3-40 言理の妖精語りて曰く⑪



 羽ばたく。

 青い羽根が影の空を舞い、私はただ一つの月光を背に夜を駆けた。

 追撃する白い翼。異形のシルエットを横目に、私は青々とした翼を力強く闇に叩きつける。呪力を纏わせて高速で飛翔。その軌跡はこの夜には存在しないはずの蒼穹の青だった。それが青だということを、私はフィリスの力を得てはじめて知った。


 世界の色彩が夜に存在するものばかりではないのだと、私は生まれ変わってようやく理解できた。世界は一つじゃない。ただ一つの視点では、こぼれ落ちてしまうものだってあるのだと。


「堕ちろぉぉぉぉっ!!」


 異形の烏が絶叫する。

 白い弾丸を回避し、反転して正面から突撃。無数の爪と嘴が襲いかかる。

 硬質な音が響く。激突したのは、私の頭部から長大に伸びた角だ。


 複雑に枝分かれした巨大な角。前足の位置には青々とした巨大な翼。その全身もまた真昼の空のように青い。今の私の姿は、まるでこの夜の世界に無いものを補完するかのようだった。


 かつてこの世界には四つの氏族が共生していた。しかし吸血鬼ヴァンパイアたちは散り散りになり、人狼ウェアウルフたちは凄惨な運命を辿ったのちに地獄へ下り、幻姿霊スペクターたちは姿を隠してしまった。残された最後の氏族である私達は、その姿からこう呼ばれている。


 青い鳥ペリュトン。鹿と鳥の特徴を併せ持つ、影の世界の住人。

 頭を振って、角でメートリアンを弾き返す。

 枝角。その特徴は雄のもので、そして夜の民はみなこの特徴を有する。突然変異である妹のような存在を除けば、私達はみな男だ。


 そして同時に女でもある。

 牡鹿。男の性。暴力と殺戮をもたらすもの。雄々しき戦士の相を体現するこの姿を露わにした今、夜月の光によって影の世界に生まれた私の影はその性質を対照的なものに変えていく。


 影の世界に生じるのは、もうひとつの形有る影。呪的空間に広がる私のもう一つの本体は純粋な女のそれになっている。女の性。命を生み育むもの。未分化状態の呪的性質を分化させ、特化させ、半ば独立させて最大の成果を得る。私の影は魔女になる。


 戦士であり魔女でもある私はその後ろ肢の蹄から影の触手を伸ばした。純粋な魔女として感応力を発揮した私の拘束は、たとえそれが上位の魔将であっても決して逃がさない。白い翼と肉腫を雁字搦めに縛り上げる。


「またこんなっ! しつこいんですよっ」


 メートリアンの肉腫は触手の隙間から這いだし、肉の触手となってこちらを襲う。交錯する白と黒の触手。闇夜を切り裂いて、鞭のように槍のように弾き合う。


 私は停滞した状況を打破すべく、自らの枝角に呪力を込めた。

 枝分かれした複数の尖端が、下から順番に青い輝きを灯していく。

 戦闘の為というよりも権威を示す役割を持った牡鹿の角は、物質的強度はさほどではないが、呪的強度においては並ぶものはあれど超えるものはそう多くない。


 複雑に伸張するそれらは皮膚が変化した触角だ。

 感覚器が多く集う頭部に生えた角というのはつまり呪的な感覚器である。

 私は角で第六感を知覚する。


 アストラル界における目であり耳であり鼻であり舌であり手でもある枝角を、意思の力によってより長く複雑に伸ばしていく。それは触角というより既に触手だった。


 闇色の脚エスフェイルがそうしていたように、私もまた【夜の民】特有の能力として呪的な触手を伸ばす。その精度、確度共に並の【夜の民】の比では無い。


 普通、こうまで確かに実体化するような触手の使い手はそうはいない。村でもこれほど長く複雑にそして確かに触手を操れたのは長老くらいだった。夜になったこと、そしてエスフェイルという強大な相手を倒し、その卓越した技術の一端に触れ、触手の操り方を理解した成果だった。


 雄々しく伸び上がる頭部の触手は足下のそれらよりも遙かに高い呪力を有する。それはあたかも大樹のごとく白い肉腫を押しのけ、引き裂いていく。


「負けないっ、私はこんな所では諦めないっ! 私の過去は私だけのものだっ! 誰にも否定なんかさせない。私の痛みを奪おうとしないでっ!!」


 涙声の白い鴉の全身から爪が、そして嘴が鋭利に生える。異形の針鼠と化して触手を引き千切り、硬質な枝角を削り取って破壊する。

 私は角を瞬時に切り離した。迫り来る白い破壊を翼をはためかせて回避する。すれすれの所で回避が間に合った。


 生え替わる角は生命の流転、新生、時の経過を象徴する。私達【夜の民】は枝角が生え替わる周期が短い。それは季節が巡る一巡節ごとに起きる。以前はエスフェイルと戦う直前に起きた。


 まだ生え替わりの時期まで少しある。けれど今、それを強引に引き起こす。呪的象徴となる肉体の部位はアストラル体としての性質が強い。強く念ずれば、急速に肉体を成長させることだって不可能ではない。枝角が必要なのは、今なのだから。


 そして、新生する。

 暴力的な威圧と共に、猛然とメートリアンが迫る。私はそれを、新たな枝角、感応の触手を伸ばして迎え撃った――迎え入れた。


「え――?」


 全身を貫く激痛。意識が飛びそうなほどの衝撃に耐えながら、私は広げた両手で白い異形を抱きしめた。霊長類の姿に変身して、その大きく膨れあがった身体を強く、そして柔らかく包み込もうとした。私の身体は少女のまま成長が止まってしまったメートリアンよりも小さい。だからそれは滑稽な光景であったかも知れない。

 けれど、そうしたかった。


「私は、たぶんどうしようもなく傲慢な英雄気取りなんだと思う。加害者のくせに、善人の顔をして人に手を差し伸べようとしてる。それでも、大切な仲間を諦めたくないから」


「大切って――そんな、仲間として行動したのは今日一日で」


「関係無い。たった一日だけでも、仲間だと思えたら仲間だよ。一瞬だけの共闘だったけれど、貴方のお父さんも仲間だと私は思ってる」


 そして、きっとまだどこかで生きている彼のことも。

 沢山の人を犠牲にして生き残ってきた。

 でも、だからこそ間に合う限り、救える人は救いたい。諦めたくない。


「あのね、諦めの悪さなら、私だって負けてないんだよ。一度諦めて、手放して、失ったものを、今でもしつこく求めてる。だからメートリアン――ミルーニャだって、一方を捨ててもう片方を求めるだけじゃなくて、両方手に入れてもいいと思う」


「そんな、こと」


「貴方の優しさを信じてる。本当は仲間だって想ってくれてるって、押しつけがましくても信じるよ。ねえ、それでも私を、ハルを、みんなを傷つけたい?」


 白い少女の身体は異形のまま震えた。その至る所から除く赤い瞳が、静かに涙を流した。


「嫌――嫌です。痛いのは嫌。誰かが痛いのも、それを見て私も怖くなるのも嫌。誰かが死んだりするのも嫌です。悲しい気持ちになりたくない。誰もそうならなければいいのにって、そう思う、思うのに」


「じゃあ――」


「でもそれも結局は自分本意の自己愛なんですよ! 私は誰かに共感したり他者の心を想像したりできない最低の人間です! だって、父の苦しみとか内面とか、そういうものを考えて許すなんて事がどうしてもできないんです。私の願いを達成するためならその過程で誰が傷付いてもいい。手段が目的にすり替わっても何とも思わない。これが、この醜く膨れあがった肉の塊が私の本性なんですよ!!」


 増殖し続ける肉腫。無数の眼球から流される血の涙は、赤と白が入り交じって私の身体を濡らしていく。

 やっぱり、彼女は優しい。自分が理想的な優しさを持っていないこと。その理想と現実との隔絶に苦しんで、自分を醜いのだと規定してしまう。


 彼女を縛る呪いはどうしようもなく強固だ。

 だから私はその呪いを破壊せずに、別のものに繋げていく。議論をすり替えて認知にバイアスをかける。係留アンカリングし、異なる事象に焦点化フォーカサイズする。視点と距離を絞り、望まれてある語りを形にしていく。

 再解釈。神話を語り直し、物語を書き換える。


「貴方が自己愛だけの怪物でも構わない。貴方がどんな心を持っていても、貴方の優しさを私は好ましいと思ったの。貴方が心の中でどんなふうに感じていたかはわからない。それでも貴方の振る舞いは心とは別のものだよ。貴方のお父さんが酷い人であっても私を救ってくれたように」


 白い身体を抱きしめながら、私はミルーニャを肯定した。涙はひどく冷たくて、私は彼女の身体を温めたいと強く身体を寄せていく。戸惑い、怯えるような動きがあった。


「貴方がそう在ろうとしている意思、強気な態度、その綺麗で澄んだ瞳、私みたいに小さい身体なのにしっかりと両足で立っている姿、強くてしっかりしているところ。そういう貴方の全部が素敵だと思う。私はもっとどうしようもないから、貴方を尊敬するよ。自己愛と後悔と肥大化した英雄願望の怪物。それが私だから。それでも、私はもっと立派でありたい。こんなの口にするのも恥ずかしいけれど、英雄でありたいってそう思うの」


 押しつけられたレッテルでも、偽りの役割でしかなくても、本質が邪悪そのものであっても、その行いが英雄のそれであるならば。

 きっと、私たちのような醜悪な存在が英雄になれるとしたら、そこにしか道は無い。

 意思すること。本質に、そのさがに、その起源に抗うこと。


「貴方の本質じゃない。貴方が意思するその姿が私は好き」


 そっと、白い羽毛に顔を寄せた。囁くように、私は静かにその言葉を告げた。

 肉腫の膨張が、ゆっくりと停止していく。

 縮小していく白い異形。やがて私より少しだけ背が高い、幼いままの少女が私の両腕に抱かれていた。


「私――わたしっ」


 言葉にならずに、こちらの胸に顔を埋める。そっと左手でその白い髪を撫でた。

 原因でも結果でもなくて、私は過程こそが最も美しいとそう思う。陳腐で使い古された結論でも、力強い在り方は私の目を魅了する。


「願うこと、意思を持つ事が間違いだなんて、私は思わない」


 そして、そんな人の願いを嘲笑うものがいる。

 私はそれが許せない。

 高みから人を身勝手に裁き、その運命を弄ぶ。人の業を、限界を定めて可能性と神秘を零落させる最低最悪の外道。


 人の本質はつまらないのかもしれない。醜く欲望にまみれ、そこには悪性しかないのかもしれない。

 でも、それを断定する権利なんて、神や天使にだってありはしない。

 無くたって信じる。あり得ないなんて言わせない。


 私は呪文使い。幻想の紡ぎ手だ。杖使いが言う『科学的』で『再現性のある』ような真実なんて否定して、この身が尽き果てるまで――尽き果ててもなお嘘を吐き続けてやる。たとえ一回でも『そう見えた』のなら、私はそこから類推して現実に変えてやる。


 それが呪術というものの本質だ。

 残酷な現実を美しい神秘へと昇華させる、呪いという名の頌歌オード


「ミルーニャは優しくて素敵なひとだよ。私がそれを、現実にする」


「何を――」


「見ていて――ハル、お願い!」


 天上の孔、夜月の光を背にして、魔導書を手にしたハルベルトが舞い降りてくる。絶えず紡ぎ出される詠唱は流麗な旋律を響かせ、静謐な夜に楽想の秩序をもたらした。動的に歌い、静的に語る。それは歌だ。書き言葉だけではない。旋律という意味を付与された、文脈や構造と連関して意味を重ね合わせる音楽の呪力。私同様にアストラル体となってその存在感を増したハルベルトは、長大な詠唱を終え、最大の神秘を解放した。


「殲滅せよ、【オルゴーの滅びの呪文オルガンローデ】」


 具現化したそれは、これまでの仮想使い魔の枠を超えていた。至高の幻獣――その名は竜。九体の竜のうち、唯一架空の存在だとされる九番目。威力竜オルゴーを摸倣して作り上げられた人造竜。その名はオルガンローデ。


 膨大な呪文、緻密な構成、自律的に生命を模す意味の総体。

 半透明の文字列と数式、譜面と音楽記号、その他にもこの世界に存在するありとあらゆる『記号』が集合して長大な流れを創造していく。


 それはどんな生き物にも似ていない。流動する姿はあらゆる姿に変幻していく。ありとあらゆる架空の幻獣が次々と変化し、移り変わり、具現化する。捉えようとしてもその全容を定義できない。何故ならそれは定義できないことが定義だから――。


 秩序無き秩序が高らかに咆哮した。

 幻想的な竜はそのまま彼方へと突き進んでいく。影の世界はひどく曖昧で壊れやすい幻想だ。その境界を突き破り、アストラルの彼方、こことは違う世界の扉を強引にこじ開ける。


「まさか――」


 メートリアン=ミルーニャが呆然としてその光景を見た。ひび割れて砕け散った空間。世界すら破壊するハルベルトの呪文もだが、それによって引き起こされた現象に驚愕しているのだ。


 ひび割れた空間の孔。その向こうには、名状しがたい混沌が広がっていた。それは根茎だった。上から下へと広がり続ける地下茎リゾーム状の何かとしか言いようがないもの。複雑に入り乱れる、始まりもなく終わりも無い知の体系。構造そのもの。


「ロディニオ――滅亡したはずの旧世界の入り口が、スキリシアから開くなんて」


 彼方より、細い枝のようなものが伸びてくる。

 複雑系の向こう側から、巨大な存在感を発するものが這い出してきていた。

 それは古い時代には神と呼ばれていたもの。

 現代では天使と呼ばれる超越的な存在。


 非情なる三角錐。変容の司。その名はペレケテンヌル。

 幾何学的な、どのような材質かも不明な奇怪な金属によって構成された異形の巨体をゆっくりとこちら側に出現させたペレケテンヌルが、その機械的な目――いや、光学素子を巡らせた。焦点を合わせる音と共に、私の手の中にいるミルーニャを捕捉する。


 来た。

 凄まじいまでの異質な意思と悪意、まるで昆虫に見られているかのような感覚。

 これは人に理解できるようなものではない。絶対的な共感の不可能性。それがこの金属神の本質なのだと私は直観した。

 私は湧き上がる恐れをねじ伏せながら、声も枯れよとばかりに叫んだ。 


「聞け、変容の司よ! ここにいるのはお前が祝福したミルーニャ・アルタネイフだ! だがメートリアンである彼女はお前の加護など欲していない! 己の意思を信じるセルラテリスの信徒にはお前の加護など不要! 潔く彼女から手を引き、この忌まわしい祝福から彼女を解放するがいい!!」


 無謀、としか言いようのない愚挙だった。

 ペレケテンヌルは非情にして残忍。苦しみから発せられる望みに対して、最も望ましくない解釈をして叶えようとする悪意の化身。


 こんなことを口にすれば、私や周囲の人にどんな災いが降りかかるかわかったものではない。それでも、私はそれをやらなければならなかった。

 メートリアンが望むのはセルラテリスの加護。

 枷にしかならない加護など、解体して否定する。


 私が打ち消すのは、天の意思そのものだ。

 そして、もし祝福者にして三本足の民でなくなった後にも彼女に強い再生能力が残されていたなら、それはきっと、ある一つの救いをもたらしてくれるから。


 私は左手を前に突きだして、影の触手を屹立させた。上から下へこちらを浸食してくる地下茎に対抗するように、こちらは下から上へと枝を伸ばす。

 機械の異形の思考は全く読めない。

 人の身で高次元の存在に抗うなど不可能もいいところだ。


 けれど、こちらも同じ天使の権威を借りればその限りではない。第九位の天使セルラテリスはその座を捨てたとはいえ、かつては最強の神格と呼ばれた武神である。機械的な判断をするからこそ、セルラテリスを敵に回す事を恐れて退いてくれるのではないか――そんな、希望的な観測は、しかし非情にも打ち砕かれた。


 幻惑的な光沢を宿す金属の節足が蠢いて、三角錐の巨体がこちら側に接近する。

 その光学素子には、矮小な虫けらを踏みつぶそうとする悪意。


「オルガンローデよ、走れ」


 空間を穿孔した後は待機していた呪文の竜が動き出す。機械の天使と激突し、巨大な質量と呪力が激突する。流麗な蛇の如き姿に転じたオルガンローデが歌いながら金属神ペレケテンヌルに巻き付いた。圧倒的呪力。最強の呪文は私がこれまでに目にしてきたどんな呪術よりも強大だった。おそらくこの呪文があれば、不死身の魔将エスフェイルであっても一撃で存在ごと消し飛ばせるだろう。いや、完全に掌握して支配することすら可能かもしれない。


 しかし、天使と呼ばれかつては神だったその三角錐は次元が違った。

 ぎりぎりと、軋むような音を立てて三角錐が展開する。変形し、露出した内部構造が恐るべき暴力を突きだしていく。


 砲身、砲身、砲身、そして砲身。複雑なディティールの無数の砲が一斉に閃光を放つ。それらは一瞬でオルガンローデの身体を構成する呪文を崩壊させていった。


「荷電粒子砲! 駄目、逃げて!」


 ミルーニャが悲痛な叫びを上げた。オルガンローデは無惨に引き裂かれていた。続いて発射された夥しい数の弾体が着弾して、虚空に壮絶な爆発を引き起こす。多関節の腕先から光の刃が出現し、竜の残骸を引き裂いていった。


 その威容はまさしく神というに相応しい。

 宇宙的規模の暴力。世界そのものを滅ぼしかねない破滅の兵器群。

 だとしても。

 それでも私はやらなければならない。不可能でも、無謀でも、矮小な人の身には過ぎた願いでも、それをやり遂げるのが英雄というものなんだから。

「ミルーニャには、メートリアンには、もう手出しさせないっ」


 影の触手を伸ばす。左手のフィリスに力を注ぐ。限界を超えた呪術の行使に精神が悲鳴を上げる。それでもまだ足りないと触手を増大させ、膨れあがった闇は広大な森となって機械神の巨体を突き上げる。


「従え、敗れろ、服従しろ! お前なんかに、運命を決められてたまるかっ!!」


 放たれる巨大な光、膨大な熱量を際限なく膨れあがる闇の森で押し返す。破壊されても焼き尽くされてもなお増大し続ける闇は、確実に光と拮抗していた。


 そう、光が生まれれば、必ず影が生まれる。それは表裏一体のもの。だから相手がどんなに強くとも、可能性がある限りこの影の世界において私が負けることは無い。


 相手の力は膨大で堅牢で硬質だ。杖の化身、科学技術と叡智の結晶。それでも、その裏側には必ず未知なる神秘が生まれ出ずる。

 震える左手に、横から差し出された手がそっと重なり合った。


 見ると、ハルベルトがまっすぐに神を見据え、挑むようにその呪力を注ぎ込んでくれていた。心強い、だれよりも頼もしい私のお師様。

 そして、もう一つ。私の右手に抱きしめられたミルーニャが、その爪が剥がれた痛々しい手を私の色のない左手に重ね合わせる。


「わたしも――わたしも、負けたくないっ! 私は、あなたの加護を拒絶します!」


 純白の澄み切った心で、メートリアンが抵抗の意思を高らかに叫ぶ。

 三人分の呪力が調和して、黒と白、そして何色でもなくあらゆる色でもある、意味の連関そのものである万色が影の世界を光で満たす。

 それは虹。それは光輝。それは全にして一なる無限の輝き。

万色彩星ミレノプリズム!!!」


 煌めく星の輝きが、奔流となって機械神を貫いた。

 荷電粒子の光を押し返し、赤熱する刃を砕き、無数の弾体を消滅させ、その輝きは金属の神に到達する。無数の亀裂が走り、押し返された巨体が異界の向こう側へと押し返されていく。私は輝きの奔流の周囲から無数の触手を枝のように伸ばして金属神に接続させ、その呪力の流れを捉えると、幼い頃のミルーニャに与えられたおぞましい仕打ちを探り出す。過去を遡り、事実を参照し、幻想によって塗りつぶす。


「旧世界に消えろ、残骸の神!!」


 星のような輝きが夜を埋め尽くし、異界へと押し込まれた巨体が巨大な地下茎に激突、そのまま無数の構造を巻き添えにして壮絶な破壊と共に彼方へと放逐されていく。異なる宇宙に万色の煌めきを送り込み、闇の触手で空間の孔を埋めて塞ぐ。


 静謐。

 夜の無音が、その世界に残された。


「終わったんですか――?」


 実感が湧かないように、メートリアン=ミルーニャが呟く。

 私は彼女の手をとって、さりげなく、そしてすばやく剥がれた爪の後を抑え付けた。


「い、いたたたたたた! 痛いっ痛いですぅ! やめて、やめて下さい――あれ?」


 呆然と、ミルーニャはその光景を見た。その現実を受け止めた。

 痛み。ただそれだけがある。

 単純な苦痛に、ただぽろぽろと涙がこぼれていく。

 そして――


「それだけじゃない。痛みだけじゃ、ないんだよ」


 ミルーニャの爪が、ゆっくりと生えつつあった。以前ほどではない。けれど、普通の霊長類よりその治癒速度は上だった。その現象を引き起こす呪力が、どこからもたらされているのか。それは存在しないはずのものだった。失われた、あり得ない現象。


 かつてのような不死の再生ではなかったけれど。

 もうここにはいない誰かが遺した、想いの証。それを確かめて、彼女は赤い瞳を潤ませて、静かに嗚咽した。


 流された血と刻まれた傷。

 痛みの後に、再生が始まる。

 幻想の闇に包まれて、私はそっと白い少女に寄り添い続けた。

 夜月が皓々と私達を照らす。


 月光は何色だろう。

 それはまばゆいほどの白々とした光に違いない。この夜で最も力強く輝いている色彩は、目の醒めるような純白なのだから。


 私は信じた。

 涙の後に、きっと力強い笑顔を見せてくれると。

 それが幻想であったとしても。

 幻想だからこそ、信じたかった。

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