3-19 言の葉遣いは躊躇わない⑭




「あいつ、厄介事持ち込むだけ持ち込んで、押しつけて逃げるとか――後で実家に慰謝料請求してやる!」


 ミルーニャが眼鏡のフレームを震わせながら憤然と吠えるが、その『後で』もこの場を乗り切らなければ訪れない。

 無数の骨片が伸びて単眼巨人の体内に入り込むと、死んだはずの肉体が再び動き出す。メイファーラが短槍を突き出すが、瞬時に再生した単眼は濃密な呪力を放出して刺突を停止させた。大気――あるいは空間そのものを束縛したのだ。


 巨大な単眼が、金色に染まっていた。全身から白い骨のような先端が突きだし、より攻撃的で獰猛な輪郭を形作っている。変貌した死せる単眼巨人は棍棒を振り上げてメイファーラに凄まじい一撃を叩きつけた。


 咄嗟の判断で短槍を手放して後退する。前衛として突出していた為にミルーニャとぶつかる事も無く回避が成功したが、そのまま後退し続けることはできない。

 何故なら、脅威はそれで終わらなかったからだ。


 最後尾にいる私の背後から、重い地響きを立てて何かが近付いてこようとしていた。予感と共に振り返ると、そこには金色の瞳を光らせた単眼巨人。それも、骨の花に寄生されて呪力を増した個体である。


 挟撃。想定しうる中で最悪の状況だが、このために私が殿を務めていたのだ。

 邪視が発生させる重圧の中、自ら呪文を紡ぐことが無理だと判断した私は魔導書に【空圧】の発動を命令し、自分は槌矛を構えて突撃する。


 大気を引き裂いて進む衝撃をものともしない単眼巨人に歯噛みしつつ、私は疾走の勢いに任せて槌矛を振り抜いた。

 そして、空振りの感覚に総毛立つ。


 単眼巨人が選んだ行動は後退しての回避でもなく、その場に留まっての棍棒による防御でもなかった。上への移動。より能動的な攻撃の為の準備行動。すなわち、跳躍によって後衛の目の前に降り立ったのである。


 単眼巨人は私の接近を認識した瞬間、手に持っていた棍棒を高く投擲した。その得物を即座に邪視で空中に固定、高く跳躍すると棍棒を足場にしてもう一度大きく跳ぶ。私の頭上を一瞬のうちに飛び越して、背後にいるハルベルトの目の前に着地したのだった。


 一瞬のうちに、私の思考を後悔と恐怖が駆け巡っていく。迂闊な前進。後衛としての力量不足。前衛としての誤判断。殿を任されたのに。でもハルベルトなら少々の事があっても大丈夫な筈だ。


 そう、問題は無い筈だ。今は窮地に見えるが、いざとなったらハルベルトがその圧倒的な実力でなんとかしてくれる。あろうことか、この状況でもまだ私には心の中に余裕があった。それは甘えとでも呼べるものだったのだと思う。


 最初に出会った時、ハルベルトは骨の花を一撃で破壊してみせた。異獣憑きの使い魔をたった一種の呪文で打ち倒してみせた。今回もそうなるに決まっている。

 無邪気な信頼は、しかし一瞬で打ち砕かれた。


 棍棒による横薙ぎの一撃。壁に向かって叩きつけられた細い身体が嫌な音を立てて岩壁にめり込んでいく。防御の呪術を展開していたのか、外傷こそ負っていないようだったが、僅かに身体を傾けた単眼巨人と壁の間に見えるハルベルトは顔面蒼白に見えた。


 不可視の障壁が圧倒的な質量によって軋み、今にもその脆く儚い身体に叩きつけられようとしている。間近に迫った肉体の破壊と破滅的な痛み――その恐怖に耐えきれず、ただ震えるばかりで何も出来ずにいる。


 ありえない、と私は思った。あんなにも圧倒的な呪文を操る言語魔術師、厳しいが紛れもなく優れたやり方で私を教え導いてくれていた師匠が、あんなふうに追い詰められるなんてことは、たとえ目の前で起きていたとしても信じられなかった。


 だがそれは幻影ではない。

 私は、自分がフィリスという存在によって無理矢理に全ての性能を底上げしている特例であることを思い出した。中衛という存在は、基本的には珍しいのだ。


 純粋な後衛職であるハルベルトは、アストラル界やグラマー界では圧倒的な強者であっても、物質マテリアル界では脆弱な少女でしかない。この四人の中で最年少だという事実を、改めて思い出す。


 物理攻撃では埒が明かないと判断した単眼巨人が、棍棒を離して邪視に注力する。効果範囲を絞り、より限定された箇所に集中して力を発現させたのだ。

 

「あ――ぐぅ」


 ハルベルトが喉を押さえて呻いた。

 その身体が、ゆっくりと持ち上げられていく。

 束縛の邪視で首を凝視することによって、呪術障壁を貫通して縊り殺そうとしているのだった。


 喉を押さえるというのは呪文使いにとって最も有効な攻め手でもある。

 助けに入ろうとするが、単眼巨人の背中に寄生している骨花、その中央に象嵌された金眼が光を放ち、私をその場に釘付けにする。


 ハルベルトの漏らす苦悶の声が途切れていき、口から唾液と泡が混じって零れそうになる。

 このままでは遠からずハルベルトは窒息するか首の骨が折れるかして死んでしまうだろう。


 メイファーラはどうにか残された盾でもう一体の単眼巨人を相手にしているし、ミルーニャは呪石弾で仲間を巻き込む事を恐れてスリングショットを構えたまま動けない。


 発動の範囲を絞ったり指向性を与えたりする呪石弾と組み合わせれば良いのだが、その場合射線上にいる私が邪魔なのだ。貫通した【爆撃】が単眼巨人ごと私を焼き尽くす事を懸念して、ミルーニャはハルベルトを助けられずにいた。足手まといという意識が身体を震わせた。


 ミルーニャは舌打ちしながらスリングショットを下ろして、意を決したように単眼巨人の方へと接近する。後衛の無謀な突進。突き出された徒手空拳の行き先は、見上げるような巨体ではない。ハルベルトの首の前に差し出された細い左手首が、軋むような音を立ててへし折れる。


「この――口先フード女っ! びびってないで呪文くらい唱えて下さいよっ」


 骨折の苦痛に表情を歪ませてミルーニャが叫ぶ。

 己の肉体を身代わりにしてハルベルトを救い出した彼女は、用意していた呪符を発動させると眼前に目をイメージさせる紋章を展開して邪視を一瞬だけ相殺し、その隙にハルベルトを後ろに引き倒して自分が前に出る。


 邪視の重圧に耐えきれなくなった呪符が破れるのと同時に、丸太のような棍棒が勢いよく振り下ろされた。

 ミルーニャはすっと眼を細めて、折れた左腕を頭上に掲げて棍棒の動きに逆らわず、そのまま僅かに重心をずらして超質量の一撃をいなした。


 更に悲惨に砕けていく左腕。

 激痛のためか、額に脂汗を浮かべながらも、ミルーニャは次の動きに移行する。

 だん、という激しい足の踏みならしによって大地から呪力を引き出すと、そのまま流れるように右足を振り上げていく。


 敵の物理攻撃を受け流しながら、靴型杖による呪力の導引、そして反撃。絵に描いたような初級呪術【報復】の流れである。

 絶妙な軸足のバランス、完璧な腰の捻転から繰り出される上段蹴りは鮮やかですらあった。


 呪術と組み合わせた特徴的な攻防一体の型は、ミアスカ流脚撃術のものと見て相違ないだろう。

 神話の時代に天使セルラテリスが人に伝えたとされる古武術で、現代でも両手が塞がっている射手が接近された時によく用いるという。


 凄まじい衝撃が単眼巨人の脇腹の急所に吸い込まれ、反射的に屈み込んだ隙を逃さず腰から引き抜いたナイフを一閃する。

 棍棒を握っていた手の親指が切断され、単眼巨人は重量物を支えきれずに取り落としてしまう。


 続いて眼球への刺突を繰り出そうとするミルーニャ。

 だが、彼女の奮闘もそこまでだった。

 背中から射出された骨片が、ミルーニャの眼鏡にひびを入れる。

 途端、邪視耐性が極端に低下してその動きが停止してしまう。


 痛撃を与えられたことに怒りを感じているのか、単眼巨人は無事な方の拳を固め、そのまま身動きの取れない少女の腹部に思い切りねじ込んだ。

 血と唾液、そして胃液の混じった吐瀉物が吐き出される。


 ハルベルトが用意した色鮮やかな昼食――消化されかかったそれらが、無残にも吐き出されてこぼれ落ちていく。

 再び、巨大な拳が少女の腹部に吸い込まれた。骨の砕ける音。そして、内臓が損壊していく音。人間が破壊される音が断崖に響いていく。


「が、え――ぐぅ」


 声を出すことはおろか、意識を保つのも難しいような激痛だろうに、ミルーニャは攻撃的な視線で単眼巨人を睨むことを止めなかった。強大な呪力を放出する邪視に負けまいとするように、強くその瞳に意思を宿す。


 血に汚れた唇が、ゆっくりと音の無い形を作る。

 たった一言。

 死、ね。


 その意味を理解せずとも、込められた敵意は充分に伝わったのだろう。単眼巨人はより一層その視線に呪力を込めてミルーニャの身体を締め上げながら、その命を終わらせるための拳を高々と振り上げた。


 駄目だ。

 間に合わないという現実を受け入れるなんて、もうできない。


「遡って――【フィリス】!!」


 左手の装甲を分離して金鎖を解放する。残り五つ。解放された無彩色の左手が、私を釘付けにしている金眼の呪縛を消滅させた。そのまま全力疾走して、槌矛を突撃槍のように構えて単眼巨人の方へ向かう。全体重を乗せてぶつかった。


 一瞬の浮遊感。

 私は単眼巨人ごと崖下に転落していった。こんな時まで魔導書は背後を追随してくるのが、少しおかしかった。


「あ――駄目! アズーリアッ!」


 弾かれたようにハルベルトが立ち上がり、あろうことかそのまま崖下に飛び込んだ。宙に身を躍らせるその表情に、先程までの怯えは無い。

 風圧でフードがばさりと持ち上がって、その頭が露わになる。

 流れていく綺麗な黒髪。


 そして、あるものを見て私は目を丸くした。

 だがそんなことには構わず、ハルベルトは墜ちながら素早く呪文を詠唱して仮想使い魔を顕現させる。


「【選択的重力の猫バタードキャット】」


 出現した仮想使い魔は、バターを塗ったトーストを背中から二つ生やした、奇怪な翼猫。あの迷宮の審判を自称する奇怪な存在をよりユーモラスにしたような姿の幻獣はその場で翼をぐるぐると回転させ始めた。


 落下速度が急激に減少し、くるくると周りながら次第に安定した状態になっていく。緩やかな降下により、墜死する心配が消える。落ちてきたハルベルトは私に抱きつくと、そのまま腕を後ろに回して強く身体を引き寄せた。


 しかし、脅威が去ったわけでは無かった。束縛の邪視を発動させて己の身を空中に固定させた単眼巨人が、その野太い両腕でゆっくりと落下する私達に襲いかかろうとしていたのだ。


 私はハルベルトを左手で抱えながら、右手の杖を展開する。放たれた拘束呪術の帯は崖の上に向かい、今まさにメイファーラを叩きつぶそうとしていたもう一体の単眼巨人の足に絡みつく。そのまま引きずり下ろした。どうせ落下するのだから、まとめて叩き落としてしまえばいい。


 空中戦と言うには少し奇妙な光景。

 二体の単眼巨人と私達との、緩慢に落下しながらの戦いが始まった。

 魔導書から牽制の呪術を放ちながら敵の接近を妨げ、杖を振り回して単眼巨人同士をぶつける。その間に詠唱を完了したハルベルトが高らかに叫んだ。

 

「【砂男ザントマン】よ」


 ハルベルトが新たに呼び出した袋を背負った小人が、背中の袋から砂を撒いた。邪視を遮る煙幕が束縛の呪力を断ち切り、体勢の崩れた単眼巨人たちが無防備に落下していく。その隙を狙って砂男は巨大な単眼に砂を投げ入れていく。途端、その眼がとろんと落ちていき、やがて完全に閉じてしまう。邪視を無効化するだけでなく、相手を眠らせる能力まであるらしい。


「アズーリア、今のうちに」


「はい!」


 魔導書と同時に高威力の呪文を紡ぎ、一気に解き放つ。巨大な【爆撃】が二体の単眼巨人を空中で焼き払った。爆炎の中から、バラバラになった骨花と単眼巨人の死骸が落ちていく。だがそれは一体だけ。


 腕を傷つけて棍棒を失った片方は既に役立たずだった。合理的に仲間を盾にして生き残った単眼巨人の背中で骨花が金眼を光らせる。本体が眠っても、寄生している方は眠らなかったのだ。金色の目が光り、呪力が空中を走り抜けた。


 骨片が雨のように降り注ぎ、装甲をがりがりと削っていく。強大な邪視に耐えきれず、呪動装甲が悲鳴を上げているのがわかった。相手が腕を振り上げるのに合わせてこちらも杖を変形させる。


 振り下ろされた棍棒がこちらの槌矛とぶつかり合い、強度で勝るこちらが相手の木製の武器を真っ二つに割り砕いた。

 しかしそれが仇となった。砕かれた木の欠片を凝視した金眼が鋭く視線を巡らせる。骨花の視線移動に従って横移動した鋭利な尖端が、私の腕を迂回してハルベルトの腹部に吸い込まれる。


 串刺し。そして、背中から抜けた。

 血を吐いてぐったりとするハルベルト。同時に幻獣達が消える。単眼巨人が目覚め、落下速度が増大していく。左手で必死に傷口を押さえた。感じるのは、強い焦り、怒り、悲しみ、嘆き、そして――絶望。


 束縛の邪視に捕らえられる。頭上で割れた棍棒を振りかぶる単眼巨人。空中で逃げ場は無い。次の一撃を凌いだとしてもこの位置関係だと巨体に押しつぶされて私とハルベルトは死ぬ。


 瞬間的な判断だった。

 魔導書に命じて背後から自分自身に【空圧】を放ち、上方向に加速する。

 背中に凄まじい衝撃が走り肺が圧迫されたが、構わずに槌矛を突き出す。

 

 鋭い尖端部分が見開かれた巨大な単眼ごと背中の骨花を貫いた。

 そのままもう一度真横から【空圧】の一撃。

 体勢を崩して、位置関係を入れ替える。

 私とハルベルトが上になり、槌矛を引き抜いて単眼巨人を蹴飛ばした。


 変形させた杖から拘束呪術の光を伸ばして壁に接続。

 引き寄せられて、勢いよく岩壁に叩きつけられる。

 衝撃で呪術が解除されて、私達は岩壁を転がりながら崖下へ落ちていった。

 意識が闇に包まれていく。




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