3-24 魔女と英雄②


 闇を喰らうねじくれた大樹が坑道内の床や天井を這い回り、浸食された場所が仄かな燐光を放つ。呪鉱石の影響下にあるこの場所の植生は異常発達した特有の種を生み出す。『暗い』という事象から呪力を引き出す特殊な植物はその呪力を光に変換して放出していた。うっすらと緑色を帯びた光が樹木の民たちの仮宿を照らしている。


 子供と思われる小さなティリビナの民が手に木の枝を持って走り回っていた。武器に見立てて打ち合いでもしているのかと思えばそういうわけでもないらしく、枝先で相手を突いたり、かと思えば蹴り飛ばしたり、その後で岩陰や樹の陰に隠れたりと、傍目からはその遊びのルールは判然としなかった。


「ごめんね、騒がしくって。みんな元気が有り余ってるんだよ。なにせ日光浴が最大の娯楽で贅沢って状況だからさ。それでどうにか生きて行けてるわけだから、私達はまだ恵まれてるんだろうけどね」


 プリエステラは、岩を円形に削りだした卓に陶器の湯飲みを並べた。お茶を注ぐ様子を見ながら、疑問を口にする。


「こういう、陶器とかお茶とかって、自給自足なんですか? この、使わせて貰っているクッションもですけど、なんだか結構物がありそうな」


「ああ、それね。定期的に運び屋さんが来てくれて、色々持ってきてくれるんだ。友好的な探索者の人とか、私達のこと研究したい大学の研究員の人とかがこっそりとね。木彫りの呪具とか祝福祈祷とかと物々交換したり呪術交換したり――あ、これ内緒ね。ばれたらあの人達も大変な事になっちゃう。ただでさえこんな奥地にまで危険を承知で来て貰ってるのに、迷惑はかけらんない」


 口を覆うような仕草をして、プリエステラはそう言った。私だってそれは本意ではなかったから、絶対に口外しないと約束する。他の皆も同様だった。


 唯一その反応が気になったミルーニャもその場では一応同意してくれたのだが――どうしてか、ミルーニャは得心のいったように「そういうことか、あの馬鹿」と呟いて、忌々しげに舌打ちをしていた。

 お茶を飲みつつ、話は私達の事に移っていった。


「金箒花なら、近くに群生地があるのを知ってるけど」


「本当ですか」


「うん。辺り一面ずーっと金色って凄い綺麗な場所。採取にはもってこいじゃないかな。きっとすぐに必要な分が集まるよ」


「本当でしょうか。そんな場所があるなんて、聞いたことがないんですけど」


 ミルーニャが疑わしげに呟く。とはいえ、探索者たちが有する情報のネットワークにも漏れはある。パレルノ山や第四階層以降の危険度の高い場所では特に。


「私達しか知らない、森を分け入った先にある場所だから。それにしても、ミルーニャちゃんだっけ? お父さんの遺志を継いで錬金術師として頑張ってるなんて、立派だね」


 プリエステラからの純真な目を向けられて、ミルーニャが少したじろいだように見えた。直前まで殺すべきだと言っていた相手に好意を向けられるというのは、どんな気持ちなのだろうか。私は二人の様子を慎重に注視した。


「別に――そんなに立派なものじゃないですよ。ただ遺産を有効活用しただけで。自分が生活していく為です」


「それでも、依頼の為にわざわざこんな危険な場所まで来るのは志が高いからなんじゃないの? 普通の探索者はここまで深まった所には来ないよ? まあ、【騎士団】の連中も来ないからこそ私達も暮らせてるんだけど」


 その言葉に内心ぎくりとしてしまった。ミルーニャは一見して表情が変化していないようだったが、ぼんやりと緑色に照らされる暗色のお茶の水面を見つめながら、どこか虚ろな声で、


「志なんて――理想や夢想に意味が無いとまでは思いませんけど、あまり口にしたい言葉じゃないですね。お金と力、そして名声。それが全てではないにせよ、それが無いと理想を口にすることすらできない。別に、露悪とかそう言う事じゃなくて」


「うんうん。わかる、わかるよー! ちっちゃいのにしっかりしてて素敵だなー! ミルーニャちゃん、抱っこしてあげる、抱っこ」


「や、止めて下さい、何ですかあなた!」


 ミルーニャの外見は小さな女の子にしか見えない。ぎゅっと抱きしめようとするプリエステラと、必死に抵抗するミルーニャ。殺意や敵意が入り込む余地が無さそうなその様子に、ほっと溜息を吐く。気がつくと、左右でハルベルトとメイファーラが似たような思いを抱いていた様で、なんだかおかしくなって笑ってしまった。


「あーもう、何なんですか! みんなして、訳がわからないですよ! ちょっとそこの口先根暗女、この人あなたの担当でしょうが! 早く引き取って下さい!」


 意地の悪いハルベルトはひとしきりミルーニャの弱った姿を堪能すると、ようやくプリエステラに話しかけた。解放されたミルーニャの恨めしげな視線。どうやら殺意に関してはミルーニャからハルベルトへのものを警戒した方が良さそうだ。


 ハルベルトとプリエステラは金箒花の群生地の情報や、周辺の地形などについて詳しく話し始めていた。そこにメイファーラが加わって、その辺りの怪物たちの生態や数などについても質問し、群生地までの侵入経路を組み立てていく。

 私はぐったりとしているミルーニャに近付いて、そっと声をかけた。


「大丈夫?」


「ええ、まあ。人にべたべたされるの、あんまり好きじゃないんです。露骨に嫌がると空気壊すから我慢はしましたけど、正直しんどいですね」


 その割には、私には所構わずひっついてきていたような気がするのだけれど。

 疑問が態度に出たのか、ミルーニャは途端にいつもの調子に戻って。


「やだもうアズーリア様ったら! 勿論、触れても平気だと思える人なら大丈夫なんですよ? 許せるって自分で思えるなら、もうどんなことだって!」


「どんなことってどんなこと?!」


「えっ、知りたいんですかそれとも言わせたいんですか、やだもーこんな大勢の前で恥ずかしい! アズーリア様の変態さん!」


 変態と言われてしまった。

 何となく分かってきたのだけれど、ミルーニャのこうした態度は彼女の本来の顔ではないのだろう。人と接する為の仮面。誰しもが持つ、外面とか建前とかいった、自ら演出する人物像。媚態を含んだ明るさの裏側は、多分私が想像していたものよりもずっと乾いているのかもしれなかった。

 お茶を飲み終えたあたりで、プリエステラが切り出した。


「私の父は今の長老の甥でね。それなりに有力者で力もあったけど、突然変異で生まれた私を持てあまして、最初は余所に預けたの。だから私、小さい頃はみんなと一緒には生活できなかった。ずーっと呪術の勉強して、レルプレア様と交信する巫女の修行に明け暮れてた。ここに戻ってきたのはつい最近なんだ」


 意外――というわけでもなかった。プリエステラはこの集落で、非常に敬われているようだったが、同時にどこか距離のある接し方をされていたように思う。口々に挨拶を口にするティリビナの民たちは、ただ一人の巫女という存在を扱いかねているのではないかと思えた。


「正直、あんまり馴染めなかったよ。今もあんまり馴染めてる気がしないんだ。地上を追い出されて、地獄にも居着けなくて、色んな場所を行ったり来たりする放浪生活。私達は家屋を作って生活しない。だから『自分が立っているここが居場所だ』っていう強い確信があるんだ。そのおかげであの翼猫のラベリングを無効化できるから、自由に地上と地獄を行き来できる。まあ、居場所が無いってことでもあるんだけど」


 それが漂泊の民、ティリビナ人の特殊な呪的性質だった。このために敵側の間者ではないかと双方から疑われ、居場所を失っていくという救いのない連鎖が生まれる。それは、どこでも生き抜くことができる逞しさの反映でもあったけれど。


「どうしてお前はそうなんだって父親には怒られたよ。巫女としての仕事はちゃんとやったのにって思った。祭儀をこなして、樹液から呪力を抽出したり雨雲を呼んだり、日照りを弱くしたり虫にお願いして土を軟らかくしたり、あとは枯れちゃった人の弔いとか、お母さんになった人から株分けしたりね。でも、お前はそうやって周りを見下してるんだ、だからいつまで経ってもなじめないんだって殴られた」


 ひどい話だと思った。私にとって、家族とは優しく暖かいもので――そういう家庭もあるということは知識としては知っていても、実感としては受け入れがたい。プリエステラは苦笑いしながら続ける。


「で、この前あっけなく死んじゃった。不用意に怪物の縄張りに踏み込んで、ぺろり。死体が原型留めて無くてさ、私があげたお守りを握りしめた手だけが見つかったの。効果、無かったみたいだけど」


 明るく笑うプリエステラの表情に、陰は無い。その事が、かえって彼女の内心を表している様な気がして、私は静かに深く息を吸い込んだ。

 

「家族に暴力を振るう父親なんてクズですよ。死んで正解でしたね。良かったじゃないですか。あなたは幸福になったんですよ」


 ミルーニャの毒舌はこの場で口にするにはあまりにも無神経なものだったが、不思議とその声に悪意の棘が感じられない。むしろ、彼女はその言葉を心の底から口にしているようにも聞こえた。ミルーニャは、誰かの家族が死んだ事を心から祝福しているのだ。プリエステラは気分を害した様子も無く、むしろ同意するかのように頷いて、


「うん。私も、正直胸がすっとした部分があったよ。やった、これであのクソ親父から解放されるってね。ずっとほったらかしにしてた癖にいまさら父親面してあれこれ口を挟んだ挙げ句、貴重な祭儀用のお酒を持ち出して昼間から飲んだくれて、それを咎めると暴力振るうような人だったし――」


「最低のクズですね。縋るものが男親としての権威と暴力しか無いんでしょう」


「でしょ? そう思うよね?!」


 何故かミルーニャとプリエステラは意気投合している。何か響き合うものがあったようだ。ふと、ミルーニャの親子関係も絵に描いたようなものではなかったのかもしれないと思った。

 プリエステラはひとしきり父親を罵倒した後、晴れやかな表情のままで言葉を繋ぐ。


「でもね――それでも父親なんだ、やっぱり」


 それから、彼女は坑道の外に私達を連れ出した。皆が騒がしく祭りの準備をしている光景が広がる。広場の中央に、巨大な捧げ物が鎮座しているのが見えた。


「その日暮らしの私達はこういう幸運があるとその場の思いつきで祭りを始めちゃうの。森の精霊たちと樹木神レルプレア様からの贈り物だってね。これは、今日の昼に見つかって、そのままみんなで運んで来たんだ」


 プリエステラが指差す先には、途方もなく大きな神への奉納物――死体があった。

 長大な体躯、緑色の硬質な鱗、半ば融解した頭部は失われ、その恐るべき両の目は存在しない。

 蛇の王バジリスク。熟練の探索者ですら戦闘を回避するパレルノ山の怪物が、無残な屍を晒していた。


 そこに呪物としての意味を見出すティリビナの民にとってそれは天からの――森からの贈り物というわけだろう。しかし、見たものを石にしてしまうような怪物をあのように屠る存在がこの近くにいるというのはぞっとしない話だった。


 蛇の王バジリスクは、パレルノ山において三番目に出会ってはならない怪物。この地における生態系の頂点では無いのだ。


「あんな風に、頭部だけを狙って一撃。その他の全身は食べるでもなく放置。そして溶けたような痕――まあ、こんなやり方をする化け物はこの山には一種類しかいませんよ。一種類っていうか、一体だけですけど」


 ミルーニャの断定を聞いた私の胸に、冷たいものが去来する。

 パレルノ山で遭遇してはならない怪物。その第二位。

 固有種、舌獣イキュー。その長大な舌であらゆるものを舐め、溶かし、食らい尽くす味覚の怪物。高い呪力を宿した存在を『甘い』と認識し、どこまでも心震わせる甘味を追求する獰猛な美食家。


 食べ物の好みに関しては気が合いそうだが、間違っても遭遇したくはない相手だった。蛇の王バジリスクは、その高い邪視能力と情報が詰め込まれた脳と体内呪石を丸ごと食い尽くされたのだろう。


「父はその化け物に殺されたの」


 プリエステラの言葉に、その瞬間だけ激しい感情が込められた。それは怒りだったのか悲しみだったのか、それとも憎しみだったのか。その正体が何であれ、プリエステラは一つの意思を胸に抱いていた。遺された者は、それをせずにはいられない。エスフェイルに殺されていった仲間達の事を、少しだけ思い出した。


「金箒花の群生地、その場所を教えてあげる。その対価として、あんた達には私の復讐に手を貸して欲しい。倒して得られるものは全部渡す。だから、あたしにイキューを倒す機会を頂戴」


 プリエステラはそう言って、頭の花弁が私達によく見えるように、深々と腰を曲げた。それが樹妖精にとって最上級の礼の尽くし方なのだと、ハルベルトによって定着させられた言語データに含まれていた『仕草』に関する知識が私達に教えてくれた。



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