3-10 言の葉遣いは躊躇わない⑤


「論外」

 

 ハルベルトはそう言って、フードの下からゴミを見るような視線を私に向けてきた。つらい。とってもつらい。この上なく綺麗な顔立ちなので、こういう冷淡な態度をとられると並外れて酷薄に感じられるのだ。荒く息を吐きながら必死に怪物の群れを撃退した私に対して、冷ややかに下されたのがこの評価。正直な所、ちょっとめげそうだった。


「そ、そこまででしょうか」


「うん」


 こくりと頷いて、ハルベルトはぴしりと細くて長い指を伸ばした。

 指の先で、数体の怪物が屍を晒している。荒れ果てた山道を往く途中で待ち伏せていた異形の古代生物たち。


 岩に擬態する岩石亀が三体に、地中から奇襲を仕掛けてくる大モグラが一体、そして裸の木から這いだしてくる灰色大蛇が五体。傾斜のある山道での戦闘は、地形と数の不利がある状況で開始され、辛うじて私達の勝利に終わった。


 苦戦だった。

 ハルベルトが私の能力を試すために戦わないことを宣言していたから、こちらの戦力は私、ミルーニャ、メイファーラの三人。

 索敵担当のメイファーラが事前に敵の待ち伏せを察知していた為、逆に隠れていた敵集団にミルーニャが呪石弾で先制攻撃を仕掛けることができた。


 私は魔導書の補助を受けながら呪文詠唱を終え、使える中で最大の攻撃呪文を解き放ったのだが、そこでつまずいた。

 呪文は敵集団を薙ぎ払う予定だったのだが、最も弱い灰色大蛇を一匹仕留めただけで碌な成果を上げられず、敵集団は激怒して私目掛けて襲いかかってきた。


 怒濤の如き攻撃を盾や鎧の装甲で跳ね返しながら必死になって敵を槌矛で打ち払い、ぎりぎりの攻防の中で即時に発動できる呪術を用いてどうにか戦いは終わった。

 ミルーニャの後方支援と、メイファーラの的確な槍捌きが無ければかなり危なかったのは間違い無い。かなり不格好な所を周囲に見せてしまった。私は失敗したのだ。


 ハルベルトは、死体の各所を順番に指差していきながら戦闘の採点を始める。


「あなたが仕留めた古代獣、致命傷が全て打撲。呪術攻撃は牽制にしかなってなかった。呪術による唯一の成果は初撃だけ。それだって広域殲滅を狙っての失敗。その上無駄に注目と憎悪を集めて集中攻撃を受けてる――ハルはあなたに、呪術の腕を見るから前衛はメイファーラに任せていいって言った。なのにどうしてわざわざ敵の攻撃を集めるの。馬鹿なの。ハルは戦士じゃないから撲殺のやり方なんて教えられないの」


「はい、すみません」


「敵から注目されずに立ち回るのも後衛の務め。アズーリアが前衛も後衛もこなせる万能型の中衛だとしても、発動に時間のかかる呪文を唱える時には一歩引くことが必要」


「はい、肝に銘じます」


 返す言葉も無い。悄然として、ハルベルトの言葉に頷くばかり。

 以前にパレルノ山で訓練をした時は頼りになる、そして気心の知れた仲間達がいた。


 妨害系の低級邪視は若き修道司祭であるトッドの祝福祈祷のお陰で無視できたし、威圧感を振りまいて襲いかかってくる巨大な敵を前にした時は重戦士のテールが頼もしく前に出てくれた。分隊長であるキールの固有神働術である【鼓舞】を耳にすると恐怖は闘志に変化して、高められた六人の士気を前にして敵の方が臆するような有様だった。


 ところがどうだろう。皆がいなくなった途端にこの有様。メイファーラとミルーニャには一切落ち度が無いのが一層私の惨めさを引き立てている。

 説教は、私の呪文の拙さについても及ぶ。


「どうして呪文の構成に変なテキストを挿入するの。影はまだいいとして、こんなお日様が出てる時間帯に夜とか月とか死とか眠りとか――事象を強引に書き換える邪視者じゃないんだから、もっと考えて」


「すみません――私の呪術はほとんど見よう見まねで。以前第五階層で魔将が使っていたのを再現しようとしたんですが。やはり、オリジナルの呪文じゃないと駄目なんでしょうか?」


「あなたたち【夜の民】がコピーアンドペーストで呪文を構成するのはそういう種族特性だから仕方無い。そうではなくて、もっと語群の選択をよく考えて配列するの。適切な引用は呪文の完成度を高める――コピーの切り貼りだからって創造性が生まれないわけじゃない」


 淡々と私を叱る温度の低い声を聴きながら、どうしてこうなったんだっけ、と思考が現在から離れていく。現実逃避とも言う。

 時間が過去に引き戻されて、私は事の起こりを回想する。ミルーニャを助けに入ろうとした私が無様に敗北して、そこにハルベルトが割って入った後の事を。




 突如として現れた少女――ハルベルト。

 『美しい』は直観だから、君にも先験的に理解できるんだよ――ラーゼフがそんなことを言っていたのを思い出す。そんな、あまりにも美しい面差しだった。


 黒いフードの下、個別のパーツ一つ一つが圧倒的なまでに完成された造型であることが異種の私にすら理解できる。


「これから、アズーリアとそこの人に競い合って貰う。と言っても先程のような近接戦闘じゃない。身体能力と呪的能力の総合力を競い合う」


「ああ? いきなり出てきて何いってやがんだてめぇ。胡散臭ぇまじないで面隠しやがって、感じ悪いぜおい。そこの黒ちびのお仲間か何かかよ」


 荒っぽい男の誰何に対し、ハルベルトは冷ややかな視線を向けた。

 フードには認識妨害呪術がかけられており、周囲の人間にはその内側を窺うことはできないようだ。ただ一人、同種の呪術を使用している私を除いて。


 不思議な事に、人の顔を覚えるのがどうしようもなく苦手――どころではなく、初対面の相手だとまともに認識すらできない私だというのに、ハルベルトの顔ははっきりと記憶できた。彼女と顔を合わせたのは前にアストラル界で助けて貰った時以来だが、さて。以前にも出会っていたことがあるのだろうか。それとも、彼女が特別な存在なのか。


「ハルは【夜の民】じゃなくて西北人と兎の混血。それより、やるの、やらないの。もしかして怖いの。物質的適性に秀でた【九位】が、呪的適性に偏った【二位】を肉弾戦で圧倒しただけなのに勝ち誇る――恥ずかしい」


「んだと、てめぇ」


 額に青筋を浮かべた筋肉質の男は、拳を合わせてこきり、と鳴らした。

 大神院が定めた眷族種の序列は、上位ほど呪術に秀でており、下位ほど身体能力に優れる。

 男の鍛え上げられた肉体から察しはついていたが、彼は第九位の天使【鉄願のセルラテリス】の加護を『受けていない』普通の霊長類ノローアー、【鉄願の民】のようだ。


 序列第九位は他の加護持ちの眷族種に当てはまらない『その他』である。

 意外にも、男はそのまま怒りを暴発させたりはしなかった。


「――上等だ。安い挑発だが、乗ってやる。このガキに身の程ってヤツを教え込んでやるぜ。で、何を比べるってんだ?」


「そこのあなた」


 ハルベルトは遠巻きに見ていた一人の少女の方を向くと、鋭く言い放つ。


「ミルーニャ・アルタネイフ。そもそもの発端はあなた」


「えっ、なんで名前を」


「協会にも依頼書を掲載していたけれど、システムがダウンしたから仕方無く迷宮前で人を探す事にした。急いでいて人手が足りない。違うの」


「いや、そうですけど、何なんですかあなた」


 男に絡まれていた少女――ミルーニャは不気味そうに一歩退いた。

 人手が足りなかったり急ぎの用事だったりしても、人選は重要だ。

 依頼の失敗や放棄、もっと悪くすると契約外の無茶な要求までされることがある。


 勿論、その逆に依頼主が報酬を支払わない事もしょっちゅうだ。

 探索者協会を通した依頼ならば訴える手段もあるが、こうした辻依頼では泣き寝入りもよくあるのだという。

 ミルーニャと男の間の揉め事はよくある一幕に過ぎない。事態がこれ以上派手にならないと分かって、周囲から野次馬が立ち去っていく。


「依頼内容はパレルノ山特有の呪力を吸って開花したエニシダの採取。量と質に応じて報酬を決定。質の方に上限は無いけど、量は規定の額に達したらそこで頭打ち――ここまでで間違いは」


「エニシダって何ですか?」


「金雀枝――金箒花のこと」


「ああ、それなら合ってます。確かにミルーニャは人手がとっても欲しかったですけど、粗暴で乱暴で不潔な人はお断りです」


「ああ?」


「ひゃうっ、ミ、ミルーニャは脅しには屈しませんよ!」


 強気になったり弱気になったりと忙しない。大きな肩掛け鞄に作業用エプロン、くりくりした大きな瞳が愛らしく、明るい茶色の巻き毛は癖が強そう。ミルーニャという少女は、低めの背丈を更に縮こまらせて震えながらも気丈に男を睨み返している。


「その依頼を同時に受けて、持ってきた金箒花の量と質で点数を競う。探索者協会で判定してもらえば少なくとも不正は無くなるし、そこの依頼主が必要としない分も買い取ってもらえるだろうから無駄も少ない」


 ハルベルトは何でもないことのように口にするが、いきなりそんなことを言われても私の方は目を白黒させるしかない。男の方はすっかりやる気になっているようだが。


「はっ、正気かよお前、笑えるぜ。単独でパレルノ山の探索だぁ? 自殺行為もいいところじゃねえか」


「不安なら、仲間を呼び出すか傭兵を雇うかすればいい。ハルは総合力を競うと言った。関係性を結ぶ力も実力のうち」


「そうかい、じゃあ遠慮無く」


 男は端末を取り出すと、どこかの誰かに連絡を取り始めた。私とミルーニャはというと、強引に進められていく話の速度についていけずにいた。


「ちょっとちょっと、勝手に決めないで下さいよ! ミルーニャはこんな男臭い、じゃなかった、臭い男には依頼を受けて欲しくないです!」


「大丈夫、アズーリアが勝つから。それと、あなたもアズーリアと一緒に行って。当事者なんだから、異論は認めない」


「理不尽過ぎです!」


「あの、助けて頂いたことには感謝していますけど、さっきからちょっとついて行けないんですが。弟子とか妹とかって何ですか」


 ミルーニャが憤慨し、私が疑問符を浮かべると、ハルベルトは愚かな生徒にどうやって物の道理を教え込もうかと悩む教師の表情をしてこう言った。


「実地訓練のついでにわがままな弟子の人助けを手伝ってあげようというだけ。それにハルは言語魔術師で、本来ならあなたは頭を下げてお願いする立場。わきまえて」


「え、えっらそうに~! ちょっと、そこの使徒様も何か言ってやって下さいよ! ていうかお知り合いなんですかこの超偉そうな人!」


「いえ、知り合いというか、前に一度会ったことがあるだけで――それもネットで」


「そうなんですか? そういえばミルーニャ、使徒様みたいな【夜の民】の知り合いがネットにいますよ。とってもちっちゃくて可愛いんですー。丁度あなたみたいに。それにしても、【夜の民】の人って愛らしくて素敵ですぅ」


 にこにこしながら少女は言った。このミルーニャという少女、話題と機嫌がころころと良く変わる気紛れな性質のようだった。身長はハルベルト、ミルーニャ、私の順に低くなっていく。ミルーニャはぐいぐいとこちらに近付いてくると、一番小さな私の頭を黒衣の上から撫でる。


「あ、あの」


「先程はありがとうございました。可愛い上に勇敢だなんて、ミルーニャ感激です! あんな汚物男と探索するのも、上から目線女の言いなりも御免ですけど、使徒様と一緒なら全然イけますぅ。使徒様、ご尊名をお訊きしても? ハンドルとか渾名でかまいません」


「アズーリア・ヘレゼクシュですけど」


「きゃあ、素敵なお名前! じゃあアズーリア様、ミルーニャと一緒に探索シてくれますか? 駄目ですか? 断られたらミルーニャ泣いちゃうかも。すんすん」


 勢いについていけない。ミルーニャという少女、私とは人生の速度が違う人のようだ。正直に言うと、ちょっと怖い。


「あの――困っているのなら、力になります。私なんかでよければ」


「本当ですかミルーニャ嬉しい! 好きです結婚して下さい!」


「えっえっ」


 冗談だろう。冗談だと思う。冗談であって欲しい。彼女の異常な勢いに飲まれて二の句が継げずにいると、横からハルベルトが平坦な口調で呟いた。


「それはハルのだから駄目。けどこれで話は決まった。今からパレルノ山で探索を行い、それをもって最初の『授業』とする。これは決定事項。強くなりたいなら、おとなしく従うこと」


 強くなりたいなら。そう言われては、私だって断ることはできない。

 一方的に設定された師弟関係。ハルベルトが何者で、どうしてこんな私を助けてくれるのか、全く分からないけれど。


 彼女が高位の言語魔術師であることは紛れもない事実で、二度も危機から救い出してくれた恩人であることもまた間違い無い。

 この機会を逃す手は無かった。


「――わかりました。この依頼、やり遂げてみせます」


 その後、破壊した物を弁償したり謝罪したりといった細かい事を済ませて、世界槍を覆う外壁の前に集まる。中央に二つ並んで存在する巨大な転移門は、それぞれ上層である【時の尖塔】と第二階層より下へ向かう昇降門だ。今回はその脇にある小さめの【扉】から第一階層の裏面のひとつ、パレルノ山に向かう。


「でも、全員後衛寄りってちょっと怖い編成ですぅ。戦士さんが欲しいですけど、ミルーニャ前衛の知り合いがいなくって」


 不安そうに呟くミルーニャ。一応私は修道騎士として一通り前衛としての戦い方を学んでいるが、純粋な前衛と比較すると一段落ちる。ミルーニャも、見た目からして前衛ではない。ハルベルトも同様だろう。どうしたものかと悩む私とミルーニャ。するとハルベルトが私の方を見て提案した。


「問題ない。アズーリア、ラーゼフ特務技官から、自由にしていい人材を教えて貰ったでしょう。呼んで」


 確かに、ラーゼフから「探索するなら呼べ」と端末の番号を教えられていたけれど。


「何でそんなことを知ってるんですか?」


「私が彼女と同じ【智神の盾】の所属で、【松明の騎士団】にも暫定的に籍を置いているから」


 どうやら、ハルベルトも関係者だったようだ。

 しかし、こんな人がいるだなんてラーゼフからは聞いたことがない。

 知り合いのような口ぶりだけど、どういうことなんだろうか。


 疑問は尽きないが、とりあえず言われたとおりにしようと端末を取り出す。

 こんなふうにいきなり連絡して大丈夫かと不安に思ったが、どうもラーゼフがいつでも都合のつくように待機任務を割り当てていた様子だった。

 それなら最初から顔を合わせておけばよかったかなと後悔しつつも、その相手は素早く迷宮前に到着した。


「【智神の盾】の第八研究室及び【松明の騎士団】のピュクシス分室所属、序列は第二十九位の、メイファーラ・リトです。よろしくね」


 その少女が気負い無く名乗ると、爽やかな呪力が風となって頬を撫でた。

 年の頃は恐らくミルーニャよりやや上で、私やハルベルトと同じくらい。

 長めの前髪が眠そうな黒目にかかりそうなのと、長い亜麻色の髪を尻尾のように右側で括っているのが印象的だった。


 黄みを帯びた茶色の毛を括っている髪留めは天眼石。目玉のような模様を持った瑪瑙で、邪視適性を高める効果がある。

 呪動装甲は動きやすそうな軽鎧で、身長は男性の平均身長に少し届かないくらい。体格も華奢で、とても二十九位という実力者には見えない。視界を妨げぬ為か兜は見当たらず、落ち着いた顔立ちがはっきりと見えていた。


「ラーゼフせんせから色々助けてあげるようにって言われてるから、頑張るよ。今日はきみの探索を手伝えばいいんだよね?」


「はい、急に呼び出してしまって申し訳ありませんでした。今日はよろしくお願いします」


「そんなにかしこまらなくてもいーよう。序列もお隣同士だし、仲良くしようね」


 良かった、なんだか優しそうな人だ。そうして私達は穏やかに自己紹介を済ませた。ミルーニャは人見知りするのか私の後ろに隠れてびくびくしていたし、ハルベルトも必要最小限のことしか喋らないので、そう長いやり取りにはならなかったけれど。そのうち、相手の方も人数が揃ったようだった。


「よう、そっちも準備はできたみてーだな。こっちもいつでもいいぜ」


 不敵に笑う男の左右に、新しい人物が二人現れていた。


「全く、休暇中にいきなり呼び出すとか、ペイルは相変わらず無茶過ぎるんだよ。今日は公園でコイツと戯れる予定だったのにさ」

 

 不満そうに呟く細身の男性。兜は無く、甲冑に包まれた肩に、大きな黒い鳥が留まっていた。鋭い嘴に油断無く辺りを見回す眼。鴉――兎と並んで霊獣と見なされている典型的な使い魔である。


「ごめんねー、どうせペイルがぶつかってきて慰謝料とか請求されたんでしょ? 彼、迷宮で脳みそが筋肉に置き換わっていく呪いをかけられちゃってさー。根は悪い奴じゃないんだ、大目に見てやってよ」


「おいこらナトてめえ」


「お、お断りですー! ミルーニャ、強姦されそうになりましたし! 慰謝料要求したいのはこっちの方ですー!」


「そうなの? まいったなあ――」


 そう言って、男性はすまなさそうにミルーニャに謝罪した。揉め事の発端となった男――ペイルと言うらしい――に比べると、随分良識的な人物に見える。


「おい、ナト。てめえ今からケツまくろうってんじゃねえだろうな」


「そこの使徒様もごめんね? けど一応ペイルにも熱くなる事情があるんだ。ペイルの友達が第五階層で殉死してるんだよね。君が魔将を討伐した、あの日に」


 ぎょっとして、思わず息を飲んだ。ナトと呼ばれた男は切れ長の眼を鋭く眇めて、穏やかな高めの声をその一瞬だけ低く重く変貌させた。


「そいつは、俺の友達でもあってさ」


 暗い恨みを孕んだ呟きと同時に、彼の背中から何かが分離し、高速で放たれた。

 水滴状の鋭利な先端が真っ直ぐに私の方に飛来する。対応するより速く、さっと私の前にメイファーラが立ち塞がると、右手に持った短槍を一振りした。硬質な音が響いて、跳ね返された物体がゆっくりとナトの元に戻っていく。


「へえ、やるね。今のを弾くのか」


「今の挨拶ってどんな辺境の風習? あたしもすっごい田舎育ちだから親近感湧いちゃうな~」


 奇襲を仕掛けた方なら仕掛けた方だが、それを防ぐ方も防ぐ方だ。

 両者とも、一瞬の攻防が嘘であったかのようににこやかに言葉を交わしている。

 

 私はメイファーラの短槍捌きに目を見張った。

 同じ分隊のトッドも突きの鋭さでは相当なものだったが、彼女はそれ以上かもしれない。

 だがそれよりも、私の目は男の横に浮遊する水滴状の金属に惹き付けられていた。


遠隔誘導攻撃端末ビット使い――!」


 驚愕を禁じ得ない。特注の呪動装甲に付属した攻撃端末を操って隙のない全方位攻撃を行うには、特殊な資質が必要とされる。恐らくナトは、第五位の天使ペレケテンヌルの加護を受けた【ロディニオの三本足の民】に違いない。『鴉』の通称を持つ彼らは使い魔や杖の適性に優れている。肩に乗った鴉が、威圧的な鳴き声を上げた。


「そういうわけで、悪いけど手加減はしないよ、『英雄』さん」


 落ち着いた声の中に含まれた、毒々しい棘。攻撃的な微笑みを浮かべて、ナトという修道騎士は戦意を露わにした。前言撤回。この男、好戦性はペイルと同じか、あるいはそれ以上だ。仲間が突然に攻撃を仕掛けたのを見て、ペイルは気をよくしたのか口の端を吊り上げる。


「は、やり合う前から気合い入ってんじゃねえかよナト。おいイルス、お前からも何か言ってやれ」


 最後の一人は鎧姿でなく、赤と黒を基調とした祭服だった。【黒檀の民】の血が混じっていると思しき浅黒い肌の男性は、しかし促されたにも関わらず沈黙したまま。


「ちっ、相変わらず喋んねえなあ」


「――俺はただ傷を癒すだけだ。求められれば、あちらの救護も行う」


 そう呟いて、寡黙に佇むのみ。言動からすると、病院修道会上がりの医療修道士だろうか。調子が合わないのか、ペイルは頭をがしがしと掻いて、すぐにまあいいかと気を取り直す。

 双方の準備が整ったことを確認すると、ハルベルトは一歩前に進み出た。


「もう一度ルールを確認する。制限時間は今から86,400秒。つまり明日の正午までに、指定された素材――金箒花をパレルノ山から採取してこの場所に持ってくること。一つにつき一点、呪力保有量に応じて更に一点ずつ加点する。点数で上回った方が勝ちとする。依頼では量に制限があるけれど、今回は競技だから量の上限は無し。たくさん持ってくれば持ってくるほど有利――もちろん良質の花を吟味する選定眼も必要になる」


 淡々と規則を提示していく。成り行きで勝負することになってしまったものの、やるからには手は抜けない。なにしろお互いの面子――つまりは呪的権威がかかっているのだ。名声とはそれ自体が呪力であり、強さに直結する能力である。勝てば名が上がり、負ければ『弱い』というイメージが己と周囲に刷り込まれ、現実に影響を及ぼす。


「まあ、どんな勝負だろうと負ける気はしねえな。そっちにはとびきりヘボな英雄様もいらっしゃるみたいだしよ」


 あまりにもあからさまな挑発に、私は言い返すことができない。少なくとも、今はまだ。ミルーニャが小動物めいて「ふしゃーっ!」と唸り(何の真似だろう?)、メイファーラが「うわーほんとにあんな人いるんだー」とすごい勢いで引いていた。巻き込んでしまってごめんなさい。


「――それと最後に一つ。お互いに相手側への妨害や攻撃は禁止しないけど、相手を死に至らしめた場合は失格。そして仲間に死者が出た場合も失格とする」


「つまり、誰か死んだらそこで中断ってこと? 安全第一?」


 メイファーラがふむふむと頷いた。

 それは危険な深追いをさせないため、そして互いが妨害し合った結果、誰かを死に至らしめてしまうような事態を防ぐための規則なのだろう。ハルベルトの平坦な声は、その一瞬だけより深く沈み込んだように聞こえた。


「言われるまでもねえよ。犠牲なんか出した時点でもう負けだろ。まあ、そこの誰かさんにとってはキツい縛りかもなあ。何しろ犠牲出して勝つのが当然って英雄様だ」


 私は――言われるがまま黙り込んだ。現時点での反論は虚しいだけだ。

 重苦しい雰囲気を振り払うように、メイファーラが明るい声で質問をする。


「ところでさ、これって勝利者へのご褒美とかは無いの? ミルーニャさんからの報酬とかとは別に、競争それ自体の賞品。何かやる気にさせてくれるものが欲しいよね」


「それか、無様に負けたヤツに対しての罰でも別に俺はかまわねーぜ」


 ペイルの言葉には私への暗い底意が透けて見えたが、ハルベルトは意外にもそれを肯定するような対応をした。


「そう。そんなに罰が欲しいなら、ハルの権限で懲罰を与える」


「あん? てめーに何の権限が」


 その瞬間、彼女の声色が平坦なものから、どこか嗜虐的な雰囲気を宿したものに変化した気がした。


「自己紹介が遅れたけれど。ハルは大神院の要請を受けて【星見の塔】から派遣された言語魔術師。【智神の盾】及び【松明の騎士団】所属、【キュトスの姉妹】七十一女の第二候補。襲名はハルベルト。組織運営の合理化及び健全化を達成するため、また対異獣の研究及び神働術の戦術運用に関する指南を行うため、本日よりあなたたちに協力することになった」


 ミルーニャを除く全員が、その名乗りを聞いて目を剥いた。ぎょっとした、と言い換えても良い。【塔】の魔女。それが意味する所とはつまり。


「それって、あの【きぐるみの魔女】の後任ってことですか――?」


「そう」

 

 あまりにあっさりとした肯定。ではやはり、彼女はキュトスの姉妹なのだ!

 私は、背筋を畏怖が走っていくのを感じていた。


 神話に登場する半神的存在、子供を怖がらせるための常套句、ゼオーティア教圏のあらゆる場所で忌まれ畏れられ敬われる、邪神キュトスの分身たち。

 その本物が、目の前にいる。

 同じような畏れを感じたのか、ペイルが顔を緊張させて叫ぶ。


「異教徒の異端審問官――外部監査の魔女か!」


「市内での騒乱行為、市民への暴行未遂、呪動装甲の私的利用、修道騎士同士の私闘とそれに対する荷担」


 つまり、と指を一本だけ立てて、顔の前に持ち上げる。温度の低い声、変わらぬ表情、平坦な抑揚。だというのに、底知れない不安を煽る魔女の宣告。

 

「ハルにはあなたたちに対する懲戒権が与えられている。戒告で済ませるか、減給まで行くかはハルの匙加減次第ということ」


「えっ、あたし呼ばれて来ただけなんだけど」


「ていうか、勝負提案した本人がそれを言う?」


 メイファーラとナトは早くもここに来たことを後悔し始めていた。本当に巻き込んでしまって申し訳無い。そしてハルベルトは最初から連帯責任を背負わせる気だった。これは罠だ。


「――あなたたちの処遇がどうなるかは、この勝負の結果で決まる。大丈夫、勝ったらお咎め無しにしてあげるから」


 もはや逃げることなど許されない。負ければ懲罰もしくは減俸という厳しい現実が迫り来る中での勝負が始まったのだ。

 全ては、魔女の掌の上。


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