る恐怖の記憶と対峙しようとしていた。ミルーニャは事情を知っていたのだろうか、リーナを優しく引き寄せて、そっと隣に座らせるとお茶を少しだけ飲ませた。
落ち着いたのか、リーナが深呼吸して話を続ける。
「叔父さんがね、叔母さんの下半身を組み立ててたの。でもね、変なんだよ。叔母さんの上半身は叔父さんの背中を何度も何度も包丁で突き刺してて、それを離れた所で見てる叔父さんの頭が気が触れたみたいに馬鹿笑いしてるの。小さなティルくんが積み木遊びみたいにしてた骨は、多分離れで暮らしてた大ティルお爺さんとフィブリナお婆さんのものだと思う。積み上がったそれをお姉ちゃんのサリナちゃんが粉々にして、二人はそれを凶器にして殺し合いを始めるの。二人とも死んじゃうんだけど、それでも二人は止まらなくて。使用人の人達は、みんな当たり前の様に仕事をしてた。散らばったり、流れたりした色んなものを、平然と、顔色一つ変えないで掃除して――自分の身体が腐り落ちたら、それも自分で片付けてた。執事のヨドックさんの頭がペットの兎に無理矢理針と糸で縫い付けられながら挨拶に出てきて、ああこれは夢だなって思ったら、後ろから」
溜め込んできた色々なものをまとめて吐き出すように酸鼻極まる記憶を吐露した彼女は、そこで一度言葉を切った。それから震える声で続ける。
「あいつが――ガルズお兄ちゃんが、声をかけてきたの。血まみれで、いつもみたいに優しく笑いながら、やあいらっしゃいって。それで、濡れてるからタオルを持ってこさせようって言って、骨だけになった使用人に命令してて――私、それで怖くなって、逃げて来ちゃったの。マウザの家の人が皆殺しにされて、お兄ちゃん――あいつがそのまま逃げたってその後で知った。それから、あいつはクロウサー家に関係している人を次々と襲撃し続けてる」
「つまり、醜聞を内々で揉み消しておきたいクロウサー家が裏から手を回して情報を止めさせているわけです。あの巨大な血族の影響力は大神院にも及びますからね」
ミルーニャがリーナの言葉を補足した。
リーナの言葉は続く。
「あいつは、クロウサー家を皆殺しにするつもりなんだ。けど絶対にそんなことさせない。私はおかしくなったあいつを捕まえなきゃいけないの」
名簿の最後にはこう記されている。サイリウス・ゾラ・クロウサー。呪術の名門、巨大な血族、クロウサー家の全てを束ねる古老にして大企業クロウサー社の最高経営責任者。
「その名簿、確認はしてないけど全員クロウサー家と関係があるよ。夜の民の司教ってクロウサー家と共同で慈善団体に寄付しているし、歌姫Spearのスポンサーはクロウサー社。アズーリアたち修道騎士が使ってる呪動装甲なんかの各種装備の部品はクロウサー社製。他にも多かれ少なかれクロウサー社と関係している大物ばかり。このエルネトモランで呪術文明の恩恵に与っている人の中で、クロウサー社と無関係な人を探す方が難しいけど」
「関係者を皆殺しにしようってこと? 何のために」
「わからない。それも捕まえて問い詰める。これは私がやらなきゃいけないことなんだ。サイリウスおじいさまの私兵に――処刑部隊に先を越されたら、きっと事情もわからないまま全てが闇に葬られちゃう。私、それだけは嫌なの」
リーナはまっすぐにこちらを見つめて言う。その願いはこの上なく純粋で真剣だった。
「お願い、力を貸してアズーリア。貴方も標的になった以上は当事者だから事情を話した。その上で、あいつを捕まえるのを手伝って欲しい。私は貴方が殺されないように守るつもり。あいつと戦うのに、人手は多いほどいいでしょう? 私、休日探索者だけどそこそこ使えるよ」
正直な所、申し出はこの上なくありがたかった。ガルズは強敵だ。少しでも戦力が増えるのならそれに越したことは無いし、彼女には戦う理由がある。従兄弟の凶行を止めたいという強い動機が。
私は、リーナの気持ちを否定したくは無かった。
「わかった。どちらにせよ、私はガルズと戦わなくちゃいけない。目的が同じなら共闘できるはずだよ」
「ありがとう! いやーアズーリアって話がわかるー! お父さんの形見も気前よく先輩にあげたって言うし、マジ器でっかい! これは英雄ですわー。痺れるー!」
何なんだろう、この褒め殺し。相手を過剰に褒めちぎるのがこの姉妹の間で流行っているのだろうか。
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