3-34 言理の妖精語りて曰く⑤
洞窟の外、木々が生えていない円形の広場。
中央の台座には
ティリビナの民たちの祭りの準備は完了していた。プリエステラを先頭に全てのティリビナの民たちが整列し、秩序ある軍隊のように静かに待機している。
ずん、と大地が揺れた。木々がへし折れて倒れていく音が響く。
やがて姿を現したのは、野太い腕、柱の如き足、見上げるような巨大な石像。
その肩に、真っ白な少女が腰掛けていた。
「はーい皆さんお待たせしました。雑魚掃除にちょっと手こずりまして。申し訳無いですぅ。えへへー」
「ミルーニャちゃん」
「おや、誰かと思えばエストさんじゃないですか。生きてたんですか、びっくりですよ。
「ええ。色々な人が助けてくれたお陰でね」
「そうですか。短い延命、ご苦労様です。それと私はメートリアンです。実を言えば、その名前で呼ばれるの吐き気がするほど嫌いなんですよね。やめてもらえます?」
「そうなの? ごめんね。でも親から貰った大事な名前を嫌いなんて言ったら駄目よ」
狙い澄ました言葉の一撃。
反応は劇的だった。
プリエステラの言葉に、ミルーニャは涼しげな顔を不快そうに歪ませて舌打ちした。赤い瞳の中で怒りの感情が膨れあがる。それから目を眇めて眼下を睥睨する。
「――ふぅん、なるほど。三つ目のトカゲ女を殺し損ねてましたか。
そして、何がおかしいのか唐突にくすくすと笑い出す。
「ああ、ごめんなさい。これって私の悪癖なんですぅ。他人の苦しむ姿を見ると、自分がそうなっている所まで想像してしまってすっごく昂ぶるんですよね。自給自足の方が効率良いんですけど、外からも呪力を持ってこれる機会があると、つい遊んでしまうんです。こーんな風に♪」
ミルーニャの尻尾――三本目の足が動き、何かを放り投げる。
プリエステラが、口元を押さえて息を飲んだ。
どさりと地に落ちたのは、最後に見た時に比べて余りに縮んでしまった修道騎士ナトの胴体だった――その身体には、胴体と頭部しか無かった。断端は焼け焦げたようになり、血は止まっているようだが、再生が絶望的なほどの重傷に見えた。余りの激痛のため意識を失っているのだろう。白目を剥いて口から涎を垂らすその姿は無惨の一言に尽きる。
「三本目の足を失うのって、手足をもがれるような痛みだって言うじゃないですか。実際に比較して貰ってそこの所がどうなのか聞いてみたかったんですけど、その様子だと四肢をもがれる方がきつかったみたいですねえ。あーあ、カラスさんも可哀想に。結局は自分の方が大切ってことが証明されてしまいました。世の中には明らかにしない方がいい真実ってありますねー」
槌矛を握りしめて足を動かす。黒衣が翻って、私はプリエステラの前に立った。
「撤回しろ」
「わ、何ですか。声がこっわいですよーアズーリア様? なんか戦ってる時はそんな風になりますよねえ。そう言えば昼間にそこのボロクズを挑発してた時も、すっごく流暢に喋ってたし、口調もなんだかいつもと違いましたぁ。何ですか? キャラ作りですか? 戦闘時にだけ凛々しくなるワタシカッコイー、みたいな? きゃーんアズーリア様素敵!」
「ナトに対する侮辱を撤回しろと言ったぞ、ミルーニャ」
「過去の自分を棚に上げてよくもまあ――相変わらずの上から目線、吐き気がしますねー♪ さっすがは超天才の英雄アズーリアさ、ま♪」
にこやかな表情とは裏腹に、その瞳は全く笑っていなかった。いつものような毒舌。そう切って捨てられないだけの何かがミルーニャの瞳から感じられる。
睨み合っていると、だしぬけに石像がその巨大な拳を開いた。
内側から出てきたのは、全身の骨を砕かれて通常の人体構造では決してとれるはずがない体勢になったペイルだ。その周囲をアストラル体の寄生異獣が保護しており、辛うじて生命活動を続けている状態だった。
「まったく、ちょこまかと動いてくれて。勝てそうな場面で乱入してくるトライデントの細胞といいこいつらといい、こっちの都合も考えて欲しいですぅ」
「トライデントの細胞――あの使い魔はどうしたの」
問いかけたのはハルベルトだった。私やプリエステラの遙か後方、ティリビナの民たちよりも後ろに下がった広場の一番は端から反対側にいるミルーニャに声を張り上げている。
見たところ、ミルーニャの周囲にあの骨花の姿は無い。融合され、取り込まれているとしたならあの取り憑かれた単眼巨人のように骨が全身に突き刺さっていそうなものだが、どういうことだろう。
それとも、ハルベルトの予想は外れたのか。
果たして答えは後者だった。
「喰ってやりました。融血呪というのも案外大した事はないですね。それとも使い手が低位の細胞だったためでしょうか。生意気にも取り込もうとしてくれたので、逆に私が取り込んでやりました。あの程度の脆弱な意思力でこの私を抑え込もうだなんて、ちゃんちゃらおかしいです」
ミルーニャは口を開き、舌をぺろりと出して見せた。真っ赤な舌先に乗った、金色の眼球。前歯で挟んで噛み砕くと、そのまま吐き出した。
「もしかして、私が意思のない木偶人形になって襲いかかってくると思ってましたか? あの青い流体に取り込まれた融合体と戦う心構えとか固めてちゃってましたぁ? ざーんねんでしたー。あなた方の相手はこの私。私だけです」
ミルーニャは石像の肩の上で立ち上がった。純白の翼が広がり、威圧的にこちらを睥睨する。その赤い瞳には、壮絶な戦意が漲っていた。
「そろそろ始めましょうか。全員ぶち殺して霊薬の素材にして差し上げます」
巨大な石像が重々しく一歩を踏み出した。大地が揺れ、祭りの為に準備された飾りが音を立てて揺れる。
ミルーニャは石像の肩から動かない。銃を手に構えてこちらに向けているのは、フィリスの有効射程に捕捉されない為だろう。このままでは、石像の一撃と銃撃によってこちらは無防備にやられてしまうだけだ。
けれど、こちらも何の用意もしていなかったわけではない。
事前に長大な詠唱を済ませて待機していたハルベルトが、起句のみを唱えて高位の呪文を発動させる。
「
ハルベルトの命令に従って、三種類の幻獣――仮想使い魔が顕現する。
螺旋の角を持つ兎、ごわごわとした緑色の毛に覆われた身体と、重そうな甲羅を背負った巨大な亀。そしてハルベルトの背後で燃え立つ炎を纏った女性。
「高位の仮想使い魔を三体同時に維持ですか。相変わらず嫌味な真似してくれますね。いいでしょう。相手をしてあげますよ。私の【|闇の静謐(ダーク・トランキュリティ)】でね!」
ミルーニャは胸から紋様を引き剥がして奇怪な形状の幻獣を実体化させた。
だが、それでも仮想使い魔たちは果敢にミルーニャに立ち向かっていく。
ミルーニャが私に向けて放った銃弾は、私があらかじめ展開していた防御結界に跳ね返される。浮遊する魔導書が障壁を維持しているのだ。
まず最初に突進をしたのは
「馬鹿な真似を!
嘲笑しようとしたミルーニャの言葉が途切れる。彼女の言葉は正しかったが、ならばそれ以外の手段で攻めればいいということになる。
毛亀は独角兎のように複雑な呪文処理を得意とするわけではない。実行するのは極めて単純な命令のみ。
足下から大地そのものを隆起させ、仮想の実体に重ね合わせるようにして成型していく。そうして瞬時に生まれたのは、ミルーニャの石像を上回る巨大質量。幻獣の形をしたもう一体の土と石の像だった。
「呪術が効かないなら、単純な質量勝負に持ち込めばいい。相手が重さと大きさで勝負してくるなら、更なる重さと大きさで対抗するだけ」
「なら、
「のし掛かられてもいいのなら、どうぞ」
ミルーニャがはっとなって状況の不利に気がつく。二足で直立する巨大な亀は、前足を石像の両腕とがっぷり組み合わせて押し合っている。互いの力が拮抗した状況だが、このまま仮想使い魔を喰ってしまえば大量の質量が上から石像とミルーニャにのし掛かってくる。土砂によって動きを止められてしまえば、捕縛される可能性がある。
ミルーニャは素早く石像の肩から飛び降りた。翼をはためかせて落下速度を緩和させつつハルベルトに向けて射撃。間に割って入った私が維持した障壁でそれを弾く。二度の射撃に耐えられなくなった防御呪術が破壊されるが、続いて私自身が詠唱した防御呪術を展開することによって隙を無くす。
魔導書を用いれば、防御呪術を交代で唱えて隙を無くす事ができる。
着地の瞬間を狙って飛来した
一度に一つの呪文しか喰らうことができない。これがあの【
炎を纏った半透明の女性が無防備なミルーニャを襲う。銃から放った呪石弾で対抗するが、穴を空けられた炎の仮想使い魔は瞬時に再生してしまう。舌打ちした白い少女は銃を捨てて左手親指の爪を剥がした。
「左手親指、
ミルーニャの左手親指を焼き尽くしながら出現したのは、黄色く発光する球体だった。ばちばちと放電しながら残像を残して浮遊するそれは、【
猛火と電撃が激しくぶつかり合う。
正面からぶつかり合えば、より呪術として高度で強力な方が勝利する。
果たして勝利したのは、勢いよく燃えさかる炎だった。消滅する球電。もはやミルーニャの身を守るものは何も無い。そして、炎の仮想使い魔はその真の力を解放した。
その全身が視界全てを赤く染め上げていく。無制限に広がっていく炎の渦が、世界の全てを燃やし尽くさんばかりに勢いを増していく。
だが、辺りには木々が溢れているというのに炎がそれらに燃え移る事は無い。仮想使い魔の炎であるそれは、実体の世界に影響を及ぼすことが無いのだ。
【爆撃】の上位呪術【
物質的には一切の影響を与えないこの炎は、対象の精神を灼き、その精神世界を炎上させてしまう。心の中を炎一色に染め上げられた相手は思考を制限され、【炸撃】や【爆撃】、【炎上】などの炎を想起させる呪術しか使えなくなってしまう。元からそうした呪術を得意とする相手には全くの無意味だが、そうした呪術を使えない相手ならば事実上の完封すら可能な呪術である。
石像の制御、仮想使い魔の維持、内的宇宙との
実体の無い炎がミルーニャに迫り来る。
「くそっ、貴方はいつもいつも――ヴァージリアァァッ!!」
「ハルはもうジルじゃない。その名前は燃やして捨てた」
仮想の炎がミルーニャの全身を包んでいく。燃え立つ業火がその肉体ではなく精神を灼いていく。彼女の霊体――アストラル体もまた実体同様に霊の肉腫によって再生するが、【炎上】はしつこくまとわりつき続ける妨害呪術だ。再生しても再生しても消えない炎――意識してしまえばもうその思考から炎のイメージが離れなくなる。
兎と格闘する呪文喰らいの全身にラグが走り、亀と組み合う石像が押され始める。
頭を押さえて呻くミルーニャがよろめいて膝を突きそうになる。
私はその隙に接近してフィリスを解放しようとするが――直後、猛烈な悪寒を感じて飛び退った。悪寒というのは、呪術的な予感もあったけれど、それ以上に物理的な冷気によるものでもあった。
「これは未完成なので、なるべくなら使いたくなかったんですけどね。左手小指、
精神が焼き尽くされる寸前、ミルーニャは体内倉庫から新たな呪具を呼び出していた。自動的に左手に装着されていくのは、月光を反射して美しく輝く氷の手袋だ。
いつの間にか仮想の炎が全て消え去っていた。仮想使い魔は左手に掴まれて氷漬けになって制止している。
「まさか、それは」
ハルベルトが慄然としてその呪具を凝視した。私もまた、その呪具から放たれる桁外れの呪力に気圧されていた。
「ええ、お察しの通りですよ。これこそはメクセトの神滅具が一つ、【氷血のコルセスカ】の模造品。ほぼ私が独力で再現したので、もはや神話のそれとは別物になっていますが――冬の魔女の【雪華掌】を擬似的とはいえ再現しているこれは、万象を凍結させる。
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