2-94 サイバネティクスとオカルティズムの幸福なマリアージュ⑩


 左手で回転する円環が、強烈な輝きを放つ。

 その特性【輪廻】の呪力が極限まで引き出され、俺という存在をトリシューラが繋ぎ止める。

 

(ありふれた死なんかで、引き離されたりしないんだからっ――!)

 

 死が二人を別つまで――それは無意味な誓いだと、死を弄ぶ魔女が叫ぶ。

 もはや死は俺達の別離や敗北を意味しない。望む限り転生し、意志ある限り挑み続け、死ぬ度に強くなる。敵が転生力とやらで上回るというのなら、こちらは二人分の転生力でそれを凌駕するのみ。

 

(アキラくんの死によって【鮮血呪】をトリガー。呪力を通せ、価値を否定せよ!)

 

 背後の屍を生贄に捧げて、鮮血の呪術が発動する。閾値スレッショルドを超えた価値の変動が超常の神秘を再現可能な現象に置き換えていく。

 お互いがお互いに、定められた誓約の文言を口にする。打ち合わせるまでもなく、そうすればそうなると、俺達には確信があった。

 

ヒエロス――」

 

 トリシューラが望み。

 

「――ガモス

 

 俺が受け入れる。

 そうして、鮮血呪はその使い手に新たな力をもたらしていく。


 鮮血スレッショルドのトリシューラ。【春の魔女】、【きぐるみの魔女】、【アンドロイドの魔女】。それらの名前に宿る呪力が、その本質を明らかにしていく。


 血のような色の髪をなびかせて、魔女の全身が赤い光に包まれる。爆発的に膨れあがっていく呪力が可視化されて稲妻となって迸る。

 俺の傍らで、トリシューラの肉体が内側から弾け飛んだ。


 それは破壊ではない。定められたように分離と展開を繰り返し、その内側に詰まった精密呪具の数々が圧縮されて異なる空間に格納されていく。残ったのは空洞のトリシューラ。まるできぐるみのようになった彼女の全身が薄く広がっていき、ばらばらの各部位が対応する俺の身体の各所に装着されていく。


 頭部から流れる深紅の微細放熱フィンがたなびき、テクスチャの消去によって肌色が黒銀となる。緑色の光学素子に俺の瞳孔が重なり、背中と腰に噴射口が形成されていく。


 更に左の義肢が軸たる骨格部分だけを残し、光の粒子となって雲散する。その上からトリシューラの左腕が覆い被さり、外側から光が収束して再び【ウィッチオーダー】がその姿を現す。


 自己の拡張、それは強化外骨格を纏う事。そして自らが他者と一体化すること。

 きぐるみの魔女の真なる能力とは、彼女自身が強化外骨格きぐるみになることだ。


 俺はトリシューラを着る。全身が彼女に包まれ、一体となっていく。その体構造は隅から隅までこの目に焼き付けている。彼女を知り、そしてこの全身で体感する。トリシューラの感覚、意識、言葉にできないような認識の細部に至るまで、情報の奔流が俺の中に流れ込んでくる。

 

(感じるよ、私の中に、アキラくんが入ってくる。なんか変なの。すっごくごつごつしてて硬いのに、柔らかいような気もするんだ。アキラくんらしいと言えばらしいのかな)

 

 暖かな感覚に包まれているという、圧倒的な安心感があった。いつまでも包まれていたいという甘やかな欲求を、しかし首筋から広がる冷たさが拒絶する。取り戻した理性で、外へと意識を傾ける。完全に同一となった俺とトリシューラの瞳が外界を高精度に捉えていく。

 

(地母神キュトスの【杖】性の欠片である最後の魔女トリシューラと、純粋な【杖】のゼノグラシアであるアキラくんが【聖婚】を行うということ。それは両者の相互補完を意味している)

 

 人機一体の境地。此則ちサイバーカラテの極意也。

 いつしか、トリシューラの思考が俺の中に流れ込んできていた。今まで一方的だった思考の流れ。それが双方向になっていつしか一つのものになっていく。

 

(シューラはアキラくんになり、アキラくんは私になる。新しい左手はその象徴なんだ。それはアキラくんの左手でありトリシューラの左手でもある)

 

 俺が俺でなくなった、という所までは行っていない。だが、意識の奥の方で確かな繋がりを感じているのも事実だ。誰かが、すぐ傍にぴったりと寄り添っているような感覚。

 

(二者の合一。今はまだ不完全で、機能もあと八つロックされているけれど、この段階を経ていずれアキラくんは【アダム・カドモン】に至る)

 

 翻訳がどのように行われているのかは知らない。しかし俺がいた世界の宗教的神話的な用語を参照していながらも、トリシューラの言葉は不思議と確かな未来への指向性を感じさせた。

 

(それは完全者の創造。いつか【アンドロギュヌスの左手】に辿り着く為に)

 

 それは。

 

「それは、誰が?」

 

 俺が? それとも、トリシューラが?

 答えはどちらでもない。

 

「私達が、だよ。アキラくん」

 

 その装甲は漆黒と銀、重なった眼光は緑、女性的なラインと男性的な力強さ、そして機械的な硬質さを複合させたシルエット。その背中から、後光のような呪力の光が放射されている。


 燃え立つ翼を広げたその姿は、炎を纏った天からの御使いを思わせた。

 

(アキラくん、新しい力を掌握できているのがわかる? さっきので制限状態だった【ヘリステラ】の出力が三割から十割にまで上昇してる。やっぱり、私達がトリシューラというシステムを知っていくことで、ウィッチオーダーの上位機能がアンロックされていく仕組みなんだ)

 

「なるほど、ってことは後八つか。早速行くぞ、射影三昧耶形アトリビュート・一番!」

 

(No.1【ヘリステラ】エミュレート!)

 

 そして、脳裏に一つのイメージが想起されていく。彼女は女王だった。勇壮な面差し、輝く両の眼、そして充溢する圧倒的な呪力のオーラ。その背には途方もなく大きな車輪が乗せられ、上方には禍々しい竜、下方には極彩色の猫、左右にはそれぞれ鴉と兎が鎮座していた。その身体を押し潰さんばかりに巨大な車輪を担ぎながらも、強靱な山羊脚で大地を踏みしめ、踏みとどまり続ける女性。彼女が押しつぶされずにいるのは何故か。その足下に、沢山の妹たちがいるからだ。彼女は長姉。七十一に分かたれた不死女神、その最初の一欠片。膝の屈伸と共に途方もない質量が持ち上がっていき、やがて最高点に達した車輪が天を突き破り、大地から隆起して女王と姉妹たちを乗せていく。回り出した車輪は、魔女達を乗せて果てのない旅路を進み始めた。


 そのイメージを、確かに左手で掴み取ったという実感がある。強く拳を握りしめて、俺は床を蹴って飛翔する。背中の噴射口から爆発的な呪力の炎が解き放たれて推進力となる。

 

「そのような見かけ倒しっ」

 

 次々と撃ち放たれる呪術と閃光の矢を縦横無尽な機動で回避して一瞬で間合いを詰め、その勢いのまま左拳を叩きつける。


 脚からではなく噴射孔から伝わるエネルギー。変則的な伝達経路に、トリシューラの【サイバーカラテ道場】は完璧に対応して見せた。視界隅の疑似身体が、背中から腕先へと伝わっていくモデルを表示している。


 キロンはそれを完璧に回避しながら反撃の刺突を放つが、今の俺達の反射速度は大幅に上昇している。右腕でキロンを減速させるまでも無く正確に弾いてみせる。更に腰部分の噴射角度を変えて制動をかけながら方向転換。側面に鮮血の足場を形成し、真横に蹴り出しながら今度は足から腰、胴、腕という正道を行く運動エネルギー伝達経路でキロンに渾身のカウンターを叩き込む。錐揉みしながら吹き飛んでいくキロンが、蝶の翅と馬の脚をばたつかせながら体勢を立て直し、血の唾を吐いてこちらを睨み付けた。

 

「装備の更新で能力が大幅に上昇している――体力、神経反射、知性、そして打撃力。全て底上げとはな。さしずめ機械仕掛けの【炎天使】とでも言ったところか――だが、それほどの強化、維持するだけでも容易くはあるまい。コストはさぞ重かろう。果たしていつまで支払い続けられるかな!?」

 

 キロンの揺さぶりは実のところ正鵠を射ていた。

 この状態は鮮血呪の代償によって俺達双方が【自己】を放棄したことによる副産物だ。欠落した自己同一性をお互いが補完することでその精神的な死を辛うじて防止するという窮余の策。決して死ぬ事を条件に発動する必殺技なんて格好の良いものじゃない。


 俺達二人はキロンとの戦いで『俺がシナモリ・アキラであること』『私がトリシューラであること』という自己認識をそれぞれ傷つけられ、一時的に戦闘不能に陥った。次にまた同じようなことがあった時に、必ずしもコルセスカが傍にいて助けてくれるとは限らない。


 だから俺達は一つの取り決めを交わしたのだ。どちらかあるいは双方の自己認識が損なわれた時は、その欠落を片方が埋めると。


 俺の傷に『トリシューラが思い描くシナモリ・アキラ』が流れ込み、トリシューラの傷に『俺が思い描くトリシューラ』が流れ込んでいく。二人の合一は傷の埋め合いなのである。


 しかし、ある程度まで自己の存在を確立してしまえば、それ以上の合一はお互いにとって毒にしかならない。『自分は自分である』という認識のためには、自分と同化している他者など邪魔でしかない。俺達は互いに拒絶し合わなければならない。

 

強制拒絶リフューズまであと270秒! なんか異物感すごいねこれ。うええってなる――アキラくん気持ち悪いから早く済ませちゃって! ただでさえ持続時間短いんだから)

 

 奇妙な事に、この状態に対しては俺とトリシューラで感じ方が異なるようだ。俺の方は安心感とか多幸感に包まれて心地良いのだが。個人差というか、非対称性みたいなものを感じる。実際の所、呪力による維持コストを支払うのは主にトリシューラで、外側で攻撃を受け止めるのもまたトリシューラだ。負担は一方的にトリシューラにだけのし掛かる。ここからは一切のミスが許されない。


 俺の真下に回り込んだキロンが移動しながら矢を連続で放った。跳ね返せば地上へ被害が及ぶ。それは周囲の反感を招き、俺を不利にする振る舞いだ。回避していくが、敵の狙いは俺への直接攻撃ではない。


 上から剥離した天蓋の破片が降り注ぎ、とりわけ大きな照明光の残骸が俺の視界を一瞬だけ遮る。残骸ごと撃ち抜く閃光の矢。出力を弱められた破壊光は残骸を無数の散弾に変えた。拡散して襲いかかる衝撃によってこちらの動きが停止する。稲妻の如き刺突と空間歪曲攻撃が、嵐のように空中を走り抜ける。


 その全てを赤く光り輝く軌跡を残しながら回避し、すれ違う瞬間に打撃を加え、確実にダメージを与えていく。

 

(死の中で私達は『鮮血のトリシューラ』の上部構造を垣間見た。その中で掌握したのは、ウィッチオーダー最強の九形態、最初の一つ。杖の奥義【化身】状態にある今、限定的にしか使えなかったその力を、完全に使いこなすことができる)

 

 ウィッチオーダーの下位六十二形態は、いかに強力であっても既存の呪具で再現可能な力でしかない。空間制御や熱学制御、短期的未来予測などの技術は俺の前世でも実現可能なものばかりだった。


 だが上位九形態の力は下位のものとは一線を画する。

 前世、現世、来世を問わず、あらゆる世界に共通する神話のモチーフ、幻想の原型。無数の異世界において共通点が見いだせるものの、ディティールが定まらないゆらぎの神話。


 その全てを貫くイメージの核心を抽出して鋳型に流し込む事で、絶対に揺るがない呪的強度を獲得する神話ミシック級の超呪術兵装。

 それはあらゆる神話と幻想を貫く、世界の始まりと終わりを繋ぐ槍。

 

(紀元槍――アカシックレコードとのダイレクトリンク形成完了。追加コンバージョン、タイプ【車輪の女王】いくよ!)

 

 トリシューラの外装と同化した左腕に光の粒子が集まっていく。手の甲の部位に車輪、あるいは歯車のようなパーツが追加され、それが高速で回転し始める。

 

(キュトスの姉妹No.1【ヘリステラ】、またの名を【車輪の女王】――私達キュトスの姉妹の頂点に立つ、一番上のお姉様。呪装機巧【アーザノエルの御手】が参照し、引用する能力特性は【輪廻】。車輪の女王の二つ名は複数の解釈があるけれど、そのうちの一つがキュトスの姉妹が無限に転生を繰り返すことを、車輪が回転する様子に喩えたというもの。キュトスの姉妹の長姉が司る【不死】は、【輪廻転生】なの)

 

 機械的な義肢の部品として回る車輪。それを見て俺が連想したのはむしろ歯車だった。機械仕掛けの腕が呪術によって息を吹き込まれ、不可視の力と噛み合った歯車が回っていく。左手の甲で快音を上げながら高速回転するこの車輪が輪廻転生を象徴しているのだとすれば、その生と死はかなりの急ぎ足で巡っていくことになる。

 

(輪廻転生の能力特性は、エネルギーの移転。消滅し、直後に出現したエネルギーをアナロジーに基づいて同一のものであると画定することができる。このことが何を意味するかと言えば――)

 

 入力されたエネルギーが義肢に内蔵された魔法円の集合体――呪術円陣によって変換されていく。各運動器系人工器官オーガニック・エンジンが唸りを上げて、シャフトとその周囲の人工筋肉繊維に送電を開始。呪力が渦を巻いて義肢の内部を荒れ狂い、回転運動から生み出されたエネルギーを動力と化していく。


 迫り来る閃光の矢。その向きを左手でねじ曲げると、勢いよく飛翔してキロンの懐に飛び込んでいく。大振りの攻撃に軌道を見切られて回避されるが、体軸の向きをずらすことで回転運動である拳打の軌道を急激に変化させる。逆回転。左からの打撃が裏返り、鏡映しのように逆側からの打撃に入れ替わった。


 理解を絶した攻撃を受けて動揺したのだろう、キロンの動きが一瞬だけ停止する。その隙を逃さずに次から次へと連打していく。その速度はトリシューラと同化したことによって飛躍的に跳ね上がっている。にもかかわらず俺の打撃をキロンは見切れずにいた。総体として速度は一定だが、遅い瞬間と早い瞬間が交互に切り替わることで打撃の瞬間が読みづらくなっているのである。


 普通に拳を振った場合、初速から最高速に達した瞬間に相手に命中するのが理想的である。しかし今の俺の打撃は最高速に達するまでの間に不規則に加減速が繰り返されるという常識を越えたものである。文字通りのギアチェンジによる増速。緩急をつけるための減速。出鱈目に拳を繰り出しているようにしか見えないのに、全体としては帳尻が合うという奇妙な現象。


 更には右から放った一撃が次の瞬間には左からの打撃に入れ替わり、それを放った直後には既に右拳を振り終わっているという異様な連撃。攻撃と攻撃を繋ぐ隙間が存在しないかのように動き、流れるような打撃を繰り出していく。途切れた運動が、別々の一点で繋がり、一つの動作として結実する。あり得ない軌道で突き進んだ左腕が、キロンの胸板に強かな一撃を叩きつけた。


 異常としか言いようの無い手応えだった。殴られた方も驚愕しているだろうが、殴った方はより愕然としている。無理な体勢で放った一撃である。威力が散ってしまい、軽い牽制程度にしかならないはずの打撃だと自分では思っていたのだ。にもかかわらず、拳から伝わる反作用は腕から肩、胴から腰、脚を通って足裏へと強烈な勢いで抜けていった。まるでそれが、完璧に安定した体勢で放った拳であるかのように。


 無駄になった運動エネルギー、断絶してしまった威力が、一つの流れの中に纏まって拳に集約された。信じがたいが、そうとしか思えない。つまりこういうことだ。死んだ運動エネルギーが、生まれ変わって再生した。

 

(類似点が僅かでもあれば、そこに連続性を見出す能力。アキラくんの動作は、全てが最適効率になる)

 

 左手の甲で回転する歯車に噛み合うようにして回る、架空の歯車。無数に増え続けるそれらは一つの巨大な機構を組み上げていく。


 幾何学的な模様が重ね合わさっていき、手の甲の歯車を中心として巨大な図像が完成する。周囲を取り巻く八つの歯車は途切れること無く回転し、その内側にはそれぞれ色褪せた空の台座が描かれている。中央の歯車の中には瞳の上で交叉する杖の紋章が描かれ、その真上の歯車のみが金色に輝き、その中には巨大な車輪を背負った山羊脚の女性の姿が映し出されていた。

 

(機巧曼荼羅を展開。サイバー空手・呪的発勁【輪廻】を用意)

 

「――廻れぇっ!」

 

 叫び、トリシューラから送られてくる呪力の全てを左手の歯車で回転させていく。迎え撃つキロンは度重なる打撃によってもはや満身創痍だった。一つ一つは小さな痛み、小さな打撲、小さな疲労でも、積み重なれば精神を削っていく。数多くの罠によってその能力の大半を削られたキロンにもはや逆転の目は皆無だ。


 それでもなおその目には諦めの色が宿らない。不屈の闘志を燃やし、積み重ねてきた修練のみを頼りに正確無比な射撃と雷光のような刺突を繰り出す。


 その姿勢はどこまでも正しい。何だかんだと策を巡らせて装備を用意しても、最後にものを言うのは鍛え上げた自らの武技のみである。俺もまた、同じルールでその勝負を受けよう。

 全身全霊の、サイバーカラテの技によって。

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