3-11 言の葉遣いは躊躇わない⑥


 意識が現在へと戻ってくる。

 場所はパレルノ山。私とメイファーラを先頭に、ハルベルトとミルーニャがそれに続くという並び。


 戦闘が終わり、私の立ち回りのまずさと改善点についてハルベルトに指摘されている所だったが、それもようやく終わりを迎えようとしていた。


「――ちゃんと聞いてる?」


「はい、無駄に敵の注意を惹かない、仕留める時は一撃で、拙速より巧遅を尊ぶ、詠唱を失敗するくらいならあえて何もしない方がまし、呪文の摸倣先を増やす、ですよね」


「わかってるならいいけど」


 ハルベルトはどこか釈然としないというふうに、細い眉をかすかに寄せた。

 そんな姿もまた美しいけれど――同時に、恐ろしい人だとも感じる。

 なによりも、得体が知れない。

 素性そのものはちゃんと判明している。


 本部に照会もしたし、本人が端末に立体投影した証明は、超一流の言語魔術師ですら偽造不可能な呪術紋章だったから間違いは無い。

 いや、ハルベルトが想定を上回る言語魔術師である可能性も皆無ではないけれど、その場合でも彼女の実力は保証されているわけだ。師としては申し分ない。


 それでも、その目的が今ひとつ判然としないのだ。本人の説明によれば、未熟な私を英雄に相応しい実力者に仕立て上げる――のみならず、組織全体の呪術運用方法を改善する目的で招聘されたのだと言うことらしいが、何かがひっかかる。


 それは単に、恐るべき【キュトスの姉妹】への忌避感からかもしれない。

 この世界には様々な種族がいるけれど、彼女たちのような半神はそれらとはまた別だ。

 私達のような眷族種は高次元存在である天使たちに加護を与えられた被造物。


 しかし半神はむしろ加護を与える側の存在だ。見た目が私達と近くとも、そこには歴然とした霊的位階の隔たりがある。

 私にしか認識できない、その余りに可憐な容貌をそっと窺う。細い睫毛、黒玉の瞳、繊細な鼻梁、文字通り神懸かった頬の稜線、形の良い唇。


 女神――比喩でもなんでもない、人ならざる美貌。

 見ているだけで体が竦む。

 それよりなにより、彼女の口が動くたびに紡ぎ出される、そのあまりにも魔的な響きの声。聴いただけで身体の奧が震えだして破裂しそうな、輝くような音の連なり。


 上手く言葉に出来ない。けれど、私は彼女が怖かった。

 その言葉を耳にし続けていると、自分の内側から何か大切なものが引き摺り出されてしまうような気がして――。


 ラーゼフがハルベルトのことを何一つ知らなかったという事も気になる。とにかく、ハルベルトは要警戒な人物だ。初対面でいきなり不躾な真似をされたし、正直ちょっと信用できない。第一印象が最悪な人物にそう易々と心を許せるものか。

 フードの下からじっと睨め付けると、光を吸い込むような黒玉が真っ直ぐに見返してくる。


「う――」


 ハルベルトは無言。いや、言外の「何この妙な生き物」みたいなニュアンスが感じ取れるような気もする。怖い。

 しばし見つめ合うが、先に目を伏せたのは私の方だった。

 うう、何をやっているのだろうか、私は。


 私とハルベルトが一対一の『授業』を行っている一方で、メイファーラは周囲を油断無く見回して警戒しており、ミルーニャは手際よく仕留めた獲物たちの死骸から有用な部位を切り取っている。


「ミルーニャちゃん、それって使えるの?」


 メイファーラが、淀みなく動くミルーニャの手を眺めながら言う。童顔の少女はナイフを動かし、革手袋とエプロンを血で汚しながら応えた。


「ええまあ。大型獣の体内呪石ほどではなくとも、呪力が蓄積しやすい骨の部位というものがあるんですよ」


「へええ。よく知ってるねー」


「むしろどうしてあなたは知らないんでしょうか――修道騎士のひとってあんまり真面目に狩猟とか採取とかやらないんですか? 異獣を倒してればお給料出るから?」


「えーと、あたしはあんまりそういうの得意じゃなくてー」


 実際は資金調達の為に稼げる時に稼いでおくという修道騎士が殆どだ。そうして余分に治癒符などの消耗品を所持していないと、いざという時に痛い目を見る。中には本業そっちのけで『狩り』の方に血道を上げる不良修道騎士もいるくらいである。キール隊の皆はわりとそんな感じだったのを思い出す。


「ふーん。お気楽ですね」


「えへへ、いやあ、それほどでも~」


 ミルーニャの毒舌は、相も変わらず切れ味抜群だった。その相手をして平然としているメイファーラも大概だが。『わかっている』反応なのか、それとも単なる天然なのか。どっちにしてもすごい、と思う。


 ふと、空を見上げる。

 再生された古代世界の空は外界と変わらずに抜けるような蒼穹だった。流れゆく雲の形は様々で、どんな解釈だって出来そうな曖昧な輪郭をしている。


 世界槍はありとあらゆる世界を自在に形成可能な力を持つ。邪視者たちが世界を改変するのと同質の力――しかしその全容は未だに謎に包まれた、超呪術文明の古代遺産。邪視者のそれと決定的に異なるのは、その規模と恒久性。古代人たちの目には、どれほど強烈に世界の記憶が焼き付けられていたのだろう。

 

「解体作業、任せきりでごめん。私も手伝う」


 一通りハルベルトからの講義が終わったので、ミルーニャの作業を手伝おうと駆け寄る。といっても、作業自体はほとんど終わっていたのだが。


「アズーリア様がとってもお優しくていらっしゃってミルーニャ感激! どっかのお気楽修道騎士や根暗言語魔術師とは大違いですぅ♪ でも、もう終わるのでいいですよ、えいえい」


 にこやかに微笑むミルーニャの両腕が、飛び散った鮮血で染め上げられている。大変可愛らしいが、無駄のない動きはひどく殺伐としていた。

 ミルーニャ・アルタネイフ。この中で唯一の【騎士団】とは無関係な探索者。迷宮都市エルネトモランの一般的な市民でもある。


「はあ、本当に可愛い、素敵、お持ち帰りしたい――なんだかぁ、初めて会った気がしないんですよねぇ。ミルーニャ、アズーリア様と以前何処かでお会いしていたことがありませんか?」


「私もそんな気がするけど――既視感なんてだいたい後付じゃない。私達の外見なんてみんな似たり寄ったり、というか同じだし」


 【夜の民】に外見的な個体差はほとんど皆無だ。本当はアストラル界から眺めると結構な差があったりするのだけれど、他の種族から見れば誤差の範囲だろう。そもそも今は甲冑姿だ。よく身につけている灰や茶、黒といった地味な衣ですらない。


「やっぱり! 同じ気持ちを共有できていたなんて、もう運命すら感じちゃいますう」


 しかしながらミルーニャが反応したのは私の最初の一言だけ。相手の言葉を都合良く取捨選択する技術があるようだ。心が太そうでちょっと羨ましい。

 古代異獣たちの骨を鞄にしまっていくミルーニャを見て、ふと思いついた質問を投げかけてみる。


「ところで、ミルーニャはどうして採取依頼を?」


「それはですねえ、ミルーニャのお仕事に必要だからです。ある時は道具屋さん。またある時は呪具職人。そしてその職種とは、なんと錬金術師アルケミスト! ばばーん!」


 効果音を口で言ったぞこの子。周囲の微妙にしらけた空気を察したのか、わざわざ端末を取り出して効果音を再生し直すミルーニャ。いや、そういうことじゃなくて。


「どうしても達成しなくてはならない呪具作成の依頼がありまして。その為の素材集めをしているんです」


「その歳でもう自分の工房アトリエを持っているの? それは凄い」


「えへへ、光栄ですう。といっても、単に父から譲り受けただけなんですけどね。ミルーニャは駆け出しですけど、気持ち的にはいっぱしの呪具製作者エンチャンターなのです。必要な人に必要な呪具を提供できればいいなあって思ってます」


 必要な人に必要な呪具ものを――その言葉に、私はなんだかひどく感じ入ってしまう。それは需要と供給という、商売人としては当たり前の理屈なのだろうけれど。


「『呪具というのは、それを必要としている人の手に渡ってはじめて意味を持つものだ』って父が口癖みたいに言ってまして。小さい頃からそれを聞かされたからでしょうか。ミルーニャもそんなふうに――」


 言いかけて、急に我に帰ったようにはっとなって慌て出す。その頬が、わずかに色づいていた。


「あわわ、今の無し無しです! ご大層なことを言いましたが要するに生活費を稼ぐためですよ!」


 恥ずかしがっているのだろうか。

 私は、ミルーニャという知り合ったばかりの少女に好感を抱きはじめていた。

 毒舌で感情があっちこっちに飛び交う不思議な子だけれど、心根は優しいのだと思えた。


 しばらく見つめていると「なんですか、アズーリア様の熱い視線を感じます。はっ、これはもしや、恋の気付き?! きゃーん!」とか騒ぎ出したけどこういった妙な反応だけは本当に勘弁して欲しい。


「はああん、鎧姿もクールで素敵――アズーリア様のマロゾロンドタッチでミルーニャのハートを外宇宙に放逐して欲しいですう♪」


「そこ、うるさい」


 私にミルーニャが抱きついている光景を冷ややかに見ながら、ハルベルトが苛立たしげに注意する。私は甲冑を着込み、兜を被ってようやくミルーニャと同じくらいの身長になる。自然、顔と顔が近付いて面頬の隙間から私の内側が覗けそうな距離にまで接近を許してしまっていた。正直、あまり得意な距離ではない。どうやって離れて貰ったものかな、と頭を悩ませている所への注意だった。


「むー。根暗女め、ミルーニャとアズーリア様の仲を引き裂こうと言うのですか! 見苦しい嫉妬ですね! そういうジメジメと女々しいのは嫌われますよーだ」


 べえ、と舌を出して毒を吐き散らす恐れ知らずなミルーニャを窘めようとしたその時、ハルベルトの流麗な声が響き渡った。


「沈黙はx、雄弁はy、兌換紙幣の論理回路、煌めく金めく銀なる詩吟」


 不可解で意味のとれない音の羅列。本大陸の共通キャカール言語で韻を踏んだその律動が、大気に呪力を乗せて伝えていく。途端、童顔の少女の顔に驚愕が浮かぶ――が、いつも通りの立て板に水を流すような悪口雑言は響かない。呪術の発動によって、ミルーニャの口に立体映像の罰印が張り付いてその声を封じたのだ。


「んんん、むぐー! むー、むー!」


「ひ、ひどくないですか、ハルさん――」


「今はお姉様もしくはお師様と呼ぶこと」


「お、お師様。ミルーニャさんが可哀想ですよ」


「ひどくないし可哀想じゃない。どうせ杖使いに大した詠唱なんて必要ないから静かにしてればいい。音声認識が必要な呪具があるなら解除してあげるけど」


 なんだか知らないが、やけに機嫌が悪いような気がする。出会ったばかりだし、感情が表に出にくそうな人なので確信はないのだが、なんとなく怒っているような。

 ハルベルトは屍体からの素材回収が終わったのだからさっさと進むべきという正論を述べ、そのまま足早に先へ進んでいく。後衛を前に出すわけにも行かず、私達三人も慌ててついていくのだった。

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