3-16 言の葉遣いは躊躇わない⑪


 結局、課題は増え、講義が始まった。それが終わったら実践だそうだ。

 あれからハルベルトの機嫌は悪化の一途を辿り、その禍々しい威圧感はミルーニャさえもたじろがせるほどだった。もはや殺人的なまでに悪くなった目つきでこちらを睨みつつ、仮想的に表示されたボードに文字の群れが表示されていく。私は必死にその内容を頭に叩き込もうとしていた。


「宣名とは喩えるなら諸刃のナイフを鞘から解き放つようなもの」


 いわゆる呪術師にとっての必殺技だとハルベルトは説明した。同時にそれは自らの身すら滅ぼしかねない危険性を持つのだということも。


「たとえば『炎』という意味の名前を持つ者がいたとする。『自分は炎という意味の名前を持つものだ』と宣言することで、その認識が名乗ったほうと名乗られたほうの間で共有されるわけだけど」


 つまり、たとえ音声で名を告げても意味が理解されなければそれはただの音の記号でしかない。意味を沿えて伝えることで、始めて【宣名】という呪術は成立する。そしてそこには大きな落とし穴が存在するのだ。


「火種に水をかければ消してしまえる、と弱点を白状しているも同然ですよね」


「そう。でも同時に、自分は形なく周囲に広がりすべてを焼き尽くすものである、という自己認識を強固にする契機にもなりうる。自己への確信が強く、己を『消えない炎である』と認識し続けられる者にとって、名前を知られることは弱みを握られることではなく強みを曝け出すこと。そしてそれを不用意に知ってしまった方は、強すぎる認識に逆に飲み込まれることになる」


 思い出す。第五階層の戦いでエスフェイルが名乗った瞬間、狼の足下に広がる闇がその呪力を増大させたことを。

 【心話】によって伝わってきた闇の脚というイメージとエスフェイルの自己認識。それらを全員が共有したことによって、あの魔将の存在強度は飛躍的に上昇してしまった。


 フィリスが無ければ、そしてあの魔導書を受け取らなければ、名前を掌握して解体することすらできなかっただろう。まさに薄氷の上に卵を積み重ねるが如き勝利だった。


「宣名者の確信に引きずられて、相手を『自分などでは決して消せない炎だ』と思い込んでしまう。共有した認識が仇となって、自ら敵の力を強大にする現象――これが、近代以降の呪術戦闘で『宣名』が有効だとされるようになった理由。相手の名前を探り合う近代以前の呪殺合戦とは違う、名前と自己認識を押し付けることによる世界観のぶつけ合い。これは、言語魔術が唯一絶対の神秘であった時代から、邪視を頂点とする四大呪術系統のひとつでしかない呪文にまで零落した現代への移り変わりを象徴する出来事」


 私にも覚えがあるけれど、ハルベルトは普段は口数少ないのに自分の専門分野になると流暢にしゃべりだす人のようだった。


「ひとくちに呪文といっても色々ある。呪術が邪視、呪文、使い魔、杖の四大系統みたいに分けられているように、呪文の内部にも細かい分類があるし、各学派や地域、言語、時代によって色々と差が出てくる」


「それは教本で読みました。確か、火、水、地、風、槍の五大コントロールパネルですよね」


「実用面にだけ着目したひどくつまらない分類。マテリアリストの杖使い達が呪文の上っ面だけ再現しようとしてでっち上げた代物。そんなの覚えなくていい」


「あたしの田舎では色号論で教わったなー。時間を司る灰、知識を司る白、夢を司る朱、記憶を司る藍、言語を司る黒、とかそういうの。過去視とか接触感応系の邪視を覚える為に一杯勉強したよ」


 暇を持てあましたメイファーラが口を挟んでくる。


「いかにもイデアリストの邪視者たちが言いそうな観念的で曖昧な分類。杖使いたちと一緒に脳でも解剖してればいいの」


「はいはいミルーニャの提案です! 氷炎術とかビーンズ式とか、超実用的な即戦力系の呪術を覚えて簡単に戦力向上を図るのはどうでしょう!」


「氷炎術とかビーンズ式詠唱短縮術なんて化石もいい所。呪術史の講義はまた別枠でやるから、今はもっとまともな呪術を教えるべき」


「ハルさん、他系統の呪術に対して厳しい」


「ていうか今、さらっとビーンズ式使いのミルーニャに喧嘩売りましたよね?」


「というわけでアズーリア。ちょっと宣名してみて。【心話】で名前にルビを振るの」


「すみませんお師様。あの、できません」


「理由は」


「私、自分の名前の意味を知らなくて」


 私は、故郷の風習で異世界の未知なる名前を召喚された【猫に名付けられた子供】であることを説明した。

 名前を掌握されにくく、しかし宣名ができないという特質。

 それを聞いたハルベルトはしばし考え込んでいたが、やがて何か得心したように一度頷いた。


「なら、あなたはその名前の本質を、自ら解き明かさなくてはならない」


「ですが、異世界の言葉に由来する名前の本質を知るなんて――どうすればよいのでしょう」


「自分で考えて――と言いたいところだけど、考えるための切っ掛けくらいは教えてあげる。名前とは記号であり、世界に於ける存在の位置づけを示すためのもの。それ自体を掴むことが難しいなら、まずその周りに目を向けていくのが確実」


「周り、ですか?」


 ふと、既知感を覚えた。このようなやりとりが、最近もあったような。


「あなた自身を知るために、まずその周りを見て。森羅万象は連関と構造の中にある。『アズーリアでないもの』を知ることが、あなたをアズーリア足らしめているものを捉えるための手がかりとなる。あなたという輪郭はそうすることでようやく掌握できる」


 今この時、私のすぐ傍にいるのはミルーニャ、メイファーラ、そしてハルベルト。身近な仲間達を知ることが、私を知る手段になる? 遠回りこそが最大の近道みたいな訓話なのだろうか。なんとなく違うような気がした。多分、近いとか遠いとかの問題じゃない。もっと本質的な事を認識しなければならない。そんなことを言われているような――。


「アズーリア様っ! お互いにもっと知り合う為にぎゅーってしましょう、ぎゅーって! これも勉強です! 修行、訓練、鍛錬の為ですから仕方ありませんよね! そこの根暗言語魔術師のお墨付き、つまり公認です! さあアズーリア様ぁぁん♪」


 ミルーニャの暴走によって、講義はひとまず終了となった。またしても険悪になったハルベルトとミルーニャの二人をメイファーラと協力してどうにか引き離しながら、私はハルベルトに出された課題についてずっと考えていた。

 ところで、出発の直前に少し揉めた。


「ミルーニャ、汚らわしい男を運ぶのなんて嫌です。放って置いていいんじゃないですか?」


 ミルーニャが縛り上げたナトを指差しながら言った。汚物に対するような視線と口調である。ハルベルトはそれに頷いてこう返した。


「この結界はしばらく持続するからそれでいい。メイファーラ、端末から相手チームにこの場所を連絡して回収に来させて」


「了解です。でもハルさん、結界はどうするんですか? それに罠を警戒して来ないということも」


「結界の解除コードを言うから、それも沿えてメールして。それと、自分の命惜しさに仲間を助けるのを躊躇うような事はあの男のプライドが許さない筈。アズーリアにあんな事を言った手前、必ず来る」


 ハルベルトの言うとおり、端末には即座の返信があった。ナトの安否をまず確認し、こちらへの敵意と罵倒が続く。この様子ならすぐにここまでやってくるだろう。迎え撃ってもいいのだが、主旨は素材の採取である。そして厄介な異獣憑きの高位序列者を二人同時に相手にするには今の私では力不足だとハルベルトにはっきりと宣言されてしまった。


「心配しなくても、これから強くしてあげる。そんなことはいいから、移動しながら呪文の暗記。次の戦闘で試すからちゃんと覚えて。大事なのは反復」


 それに相手チームがこの場所に向かう時間は足止めにもなる。こちらはナトの撃破によって大きく有利になっているのだ。最後はハルベルトに頼ってしまったとはいっても、私は着実に力をつけている筈。自分にそう言い聞かせて、私たちはその場所を後にした。


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