3-14 言の葉遣いは躊躇わない⑨


 ナトの呼び声に呼応して、捕縛されていた鴉から膨大な呪力が放出される。拘束呪術が弾けて消滅し、使い魔が主の意思に従ってその真の力を発揮しようとする。広がった羽に絡みついた金色の鎖、その一部がぴしりとひび割れ、音を立てて砕け散った。


「金鎖の解放っ?! じゃあこの鴉が――」


 鴉の周囲に光の粒子が集い、形を成していく。その体内に潜んでいた部位が外側に露出し、呪力を放射し始める。それは私のような【異獣憑き】にとっては馴染み深い光景だった。遅まきながら、私はこの鴉の正体を理解しつつあった。


 寄生異獣を使役する『異獣憑きの使い魔』。【松明の騎士団】序列二十六位であるナトは己の本体ではなく、自らの半身とも言える鴉に異獣を憑けているのだ。それも、二体。


 一体は擬態型。その両足の間から伸びる三本目の足。否、足のように見えるその先端には口のようなものが付いており、そこで詠唱を行っている。支配者であるナトの言葉や呪力を伝達するその異獣は【伝令管】と呼ばれ、異獣達が地上に侵攻してくる際に名前の通り伝令として用いられる使役獣である。


 もう一体は使役型で、大型の鴉種レイヴンよりも小さな烏種クロウの異獣を一時的に召喚するタイプらしい。つがい、もしくは親子のように並んで飛ぶ大小二つの影。双方を循環する呪力が、加速度的に増大していくのがわかった。


 次に放たれるのは、【空圧】や【旋風】をも上回る高位呪術だ。壮絶なまでの殺気が肌を刺す。これ以上戦いを続ければお互い無事では済まない。私が左手を前に出し、メイファーラが額に指先を当てて、ミルーニャが爪を摘もうとする。次の瞬間には壮絶な死闘の火蓋が切って落とされる、そんな予感が訪れたその時。


「少し大人げないけど、これ以上続けられて殺し合いになっても困る」


 言いながら前に出たのは、今まで私に呪文の指導をすることはあっても基本的に手出しを控えていたハルベルト。その彼女が、落ち着いた様子でその黒玉の視線を対の鴉に向けている。


「躊躇うなっ、まとめて始末しろっ」


 ナトの叫びにも一切感情を揺らすことなく、あくまでも静かに。

 ハルベルトは、玲瓏たる声で短い詠唱を世界に浸透させていく。


「穂先は貪欲に、指先は沈み往く――引き寄せるのはあり得べからざる創造の光。高らかに鳴け、【独角兎アルミラージ】」


 クリアな響きと共に、ハルベルトの眼前に淡い光が集い始める。一瞬にしてその輪郭は確かな存在を形作ると、聴いたこともないような甲高い鳴き声が上がった。

 光り輝く半透明の存在。青白く揺らめくそれは、長い螺旋状の角を有する兎だ。浮遊する小さな聖獣が虚空を蹴って、勢いよく鴉に向かっていく。


 目にも留まらぬ速度域で、鴉と兎の戦いが始まった。少なくともそれは物理的視覚では捉えきれない攻防だった。

 大鴉が紡ぎ出した呪術を基に小烏が無数のダミーを生成し、不可視の弾幕を張ろうとする。


 悪意ある呪術を検知した独角兎が防壁を展開してそれらを遮断するが、大鴉と同化した三本目の足――【伝令管】がダミー呪術を事後改変して防壁をすり抜けさせようと試みる。


 独角兎はそれにヒューリスティックスキャンで対抗。

 特徴的な『それらしさ』という振る舞いから呪術を検出する類推アナロギアの呪文防壁は改変されて未知となった呪術の亜種を根こそぎ跳ね返していった。


 【騎士団】の金鎖にも同様のシステムが採用されており、その有用性は確かだ。一方で害の無い呪術まで遮断してしまうという欠点もある。第五階層で魔導書を導入する際に苦労させられたのは記憶に新しい。


 アストラル界で繰り広げられる幻惑的な攻防は、さながら虚空を双方向に行き交う流星群のようであり、弾けてはまた次の光が新生する様は一つの宇宙が早回しで生と死を繰り返す無限の循環を思わせた。



 しかし、それは未熟な私や、視覚に依存して呪術を操る鴉だけの感傷に過ぎなかった。独角兎、そしてハルベルトの冷然とした瞳に映るのは、膨大な量の情報テキストでしかない。


 GUIグラフィカルユーザインターフェースであるアストラル界に対して、言語魔術師が認識するグラマー界はTUIテキストユーザインターフェースだ。


 両者は同じものだが、アストラル界での呪術行使は利便性と把握のしやすさ、つまり速度で勝る。鴉の放つ神速の呪術式が波濤となって独角兎を飲み込んでいく。


「――遅い」


 だが、相手が高度に自動化された呪術プログラム群なら話は別だ。押し寄せた呪術攻撃の悉くを、兎はその螺旋の角を振るって消滅させていく。鴉の攻撃を連続して処理した独角兎はそのまま突進して二羽のカラスたちをまとめて串刺しにする。


 目に見えない雷に打たれたかの如く、ナトが白目を剥いて昏倒する。脳を焼き切られるまではいかなかったようだが、使い魔を経由して入力された情報量に目を回したのだろう。役目を果たした兎がカラスたちをナトの上に投げ落とす。串刺しにされた箇所には傷一つ無く、独角兎は首を数度振るとそのまま霞となって消えた。


「お師様、凄い」


 私は、感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。ハルベルトが使用したのはたった一種類の呪文に過ぎない。それだけで、あの異獣憑きの使い魔をあっけなく撃退してしまったのだ。何故かハルベルトは私を一瞥すると、ふいと顔を背けてしまった。


「何なに、今のって使い魔? あれ、ハルベルトさんって言語魔術師だったよね。呪文だけじゃなくて使い魔もできるの?」


 不思議そうにメイファーラが問いかける。ハルベルトはそれを否定して、事も無げに説明する。


「今のは幻獣。事前に設定したプランに従って決定論的な振る舞いをする仮想使い魔。複雑なものは人工知能にすら迫る動きが可能」


「お師様、人工知能って、流石にそれは無理なのでは」

 

 確かにハルベルトの呪文技術は卓越しているが、ものには限度というものがある。

 現代の技術は勿論、超古代文明の遺産でもそんなことはできないはずだ。

 どんなに複雑なプランを設定したとしても、自然な人の振る舞いはどうしても再現できない。


 完璧な人工知能というのは、有名な呪術の解決不能問題の一つである。

 常識的な発言をしたつもりだが、ハルベルトは私の方を見て、何故か少しだけ悲しそうな表情をした。


「そう――無理。しょせんは最初から無謀な試み。けど、夢を見る権利はある。誰にだって」


「はい? ええと、それはそう、ですけど」


 どうしてだろう。彼女の瞳がここではない遠くに向けられているような――まるで誰かを憐れんでいるように見えてしまって、私は自分でもその出所がわからない心のゆらぎを感じていた。

 戦いが終わった後、私はナトと使い魔を拘束し、予備の抗呪黒衣を裏返しにして包み込んだ。こうすることで、内側から呪術の発動を制限することができるのだ。


「ちょっと気になってたんだけどさ、アズはその黒衣どこにしまってるの?」


「心の抽斗――こんなふうに、身につけられる程度の物は黒衣にしまっておける」


 私が黒衣の内側から予備の黒衣や茶色の外套、灰色の外衣、その他数々の布を次々と取り出していくと、その場にどさりと衣装の山ができあがった。自分でも少し驚いた。こんなに貯め込んでたっけ。


「うわー、【夜の民】って便利体質なんだねー。空間圧縮技術とは何だったのか」


「他の眷族種より積載量が上ってだけで、限界はあるけどね。大きすぎると影の中に入らないし。基本的に服とか装備とか非常食とかを入れておく程度」


「それでもすっごい便利だと思うけど」


 私からすると、【天眼の民】が持つ超知覚の方がずっと便利そうに思える。こういうのは見方の問題だから、幾ら不平を呟いても仕方無いことではあるのだけれど。

 などと、私達が話をしている間にミルーニャが一人で採取を済ませていた。


 私の黒衣とは原理が違うが、見た目以上に中が広い鞄の中に金箒花を詰め込んだミルーニャは非常に満足げだった。

 更にもう一つ。

 メイファーラは出し抜けに籠手を外すと、布の中に手を突っ込み、気絶しているナトに接触した。その状態で瞑目し、しばらく深々と息を吸ったり吐いたりして精神集中を行う。


 何をしているのだろう、と不思議に思っていると、唐突に目を見開いたメイファーラはごそごそとナトの懐を探り出す。取り出した小型の物入れに触れると仮想の操作盤が表示される。彼女は淀みなく七桁の文字と数字を入力して解錠すると、内部の圧縮空間から大量の金箒花を取り出して見せた。


「これ、あのカラスが奪っていった――? でも、どうやってパスワードを」


「えっとねー、ちょっと【天眼】で過去を覗かせて貰っただけだよ?」


「それ、過去視までできるんだ?!」


 【天眼の民】の邪視能力は受信専門であり、上位の眷族種に比べるとあまり強力ではないと言うのが定説である。しかしここまで色々できるというのであれば、むしろ受信に特化している分だけ事象改変系の邪視者より優れている場面も多いように思える。


「それよりさ、お昼にしようよー。あたしお腹すいちゃった」


「そうだね。ちょっと遅めだけど。じゃあ、さっさと済ませよう」


 丸薬状の携行糧食を取り出してもそもそと食べ始める私とメイファーラ。ミルーニャも同様に、携帯チューブゼリーをじゅるじゅると吸い始めた。

 その様子を何故か唖然として見つめるハルベルト。どうしたのだろうと思っていると、彼女は眉根を寄せて頭痛を堪えるような表情をしながら言った。

 

「修道騎士とか探索者って、いつもこんなの食べてるの」


「ええまあ。迷宮ですし、簡単な栄養補給さえ出来ればいいので。それに、ここには【泉】とかの安全地帯もありませんから、なるべく手早く済ませないと」


 ハルベルトはその答えに随分と衝撃を受けた様子で、しばらくその大きな目を見開いてぶるぶると震えていたが、やがて目を伏せると、静かに爆発した。


「論外」


「あの、お師様?」


「食事は文化的な営み。調理済みの食料は彩り豊かに温かに――味覚のみならず視覚、嗅覚、更には温度覚にまで訴えかける。無味乾燥な補給行為としてではなく、複合的な感覚で作品を鑑賞するつもりでいるべき。手間暇をかけて調理された料理は多量の摸倣子を保有する。これからは単純な栄養補給の観点からだけでなく、食事は呪力源だという意識を持つこと」


「つまり、どういうことなんでしょう――?」


 何やらもの凄い勢いで怒られている、ということだけ理解した私は、恐る恐るハルベルトの様子を窺おうとして激しく後悔した。爛々と光る、野獣の目がそこにあった。

 一体どこから取り出したのか。一動作で一抱えほどもある巨大な重箱を出現させたハルベルトが、私の目の前にずい、と詰め寄って威圧的に言い放った。


「呪術師たるもの、お弁当くらい用意しておくべき」

 

「おべんとう? 何ですかそれ、どこの言葉?」


「うわー、立派な容器だねー」


 目を白黒させる私と、興味津々といった様子のメイファーラ。ミルーニャがチューブをべこっと握りつぶす。


「そなえて用に当てるものという意味。そして容器より中身が大事。こんなふうに」


 重箱の中には、ぎっしりと色鮮やかな料理が詰め込まれていた。

 黄色い卵焼きに、豆と海草の甘煮、南瓜と挽肉の煮物といった甘い品目から、玉葱と人参、そして挽肉の甘藍巻きや萵苣レタスのハムとチーズ巻きなどの肉類や塩味の効いた品目まで各種取りそろえられていた。


 鴉ではないが、しっかりと焼き色の付いた鶏肉も入っている。

 二段目にはスライスしたパンに様々な具材が挟まれていて食べやすそうだった。

 丁寧なことに、楊枝やフォークが用意されていた。


 更にその上で例の『食品を温める呪文』で程良く具材を温める。

 確かにこういう場面だと便利な呪文ではある。感心してしまった。

 ハルベルト曰く、冷めても美味しいらしいが。


「食べて呪力補給。必須。ハルの目が黒いうちは、あんな食事を弟子にさせたりはしないから」


 力強く宣言すると、ハルベルトはどこからともなく広々とした敷布を出現させた。戸惑いながらも皆で座ると、ハルベルト一人が立ったまま呪文の詠唱を始めた。


「照り返す陽光、屈折する透明な影、大地より生まれ天を突くそれは槍――光学障壁のアミュレット、林立し壁となって立ちふさがれ――さながら猫除けのペットボトルの如く」


 すると私達の周囲を取り囲むようにして透明な容器が次々と屹立していく。詠唱の通り、障壁系の結界呪術のようだ。

 

「【アウターゴッズ】ですら避けて通る高等結界――これで安全は確保した」


 どうだとばかりに胸を張るハルベルトだったが、私達は誰一人として彼女の勢いについて行けてなかった。なんだか今までで一番活き活きとしているような気がする。


「全く、師に昼食を用意させるなんて、気の利かない弟子もいたものなの」


「すみません、次からは気をつけます」


「――どうしてもって言うなら、また作ってきてあげてもいい」


 わからない。未だに私は、この奇妙な師がどういう人物なのかまるで理解できないでいた。とりあえず一つだけ確かなのは、とても健啖家らしいということ。美味しそうに鶏肉を頬張るその表情が、今まで見たことが無いほどに柔らかく蕩けていた。私はしばらく食事をするのも忘れて、ぼうっとその表情を眺め続けた。

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