2-95 サイバネティクスとオカルティズムの幸福なマリアージュ⑪


 右半身を前にして強烈に足下の虚空を踏みならす。その振動は大気中に一切拡散することなく左腕に集約され、全力の踏み込みすらも残らず歯車の回転が回収していく。漆黒の穂先が義肢の外装を滑っていく。穂先はどこにも突き刺さらずに俺の背後へと抜けていった。


 義肢による対刃防衛術。幾度も目にしてその最大速度と間合いを記録することで可能になる、護身と反撃に適した戦術モデル。鍛え上げられたその正確無比な一撃は、かえってサイバーカラテの機械的な分析と相性が良い。

 

 呪力が可視化されて放電現象を引き起こし、踏みだしから腰の捻転、身体のばねを最大限に利用した左拳の一撃が、閃光の矢すら自らの威力に転換しながら敵の正中線、胸の中心へと吸い込まれていく。


 静寂。

 一切の破壊をもたらさず、キロンの背中から膨大な呪力が弾けていく。


 全身を揺るがす衝撃に、キロンの目が一瞬だけ白濁し、直後に我に帰った。超回復能力を発動させて離脱しようとするが、既にその時俺達は次なる手を打っていた。そしてそれが、詰みの一手に他ならない。

 

(No.71改めNo.6【鮮血のトリシューラ】エミュレートッ!)

 

 不死の女神たるキュトスの姉妹、その最後の力がインテリジェント義肢に設定された条件分岐に従って解き放たれる。姿を変えた左腕、その外側に重ね合わせるようにして形成されていく積層装甲。


 強化外骨格。拡張された骨と皮膚。増強された人工筋肉。人間の限界を超えて、ただ圧倒的な暴力を叩きつける、その為だけに左腕は巨大さを増していく。


 【アンドロイドの魔女】の名を冠したこの強化義肢は、外装を追加していくことによって無限に自己を強化していく特性を持つ。力が足りなければ外側に付け加えればいい。どうせ中身のない俺のこと、秘められたポテンシャルとか積み重ねた研鑚とかを当てにしても仕方がない。


 勝てるなら魔女でも使う。つまり、俺の力など必要ない。勝つのはトリシューラだ。

 標本にされた蝶のごとく、展翅されたキロンが拡張し続ける左手に貫かれていく。

 

「屍肉を漁る、浅ましい雌狐めが――!」

 

 お互いが不死者同士という不毛な戦い。その不死性の在り方によって決着の仕方は異なるが、キロンのパラドキシカルトリアージはあらゆる致命傷を無効化してしまう。単純な物理攻撃は無意味だ。


 だが俺はあえてその単純な物理攻撃を選択する。キロンは軽傷や打撲を無効化できない。そしてもう一つ、おそらくはあえて無効化していないものがある。


 痛覚だ。

 体内に潜り込んだ左義肢はそのまま拡大と拡張を続ける。周囲の物質を強制的に取り込んで自己を強化するその特性故に、生物に叩きつけられればその骨肉を略奪してその内に取り込んでしまう、人食いの腕。


 しかしキロンはその再生能力故に心臓を奪われてもなお生命活動を続けていた。

 

「まだだ、まだ終わらん! たとえこの肉体が塵になるまで破壊されようとも、最後まで耐えきれば俺は絶対に死ぬ事が無いっ!」

 

「耐えればいい、確かにその通りだ。だがなキロン、それは一体いつまでだ?」

 

 拡大する左手を前に出しながら、俺は密かに右腕の周囲に展開した多面鏡から『それ』を手に取った。握りしめたのは、長大な柄。

 

「ナンバー七十一【氷血のコルセスカ】シミュレート――と、確かこういう言い回しでいいんでしたよね」

 

 どこか緊張感の無い呟きが、握りしめた氷の柄から響く。鏡の世界から現実空間に現れたコルセスカは、この瞬間の為に呪力を温存し、人としての機能すら放棄してその穂先の一点に集中させていた。姿の変わった彼女のもう一つの形態を、鏡から一気に引き抜く。


 空席となったウィッチオーダーの七十一番目の座に新しく加わった最強の兵装、【氷血のコルセスカ】がその封印を解き放つ。

 腕内部の鏡面空間から現れたコルセスカの本体。


 白銀の輝きを放つ、長大な刃と短い二本の刃を併せ持つ氷の三叉槍。余りにも穂先が長い為、むしろ柄の長い剣とでも形容した方が適切であるかもしれない。

 コルセスカの本質は、神話の中の魔女であり、また伝説の武器でもある。矛盾せず同居する曖昧な存在。魔女にして武器である、擬人化の魔女。

 

「冬の、魔女――何故だ。何故、我らが筆頭騎士の花嫁となるべき、貴方が――」

 

 苦痛に喘ぎ、息も絶え絶えになりながらキロンが呟く。その内容には大いに思うところがあったが、今はそんなことを問い質している余裕は無い。右手の氷槍に向かって叫ぶ。

 

「出番だコルセスカ! 美味しいところを、持っていけっ!」

 

 さんざん突きを入れられたお返しとばかりに、キロンの胸に氷の穂先を突き入れる。先端に収束した氷血呪が白い閃光を放ち、強力無比なる呪術効果を解放する。


 キロンの体内で発動した氷血呪は彼にとっての外界の時間を凍り付かせる。逆に言えば、キロンの主観時間は爆発的に加速するということだ。

 人食いの左腕が絶えず肉体を食い荒らし、苦痛を与え続ける中でのその行為が何を意味するのか。


 際限なく加速していく主観時間。

 無限に引き延ばされ続ける苦痛。終わりのない拷問。

 

「ぐ、が――あ」

 

 拡張する。拡大する。自己を肥大化させ、敵対者を残虐に駆逐することだけを目的として鮮血の魔女は適応し続ける。

 その左腕は、拡張しながら学習しているのだった。最適な拡張、最高の適応、最悪の苦痛の与え方を。


 自己複製と単純な条件分岐による適応。予め定められた論理回路プランの指示に従って、論理積、論理和、否定などの単純な演算を繰り返していく。それは苦痛の大小比較だった。A且つBである場合。AまたはBである場合。Aでない場合。特定の痛みを与えた時、その苦痛の度合いが1以上である場合その苦痛のパターンを継続し、そうでないならば他のパターンに変化する。早い話が総当たりで通用しそうな攻撃を試し続けているだけである。


 しかし、乱雑に複雑に拡大拡張をし続ける強化外骨格の装甲細胞群は、混沌の中にも次第に一定の秩序を生み出し始める。適者生存の進化的アルゴリズム。機械的に最も優れた戦略を求め、淘汰を重ね、ついには学習を重ねることによってゲーム理論的な協調を始める。


 効率化された自己最適化の工程がパターンの変化を加速させ、次から次へと新たな苦痛のパターンが発生し続ける。超加速したキロンの体内、その小宇宙の中で無数の命が生まれては死んでいく。


 極小の世界で、拷問官の生態系が構築されていった。それは文明などという高尚なものではない。苦痛を与えるためだけに生み出された機械細胞群が、より効率的に苦痛を与えるための次世代を作り出し、それを幾代も重ねていくのである。


 魚の群れのような同型の小型細胞が肉を食い荒らすというパターンがあった。大型の優れた拷問機械と、それを補助し維持するための奉仕細胞達で構成される王国があった。他の群れを摸倣し続ける、適応力に特化した集団があった。彼らにとってキロンは報酬であり資源であり生きる目的そのものである。その肉の畑を耕し、骨の樹から採集することで、無限の苦痛を得ることができる。

 

「あ、ぐぐ――ぎ」

 

 半不死であるキロンが、途方もない時間の中をただ苦痛だけを感じてかろうじて命を繋いでいる。無限の苦痛の中、その心の中にあったのは小さな五つの光だ。美しく、前途ある若者達。その煌めきを守りたいと思った。けれどそれは叶わず、その絶望は燻り続ける松明となって彼の目の前を照らした。戦え、諦めるなと自らに言い聞かせる。決して負けられない理由がそこにはある。記憶がある限り、廉施者キロンに敗北は無い。


 加速した時間流を一瞬だけ緩めて、俺はその不屈の心に僅かな楔を打ち込んだ。

 

「鮮血呪は価値を操作し、交換不可能なものを交換可能なものに変換する呪術だそうだ――なあキロン、お前はその回復の術で、一体何を何に置き換えた?」

 

「それは――致命的な死を、未来へ進むための生に――」

 

「そうだ。一回性の、取り返しのつかない死。どうしようもない仲間達の死、尊い喪失があるからこそお前は何度でも立ち上がれる――にも関わらず、お前は自らその死を貶めた」

 

 それは猛毒だった。気付かなかったわけではないだろう、ただ直視しないようにしていただけ――それでも俺は悪意を持ってその欺瞞を暴き立てる。相手の精神に侵入し、徹底的に蹂躙するために。

 

「お前にとって死は聖なるもの。だから鮮血呪で変換できたんだ。ありふれた生に。自分一人だけが生き残ってしまったという、卑俗でくだらない生にな。わかっているのか? お前がその力を使う度、自ら尊いはずの死の価値を貶めているということに! 失われた五人の死を、ありふれたものにしてしまっていることに!」

 

「違う! 俺は、違う、違う違う違うっ!」

 

 俺の下らないアナロジー、牽強付会で我田引水な詭弁に、キロンが半狂乱になって否定の声を上げる。冷静な判断力を働かせることができる状態ならまだしも、今の彼は長時間にわたり苦痛に苛まれた後だ。すり切れた精神と理性では理路整然とした反論も難しいだろう。


 もし彼が生を死よりも尊いと感じていれば、鮮血呪によってあらゆる生者に死を与える最強の転生者殺しが生まれていただろう。そうならなかったのは、彼が失った五人を深く想っていたから。そして、その適性が殺戮よりも治療に向いていたからなのだろう。


 讃えられるべき善性が、廉施者キロンを殺す。

 形の無い、交換不可能な想い。心の一番深い場所でその意思を支える、唯一絶対の記憶。


 その聖性を穢されたことで、不屈の精神がついに決壊する。

 だが死ねない。己に課した呪術が自動で肉体を修復し、死にたくとも死ねないという最悪の時間を強引に引き延ばし続けている。絶望の中、無我夢中で手を振り回す。そして、その右手に一振りの槍が握られていることに気がついた。メクセトの神滅具【自殺の黒槍】である。そして彼の脳裏に天啓のように舞い降りたひらめき。


 トリシューラの分析によれば、黒い槍が傷つける対象は、敵ではなく使い手自身である。

 穂先が敵対者の身体に接触した瞬間、使い手のそれと同じ部位に対して攻撃を行う、自傷呪術が仕掛けられた悪意の槍。


 その後、自らに与えた傷をコピーし、穂先で触れた対象にペーストする。その迂遠で強引な防御無視のプロセスが神滅具【自殺の黒槍】の能力だった。本来ならば相打ちにしか持ち込めない最悪の武装だが、キロンが使えば話は別だ。相手に傷を貼り付けた後で、瞬時に負傷を治してしまえば一方的に相手を貫き続けられる。


 『呪具には理不尽なまでの応報性と相応以上の反作用、どちらかあるいは両方が必要である』というのが呪具製作者エンチャンターとしての覇王メクセトの哲学であったというが、ただの悪趣味であることに疑いの余地はない。遠い過去で、最悪の呪具製作者が悪意に満ちた笑みを浮かべるのが容易に想像できた。


 意識が途切れそうになる激痛の中、キロンは黒槍の穂先を自らの頭部に押し当てる。彼の思考にはもはや反撃の意思が介在する余裕など無い。ただ目の前の苦痛から逃れたい一心で、必死になって苦痛から逃れようとするだけだ。このまま頭部を破壊すれば痛みを感覚することもできなくなる。この死にそうな程の痛みから解放される。生き延びる事ができる。


 死ねば生きられるという破綻した思考のままに神滅具の能力を発動させる。使用者と標的が同一であり、自傷の後にそれを参照して標的に上書きするというプロセスが異常を来す。使用者の傷と標的の無傷という状態の差異を比較して類似であると確認することによって神滅具の処理は正常に終了する。上書き処理の前に標的に傷が生まれているという異常。上書き処理を遅延させたままパラドキシカルトリアージによって負傷が修復され、それによって神滅具が正常に作動し、頭部に貫通創を上書きする。その傷を参照して、オリジナルとコピーが完全に同一である為に神滅具の処理は正常に終了できない。AとA'という結果を生み出すことがその役目であるのに、参照先は両方ともA'とA'だ。再びの修復と上書きを繰り返すが、何度やってもコピーをペーストしてそれをコピーして――その繰り返し。終わらない無限ループ。


 即死すら叶わない意識の限りない断絶の中で、途切れ途切れの懇願が響いた。

 その響きに、聞き覚えがある。半年前とは違う、これは俺が自ら引き起こした結果だ。


 自殺とは、己の意思によって望むものではない。外部からストレスを加え、自ずから死を選択させる。そのような脳の誤作動を強制的に引き起こす、人間の脆弱性を的確に突いた拷問。原始の時代から存在する呪術的クラッキング。自殺は外部から強制されることで引き起こされる、責任と行為者を錯誤させた呪殺のメソッドである。


 首筋から、冷たさが広がっていく。

 引き抜いたコルセスカの刃を鮮血が濡らし、瞬時に凍結させていく。赤い血の氷に染まった刃を水平に構えて、静かに宣告する。

 

「『介錯』だ、キロン」

 

 切腹――強いられた自死の苦痛を終わらせるための、止めの一撃。

 はね上がった首を吹き上がろうとする血液ごと凍結する。次の瞬間、苦痛からの救いだけを求める表情が、粉々に砕けて第五階層の空に散っていった。

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