3-23 魔女と英雄①
「殺すべきです」
灰色のローブの中で、ミルーニャの目が冷淡に光った。
鬱蒼と茂る暗色の広葉樹が、月明かりに照らされて微かな緑色を照らし出している。呪力を多量に含んだ風がかさかさと枝葉を揺らし、私達の間に横たわっていた重苦しい雰囲気をより一層引き立てた。
その場にいるのは漆黒の衣を身に纏った私と、同じ黒衣で破れた服を隠したハルベルト。そしてメイファーラが茶色の衣、ミルーニャが灰色の衣を、それぞれ私から借りている。
「またと無い機会ですよ。枯れ木族の
ミルーニャの思考は、地上の探索者として至極当然の発想だった。
ただ合理的に自己の利益を追求する。
呪具を売る道具屋として、信用の重要性は理解しているだろう。それでも危険性と見返りの天秤の傾き具合によっては信義を裏切る――古代の商人じみた奸計を弄することだって躊躇わないのが地上の摂理だ。
そもそもの大原則として。異獣は狩られ、収獲されるべき資源であり、それを生かさず殺さず収奪することこそが迷宮経済の基本原理。
それがこの地上という場所の正しさだ。
「急進的な人達みたいに絶滅させようなんて思ってませんよ。一番美味しいところを頂きましょう。気にすることはありません。固有種とはいえ、しばらくすればまた湧くでしょう」
それは、他者を食らい尽くす
複合職――
「私は――それはしたくないと思ってる」
自分は間違った事を言っている――その自覚はあったけれど、ミルーニャを真っ直ぐに見つめて、私ははっきりと反対意見を口にした。どの口で? それを私が言うのか。その資格は一体何処に?
「――ま、アズーリア様なら何となくそう言うんじゃないかとは思ってましたけど」
予定調和の結果を見せられたようにミルーニャは呟いた。つまらない。それだけが幼げな表情に浮かんでいた。
少し離れた場所では、樹木のような身体のティリビナの民たちが忙しなく行き交っている。発光する苔や呪力の光を灯す植物といった独自の照明が開けた空間を照らしている。大きな台座の上に載せられた収穫物を中心にして、彼らはある準備をしていた。
それは祭りだった。
彼ら独自の宗教文化――大神院のそれとは一風変わった、私にとってはとても物珍しい様式の祭儀。精巧な木彫りの道具や石や草木を組み合わせて櫓めいたもの、そして木々の間にかけられた紐とそこに吊り下げられた色とりどりの花飾り。
ティリビナの民は基本的に建造物の形では住居を持たず、木々に寄り添ったりうろの中に住んだりしている。古代の猛獣が出没するこの場所では、女子供は安全を確保した坑道内に住まわせているようだが、独特の生活様式を持つ彼らはとにかく物を所有すると言うことをあまりしない。そんな彼らの祭儀は、その場その場で即席の呪具を作って執り行うというものだった。手先の器用なもの、不器用なものの別無く、誰もが祭りの準備で大忙しといった風情である。
「何だ、あんた達そんなところにいたの? 調整とやらは終わった?」
私達四人が声のした方に一斉に視線を向けた。頭部に咲き誇る大輪の花が目にも鮮やかな、
ミルーニャが気配を透明にして一歩下がる。少なくとも、即座に殺意を露わにする様子は無い。少し安心して、私は口を開いた。
「今、終わったところです。これで問題なく話せますね」
私の言葉と平行して、ハルベルトが手に持った端末機から無数の文字列が虚空に展開されていく。それらは彼女が保有する膨大な言語――その中でもティリビナの民が使用する亜大陸の
「手間かけさせて悪いね。私、共通語はちょっとしか話せなくて。日常会話くらいならなんとかなるんだけど、込み入った話とかは無理でさ」
「私達も、端末さえ使えれば
空高くに浮かぶ月は大きく欠けながらも、幻惑的な光と呪力を地上に放射している――しかし、パレルノ山の一帯に満ちる強い呪力のせいで、通信可能な情報量は著しく制限されてしまっていた。単純な性質の呪力ならともかく、言語という大規模な構造体を逐次に参照し、運用するということはできないのだ。
「そっちに兎の言語魔術師がいたのは運が良かったね。ハルベルトだっけ? ねえハルって呼んでもいい? 私もエストでいいからさ」
親しげにハルベルトに近寄ってにこやかな表情を見せるプリエステラ。人懐っこい笑みだ。瞬く間に初対面の膜を取り払って、彼女は混じりけのない好意をハルベルトに向ける。
「え、あ――その」
困惑して、弱ったような声を出すハルベルト。何故か私の方を見る。助けを求められても。
「こっちおいでよ。お茶とか出すから。ちゃんとお茶の葉っぱとかあるんだよ。意外かな、これでも文明的な生活っぽいこともしてるんだ。ロクゼンとマイスどっちがいい?」
私達がこの小規模な集落――ティリビナの民の隠れ里に迎え入れられているのは、このプリエステラからハルベルトへの好意のお陰だ。無碍にすることも出来ず、返答に難儀しながらハルベルトはしどろもどろに言葉を繋いでいく。高圧的だったり上からものを言うのは得意なのだが、そうではない場面だとああなってしまうようだった。仲良く連れ立っていく二人の後に着いていく。
岩壁に開いた大きな空洞。その中に広がるのは、特殊な採掘技術によって掘られた居住空間だった。パレルノ山に複雑に広がる坑道の一部を利用して、彼らはこの場所で生活していた。少し離れた場所には守護機械の残骸がうずたかく積み上げられていた。
それを見ながら私は思い返す。プリエステラと遭遇した時の事を。
私とハルベルトが転落した岩棚は、ティリビナの民の居住空間に通じていた。どうやら呪的廃棄物の投棄口だったらしく、下に到着した二人が積み上げられた『儀式ごみ』に当惑させられるという一幕があったとか。
現れたプリエステラはゴミ捨てではなく、一人で星見をしようとしていたらしい。あの場所で夜空を見上げるのが彼女の日課で、たまたまあの場所に落ちてきた私達と鉢合わせてしまったのだ。
ティリビナの民は異獣である。【松明の騎士団】に所属する私達と出会ってしまった以上、本来ならすぐにでも争いに発展してもおかしくないのだが、そうはならなかった。私が松明の紋章を刻んだ鎧を黒衣の中にしまっていたこと、そしてハルベルトがその左右非対称の両耳を露わにしていたことがその理由だ。ティリビナの巫女だというプリエステラは、特異な身体的特徴を抱えたハルベルトに興味を抱いたのである。
突然変異。その共通点が、プリエステラからの友好的な歓待を引き出した。私とハルベルトは彼女に案内されるまま集落へと赴いた。
残る二人との合流は比較的簡単に成功した。私達はプリエステラに自分たちが探索者であると説明した後、単眼巨人に襲われて分断された経緯と二人と合流したい旨を伝えた。
彼女はハルベルトの頼みを快諾し、下までの案内を引き受けてくれた。先導に従って坑道へ入る直前、私は二着のローブをハルベルトの仮想使い魔に持たせて真下にいる二人の下へ届けた。使い魔に託された伝言を受け取った二人は、私と同様に【夜の民】の振りをしてプリエステラを加えた私達と合流する。勿論、プリエステラが衣の中を改めようとすることなど無い。【夜の民】に対してその内側を覗き込もうとする行為は、最大限の非礼に当たるという常識があるからだ。眷族種の守護天使に対する信仰的理由や特有の生態に関するタブーはそれぞれに存在する。それを尊重し合わなければ、とても複数の眷族種が同じ場所で共存することなどできはしないのだ。
――だが【松明の騎士団】はかつて【ティリビナの民】に対してその最大の禁忌を犯し、眷族種としての権利を剥奪した。彼らの最も尊い信仰対象であり故郷であり命そのものでもあった大森林を焼き払い、不毛の砂漠に変えるという暴挙によって。
ミルーニャはともかく、修道騎士である私達はその身分を隠さなければ戦いが避けられなかっただろう。
私、そしてハルベルトもこの場での戦いを望んではいなかった。できれば【ティリビナの民】を異獣と見なして倒すことすらしたくはない。
何故なら、それは私達すべての眷族種が明日には転落しているかもしれない未来だからだ。厳正な序列化。徹底した監視社会。大神院に、槍神教に刃向かえば待っているのは『人ではない』というラベルとあらゆる権利の剥奪だ。地上世界そのものを敵に回すという恐怖には誰も逆らえず、さりとて情報化が進んだこの世界で『人ではない』異獣たちを単純に憎み殺すことも難しい。
回想を終えて現在に意識を戻すと、私は並んで歩くメイファーラに視線を向けた。過酷な環境下でも営みを続けるティリビナの民たちは、彼女の天眼にはどう映っているのだろう。
「あたしもね、防衛戦で蜥蜴人と結構戦うんだけど。最初の頃は結構しんどかったな、やっぱり。周りの
メイファーラは、どこか寂しげな響きを滲ませて口にした。そっと前髪に隠された額のあたりに手をやり、外側からは見えない『天眼』の輪郭をなぞる。頭頂眼という器官を有する彼女のような【天眼の民】と地獄の異獣である蜥蜴人との間に、実際の種族的差異は殆ど無い。霊長類で言えば肌色の違い程度でしかない人種の差。外見が霊長類に近いかどうかで異獣かそうでないかが決定される。それが序列第七位である【ジャスマリシュの天眼の民】の現実だ。
「第八位のボロブ人は【騎士団】の主戦力だから転落の心配は無いし、第九位は不動の霊長類だからね。正直、ティリビナの人たちを見ていると怖いなって思う。第七位のあたしたちからすると、明日は我が身っていうか、他人事じゃ無さ過ぎて身につまされるっていうか」
「――わかるよ」
静かに口にして、すぐに軽率な言葉だったと後悔する。けれど、紛れもない本心だった。メイファーラはフードの内側から穏やかな視線を送りながら、そっと問いかけた。
「人狼種をほとんど滅ぼしちゃったこと、後悔してる?」
「してない。生き残るためにはあの道しか無かったと今でも思ってる。戦って勝ち取らないと――勝ち続けて最下層に到達しないと、私の望みは叶わないから。たとえ同じ夜と月の加護を受けた眷族でも、彼らを滅ぼす事は避けられなかった」
私が実力において圧倒的な隔たりがある魔将エスフェイルを倒せたのは、種族的な特性とフィリスという切り札があったからだ。【天眼の民】と蜥蜴人。【夜の民】と人狼。かつて同じように地上で生き、大神院の切り分けによって眷族種と異獣とに分かたれた同属。
本質的に同じ種族であったからこそ、私はかの高位呪術師の本質を捉えることができたし、あの恐るべき影の呪術を無効化できたのである。
それを否定することは、残された私達全員の生活を否定するということだ。だから私は、異獣として目の前に現れた敵を打ち倒さなくてはならない。たとえそれが
「エスフェイルは仲間の仇でもあったし、躊躇いは無かったよ。殺した時には晴れ晴れとした気持ちにすらなった。だから、きっと私は天の御殿には行けないだろうなって思う。私の行き着く先は、地獄なんだ」
それならばそれでいいと、私は思う。迷宮を踏破して最下層に辿り着き、妹ベアトリーチェの魂を救うことさえできれば、その後は世界を滅ぼす火竜メルトバーズの業火に焼かれて永劫の苦痛に囚われることになっても構わない。
「そっか――ねえアズ」
「ん?」
「怖いね。地上は」
「そうだね」
修道騎士である私達は、命じられればその通りに異獣を倒さなければならない。
私達は特権者だ。地上の誰もが、被害者意識を抱えた加害者であることから逃れられない。病的なまでの保身主義と利己主義。それが呪わしいこの地上世界の掟だ。
逃れられぬ罪業を抱えながら、修道騎士たちは誰もが一つの結論を胸に戦っている。大神院は殉教者たちの魂は天の御殿に召されるであろう、と美辞麗句と共に謳う。私もまた、マロゾロンドの使徒として市井の人々にそれを保証する。
嘘っぱちだ。修道騎士は死ねば地獄に堕ちる。同族を殺し、裏切り、保身に走る。その魂は迷宮の闇に飲み込まれて消滅する。それが末路。
ティリビナの民たちの祭儀が、間もなく始まろうとしていた。俄に活気づく広場を、私達はどこか遠い距離感で眺め続けた。
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