2-96 サイバネティクスとオカルティズムの幸福なマリアージュ⑫
気がつけば、映像の中で歌姫のステージが終わりを告げているようだった。何やら俺が戦っている間にトラブルでもあったのか、軽い混乱が起きていたようだが、なんとか無事に幕を閉じることができたらしい。
ほっと一息を吐きながら、合体を解除してモニターの裏側、ビルの屋上に降り立った。トリシューラと二人並んで向かい合う。
「てわけで、晴れて俺もトリシューラと同じ立場なわけだ。後輩として、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
「うん、よろしくね。でも、あんな提案をアキラくんの方からしてくるなんて、びっくりしたよ」
キロンは強敵だ。二重三重の策を用意しても不測の事態など幾らでも起こりうる。そうやって死亡してもトリシューラへの協力を続行するため、頭部の複製は必須であった。脳の神経回路のマップを取得してシミュレート、総体としての神経細胞の働きを完全に再現する。言うは易しだが、途方もないスペックのマシンと高精度なソフトが必要となる。
だが、トリシューラが自己を複製可能であるという前提に基づけば、それは成功するはずだった。トリシューラという人を作れるのなら俺だって作れるはずだ。トリシューラが凄まじく単純な仕組みの質疑応答装置とか遠隔操作とかだったら俺は完全に死んでいただろうが、それでも俺はトリシューラがいることに賭けた。
つまり俺という存在が今ここで思考しているという事実は、トリシューラが作られたアンドロイドであることも同時に証明する。一石二鳥だ。合理的に考えて、やらない理由が無い。
まあ俺の借金が数桁増えるだけで何も問題は無い。数桁っていうか十桁以上増えてた気がするんだけどちょっと怖すぎて確認してない。一体どのくらいトリシューラの所で働けば良いんだ俺。一生?
「とはいえ、今ここにいる俺が実際に俺なのかは確かめようもないわけだが」
もしかしたら俺の脳は最初に開頭手術をされたときに摘出されており、さっきまで水槽の中から遠隔操作していたのかもしれない。いや、ひょっとすると今も。知覚や認識の操作を疑い出すと際限が無くなる。
いずれにせよ俺の脳に関してはもはや完全なブラックボックスだ。それは実行したトリシューラにとっても同様である。
「でも、自分でやったことなのに詳細がわからない、っていうことはちゃんと分かったよ。ちびシューラをアキラくんの中に刻印した時も同じ事があったけど、これで確証が持てた。更に上のレベルに、高次のトリシューラが存在しているのは間違いない」
それが確認できたのなら、この試行にもそれなりの意味があったということだ。人工脳及び義体頭部によって生命活動を続けている俺は、定義上テセウスの船型、あるいは単にテセウス型とだけ呼ばれるサイボーグに分類される。が、まあサイボーグとアンドロイドの違いなんて大した問題では無い。重要なのは成果が得られたのかどうかだ。
「アキラくんの複製を実行した瞬間、ちょっとだけ見えたよ。最上位のトリシューラの姿が。やっぱりシューラは複合型だった。全部は把握し切れてないけど、主要なモデルは九つ。かろうじて確認できた一つが、自己組織化された脳細胞群のはたらきを、蓄積された情報に基づいて確率推論で最適化していくタイプのニューラルネットワークだった」
「セル・オートマトンにベイジアンネットワーク? またえらく古典的な。まあ他に八つなら、まだまだ浅い層ってことなのか」
「そうだね。でも私自身を探る端緒にはなったよ。本当にありがとう、アキラくん。貴方の協力があったから、ここに辿り着けた」
「まだスタート地点だろ。何も始まってねえよ。そういうのは全部終わってから言え」
あと報酬もな。最後まで付き合ったら借金分と合わせてチャラになるくらいの肉体労働だろこれ。
実感はともかく、現実には俺じゃなくてもできる仕事だし、大した事はしていないといえばしていない。主役はあくまでトリシューラであって俺じゃない。せいぜい交換可能な労働力として勤労に汗することにしよう。
こほん、とかすかな咳払い。そろそろいいでしょうか、と言う声と共に、まだ俺の右手に握られていたコルセスカが白い光に包まれた。瞬時にその輪郭が歪み、人の形態を取り戻したコルセスカが険しい視線を隣のビルに向ける。
「二人とも、釘を刺すようで申し訳ありませんが――まだ終わってはいませんよ」
鋭く向けられた凍結の邪視を、膨大な量の呪力が押し返していく。視認のみで発動する最速の呪術。景色を塗り替えていった氷が、更なる視線にさらされて溶けていく。固まっていく空間自体を上書きしていく現象は『融解』だ。コルセスカの技と同系統でありながら対極の性質を持つ新たなる邪視。
その現象をもたらしているのは、無数の眼球だった。空中に浮遊する、夥しい数の目、目、目。数百、数千を超えてもはや万に達するのではないかという凄まじい数の、それは既に軍勢だった。
「邪視系使い魔、【八万の眼球アブロニクレス】――古代に失われた文明で崇拝されていた神とも、精霊であるとも言われています」
コルセスカが解説を挟む――その八万って日本語における八百万みたいに沢山って程度の意味だよな? まさか本当に総数が八万なのだろうか。あの大群を見ているとあながち無いとも言い切れない。
あの眼球を最初に見たのは第六階層。王獣カッサリオを呼び寄せた何者かの使い魔。次に見たのは第五階層が迷宮化した時。階層を書き換えた何者かの使い魔であるという。三度目がキロンを融血呪によって復活させた時。俺達が窮地に陥る時、必ずこの眼球型使い魔の姿がある。
その主人が誰なのか。左右に立つ二人の魔女にはその確信があるようだった。俺もまた、漠然とした予感を抱き始めている。
「典型的な
どこからともなく響く、大量の使い魔が同時に喋っているようにも聞こえる声。その中に、どこかしらこちらを蔑み、否定するような強い悪意が含まれているような気がして、肌がちりつくのを感じた。
「まずはお見事、と言っておきましょう。氷血のコルセスカと鮮血のトリシューラ、そして忌むべき転生者よ」
「褒められて悪い気はしないが、まずは顔くらい見せたらどうなんだ?」
「姿を現さない非礼はお詫びしましょう。ですが姿無く実体無く形無く、目に見えぬ呪いを扱うのが我々使い魔の呪術師の戦い方なのです」
確かに、自らは戦闘能力を持たず、他者を使役するという形式の呪術ならばそれは理に適っている。敵に回すと厄介なことこの上ないが。
そしてキロンを裏から操って手駒にするという手口。はっきり言って陰湿だ。そのやり口はどこかあの邪悪な魔女、トリシューラを思わせる。とかそんなことを考えていたら後ろから脚を蹴られた。
かなり強めの一撃だったらしく、コルセスカがふるふると震え出し、出し抜けにトリシューラに掴み掛かる。背後で開始される魔女同士の戦い。何やってんだこいつら。
「この機会に自己紹介を済ませておきましょう。わたくしは使い魔の
知らず、身体が震える。
魔将の統率者。つまり、俺の目の前に立ち塞がっているのは、地獄の総大将本人だと言うことだ。まさかそんな大物が地獄の底の第九階層ではなく第五階層に現れるなど、一体誰が予想できるだろう?
トリシューラはキロンほどの強大な実力者がいれば感知できないのはおかしいと何度もこぼしていた。結局彼は自らの自己評価を操作して弱者を装ってこの階層に潜入したらしいが、この相手は一体どのような手段で感知の網をすり抜けたのだろうか。というか索敵ザルじゃねえか強敵の侵入許しすぎだろ。
仮想視界で縮こまるちびシューラがサジェストした情報には、魔軍元帥の詳細なプロフィールが載っている。
それはまさしく伝説上の人物だった。
曰く、地上の生まれでありながら地獄に下った人類の裏切り者。
曰く、神話の時代から火竜に仕え続ける地獄の聖女。
曰く、死ぬ度に魂を別の肉体へと移し替える転生者。
曰く、この
曰く、無数の使い魔を使役するビートダウンの魔女。
尽きることのない、相手の危険性だけを伝えてくる情報の数々。吐く息は重くなり、首筋が冷えていく。残りの魔将とかすっとばしていきなり親玉とは景気が良いことこの上ない。こっちはキロンとの戦いで精も根も尽き果てる寸前だというのに、地獄の総大将は冗談が上手い。
「わたくしのあの世界での名はベアトリーチェ。この世界での名はセレクティフィレクティ。この身は二つの魂が融け合った二重転生者。以後お見知りおきを、日本人のサイバーカラテ使い。同じ立場にある者同士、仲良くしていきたいものです」
その名前に、異様な引っ掛かりを覚える――今までにもあったことだ。この世界の連中は、どうしてかやたらと俺の前世からの引用を好む。しかし今の言い回しからすると、もしかしてこの相手は俺と同郷なのだろうか?
俺の耳に届いているのは【心話】によるダイレクトな意味の伝達だが、よく注意するとその背後で微かに西欧語じみた響きが聞こえるような気がしなくもない。はっきりと聞こえた所で、その意味がとれるとは思えなかったが。
二重転生者と彼女は言った。それはつまり、異世界から来た転生者の情報とこの世界で黄泉がえりを続ける転生者の魂とが結びつき、一体になっているということだろう。憑依されそうになって逆に肉体の主導権を奪い返したキロンとは違う。融け合って共存している状態ということか。
それにしても。
「何度も転生を繰り返してる強大な魔女、ってつまり転生歴ロンダリングのこと?」
「わたくしを狡い詐欺師風情と一緒にしないでいただけますか?」
幾分クリアになった声が、軽くキレ気味だった。感情が揺れたせいで正体を隠すための呪術が雑になったのだろう。揺さぶりの成功に内心で快哉を上げる。
「わたくしは貴方のような転生者が一番嫌い――転生先の世界とその世界に住む人々を蔑ろにして搾取を繰り返す恥知らず」
「否定はしないが、あの世界の先進国に生まれた時点で多かれ少なかれ他の世界を踏みつけにしているのは変わらないと思うが。気にしてたら生きていられない――ああ、そうか。ベアトリーチェとか言ったな。貴方が地獄側に付いてるのはアレか。地上の連中に差別され虐げられる可哀想な下の人類を助けてあげたいとかそういう理由か」
「――ええ、その通りですとも。何か問題がありまして?」
「無いな。立派な、そして崇高な理念だ。貴方は正しい。敬意を払うに値する――ところで、それは何をしているんだ?」
眼球の群れの中央で、蒼い流体が渦を巻いている。第五階層に飛散した氷漬けのキロンの遺体、そこから溢れた融血呪の流体が浮上してたゆたっているのだ。その内側には十数個の輝きと、五つの神滅具、そして蝶の翅が閉じ込められているように見えた。
「回収ですわ。あの者が今までに集めてきた転生者の力。あなた方の力も融け合わせる事ができればと思っていたのですが、そうそう思い通りにはいきませんね」
「キロンを利用して転生者の力を集めるのが狙いか」
「それはついでの用事。わたくしは哀れなハルハハールの亡骸を取り戻し、第九階層にある生家の近くに葬ってあげたかっただけです」
「そうか。仲間思いなことだ。それで、転生者の力を集めてどうするんだ?」
「部下達に分け与えるのです。敵の力を奪い、利用する。地上の修道騎士たちもやっていることでしょう?」
「なるほど、効率的だ。しかし、その為にキロンをいいように使い倒していたみたいだが、その点は貴方の中でどんな風に帳尻が合ってるんだ?」
「彼は正義と己の傷を盾に自らの残虐な行いを正当化する恥知らず。わたくしはそのような輩を『人ではない』と認識しています」
は、と笑う。それと似たような事を言う男を、俺は一人知っていたからだ。彼女の言い草はまさにその裏返しでしかない。
そう考えた俺は、しかし次に続いた言葉でその甘い認識を改めることになる。
「貴方はこう仰りたいのでしょう? わたくしの本質は人と人でないものとを区別し排除する地上人の、そして転生者達のそれと変わりないものだと――その通り。わたくしは邪悪。見るに堪えない、直視すら憚られる醜悪。けれど、それでもわたくしは悪であることを選ぶのです。ええ、わたくしが堕落し、汚れることで守れるものがあるのなら、わたくしは喜んで鬼畜外道に成り果てましょう。その悪因悪果、残らず受け止め平らげてご覧に入れます」
望んで悪を選ぶのだと、彼女はそう言っているのだ。その姿はまるで、己を邪悪な魔女だと規定する誰かのようでもあった。
正直、少し甘く見ていた。キロンのような典型的なタイプを裏返しただけの――あるいはよくいる異世界ボランティア学生とかの類かと思っていたのだ。だが彼女は大まじめだった。異世界ボランティアが反乱軍のリーダーとかになってしまう、より重篤なケースである。やべえ本物だこれ。
「尊く思い、大切にしたいと願うものがあるのなら、その対極に卑しいと蔑み、排除し滅ぼしたいと願うものがあるのはごく自然なこと。価値は比較の中でこそ生まれる――どちらにも付かず、流されるままの貴方にはわからないことかもしれませんが、何かの味方をするということは、何かの敵になるということです。大切なものがあるということは、大切でないものがあるということ。人であるものがいるということは、人でないものがいるということです」
「極論だな。普通その『人』の定義ってのは知性とか生物学的な特徴とかを根拠に――あ」
「ええ。この世界は『人』の在り方が多様過ぎる――そしてそれを万人に認めさせるには、世界の在り方が呪術的過ぎる。これはこの世界の構造的な宿痾なのです」
『人』の定義。その話題について、俺とトリシューラは特に慎重な姿勢をとらざるを得ないのだが――いきなり際どい話を振ってくるなこの相手。
正直な所、参ったとしか言いようがない。俺は今、この相手に相対できるだけの足場が無いのだ。
もしかすると『人』ではないと万人から否定されるかも知れない俺とトリシューラ。そんな俺達が、何を持って『人』とそれ以外とを峻別するのか、その基準を定めてしまうことは、危うい。
どこがゴールかもわからない今、見通しもないままにそれをはっきりと口に出すことはできないのだ。
先程俺はベアトリーチェに顔を見せろと言った。だが今となってはそれも愚かな真似だったと思えてくる。今の俺に、この相手の前に立つ資格はない。対峙し、打倒するに足りる材料が無いのだ。
戦えば負ける。戦力の比較などではなく、ただそうなのだと直観した。
おそらく相手もまた、それを理解していた。
「さて、どうしましょうか。主な用事は済んだものの、このまま貴方達を生かしておく理由も特にありません」
無数の眼球が一斉にこちらを向いて、凄まじい呪力が周囲に充溢していくの感じる。冷たさが全身に広がっていくのを感じながら、密かに歯噛みした。
と、今度は背後からコルセスカが前に出て、挑発するように右目を輝かせる。対する無数の目は、どこか面白がるようにして笑声を響かせた。
「此度の生では初めまして冬の魔女。それともお久しぶりと言うべきでしょうか」
意外、というわけでもないのか。二人は既知の間柄のようだ。それも親しい仲などではない。長年の宿敵同士。そんな雰囲気だった。
「性懲りもなく他人の魂に寄生して甦りましたか、相補の魔女」
「寄生とは人聞きの悪い。わたくし達は共生しているのです。わたくしはただ、前世のわたくしたちに共感し、同じ道を往くと決めただけのこと。貴方に物言いを付けられる筋合いはございません」
「火竜の太鼓持ちの次は猫の腰巾着。随分と腰の軽いことですね」
「転生する度に違う男をくわえ込んでいる貴方にだけは言われたくありません。それにわたくしは変わらぬ忠誠と崇敬を大いなるメルトバーズ様に捧げております。トライデントに所属しているのはその為の手段に過ぎない」
「く、くわえ込んでなんか――いえ、確かに物理的には噛みましたけど。そんなの一回転生したらノーカンですノーカン! 前世の私がしたことを責められても困ります! ですよね?」
そんな急に同意を求められても。正直に言えばちょっと気にならなくもないが、そんな事を口に出してコルセスカを不安がらせても仕方が無い。平然を装って頷いておく。しかしキロンが死ぬ前に言い残した『我らが筆頭騎士の花嫁』とは一体――ううん。
「ほら見なさい。私の使い魔はそういう小さな事を気にしない大きな器の持ち主なんです。貴方のお笑い怪獣軍団とは格が違うんですよ」
「ふふふ、言ってくれますわね。わたくしの可愛いペットたちを褒めてくださるなんて、光栄ですわ」
「その慇懃無礼で不遜な口調。相変わらずの性根ですね。何度死んでも進歩が無いところまで一緒のようです」
いやコルセスカさんそれ人の事あんまり言えなくね? 口には出さないけど。
「どうせ今回も召喚コストに圧迫されて極貧生活でもしているのでしょう。今度から借金地獄の主とでも名乗ったらどうですか」
「よっ、余計なお世話です! ふん、保護者の脛を囓って生きている貴方には人を養わなくてはならないわたくしの苦労などわからないのでしょうね。人が寸暇を惜しんで働いている間、一体貴方は何をしていました?」
「ゲームしてました」
「――――貴方はわたくしが手ずから殺します。覚悟しなさい」
静かな激怒を秘めた宣言と共に、途方もなく巨大な呪力が膨れあがっていく。ああ、コルセスカのおかげで戦いが回避不能に。まあどっちにしろ見逃してくれそうにはなかったが。
身構える俺達三人。対するは万にも及ぶ使い魔の大群。
張り詰めた糸が切れる寸前、不意に視線の一つが高層建造物の下を見る。瞬間、どこかで姿を隠している魔女が、はっきりとわかるほどに動揺を示した。
眼球の群れは、一斉に眼を剥いて(最初から剥き出しみたいなものだが)ある人物を凝視した。
「そんな馬鹿な。ありえない。獅子王の――あの方がなぜここに?」
震える声で、意味の掴めない事を呟くベアトリーチェ。眼球の群れが混乱し始めている。その視線の先にいたのは、猫耳をぴくぴくと動かしながら第五階層を走り回る、小さな姿。
「レオ?」
(そっか。やっぱあの子、地獄の貴種か何か――それも相当高位の『やんごとない身分』って奴だよきっと)
ちびシューラが推測を口にする。口にしているのが古代の言語というのが不思議だったが、そうした古典語を日常的に使うような、生活空間の隔離が行われていたなら納得はいくのだという。呪力の質を高める目的で古い文化性を保持するのは、地方の王族などに見られる習慣らしい。地獄に多数ある国家群のどこかの王室の関係者である可能性を以前から疑っていたとか。
記憶喪失の少年が、どれほど敵の魔女にとって重要な存在なのかはわからない。しかしベアトリーチェの戦意がほとんど消えかけているのは確かだった。
「あの子が言っていた古代語の話者というのはこの事――なんてこと。これは気づけなかったわたくしのミスだわ。レストロオセめ、これを見越して横槍を――フィリスといい、勝手ばかりして!」
舌打ちしながら苛立ちを露わにする。遙か下方で、こちらの状況を一切関知せず走り回る猫耳の少年は殺人的に可愛い。
「仕方がありません。わたくしは所詮魔軍の元帥――その上の意向にまでは逆らえません。今ここであなた方を殲滅する事を【下】は望んでいない――であれば、ここは退くとしましょう。 今日はほんの挨拶程度ということで満足しておきます」
なんか小さく「バイトのシフトもありますし」とかいう呟きが聞こえた気がしたが空耳かな?
無数の眼球と蒼い流体が光に包まれて消失していく。その寸前で、コルセスカが小さく「凍れ」と呟いて、正確に五つの神滅具だけを凍結させて奪い返す。
「それは返してもらいます」
「――今回は見逃します。それではまた。わたくしの敵」
そして、俺達の目の前からあらゆる光が消え去っていった。
後に残ったのは、ただひたすら静かな空間。
何かまとめる感じの事を口にしようとしたが、その前に首筋に問答無用で牙が突き立てられる。
「ちょっ! 何やってるのセスカ! それ以上吸ったらアキラくんが――」
「ん――後の事を任せました、トリシューラ。私はこれから敵の本体を追いかけます。まだそう遠くには行っていない筈。あの系統の呪術師は本体を叩けばわりとあっさり倒せます。つまり今仕掛けるべきです」
「いや無茶だろ、思い留まれコルセスカ! もう身体動かすの限界だから戦えるのも最後の一撃だけだってキロンとやり合う前に自分で言ってただろうが!」
「そうだよいいから帰って寝て! この中で一番やばい状態なのセスカなんだから」
「アキラから血を貰ったので大丈夫です。では行ってきます」
「ちょっと――?!」
言い捨てて、素早く跳躍して建造物の上を伝っていくコルセスカ。死にかけとは思えない行動力だが、トリシューラ以上に無茶ばかりする奴だということはよく分かっている。
「ああもう! 仕方無い、追うぞ!」
「最低! ここは普通もうちょっと戦いが終わってめでたし的な流れになるところでしょあの馬鹿――!」
ぎゃあぎゃあと喧しく騒ぎながら、俺達は慌ただしく走り出した。
どうやらもうしばらく、気が休まることは無いらしい。
振り回されて追いかけられて、どこまで行くのかもわからない、滅茶苦茶で無軌道な二人の魔女。それでも俺は、ようやく足りないものが埋まったように感じていた。足場と両手、それから未来。少なくとも、目を離して後悔することだけはしたくない。遠ざかる二人の姿を、一歩を踏み出し、手を伸ばして追いかける。
――その後、路地裏で力尽きているコルセスカを発見した俺はそのまま貧血で倒れ、トリシューラは俺達二人を引きずって地下の拠点に運んだとか。
二人揃って寝台に横たわり、目覚めた瞬間から終わりのない説教と愚痴を聞かされ続けたという――。
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