3-38 言理の妖精語りて曰く⑨



 

 ごめんなさい。

 いい子にします。

 だからぶたないで下さい。

 

「親に向かってなんだその態度はっ!」


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 許して、許して、許して、許して。

 ――――。


 お父さんは立派な人だ。

 三本足は杖の象徴。呪具製作者としての下積みを経て独立し、個人経営の呪具店で呪具を商うのが仕事。店頭よりも通信販売が基本で、システムの構築を外注せずに自分でやってしまうという、見方によってはちょっとけちな人。お母さんによると、スキルもないのに専門書を読みながらうんうん唸っていたらしい。当然お母さんも手伝わされたとか。


 白髪はもうずっと若い時からのもので、苦労の証明だと皆が褒め称える。立派な人。尊敬される人。誰もがお父さんを褒めて尊敬する。お父さんは立派な人で、それが私にとっても誇らしくて、ちょっとだけ自慢だった。


 若くして独立して家族を支えて、お父さんは凄い人なんだと、お父さんの下で働く人が言っていた。覚えてないけれど、その人の採用を決めたのは私らしい。お父さんは家に持ち帰った応募書類を並べて、まだ這って歩くことしかできなかった私に選ばせたのだ。まだ、無邪気に抱き上げられていた頃。お髭を押しつけられるのが嫌で泣き出して、高く持ち上げられるとすぐに笑い出していた、穏やかな日々。


 忙しい人だった。お父さんの仕事への専心は豊かな暮らしを与えてくれていた。何度も高級な料理店で外食をして、家でもお母さんの美味しい手料理が味わえた。そうした生活が豊かなのだと知ったのは、後になってからのことだったけれど。


 そう、豊かだった。幸福だった。

 杖使いの両親は大神院によって情報規制されている呪術メディアだけではなく、杖の技術を用いて色々な情報を仕入れていた。当然、私もそういったものに触れて育った。電波を捉えて音を流す無線電信機。地脈を『避けて』秘密裏に敷設されたケーブルが送る信号。そうやって貧しくて不幸で悲惨な世界があることを知った。綺麗で華やかなエルネトモラン、その中央に存在する迷宮で行われているのが刺激的で胸躍るような冒険活劇ではなく、難攻不落の第一階層で無惨な屍を積み重ねるだけの消耗戦でしかないのだと知ったのもその頃。無邪気に探索者への憧れを口にする回りの子供たちと隔たりを感じ始めたのも、その頃。


 それでも幸せだった。それゆえに恵まれているとより一層感じていた。

 だから、少しの不満があったとしても、そのことを表に出してはいけない。

 そんなことは、許されないのだと思った。


 冬も近いその夜、私とお母さんは露台から夜空を眺めていた。四つの月と星々が漆黒を彩っている。三階建ての自宅の露台は高い。もう冬も深まって、第二巡節も半ば以上過ぎていたその季節、外はよく冷えた。


 室内に入るための扉の鍵は閉まっていた。

 内側から閉ざされていた。

 泣き腫らした顔をお母さんに見せるのがなんだか嫌で、唇を強く噛む。


 ざらざらとした露台の床を踏むお母さんの足は角質がひび割れてぼろぼろに見えた。私とは違ってお母さんは泣かない。ただぼんやりと露台の縁にある柵を掴んで、眼下の街並みを見た。


「ね、ここから落ちちゃおうか」


 死んでしまうという意味だと、もう私にはわかっていた。人はいつか死ぬ。そのことを小さかった私は急に理解して、恐怖に襲われた。誰しもが通り過ぎるその時が早かったのか遅かったのかはわからない。最初にそれを理解した時に私はお母さんに泣きついた。怖い怖いと無く私を、お母さんは優しく抱きしめて「大丈夫、ずっと一緒だからね」と安心させてくれた。少し前のことだった。


 ずっと一緒。それは、死んでも一緒ということ?

 夜も更けて、鍵は内側から開けられた。時間にしてみるとそれはそんなに長い間ではなかったのかもしれないけれど、私には永遠に牢獄に閉じ込められたのかと思うほどの暗闇だった。お母さんは、足を拭いて何事もなかったかのように私に寝るように言った。


 お母さんはよく本を読む。小さい私には難しいものばかりだったけれど、ずらりと並んだ本棚の高いところにあるそれらが私には空の上で輝く宝石箱のようにも見えた。端末から読む形式のものだって素敵だけれど、手に重さを感じながら項をめくるのも素敵だとお母さんは言う。正直なところ私にその違いはよくわからない。けれど、お母さんの感じていることをなぞれば、共感できれば、一緒にいられるような気がして、私はそういう物理書籍の質感を好んだ。お父さんもまた、お母さんのそういう所に共感しているようだった。私たちは一つの想いで繋がっている。本の重み。紙の匂い。項をめくる手。軽く柔らかな紐の栞。美しい装丁。


 離婚。

 という文字を母の書斎、父の目には決して入らないであろう深い位置に見つけて、静かに息を飲んだ。心臓を握りつぶされるかと思ったのを覚えている。がさがさの足。お母さんは泣かなかった。飛び降りようかなんて言ったのは一度きり。


 こっそりと端末を覗く。情報的な本棚。ずらりと並ぶ法律や社会科学の本。家庭とか、暴力とか、自立とか、そういう文字列が沢山踊っていた。難しそう――そう感じるような時期は通り越していたはずなのに。小さいのにこんなに難しいご本を読めるなんて偉いねえ。それがささやかな自尊心の礎だった。なのに、私は逃げた。


 ずっと一緒。

 ずっと、幸福な日々が続けばいい。同じ思いを家族三人で抱えて、同じようにいられれば、それでいいのだと。私はそう頑なに信じ込んだ。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ぶたないで。




 

「誰が喰わせてやってると思ってるんだ、ええ?!」


 お父さんです。


「朝から晩まで! ひたすら働いてんのは一体誰の為だ? ああ?!」


 私たちのためです。

 思ったことを口にしてはならないと、そろそろ理解してきた頃だった。

 お父さんはずるいと、心の中だけでずっと思っていた。


 だってそう言われたら何も言えなくなる。お父さんは食費などの生活費よりも、三階建ての立派な家を持っていることを何度も強調する。この家を建てたのはお父さんだ。努力して持ち家を手に入れた。だから、文句があれば叩き出すといつも言われた。本当に閉め出された事も何度もあった。一階の玄関から庭へ。二階や三階の露台へ。靴を履くことすら許されずに。


 答えは一つしか許さない。それは会話じゃなくて、とてもとても高い場所から下される命令だった。三階建てという高み。お金を稼いでいるという権威。

 お父さんは立派な人だ。

 立派な人だから。


 ――その言葉を否定したら、私は死ぬのだろうか。


 選択肢は与えられていない。それでも意思を示してしまったなら?

 食べ物も、住むところも取り上げられて、生きるなと言われてしまうのだろうか。


 お父さんは立派な人。

 お父さんはずるい人。

 一人で生きていくなんてそんなの無理だ。なら、どうしてお父さんは私を生んだりしたんだろう。

 違うんだと気付く。生んだのはお母さん。でも、生ませたのはお父さん?


 どうしてなんだろう。

 その問いだけがぐるぐると幼い私の胸を回っていた。

 愚かな私は、軽率に口を滑らせた。


 試してみたのだ。私は本当に、死ぬのだろうか。食べ物も家も無く、貧しい子供になってあても無く彷徨う生活に陥る――そんな、知識でしか知らない『不幸』に。

 わたしは、そうなってしまうのか。


 そうはならなかった。そんな心配は全くの不要だったのだ。お父さんは私を家から追い出したり食事を与えないなんてことはしなかった。私の育児を放棄するような、世間で言われるような悪い親などではなかった。私は不幸になどならず、裕福に、立派な家と豪勢な食事を与えられた幸福のままだった。私は恵まれていた。


 ただちょっとだけ、

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ぶたないで。ぶたないで。許して下さい。すみませんでした。私が悪かったです。ごめんなさい。お願いします。ごめんなさい。ぶたないで。痛い。痛いよ。お母さん。助け――。




 第五位の守護天使ペレケテンヌルは才無き者には非情であり、才有る者にもまた非情だと言われている。何も願わず何も求めないこと。それこそがその眷族種に求められる最大の美徳であり、かの守護天使が寛容を示してくれる唯一の素養である。


 その点では、第九位の守護天使セルラテリスにも近しいのかもしれない。天使に何も祈らないこと。何も期待しないこと。それが最大の美徳であり加護でもある。


 恵まれた資質を持つ典型的な三本足の民であるお父さんと、不可知論者であり槍神について常に中立的な立場をとろうとするお母さんは、そうした面でも気があったのだろう。私は眷族種の混血がみなそうであるように、十三歳の時に守護天使の選択を迫られた。


 私はセルラテリスが良いと思っていた。鉄願のセルラテリス。かの少女神はこう唱える。


「力は虚ろ、強さなど虚しい。敵のいないこの世界はただただ空虚。虚無に満ちたこの荒野で、我らに遺された道は祈らぬという祈りのみ」


 加護を求めず、ただありのまま生きる。それは酷薄でありながらも、どこか優しい世界の捉え方だと私には感じられた。それに、やっぱり私はお母さんと同じ守護天使が良かった。



 そのはずだった。

 どうして私は、祈りなんて捧げてしまったのだろう。

 一人で、独りで、この世にひとりきりで何もかもに立ち向かおうとさえしていれば。


 杖使いかくあらんと、強く足の下を踏みしめて己の居場所を定めてさえいれば。

 あんなことには。

 こんなことにはならなかったはずなのに。


「お願いです、どうか私に、理不尽な困難を乗り越えられる強さを下さい」


「では、苦痛を快楽だと感じるようにしてやろう」


 その声は。私にしか聞こえないものだったという。

 空から三角錐が降ってきた。そう思った次の瞬間、もう『幼い』から抜け出そうとしていた私の身体は見知らぬ部屋に横たわっていた。少しだけ高くなった寝台。固定された身体。ああ、思い出すのも恐ろしい。


 無数の機械腕。異形のマニピュレータが蠢いて、複雑な形状の機器が理解を絶した数字を示す。光る刃。細く鋭く回転する螺旋状の穿孔錐。甲高くて不安をかき立てる音。注射針が刺さって身体の感覚が麻痺していく。それでも意識は途切れない。無数の腕が素早くそれでいて正確に私の身体を引き裂いていく。切開して切除して付与して薬品を注射してよくわからない何かと交換して、私は私でない何かに変質していく。円形の刃。回転。頭の、頭の上に。意識があることは恐怖でしかなかった。眠っている間に終わってくれていたらどんなに楽か。それでも知識はあった。これはペレケテンヌルの試練なのだ。このまま耐えることができなければ自分は終わる。祝福に失敗した者の末路は――。


 頭が開き、杖使いにとっての最後の神秘がさらけ出された。守護天使ペレケテンヌルにとってその神秘は掌で弄ぶような単純な真理でしかない。私は弄ばれる。玩弄され、解体され、細かく刻まれて弄くり回されて何かに変質させられてしまう。


 意識がばらばらになって、気がついた時には病院の寝台の上だった。

 お母さんそっくりだった髪と瞳の色が白と赤に変わっている事を知って、私は静かに泣いた。染め直し、瞳に色の付いたレンズを入れ、紫外線を遮る呪文を身体に刻み込んでも、喪失感は消えなかった。



 異常に最初に気がついたのはお父さんだった。

 そんなにお父さんと一緒の髪の色は嫌か。いつまでもめそめそ泣いて。そんな言葉が途切れて、私が条件反射のように上げる声の色合いが奇妙なことに気付いてしまったのだ。それは私にとっても理解不能な感覚だった。それが何なのか、私はまだ知らなかった。その日から、お父さんは私に対していつものように振る舞うことは無くなった。


 代わりに、お母さんに対するそれが激しさを増した。

 私の居場所は無くなっていった。本来の色彩を隠しても、いつまで経っても変化しない私の容姿は成長していく同年代の友人たちには異様に思えたのだろう。お父さんから、私が祝福者であることを隠すように言いつけられていた。それは恥ずかしいことなのだからと。どこかの公的な機関が私を迎えに来たことが何回かあったけれど、お父さんはそれを追い返した。私の娘が異常だとでも仰りたいのですか。不愉快です。お引き取り下さい。私はずっと、周囲と壁を感じながら生活した。


 それに、私は自分の言動が鼻持ちならないと思われていることをなんとなく察していた。自分の性格は多分悪いのだろう。不思議と、直すべきだとは思えなかった。今の自分の性格を変えたら、何かが折れてしまう気がした。必然的に、私の周囲からは誰もいなくなっていた。お母さんも、また。


 私は少女の姿のまま歳を重ねた。成長をしているという実感はまるでわかなかった。ただ時間が経過していくだけ。なにもかも、あの時のままで留められている。密かに、自分の異常を確認し続けた。


 爪を剥がすと気持ちがいい――それが気持ちがいいことなのだと、当たり前の様に繰り返して習慣のようになったある時、突然理解できた。きっかけがなんだったのかは思い出せない。ただそれが、とてもはしたないことなのだとわかってしまって、けれどその羞恥にすら身体が熱くなっていて、私はただ自分の身体のおぞましさに震えた。お父さんにばれたらどうしよう。その恐怖だけが頭にあった。けれど、その行為は止められず、それどころかエスカレートしていった。


 流血を伴う自慰――余りにも浅ましい、私の倒錯した欲求。お父さんは私を恥ずかしい物のように扱った。あれはこういうことだったんだ。私は恥ずかしい生き物だ。惨めさに、ひとりきりで泣いた。爪を噛む幼い頃からの癖は、それを少しずつ剥がす癖に変化していた。肉体は成長せず変化せず、しかしそれを壊していく行為は少しずつ激しさを増していった。


 私はそうして変わらない姿のまま大学へ進学し、お母さんは密かに格闘技を習い始め、お父さんのお店の経営が上手く行かなくなり、人脈を活かして大企業で働くようになった。乾いていく家に、新しい職場で知り合った同僚たちがやってくる。それはお父さんなりの崩壊への抵抗だったのだと、今になって思う。


 その女の人とお母さんはとても気があった。お父さんの同僚。不思議と回りと調和できる人で、色々なものをこじらせて既にまともに人と話せなくなっていた私ともすぐに打ち解けるような人。私もお母さんも好感を抱いた。私達は頭が悪かったのだ。


 そうだろうか。頭がどうかしていたのはお父さん――父ではなかったか。

 丁度、私が守護天使を選んだのと同じくらいの歳ごろの少女。実際にはそれより二つ下だった。十一歳。七歳も年下だと言われた。


 父とその女は一人の少女を連れてきた。私よりずっと年下なのに私よりも背がすらりとしていて、意思がしっかりとしてそうな顔立ち。どこか気品のある雰囲気。


「リーナ、挨拶なさい」


「えっと、はじめまして、リーナ・ゾラ・クロウサーです。お姉ちゃんの妹です。来年になったら大神院で正式に空の民を選ぶつもりですけど、半分はお姉ちゃんと一緒の――」


 皆まで言わせず、上段蹴りをその顔に叩き込んだ。お母さん――母の通信教材を盗み見て学んだミアスカ流脚撃術。ペレケテンヌルの加護なんかより、本当はセルラテリスの武技が欲しかった。未練でしかない。


 最悪の出会い。それでも姉と呼ばれる事は耐え難かった。父はもう暴力は振るわない。それでも怒声に身体は自動的に反応してしまう。萎縮して、恐怖して、縮こまって泣き喚く。ごめんなさい、ごめんなさい、ぶたないで。


 七歳年下。つまり、私が七つの時には、もう。

 終わっていたのだ。耐える意味なんて無かった。一緒だったと思っていたはずのものは幻だった。維持なんてできてない。そのままでいたいなんて嘘。


 母の心は折れた。そして、私の心も。

 家には暖かい家庭があった。父と母と子、三人家族の団欒。

 部屋に閉じこもって、ずっと目と耳を塞いで寝台の中で蹲る。


 母は心療内科への通院を繰り返しながら、新しい家族を受け入れていた。空の民――すなわち雲上人たる貴族の二人の傍らで粛々と家事をこなす母の姿は、使用人かなにかに見えた。沢山の物語でそういう光景に出会った。使用人、側室、妾腹の子。私は家族の外側だった。本当の家族の。父は籍をクロウサー家に入れて、姓を改めた。私と母はアルタネイフのままだった。強い権力が、私達を過去に遡って不義の存在に仕立て上げた。小さくなって生きた。先に生まれた不倫の子。


 一人暮らしを始めることに誰も反対をしなかった。それは誰にとっても望ましいことだったからだ。母は現実を拒絶するかのように眠りがちになり、そのまま目覚めなくなった。私はひとりきりで大学とアパートを行き来する。お金には不自由しなかった。私は豊かで恵まれておりそして幸福だった。


 大学には行かなくなっていた。講義の回数を数えて、五回まで休んで大丈夫だと確認して、六回目だから行かなきゃと寝台の上で寝返りをうつと日が暮れていた。杖学部錬金術アルケミー学科生物専攻生命情報バイオインフォマティクスコース第一課程。実験もゼミもどうでもよくなった。それでも卒論らしきものはどうにかでっち上げて提出したが、当然のように受理されなかった。当たり前だ。



「内容と努力は認めますがね、卒論演習というのは論文をゼミで他人の目に晒し、きちんと精査され、鍛え上げられていくことが重要なのですよ。その過程、思索と研究の在り方を学んでいく為にあるのです。昨今の学生には提出さえすればいいと考えている人も多いですが、卒業論文で大切なのは結果よりも過程だと私は思いますよ。大学で学んだ事は社会で活用できないかもしれない。けれど獲得した思考の枠組みは人生を規定するのです。あなたが杖使いであればなおさらね。そこを疎かにはできないのですよ」


 担当教官は白い髭に手をやりながらそう言った。知性豊かで穏やかな人。私が大学で話せるのは教務課や学食や購買を除けばカウンセラーの先生とこの人だけだ。


「それに、きちんとゼミに出席している他の学生の手前、一人だけを特別扱いするわけにもいきませんからね。残念ながら、単位は差し上げられません」


 ごもっともです。私が浅薄でした。

 甘えがあったのだ。私は子供に過ぎた。

 深く傷付いて家に帰った。


 それから買い物の時だけ外に出るようになった。心療内科や大学のカウンセリングもずっと行っていない。何もかもがどうでも良くなって、あるとき第六区の外れから飛び降りた。世界槍の周囲を枝のように伸びる多層区画は余りにも高い。当然転落防止用の対策が物理的にも呪術的にも張り巡らされている。だが、その抜け穴を私はたまたま発見していた。


 呪石弾を大量に抱えて、そのまま爆発。無数の肉片になって、ただの物でしかない私は落ちていく。空中で肉腫を蠢かせ、一つになっていく私。

 ああ、もっと早くこうしていればよかったのだろうか。




 落ちて落ちて、そのまま闇の中に放り出されてしまえば。

 幸せな家族のままで。


 ずっと一緒だったのだろうか。


 知っている。落ちても意味は無い。ただ壊れて戻る。それだけ。

 何もかも、手遅れなんだ。

 不意に、落下の速度がゆるやかになり、やがて制止する。

 私は、誰かの手の中に包まれていた。


 落下地点で大量のノートを撒き散らしながら重力を制御する、三角帽子の女の子。私の小柄な身体は、地上から僅かに浮いている彼女の両腕の中に収まった。

 相手の正体に気付いて、私は頭の中がかっと熱くなる。


「離して下さい」


「あのね、お姉ちゃん」


「その呼び方はやめて下さい」


「うん、ごめん。えっとさ、知らなかったんだけど――今のって、何?」


 仕方なしに、私はリーナ・ゾラ・クロウサーに自分が祝福者であることを明かした。ペレケテンヌルの祝福――呪いを受けた半不死者。その忌まわしい、恥ずべき性質を。


「半不死? それにしては、なんか今のは」


 リーナは眉根を寄せてしばらく考え込んでいたが、ややあっておずおずとこんなことを提案してきた。それは思いもよらないものだった。


「あのさ――私、今度留学することになってるんだ」


「そうですか」


「良かったら、一緒に来ない?」


「え?」


 どうしてその誘いに応じたのか、自分でもよくわからない。

 でも、『外側』にならこのどうしようもない行き場の無さをどうにかする方法があるのではないかと思えて、私はリーナの言葉に頷きを返したのだった。


 結論から言えば、私とリーナは最初は別々の場所に行くことになった。

 私は西に。リーナは東に。

 星見の塔。峻厳にして幽玄なる妖精アールヴ山脈の向こう、幻想が息づいている森の奥深くにある、魔女の館。


 事前の適性。資質の検査。心理的傾向。そうした結果から、私は西方の星見の塔に、リーナは東方の黒百合宮に向かわされる事になったのだ。

 そうして、私の運命はそこからようやく動き出した。


 出会い――師であるベル・ペリグランティアお姉様。一回りも違うのに自分の遙か先を行く天才ヴァージリア。


 目的――それは夢であり渇望でもあった。己の本当の渇望を知り、絶望し、希望を得た。そして知った。自分が何をすべき『魔女』であるのかを。


 選抜――選び出された大勢の候補者たち。学び、競い、予備選考を繰り返す。

 更なる環境の激変。黒百合宮へ。過去最大の予備選考。そこで出会った、七人の子供たち。子供と言うには最年長の自分はすこし歳を重ねすぎていたけれど、見た目だけなら私はどこまでも子供だった。もしかしたら、心も。


 それが今から四年前のことだ。

 黒百合の子供たち。

 永遠のような、激しく幸福なひととき。

 そして、全ての可能性が打ち砕かれる、ささやかな猶予の時間。


 私は最後の選抜に挑み、そして無様に敗れた。

 地を這い、焼けただれた身体を蠢かせ、全身を覆い尽くす激痛とそれが生み出す快楽に溺れて、緩やかに闇の中に沈んでいく。

 暗転。

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