3-50 青の空、黒の空白②



 聖女の死の宣告。

 私は死ぬ。定められた未来の回想。

 唇を噛んだ。不吉な予感を振り払う。よく見れば、ただ覇気のない男性というだけだ。特徴的なのは金色の瞳だけで、あとは平凡ながらも穏やかな顔だち、伸び放題の黒髪とごくごく普通の男性。腰は丸椅子の上だが、両足が地面についていないのは空の民だからだろう。

 幾ら何でも、目の色と描いている絵のイメージだけで敵だと断定するのは非常識だろう。直感は彼を怪しいと言っているが、確かな証拠も無しに敵意を向けるのはよくない。そう思ったのだが。

 メイファーラは無表情のまま三つに折り畳んだ短槍を伸ばして固定し、そのまま一切の躊躇無く男に刺突を繰り出した。ごく自然な動作で行われる完璧な奇襲。

 密やかに行われていたハルベルトの詠唱が完成し、男と少女の周囲を発光する文字列が取り囲む。

 白昼堂々の凶行に悲鳴が上がるが、私は二人の判断を信用した。メイファーラは少女の手をとって過去視を行った。その彼女の判断は確かだ。敵であることを先に知らせなかったのは、相手に警戒をさせないためだろうか。どうにかしてハルベルトだけには伝えていたのかもしれない。

 黒衣の中から槌矛を取り出して、松明の騎士団の紋章を宙に投影してこちらの立場を示す。本部は近い。通報によってすぐに応援が駆けつける筈だった。


「物騒なことだ」


 溜息と共に、男が呟く。

 金色の瞳の手前で、短槍の切っ先が制止している。

 ハルベルトが紡いだ呪文もいつの間にか霧散していた。

 

「生き急ぐのも死に急ぐのも同じ事だ。生も死も等しく空虚なのだから。あらゆることに意味などない。君たちの殺意も、僕の抵抗も、全てが無意味で無価値だ」


 金色の瞳は死体のように動かぬまま巨大な呪力を発生させていた。

 底無しの闇に引き摺り込まれるような気がした。輝かんばかりに美しい金眼の中央で、黒目があらゆる光を飲み込もうとして口を開いている。

 邪視。

 事象を改変する魔性の瞳が、向けられた敵意を悉く無効化していく。


「こうして直に相まみえるのはこれがはじめてだったね、アズーリア・ヘレゼクシュ。メイファーラ・リト。そして呪文の座のハルベルト。はじめまして、と言っておこうか」


 男はこちらの素性を把握しているようだった。だがそれは、あの骨花が使い魔の魔女トライデントに関係していることを考えれば当然のこと。


「使い魔のグロソラリア――いや、こう言うべきかな。僕はトライデントの細胞が一人。与えられた器官名は『右目』。まことの名はガルズ・マウザ・クロウサー。つい最近加えてもらったばかりの新参者だけれど、心は立派にトライデントの一員のつもりだよ」


 宣名による圧力が、私の足を後退させた。ガルズと名乗った男には不吉さはあったけれど威圧感はまるで無かった。だというのに、この恐ろしさは何なのだろう。


「この出会いは予定外だったのだけれどね。まったく天眼の民というのは面倒だ。いや、普通の感知では僕は捉えられない筈だから、厄介なのは君個人ということなのかな。メイファーラ・リト」


 メイファーラは答えぬまま、必死に短槍を突き入れようと腕に力を込める。彼女も受信専門とは言え邪視者である。視線の隙を見抜くことで、相手の邪視による防御を打ち破ることも不可能ではないはずだった。

 それが全く出来てないという事実は、両者を隔てる絶望的なまでの邪視者としての実力差を浮かび上がらせていた。


「そんなに怖い顔をしないで欲しいな。僕は今この場で君たちと事を構えるつもりはない」


「なら、どうしてこんな所にいるの」


「死で世界を塗りつぶすためさ」


 ガルズがそう言った直後、凄まじい爆発音がした。

 振り返る。時の尖塔、その最上部の壁面が崩落しているのが見える。

 愕然とその光景を見る私たちを嘲笑するように、ガルズは平然と画材を片付けていく。それを手伝うマリーはあくまでも無邪気な少女にしか見えない。


「エルネトモランで最も堅牢な時の尖塔を、爆破した――?」


「まず、一人」


「どういう意味?」


 鋭く訊ねると、ガルズはこちらに金眼を向けた。短槍から視線を離しているにも関わらず、何故かメイファーラは動けないまま。邪視者としてもあまりに逸脱した能力だと言えた。


「これから十三日後――1,123,200秒後に大規模な葬送式典が行われるね。僕はそれまでに十三人を殺す。僕の家には内々で処刑する死刑囚が上る階段を十三段にするという下らない慣習があってね。それへのあてこすりだよ。屍で築く十三階段というわけだ。そして登り切った十三日目の葬送で、僕は死者の葬列を率いるのさ」


 それは、殺人の予告だった。あるいは、松明の騎士団が本拠を構えるエルネトモランにおけるテロ予告。つまりは槍神教に対する宣戦布告。

 聖女クナータの未来回想は、この事を示していたに違いなかった。


「葬送の式典は第一区で行われる。ここは天の御殿に近い。魂を空に送るのにこれほど相応しい場所は無いわけだが――人が死ぬのにも相応しい場所だと、そうは思わないか? アズーリア・ヘレゼクシュ。僕と同じグロソラリア」


「私は、お前なんかと同じじゃないっ」


 確かに、魔女の使い魔としての資格を有するという点では共通している。

 それでも、この不吉な男と同じにされるのはどうしようもなく嫌だった。理屈ではなく、感覚がそれを拒絶する。

 どうしてだろう。私は、このガルズという男がたまらなく厭わしい。


「同じだよ。君は屍の上に立つ影喰いじゃないか。死の匂いがこびりついているよ。臭い臭い、僕とおんなじ人でなしだ」


「黙れっ」


 勢いをつけて槌矛を繰り出す。

 しかし、目の前に立ちはだかったマリーがそれを妨げた。長い黒髪を振り乱しながら驚くべき速度で間合いを詰めると、どこからともなく取り出した槌で私の攻撃を止めたのだ。小柄な肉体からは考えられない膂力。

 少女の右手が閃く。私は飛び退って鋭い一撃を回避した。

 それはのみだった。刃先は平たく、無骨そのもの。


「私の方は立体とか彫刻が専門でしてー。二人で協力するとこんなのも作れちゃったりー」


 それは少女の豊かな頭髪の内側に隠れていたのか。

 放射状に伸びる鋭角の花弁。白くおぞましく咲き誇る骨の花。中央には金色の眼球。浮遊するその使い魔を見るのは、もう四度目になる。


「私は『左目』のマリー。力作を何度も壊されて傷付きました。つらいのであなたたちを殺して私も死にます」


 やはり、この二人があの骨花を操っていた使役者だったのだ。

 使い魔の魔女トライデントの使い魔たち。使い魔を使役する使い魔。

 おそらくは、視覚的な呪術である邪視に秀でたガルズと物質的な呪術である杖に秀でたマリーが互いに補い合う関係にあるのだろう。

 隙のない、厄介極まりない相手だった。


「落ち着きなよマリー。今日はもう一人殺した。彼女は『まだ』だ。じきに厄介なのが来る筈だ。負ける気はしないけど勝てる気もしない」


「あーそっかー。死なない奴って嫌い。それ人じゃないし」


「あれを相手にするには準備が足りない。ここは撤退するとしよう」


「させると思う?」


 だが、そう口にする私の内心には自信が無かった。メイファーラはどうしてか動けないままだし、ハルベルトの呪文は何故か打ち破られてしまった。さっきから隙を窺っているが、マリーという少女は前衛としても優秀なようで中々仕掛けられない。


「ああ、そうだよ。君は僕を止められない。君は決して僕に勝てない」


「戯れ言を」


「中身のない言葉に意味を見出す詭弁使い。呪文などでは僕の邪視とマリーの杖は破れない。それを証明してあげよう」


 ガルズはスケッチブックから一枚の絵を千切り取った。

 それは先程まで描いていたこのあたりの風景画――生と死が反転した幻想の絵画だった。男の金眼が輝き、白黒の絵画が呪力を放出して膨れあがる。

 風景が平面から溢れ出し、溶けて流体となり、世界そのものに溢れ出していく。

 あまりに異常な光景。ありえない規模の事象改変。

 これは、まさか――。


「【浄界エリュシオン】――ヴァニタス・ヴァニタートゥム」


 直後、世界が一変した。

 怯え、逃げ惑っていた人々が上書きされる。生者は死者となり、美しい街並みは朽ち果てていく。色褪せた世界から音が消え、太陽が月に喰われて歪な光が辺りに満ちる。四つの月が輝く中で、透き通る青空が漆黒に染め上げられていく。

 虚ろな眼窩と腐ってこぼれ落ちそうな眼球が一斉にこちらを向いた。のろのろと近付いていくる無数の死者たち。

 この世界は、既にガルズの掌握下だ。彼は邪視――世界観を拡張させることによって、己の認識を世界に押しつけたのだ。

 修練の果て、ある階梯に辿り着いた邪視者は、一つの世界そのものを構築することすら可能である。世界槍の階層掌握者が独自の世界を創造するのと同じように。

 浄界。邪視の奥義である極限の事象改変が、私たちに牙を剥いていた。

 今のガルズは、この空間の掌握者だ。第五階層の奧で待ち構えていたエスフェイルと同格かそれ以上の敵だと言っても過言ではない。彼は文字通りこの世界の支配者――すなわち神なのだから。

 ガルズとマリーはそれが当たり前の事であるかのように浮遊した。空の民という特性ゆえ、それは余りに容易にイメージ可能な振る舞いだったのだろう。上昇する二人を止めるべくハルベルトの呪文が放たれるが、それは容易く打ち破られる。

 金色の瞳が、おぞましく輝いていた。

 あの邪視の前では、呪文は意味を為さない。何故かそれが確信できた。そして最速で発動する邪視には、呪文の構成を改変しても一瞬で対応されてしまう。ハルベルトは先程から詠唱に修正を加えながら無効化を突破しようとしているのだが、それに先んじて発動する邪視がそうした工夫の全てを潰してしまうのだった。

 漆黒の空で、ガルズが嗤う。


「さようなら、また会おう。心配しなくても君たちもみんな殺してあげるよ。死は誰にも平等に降りかかるものだからね」


 不吉な宣言と共に、二人の姿は闇の中に溶けていった。雲が立ちこめて、その姿は消えていく。

 術者が姿を消したにも関わらず、浄界はそのままだった。死者達が唸り声を上げながら襲いかかってくる。だが私は槌矛を振って牽制することしかできない。彼らは邪視によって死者という在り方を上書きされただけの生者だ。傷つけるわけにはいかない。どうにか助けないと。

 左手を準備するが、沢山いる死者に個別に【静謐】をかけるわけにもいかない。かといって、展開された異世界そのものに【静謐】をかけるというのも今ひとつイメージがわかない。世界そのものを解体するというのはその全てを掌握して理解するということだ。それができるなら私は邪視者になっている。

 何か、呪文の理屈でこの世界を説明する為の取っ掛かりがあればいいのだけれど――。

 このまま手をこまねいていては襲いかかってくる死者達にやられてしまう。常人を遙かに上回る力で抑え付けられて転倒する。背後で、ハルベルトとメイファーラが骸骨にのし掛かられていた。まずい、どうにかしないと。

 焦りのまま、闇雲にフィリスを解放しようとしたその時だった。


「晴れろ暗雲! 空よ、そのあるべき姿を取り戻せ!」


 澄んだ空のような、清澄な声だった。

 陽光のように力強い呪文が漆黒を切り裂いていく。

 黒い三角帽子が光の軌跡を描きながら空を舞い、手にした螺旋閉じのノートから次々と項を千切り取ってはばらまいていく。

 ひらひらと空を舞う紙片から、無数の文字列が螺旋を描いて降り注ぐ。

 明るい黄色の髪をたなびかせて、その少女は空から現れた。


「汝ら全てまやかしの死、塵と共に掃き清められ、その眼で朝の光をとくと見よ! 目覚めとはすなわち生のあかしなり!」


 高らかに唱えられた呪文と共に、彼女が乗る箒が世界を両断した。

 飛行の痕跡から、太陽の光が入り込む。

 少女の移動に伴って世界が塗り替えられ、漆黒の夜闇が晴れ渡る青空へと変化していくのだ。

 それはまるで、不浄に満ちた世界を掃除するかのように。

 彼女が縦横無尽に飛び回ったその後に残るのは、元の平穏を取り戻した第一区の街並みだけ。我に帰った人々は、自分が今まで何をしていたのかわからずに困惑するばかり。

 遠くから、松明の騎士団の応援が駆けつけてくるのが見える。その先頭にはソルダ・アーニスタとフラベウファの二人。

 どうやら窮地は脱したようだった。私は安堵して、救い手の少女を改めて見た。

 見覚えのある少女だった。箒を手に持って、両足を浮かせながら『着地』した空の民の少女。パレルノ山で災厄を呼び込んでどこかに消えたトラブルメイカー。

 名前は確か――。


「くっそ逃げられた。もう少し早く来てればぶっ飛ばせたのにあのやろー」


「リーナ」


「ほい?」


「リーナ・ゾラ・クロウサー。だよね、確か」


「そだよー。あれ、どっかで会ったっけ。会ったような気がする。やばい、夜の民の区別つかないとか言ったら失礼だったりする?!」


 それを直接訊ねる時点でどうなんだろう。

 つかみ所のない少女だと思った。人となりを良く知らない、ほとんど初対面の相手。ミルーニャの記憶の中で知った、彼女の腹違いの妹。

 そして、ガルズ・マウザ・クロウサーと同じ姓を持つ少女。

 彼女は、一体何者なのだろう。

 空虚な黒を振りまくガルズ。その闇を振り払い綺麗な青空を取り戻したリーナ。

 二人のクロウサー。

 激動の一昨日からわずかしか経っていないというのに、またしても波乱を含んだ展開に、ただ不安だけが膨らんでいく。

 とりあえず。


「あーっ! わかった、先輩が昨日からめっちゃ惚気てたアズーリアって人だ! えっえっマジで責任とって結婚するのそれとも年下なのに養子にするの? 私お父さんとお母さんとお兄ちゃんとお姉ちゃんで年下ってかなり無茶だと思うんだけど実際そこんとこどーなの?」


 あとでミルーニャを問い詰めよう。


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