3-15 言の葉遣いは躊躇わない⑩
メイファーラは心の優しい人だ。無言でもそもそと食事を続けるミルーニャを見かねて、恐るべきお師匠様に「食事中くらい、あの子にかけた沈黙を解除してあげてもいいんじゃないです?」と上申してくれた。ああ、怖くてそれを言えなかった私を、ミルーニャは恨むだろうか。自分の身可愛さから仲間を犠牲にして恥じない、この愚か者を。
「もがもが――ぷはっ! もー最悪ですぅ! 何なんですかどうなんですかこの扱い! ミルーニャは依頼主なのに、アズーリア様の婚約者なのにー!」
何を言っているんだろうこの子は。もうしばらく黙ってれば良かったのでは。
「おっとこれはまだミルーニャの脳内々で進めてたお話でした。くれぐれもナイショにして下さいね皆さん」
人はそれを妄想と言う。
「はああん、アズーリア様のミレノプリズムで心のパネルをロールされたいです♪」
「ばかじゃないの」
全ての人類を代表して、ハルベルトがミルーニャの妄言を斬って捨てた。途端、両者の間にギスギスした空気が生み出される。この二人なんでこんなに相性が悪いんだろう。
「あなたを見ていると、どこかの頭が年中春なぽんこつきぐるみを思い出すの。はっきり言って、鬱陶しい」
「はあああ? 意味が分からないんですけど? 言語魔術師のくせに言葉の扱いがなってないんじゃないですかー? あ、そっかー。あなたってそんなにコミュニケーション障害気味だからー、使い魔を支配できなくてわざわざ呪文で再現とかやっちゃってるんですねーぷぷぷー。良かったですねーコミュ障でも呪文のスキルがあって。無かったら人として終わり過ぎてて、ミルーニャだったら生きていられないですぅ」
「雄弁であれば意思疎通が成立するという思い込みは浅はか。あなたのはうるさいだけ。そしてさっきのはわざと分からないように言ったの。あなたなんかとまともに意思疎通する気が無いという意思表示。わざわざ説明されないとわからないの」
張り詰めた空気が両者の間で架空の火花を散らす横で、私とメイファーラは「これおいしいね」「ねー」と精一杯の和やかさを演出していた。つらい。
二人の言い争いはもはやただの人格攻撃になりつつあった。
「あーあ、やだやだ。超あざといミニとかっこよさを勘違いしちゃった黒遣い、とどめにフードとか、『わたしって可愛さもかっこよさも両方諦めたくないの、きゃるん♪』的な? 自分の理想に媚びてる感じが気持ち悪いですぅ。女が感染しそうなので近寄らないでくださーい」
「自分の名前を一人称に使うような、幼児性とかわいらしさを取り違えた女がハルは嫌い」
凄い、自分の事を棚に上げた。
あまりにも二人の仲が悪すぎるものだから、私とメイファーラはそれぞれ二人に話しかけて、罵声が飛び交わないように気を配ることにした。この二人を会話させてはいけない。
「でも、勝負してるのにこんなに悠長にしてていいのかな」
「そもそもアズの訓練が主な目的なんだし、ハルベルトさんの言うとおりにしてたら間違いは無いんじゃないのかな。依頼主のミルーニャちゃんもあんまり気にして無さそうだし。あたしはまあ、お手伝い要員だしね」
どこか他人事のようにメイファーラは口にする。実際、それなりに気楽なのだろう。もしかすると、そのくらいの心持ちでいるほうがいいのかもしれない。
奇妙な時間が流れていった。
迷宮の裏面、死と滅びを宿命づけられた古代の世界。
失われた時間の流れ。
武器と呪術が飛び交い大量の血が流れていく空間で、何故か和やかに食事をしているという異様な光景。
暴力と死の世界が裏返って、それが当たり前の日常であるかのよう。
現実感が反転する。ここは一体どこなんだろう。
私はいつか妹と過ごしたあの日常を取り戻す為に非日常の戦場に身を投じた筈なのに――いつのまにか、私の日常はこの場所の方になってしまっていたのかもしれない。
だとすれば、私が取り戻すべきは非日常だ。儚い非現実。夢のような一時の居場所。ふと不安が頭をもたげる。それを手にしたあと、私はどうすべきなんだろう。取り戻した非日常を、私はもう一度日常に取り込む事ができるのだろうか――。
ぼんやりとした思考を抱えながらも、私は表向きごく普通に振る舞っていた。食事をして、仲間と言葉を交わし、関係性を維持していく。心を、どこかに置いたまま。
「そういえば、ちょっと気になってたんですけど、みんなお幾つなんですか? 私は三十二歳なんですが」
食事の後、これもまたハルベルトが用意していたロクゼン茶を飲みながら私は言った。強い甘味が口の中に広がっていき、身体に活力が戻ってくる。何故か、メイファーラが激しく咳き込んでいた。お茶が間違って気管に入ったとかかな?
「いや嘘でしょそれ。いくら【夜の民】が見た目で歳がわかりづらいからって」
メイファーラは目を剥いてそう言ったが、すぐに何かに思い当たって落ち着きを取り戻す。
「――って、そっか、【夜の民】は巡節で数えるのか。びっくりした。要するに十六歳ってことだよね。あたしは十八歳だから、二つ違いかな」
「あ、ごめんなさい。そういう数え方が一般的なんだった。えっと、今まで通りにメイって呼んでいい?」
「うん。変に先輩風とか吹かせるの得意じゃないし、お互い気を遣わずにやっていこ?」
「はーい、ミルーニャはぁ、二十六歳でーす」
「はいはい十三歳ね」
「いえ、巡節数えだと五十二歳ですぅ」
時が凍り付いたと思う。
え? 何、どういうこと?
「きゃー、アズーリア様ったらミルーニャと一回りも違うんですね! 可愛い! 抱きしめたい! 鎧姿も凛々しいけどやっぱり黒衣ちびコマ激可愛い!」
「あの――ミルーニャ、さん? それ、冗談とかじゃなくて、本当に?」
「嘘吐いてどうするんですかぁ。あ、そういえば。そこの根暗は幾つなんです?」
「――十五」
まさかのハルベルト最年少ミルーニャ最年長。
私達は、まじまじと幼気な少女ふうの姿を見つめた。その童顔と自己申告された年齢のイメージが、どうしても噛み合わない。しかもその上。
「お師様が、年下――」
「何か問題があるの」
「いえ、全くそんなことはないのですが」
「年下の癖に生意気とか思ってるの」
「そんなこと、全然思っていません」
「本当に」
夜のように黒い瞳でじっと覗き込まれて、息が止まる。認識妨害のかけられたフード越しに、お互いの表情を捉えることができるのは、私達二人だけ。透き通った輝きに、とうとう耐えきれなくなって、私は白状した。
「その、実はちょっとだけ、変なことを考えました」
「そう。怒らないから言ってみて。別に課題を増やしたりしないから。理不尽に呪文暗記耐久地獄とか言わないから。ほら早く」
怒ってる。それ確実に怒ってますお師様。怯えながらも、ここまで来て黙り込むわけにもいかずに私は胸の内を明かしてしまう。
「私、妹がいるんですけど、とても頭が良くて頼りになる子だったんです。故郷ではいつも色んな事を教えて貰ってました。だから、お師様がひとつ年下だって分かって、少しだけ――ほんの少しだけですよ? 妹の事を思い出しました。それだけです」
ハルベルトは、しばしのあいだ黙り込んだ。それから、目つきを一層悪くしてこちらを強く睨み付けて言った。
「『だった』――というのは過去形。その妹は、今どうしてるの」
「死にました」
表向き、そういうことになっている。
古代の魔女に魂を乗っ取られて、今では魔軍の元帥をやっているなどと、公にできることではない。まして、その魂を取り戻す為に戦っているのだ、なんてことは尚更。
「地獄から遠隔召喚された異獣の群れに村が襲われて――私は運良く助かったのですが、妹はどうにもならなくて。そのことがあったから、私はこうして【騎士団】に入って異獣と戦う道を選んだんですけど」
嘘と真実が半々になった説明。戦う動機として、これ以上ない程にわかりやすい過去。私の本当の目的を知るのはもはやラーゼフだけだ。
ミルーニャが目を潤ませてぎゅっと抱きついてきて、メイファーラが「よしよしいい子だね」と頭を撫でてくれる。
二人が口々に慰めたり励ましたりするのを、私は前向きな意思を語ってやり過ごす。健気さの偽装。白々しい、半分だけの嘘。
そんな私を、ハルベルトがどこか責めるように睨み付けていた。
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