3-36 言理の妖精語りて曰く⑦




 私の上で、花のように軽いその身体が力を失った。重傷の状態から回復してすぐに力を使いすぎたのだろう。気を失った彼女を横たえて、私は立ち上がり、ミルーニャに向き直った。

 ミルーニャは既に平静を取り戻していた。冷笑と共に、こちらを見据える。


「まさか盲目の守護者像ブラインド・ガーディアンが壊されるなんて――流石の私もびっくりですぅ。でーもー、これで残っているのは後衛寄りの呪文使い二人だけ。対抗呪文を二つ構えている私にとっては恐るるに足りません」


「なら、実際に試してみればいい!」


 私は槌矛を構えて疾走する。今の状態では打ち消されるかも知れないフィリスを迂闊には使えない。けれど、石像がいなくなった今、ミルーニャを物理的に守るものは無い。この状態なら彼女を打ち倒して捕縛し、武装を解除した後にフィリスを使う事も可能なはずだ。


「種族適性が純粋な後衛寄りの癖に近接戦闘で勝つ気なんですか? 相変わらず何でも出来るつもりなんですね、この英雄気取りっ!」


「それが必要なことなら、英雄にでも煽動者にでもなってやる」


 私は右手に槌矛、左手に拾っておいた血色の旗を握りしめ、自らその旗の図像を直視する。網膜に侵入してくる形の無い異物に、私はあえて抵抗しなかった。身体の奧を改変していくおぞましい呪力。感情が沸き立ち、気分が高揚する。


 熱に浮かされたような感覚。私は激情に身を委ねた。

 血色の戦場旗。この呪具が心身がすり切れるまで奮い立たせて戦わせる扇動の呪具だというのなら、自分に対して使えばそれは一時的な自己強化呪術にも応用できる。

 勿論、その代償はミルーニャのように踏み倒せないのだけれど。


「自分で自分を扇動するって、ただの自己暗示じゃないですかっ」


 眉をひそめる白い少女に向かって駆けた。身体が軽く、心が熱い。地を蹴る力は今までにないほど強く、風を切る鋭さは足を踏み出す度に増していく。振るった槌矛がミルーニャの翼と激突する。硬質な音。接触部分の細胞を変異させて硬化させたのだろう。がりがりと表面を削りながら槌矛を引き離し、左手で握った旗を鈍器のようにして振るう。私は両手の打撃武器を縦横無尽に振り回し、激情をそのまま叩きつけていく。


 両腕に武器を握って戦った事なんて無い。筋力や体格で劣り、持久力も不足しがちな私にとって高速で重量物を振り回すという行為は徒に疲労を増やすだけだ。それでも、感情を乗せた打撃には呪力が宿る。気勢を迸らせながら渾身の連撃を撃ち込んだ。後の事など考えない。技術とか攻撃の組み立てとかはどうでもいい。私の近接戦闘技術なんて程度が知れている。細かい事を考えるよりまずひたすらに殴り続けていればいい。

 

「通用しませんよ、そんなもの」


 左手の旗を弾き飛ばされて、一気に懐に潜り込まれた。不意に視界が傾く。ぐらりと揺れる身体、こちらの膝に直撃していた下段蹴り、追い打ちをかけるようにして三本目の足から生えた鋭利な爪が私の胴に突き込まれる。


 激痛。悲鳴を上げて逃れようとするが、原色の爪は更に強く押し込まれていく。濃密な呪力が溢れ出し、倒れた私の身体を侵していく。

 高位呪術【狂乱爪デリリウムクロウ】は貫いた対象に三つの凶悪な呪術を発動させる。幻覚を見せて錯乱させる呪術。呪的な毒を与えて心身を摩耗させる呪術。束縛の呪いをかけて動きを止める呪術。三つ全てが全身に浸透すれば相手は確実に行動不能になる。


 種族的な呪術抵抗の高さに救われて錯乱状態にこそならなかったが、凄まじい倦怠感とひどい頭痛、そして肉体の制御が失われつつあるのを感じた。


「はいおしまい。それで、英雄さんはこの後どうするんですか?」


 遠距離から放たれた仮想使い魔による攻撃が呪文喰らいによって打ち消されていく。ハルベルトの援護射撃は時間稼ぎにすらならない。絶体絶命の状況。ミルーニャは更に爪に呪力を注ぎ込み、私の精神を汚染して譫妄状態にしようとしていた。


「まあ所詮は名ばかりの張りぼてということですよ。内実の無い、空っぽでがらんどうな見せかけの存在――どこかのきぐるみ女みたいですね」


「どういう、こと」

 震える声で、かろうじて疑問の声を絞り出す。左手はまだ動く。けれど、まだミルーニャの左手には氷の手袋がある。どうにかして、隙を見つけないと――


「エストさんの言うとおり、私の目的はヴァージリアの抹殺だけではありません。可能ならば貴方を『こちら』に引き込むか捕獲すること。それが適わなければ消してしまえ――そういう命令が【公社】から出ているのです」


「こう、しゃ――?」


 彼女が口にしたのは公的な法人や複合企業体を意味する単語だったが、そのニュアンスはもっと特定の組織を指し示している。この文脈だと、どの【公社】を指すのだろうか――?


「アズーリア様にはこう言った方がわかりやすいでしょうか。巨大企業群メガコーポを構成するペリグランティア製薬、ご存じでしょう? 私はですね、実を言えばあそこの社員なんですよ。顧問錬金術師をやらせていただいてます。迷宮事業が軌道に乗り始めてからというもの黒字続き、破竹の勢いで成長を続けている彼らとしては、自分の所の迷宮探索部門に所属している探索者以外が成果を上げてしまうのは望ましくないんです。可能ならこちらに引き込み、不可能なら始末、というのが彼らにとっての理想なわけです」


「どうして、味方同士で足の引っ張り合いなんて」


「適度な速度で迷宮を攻略してもらわないと困る、ということです。だらだらと戦いを引き延ばして、探索者や修道騎士が消耗して上方勢力が疲弊してくれないと儲からないでしょう? 勿論新しい資源や勝利ムードを崩されても困りますから、定期的な成果も欲しい。更に言えば、そうやって華々しく英雄として祭り上げられるのは、自社に所属している探索者であって欲しい。例えば四英雄のグレンデルヒとかですね」


 ニュースや各種の広告媒体などでよく取り上げられる四英雄たち。彼ら彼女らの背後では、そんな欲望が渦巻いているのか。朝に出会ったあの華やかで圧倒的な印象を残していった三人。彼女たちも、そうした思惑からは逃れられないのだろうか。


「大神院、そして松明の騎士団上層部と大企業は事前に話し合いの場を設け、調整を繰り返しながら迷宮攻略のスケジュールを決定しています。その為に先読みの聖女を利用し、最も利益が出る道を選ぶ。まあ談合みたいなものですね。迷宮攻略とか英雄とか、所詮は茶番なわけです」


「そんな――じゃあ四英雄っていうのは」


「巨大企業群が大衆の目を誤魔化すための広告塔ですよ。企業専属のグレンデルヒも、国家公務員であるユガーシャも、非正規探索者たちの旗頭であるゼドすらも大神院と巨大企業の意向には逆らえません。彼らは許された範囲でのみ偉業を為し遂げられる――まあ約一名、そうした事情を無視して好き勝手にやってる人もいるみたいですが」


 ミルーニャは憎々しげに呟いたが、すぐに表情に余裕を取り戻す。


「貴方は四英雄に対抗する為、そして予定外の魔将討伐という不測の事態を取り繕うために生み出された即席の英雄。大神院や巨大企業も一枚岩ではありません。そしてその利害の均衡はふとした拍子に容易く崩れ去るほど脆いのです。貴方の存在を利用しようとする者がいる一方で、他方では疎ましく思っている者もいるということです」


 だから、私を捕らえようとしているのか。一度捕縛して相応の設備のある場所まで連れて行ってしまえれば、洗脳技術である順正化処理によって都合のいい手駒にしてしまえる。


 そして、今の言葉でわかったことがある。おそらくミルーニャは、ある段階までは私を懐柔できないかどうかを見定めていたのだと思う。初対面からやけに親密な態度で接してきたのは全てその為。あの出会いも偶然では無かったのだろう。星見の塔の魔女としてハルベルトに協力する一方で、もう一つの顔である巨大企業の呪術師として私を手に入れようとしていた。そして、ある段階でそれを諦め、現在の凶行を決意したのだ。


 これは私の推測だが――単眼巨人に襲われて私とハルベルトだけ崖から転落した時が分岐点だったのだろう。あの後、私達の距離感は傍目から見てもわかりやすいほどに縮まった――と思う。それを見て、ミルーニャは平和的に私を懐柔する事を止めたのだ。単眼巨人の襲撃や、骨花の存在はミルーニャの想定外だったであろうこともそれを裏付ける。


「貴方に付けられた英雄なんてラベルは、空虚な幻想に過ぎないってことですよ。意味の付随しない音素と記号。そこに呪力は宿っていない。でも安心して下さい。私なら、アズーリア様を正しく利用してあげられます。そこの口先女なんかよりもずっと」


 ミルーニャは言いながら、同時に飛来してくる仮想使い魔たちを迎え撃っていく。ハルベルトの援護はしかし二段構えの消去によって無為に終わってしまう。呪文によって間接的に発生した土塊の攻撃も私が巻き添えを食らうことを恐れてか小規模なものとなり、容易く翼で弾き返された。


「鬱陶しいですねえ。今、私はアズーリア様とお話してるんですぅ。邪魔するならえいえいってしちゃいますよー?」


 ミルーニャが爪をぐりぐりと回して私の傷を抉る。苦痛に呻く身体をばたつかせるが、爪と足で踏みつけられた身体は地面に縫い止められて動かない。遠くで、ハルベルトの絶え間ない詠唱が止んだ。


「お利口さんですね。お馬鹿さんでもありますけど。ああそれにしても綺麗な呪文構成ですねえ。原初の魔将フィリス。古の言語支配者たちの嗣子。世界を語り直すための鍵。それが今、私の手の中にあるなんて」


 ミルーニャの視線は私の左手に注がれていた。この謎の多い寄生異獣について、彼女は何かを知っているのだろうか。私の疑問に答えるかのように、ミルーニャは朗々と語り出した。


「私の家系を遡っていくと言語支配者たちの一人、覇王メクセトに行き当たるらしいんですよ。眉唾ですが、彼の作り出した神滅具の製造法が伝わっているということは全くの無関係というわけではないのでしょう。伝わっているのはそれだけじゃありません。遠い遠い神話の時代、言語魔術師たちの頂点にして王たる存在、言語支配者たちがその叡智を結集して作り上げた世界最初の神秘。それが【エル・ア・フィリス】だそうですよ。深淵のゾート、並ぶ者なき大魔術師ミアスカ、覇王メクセト、呪祖レストロオセ、そして獅子王キャカラノート――その左手には呪文の全てがある。その力さえ手に入れれば、私の目的も達成できる」


「目的――?」


「私は融血呪を凌駕した。氷血呪もあと少しで再現できる。フィリスなら黒血呪を再現できる。そしてこの私が生み出した新たな鮮血呪が完成すれば、私は四つの禁呪全てを掌握した最高の魔女になる! 全ての禁忌を統合した至高の呪術。万色を合わせた眩い光輝――白血呪が発動するんですよ」

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