3-35 言理の妖精語りて曰く⑥




 左手をぎりぎりと握りしめると、炎の使い魔は氷と共に砕け散った。石像が力を取り戻し、呪文喰らいの全身像が安定していく。

 そして、呪術を打ち消した代償なのか、ミルーニャの半身がじゅうじゅうと音を立てながら沸騰し、火膨れを起こしていた。高熱によって彼女の体細胞が焼き尽くされているのだ。


 氷炎術。原則として杖体系では、温めることよりも冷やすことの方が困難だとされている。ゆえに杖使いは熱量を移す術によって凍結現象を起こす。

 ある空間から熱、ないしはそれに類する呪的現象を奪い、どこか別の場所に加熱されるための空間を用意する。


 それは、超常現象の対価として物質的な生贄を要求する杖的呪術そのものであった。


「この通り、代償として私の肉体を破壊してしまいますが――まあ神滅具にはよくあることです。コストを踏み倒せる私には関係が無い。未完成ゆえに知覚加速や時間停止はできませんけど、その代わりに最速工程で対抗呪文と同じ効果を発動させることができる。【闇の静謐ダーク・トランキュリティ】と【極寒奏鳴曲ソナタ・アークティカ】の打ち消し呪術二段構え。誰も私の心を侵すことはできない」


 更にミルーニャは自ら剥いだ爪を背後に放り投げた。三本目の足がそれに触れた途端、かぎ爪の尖端が鋭く伸張し、長大な刃となる。赤、青、灰の刃から不吉な呪力が漏れ出ていた。


「【狂乱爪デリリウムクロウ】――さあて、随分好き勝手やってくれましたね。お仕置きの時間ですよ。ヴァージリア、そしてアズーリア様」


 巨大な石像が亀を蹴り飛ばして仰向けに倒し、兎がバラバラに解体されて喰われていく様を嗜虐的な瞳で見ながら、ミルーニャがこちらに歩み寄ってくる。恐らく切り札であろう氷の手袋を出した今、私のフィリスですら打ち消す自信があるのだろう。私の直感もあの呪具こそが最も危険だと告げていた。


 あの凍結による呪術の消去をかいくぐってフィリスを発動させられるだろうか?

 自問するが、かなり怪しかった。それでも、私はやらなければならない。

 石像と呪文喰らいの脅威もあるが、それは心配していない。


 呪文喰らいマクロファージはハルベルトがどうにかしてくれるし、石像の方はもう勝ちが決まっているからだ。

 毛むくじゃらの亀が稼いだ時間が勝利に繋がる。その背後で、プリエステラたちティリビナの民が『準備』を終えていた。


「今更何を――?」


 怪訝そうに呟くミルーニャの目の前で、塔――あるいは大樹が組み上がっていこうとしていた。

 最も体格の良い大人たちが土台となり、その身体の上に他の大人たちが乗る。二段目の上には三段目、上に行くにつれて年若い者が乗っていく、立体的な生体建築。脅威的な均衡と安定感は、樹木と共に生きるティリビナの民特有のものだった。地に根を張るような足腰の強靱さと、歩くように木登りや木から木への移動を行う平衡感覚。そんな彼らが得意とする、その身だけを使った集団芸術がこれだった。


 組み合わさることで大樹を摸倣する、ティリビナの民の祭りにおける最大の行事である。彼らは全体が大樹になりきる事で自然――樹木神レルプレアとその子供たちである精霊への感謝を表現するのだ。それは彼らにとっての演劇であり舞踏である。


 最後の一人、頂点となるプリエステラが子供たちに支えられてゆっくりと立ち上がった。その両足に震えは無い。足下の民たちを信じているからだ。

 石像の体高を上回る程の大樹を模したティリビナの民たちは、その儀礼の完成と同時に凄まじい量の呪力を放出し始めた。


「まさか――」


「さあ、祭りの時間よ! 私達の【大いなる接ぎ木】を目に焼き付けて帰りなさいな、お客人たち!!」


 プリエステラの叫びと共に、ティリビナの民は一つになった。

 樹皮のような全身が更に硬質で分厚い樹皮で覆われていき、それらが人が組み合わさった輪郭を包み込んでいく。巨大な大樹そのものとなったその両脇から長大な二本の枝が持ち上がり、腕のような形となる。放射状の根のように全体を支えていた大人たちが、複数の足となって巨体を運ぶ。その頂点、梢の位置で下半身全てを樹皮で包んだプリエステラが高らかに言い放つ。


「これこそは我らの秘儀。レルプレア様がしもべ、【大樹巨人エント】の力を思い知るがいい!!」


 異獣と蔑まれ、排除されても。

 血族、同胞、家族として結束し、助け合い、誰かが傷付けば一丸となって向けられた悪意に報復する。ティリビナの民は同胞を傷つける者を決して許さない。報復は種族全体で徹底的に行われる。


 彼らは向けられた敵意を絶対に忘れず、恨みをいつまでも抱え続ける。

 それは呪力すら宿す結束だった。その呪力を利用して発動するのは、ティリビナの民たちに伝わる一族の力を結集する秘術。生贄に捧げられた蛇の王の残骸が光の粒子となって消滅していく。


 集団を人体に喩えた場合、脳に等しいティリビナの巫女を守るため、彼らは大樹巨人エントに変身して敵に立ち向かうのだ。

 巨大な腕が一振りされて、石像の拳と激突した。

 轟音が夜の森を震撼させる。石と木という材質の違いなどものともしない圧倒的質量、圧倒的硬度、圧倒的呪力。


 それは人という枠を超えた戦いだった。二つの巨体が大地を踏みしめるたび、地震のような衝撃が走り、木々から鳥や虫たちが飛び立つ。小動物が慌てて逃げ出し、用意されていた祭りの飾りが踏みつぶされていく。その破壊と浪費こそが呪術的祭儀の目的だった。


 ティリビナの民たちが丹念に作り上げた木彫り細工や大掛かりな台座や櫓、豪華絢爛な花飾りの数々は、こうして消費されることによって呪力に変換される。彼ら特有の文化は摸倣子に媒介され、祭りという場を与えられたことによって空間に呪力として放出されていくのだ。豊富な意味量を巨大な拳に乗せて、破城槌のごとき一撃が石像を打ち据えた。豪快に吹っ飛び、木々を押しのけながら仰向けに倒れる石像。


「さあ、これで終わり?」


 得意げに言い放つプリエステラ。絶句するミルーニャ。

 やがて白い錬金術師は軋むような音を立てて歯を噛みしめた。


「あまり調子に乗らないで欲しいものですね、立て、盲目の守護者像ブラインド・ガーディアン!!」


 私は隙を突いて接近しようとしたが、失敗した。目の前を鋭い爪が通り過ぎる。

 ミルーニャは私を三本目の足で牽制しつつ、白い翼を羽ばたかせて高く跳躍する。右手の人差し指を口元に運んでいくと、そのまま爪を剥がした。吐き出した爪が呪術を発動。私に酸毒の奔流を浴びせかけていく。防御結界が悲鳴を上げて、私の足が止まる。私の呪術をいつでも打ち消せるように六本の節足を蠢かせて接近してくる呪文喰らいマクロファージ。背後でこちらを援護すべく呪文の詠唱を開始したハルベルト。状況が同時に進行していく。プリエステラの意思に従って振るわれた拳を身を翻して回避したミルーニャは、立ち上がった石像の肩に着地。そのまま右手の人差し指から新たな呪具を出現させる。


「左手人差し指、解錠アンロック! 【血色の戦場旗エンスレイブ・トゥ・ザ・マインド】!!」


 乾いた血のような、不吉な色の旗だった。その中央には獅子を象った紋章が方形盾と共に描かれている。その図像から発生する呪術の正体に気付いた私は、プリエステラに警戒を呼びかけた。


「気をつけてっ! それは精神支配系の呪術だっ!」


 紋章の図像に含まれた大量の暗示、ほのめかし、象徴、紋章学的な約束事――そうした諸要素が絡み合い、他者の精神に働きかける呪文を発動させる。咄嗟に心理防壁を張った私や高位の言語魔術師であるハルベルトは難を逃れたが、樹木巨人には直撃したはずだ。プリエステラは表情を歪めながらも辛うじて耐えきったようだった。しかし、直後に繰り出された石像の打撃を受けて、大きくよろめいてしまう。今までの殴り合いで、樹木巨人が力負けしたことは一度も無かったにも関わらずだ。


「くっ、なんで――」


「貴方が平気でも、他の雑魚にとってはそうではないということです」


 樹木巨人の全身から溢れんばかりだった呪力が、実際に漏出しつつあった。巨人の呪力そのものはむしろ強くなっているのだが、司令塔たる巫女の下、一つに纏まっていた力の総量が均衡を失って崩壊しかけている。全体としての調和が失われた樹木巨人は、結果として脆くなっていた。ミルーニャの言うとおり、精神干渉は巨人の肉体を構成するティリビナの民たちの精神に干渉しているようだ。


「この神滅具は大衆を扇動して死ぬまで突撃させる――要するに大規模な催眠暗示ですが、『個我』が弱い者ほどよく引っかかる。貴方たちのように、他者の力に頼る類の人種には効果覿面というわけです」


 ティリビナの民たちは暴走していた。怒り、憎しみ、敵意、悪意、恨み、そうしたあらゆる負の感情を溢れさせ、ミルーニャに我先にぶつけようとしている。全てはプリエステラを守るため。だがそうした感情の波を、ミルーニャは鼻で笑って石像で迎え撃つ。


「雑魚がどれだけ群れた所で! そんなのは個々の力が弱いと白状しているようなものです! 救いがたい程に愚かしい! 自分への確信を失った相手などに、私は負けない! そうだ、自分を信じることすらできないあんながらくたに、私が劣るはずが無いっ! 私は最後の魔女になって、正しい運命を取り戻すっ! 私がっ、私がっ、この、私がっ!!」


 鋭さを失った樹木の拳をかいくぐり、岩石の一撃が大樹の胴を打ち据える。衝撃にプリエステラが悲鳴を上げて仰け反る。後ずさりした樹木巨人に、更なる打撃。打撃。そして打撃。


「恨みと憎しみ、抑圧と鬱屈、『いつか必ず』という怨念、そして大切なものを奪われるという恐怖と嘆き、怒りと悲しみ――弱者を奮い立たせるそうした力はね、何も貴方たちの専売特許じゃないんですよ。そして同じ性質の力でぶつかり合えば、勝つのはよりその力の御し方が巧みな方です」

 相手の悪意を暴走させて利用したミルーニャは、旗を石像の肩に突き立てて告げた。よろめきながらプリエステラが言い返す。


「私達は信じてるだけ! 仲間を、同胞を、家族を!」


「何が家族ですか、笑わせてくれますね! 融合だの合体だの、そんなものは弱さのあらわれだ! 足りない者、欠けた者、持たざる者が他者に寄生しているだけに過ぎない! 傷を舐め合うような惨めさです!! そんな弱さは無駄でしかないっ」


「でも、父親は父親だって! 仇を討ちたい気持ちはわかるって、言ってくれたじゃないっ!!」


 石像の動きが止まる。その隙を狙って、樹木巨人は体勢を立て直した。プリエステラは必死になって声を張り上げる。


「ミルーニャちゃんは、私が幸せだって言ってくれたよね? みんなのおかげで、私は仇を討てたよ。あの人は決して完璧な人格者じゃなかった。それでも、あの怪物をこの手で倒したことで、胸の中にかかっていた雲が去って、良く晴れた日みたいな気持ちになったの。全て、復讐を為し遂げられたからだよ。ミルーニャちゃんはどう?」


「どう、って――」


「仇への恨み、お父さんへの恨み、そういうの全部。色んな曇った気持ち、抱えたままになってるんじゃないの?」


「だったら何だって言うんですかっ、一体何の関係がっ」


「貴方の狙いは私でもハルでもない――そこにいるアズーリアなんでしょう。違う?」


 今度こそ、ミルーニャと石像の動きが完全に停止する。

 その白い顔はさらに蒼白になっていた。赤い瞳は凍り付き、決定的な指摘をしてしまったプリエステラを呆然と見ている。


 共に巨大な人型の上。より近くなった夜空の下で、二人の少女が正面から相対する。

 花のようなプリエステラと鳥のようなミルーニャにはまるで似たところがないけれど、どうしてかその時だけ、私の瞳には二人の姿が相似形に映った。


 静寂の後、ミルーニャの顔からあらゆる感情が抜け落ちた。色のない声で告げる。


「もういい、耳障りです。消えて下さい」


 石像が拳を振り上げ、樹木巨人の身体を打ち据える。衝撃でよろめく巨体の頂点から、高く飛び上がる影があった。捨て身の奇襲。月光を背にしながら、プリエステラは袖口から蔦を伸ばして血色の旗を巻き取った。プリエステラが落下するのに引きずられて、そのまま石像の肩から引きずり下ろされていく扇動の呪具。地面に落下していくプリエステラと旗を見ながら、ミルーニャが呟く。


「無駄なことを」


 司令塔であるプリエステラを失えば樹木巨人は瓦解するしかない。脳も無しに動く生物はいないのだ。

 しかし、落下してきたプリエステラを受け止めようとして下敷きになっていた私は確かにそれを目の当たりにした。


 樹皮に覆われた拳を握りしめ、渾身の打撃を石像の胸に叩き込む樹木巨人の姿を。崩壊し、全身の至る所から内部の人と人が繋がった神経繊維を覗かせながらも、総員が必死になって与えられた役割を果たそうと最後の一撃を放つのを。


 予想外の攻撃に驚愕するミルーニャが、体勢を崩して石像の肩から転落する。樹木巨人が拳に乗せた呪力と衝撃はついに呪鉱石の巨像に亀裂を走らせ、やがてそれは致命的な決壊をもたらす。


 樹木巨人が崩れ落ち、横倒しの倒木となって気絶したティリビナの民たちを吐き出していくのと同時に、石像もまた粉々に粉砕されていった。色とりどりの呪鉱石が、光のプリズムとなって辺りに降り注ぐ。翼をはためかせながら落下するミルーニャは、愕然とその顛末を眺めた。


「だから言ったでしょ。私は、私達は信じ合ってる――少しでも共感しあえるのなら、そこから繋がることができるんだ」


 プリエステラはそう言って、ミルーニャの赤い瞳を真っ直ぐに見つめた。

 その目が揺れ動く。白い少女の表情が強張って、何かを口にしようとする。

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