3-17 言の葉遣いは躊躇わない⑫




 いかに恐るべき古代の怪物たちが徘徊するパレルノ山といえど、そこには一応の生態系が築かれている。

 怪物たちが餌とする小動物や昆虫、植物に呪鉱石。


 今まで通ってきた道にもそうした無害な生き物たちは至る所に見られた。

 中には古代に絶滅した稀少な種もいたかもしれない。

 幾度かの戦闘を繰り返し、順調に金箒花の採取を続けていた私達はいつしか山道の入り口からだいぶ離れた場所まで辿り着いていた。


 装着し直した甲冑の足で、ひび割れた土を踏む。しばらく前までは乾燥した大地を裂いて力強く伸び上がっていた雑草が見えていたのだが、ここの所それすら見当たらない。気がつけば、辺りの様子が一変していた。生命の音が、次第に途絶えていくのである。かわって目に付くようになったのは、無機質な灰色の塊たち。


 それらは皆、動作の途中を切り取った美術作品のように精緻な造りの彫像に見えた。しかし、その細部といい躍動感といい、どれをとっても余りにも真に迫り過ぎており、またこのような古代世界の山道にあるのが似つかわしくない代物である。


「近い――みんな、隠れて」


 メイファーラが何かに気付いて警戒を促す。全員が弾かれたように手近な大岩の陰に身を隠す。私はハルベルトに叩き込まれた呪文を唱え、四人の周囲だけに呪力の偏向を発生させた。


 しばらくすると、しゅるしゅるという不穏な音と共に何か剣呑な気配が近付いてきた。流れるように、それでいて素早く油断無く。ちろちろと真っ赤な舌を出しながら、巨大な頭部が鎌首をもたげるのが見えた。


 蛇の王バジリスク――パレルノ山には決して遭遇してはならない危険が幾つか存在するが、この途方もなく巨大な蛇はその中でも上から三番目に食い込む正真正銘の死の具現である。


 その瞳は石化の邪視によってあらゆる生物を物言わぬ石像に変え、その牙に噛まれたものは恐るべき出血毒で命を落とすか、さもなくば四肢切断級の大怪我を負う。吐き出す息はあらゆる物を絶息させる猛毒であり、緑色の鱗には並大抵の槍や槌矛では傷一つ付かない。


 昔語りに出てくる住人が全て石像の都グリザ・グローボというのは蛇の王に襲われた都市の末路であると言われている。その余りの強大さから亜竜とも呼ばれ、崇拝対象にしている集団すら存在する。


 じっと息をひそめ、気配を隠す。その間も呪文の構成を維持し続けるのを忘れない。ここでの失敗は致命的な事態を引き起こす。巨大な頭部がこちらを向いた。私達が身を隠している巨岩を、その無機質な目と鼻の間にある窪みの部分でじっと精査していく。


 【天眼の民】が有する超知覚にも似た、不可視光線の知覚能力。

 蛇の王は赤外線を感知し、こちらの体温を正確に読み取って索敵を行う。

 また強力な邪視能力があるため、生きて呪力を発している物があれば強制的に電磁波を歪曲させて遮蔽物を迂回した温度感知を行うことができる。


 単純に物陰に隠れたり、赤外線を遮蔽する布を纏ったりしても発見され、即座に邪視の餌食となってしまう。

 ゆえに、こちらも呪術によって完璧に赤外線を遮断することが必要となる。それも、相手にそれと気取られぬように、呪術の行使それ自体を隠蔽しながらである。


 これは極めて繊細な技術と集中力が必要な作業であり、私は蛇の王をやり過ごすまでの間、ずっと全身に刃を突きつけられているような緊張感を味わった。

 

「もう大丈夫みたい。遠くに行ったよ」

 

 メイファーラの言葉で、私はようやくその苦行から解放された。

 疲れて溜息を吐いた。

 もし見つかっていたらと思うとぞっとする。


 このパレルノ山を不用意に訪れた探索者の多くはあの怪物に殺されるか石の像に変えられてしまう。それでも死亡ではなく石化であれば助かる見込みが無いわけでもない。もっとも、探索者協会に加入済みであり、高い保険料を払っていて、捜索隊に見つけて貰うという幸運に恵まれれば、という但し書きが付くのだけれど。


「それなりに呪文の維持が安定してきてる。今みたいな状況で精神集中を続けられるなら、維持に関しては及第点をあげてもいい」


「本当ですか!」


 師から発せられた賞賛の言葉に、思わず喜色を露わにしてしまう。

 ハルベルトは不用意な発言を後悔するように「調子に乗らない」と諫めるが、それでも私は浮き立つ気分を抑えきれなかった。


 私は感情の制御が下手で、挑発されればすぐに激昂してしまう悪癖があるが、これも似たようなものだ。

 嬉しいことがあるとその興奮を落ち着けるまでに時間がかかるのだ。

 辛辣でそっけない言葉ばかりのハルベルトから褒められるというのは貴重な機会であるだけに、その喜びもひとしおである。


 第一印象が良くないとか信用できないとかの要因があっても、こちらの気分を良くするような事を言われれば好感が生まれる。単純だが、私にはそういう極端な子供っぽさがあると以前ラーゼフから指摘された。嫌いな人をすぐに好きになる。好きな人をつまらないことで嫌ってしまう。


 冷静沈着な人ほど、私を馬鹿だと感じるだろう――自分でもいい加減うんざりしている所だ。それでも、私は自分の性格がそれほど嫌いではなかった。簡単に人を好きになれる――それは、こんな私でも他者を肯定できると言うことだから。それが『良いこと』のように感じられて、その時だけは自分にもちょっとはましな部分があるじゃないか、と気休めのように思えるのだった。


 私は気分良く探索を再開した。思えば、その時にはもう危険な兆候はあったのかもしれない。しかしその時の私は自分が着実に強くなっているという自信に満ちあふれていて――端的に言って、油断していた。


「うーん。この辺、呪波汚染がきっつくて視界が確保しづらいなあ」


 メイファーラがぼやく。それは、この先は索敵の精度が下がるという事を意味していた。私の背後でミルーニャがとんとん、とブーツで大地を蹴って言葉を繋げる。


「さっきからミルーニャも地脈を探ってるんですけど、近くに呪力が溜まってる場所がありますね。多分、呪鉱石が大量に埋蔵されてるんだと思います。探せば鉱山妖精ノッカーとかもいるかもです」


 ミルーニャが履いている革の編み上げ長靴は彼女が用いる『杖』だ。

 呪術師が用いる杖は時に『第三の足』などと呼ばれたりもするが、彼女の場合は両足で杖を扱う。


 大地に接触させて地脈――地中を流れる水や空気から呪力を引き出す事を目的とする場合、足下の接触面が広い靴の形にした方が効率が良い。デザイン性にも優れる為、現代の若い杖使いは靴で呪術を行使する事が多い。


「ということは、その上には呪力を吸った金箒花がたくさん咲いている?」


「そういうことです。楽しみですね、アズーリア様」


 しかし、それは同時に呪力の影響を受けて、出現する怪物がより強大になっていくことも意味していた。現れる怪物たちの生命力は前にも増して旺盛となり、その獰猛さ、凶暴さは入り口付近の比では無くなってくる。


 メイファーラの索敵範囲は以前よりも狭まり、より慎重な行動が必要になった。

 ミルーニャの呪石弾も無制限に撃てるわけではない。

 彼女の強力で即時性の高い投擲呪術を温存するべく、私のより一層の奮闘が求められた。


 ハルベルトの指示に従って適切な呪文を唱えていく。

 最初のような失敗も無くなり、私は成功の繰り返しに酔い始めていた。

 アキラを加えたキール隊の面々と第五階層を攻略していた時の事を思い出す。

 立ちはだかる人狼たちを次々となぎ倒し、強力な精鋭種エリートの人狼さえ打ち破る。


 勢い付いた私達を止められる者などいないように思えた。

 あの恐るべき巨狼ですらあの時の私達には叶わなかっただろう。

 今だってそうだ。


 ハルベルトが直接手を出さずとも、メイファーラとミルーニャという頼もしい仲間がいれば第六階層でだって充分に戦えるに違いない。

 胸に熱い確信を漲らせながら、私は呪文で敵集団を薙ぎ払う。


 その時に、少しでも冷静になっていれば良かったのだ。

 あの第五階層でも、最後に待ち受けていたのは途轍もなく深い落とし穴だった。その事を、どうして思い出せなかったのか。

 得てして、穴に嵌って後悔するのは落ちた後である。

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