2-93 サイバネティクスとオカルティズムの幸福なマリアージュ⑨
第五階層に響く歌声。スクリーンに映し出される歌姫の、それは満を持した新曲であった。
ステージを背景に、空中で二つの影が交錯する。
一方は虚空を馬の蹄で蹴り、蝶の翅が巻き起こす突風によって飛翔する人馬の聖騎士。
もう一方は、虚空に生成した足場を次々に飛び移って聖騎士を追撃する両腕義肢の転生者。
空中に固定した足場は、第五階層の創造能力を応用することで一時的に生成した床面だ。建造物を構成する六面の数と同じ、六枚の足場を形成する能力。飛行能力のない俺を空へと導く、即席の階段。
相手と同じ土俵で戦うこと。それがゲームが成立する条件だ。
キロン一人が絶対に負けないゲームが無いように、キロン一人に対して絶対に勝てないゲームなど無い。
第五階層におけるゲームのルールは、そのルールを改変し合うというものだ。これをゲームと言ってはコルセスカに怒られそうな気もするが、キロンの方はそれで一度勝利しているのだ、相手側に文句は言わせない。
相手が自らを主人公に見立てた物語によって勝利するというのなら。
こちらは観衆の望む物語によって勝利すればいい。
勝つための手段は、いつだって俺自身の外側にある。
視界に表示されたPV数は微妙な上昇の度合いを示している。実際には歌姫のステージの添え物に過ぎないのだからこんなものだろう。余興や前座、プロモーション映像を彩るためのイメージ映像――その素材に使われているだけの、実につまらない戦闘。それがこの戦いに与えられた意味だった。
リアルタイムで撮影されているという迫真の『演技』。その勝敗は観客の投票によって決定するという公平性を擬したシステム。明白に誘導された結果として、勝利者であることを求められたのは俺の方だった。
逆転劇という物語の価値は必ずしも普遍ではない。世相を反映したその時代、その空間に生きる人々が求める展開というものに、たまたまなぞらえることができただけ。しかし求められた時、現実はフィクションと化し、現実の需要が空想を浸食する。俺達が命を削り合う戦いすら、消費される価値のひとつでしかない。
「俺の戦いを、愚弄するかぁっ!」
キロンが目を血走らせて、漆黒の槍を突き出した。それを躱し、交叉するようにして右拳を胸に叩きつける。
血混じりの唾液を吐き出して、キロンが吹き飛ばされていく。重力操作で落下の向きを変更して態勢を立て直し、再び上昇してこちらへと向かってくる。彼は気付いているだろうか。見下ろす者と見下ろされる者。その位置関係がもはや逆転していることに。
トリシューラの呪術と策略は、敵対者を弱体化させる事に重点を置いたものだ。
尊いものを零落させる、それは聖性の卑俗化にして周縁化。
俺は弱くつまらない。ゆえに強大な相手を引きずり下ろして戦う。敵対者の信じる者の価値を貶め、万物の価値を交換可能なものへと斉しく変質させる。
それが鮮血のトリシューラとその使い魔の戦い方だ。
俺に力を与えているのは、低俗な好奇心や野次馬根性、ちらつかされた利益、撒き散らされた紙幣をかき集め、貪ろうとする原始的な欲求だ。全ては消費される娯楽である。
「こんな、こんな負け方が、あってたまるかぁっ!」
俺が振るう力は悉く他者からの貰い物。俺自身の力など何一つとして無い。俺とキロン、どちらが強いのかという比較をすれば、答えはキロン一択だ。
俺はただの、交換可能なパーツに過ぎない。それ故に俺という汚濁は聖騎士の崇高さを穢し、堕落させてしまう。
「俺は邪悪な異獣を滅ぼす! 異端の魔女を打ち倒し、死んでいった彼らに報いなければならないっ!」
聖なる戦いを謳いながら、キロンは空中を駆け抜けていく。
上から迎え撃つ俺の視界に、かつてのサイバーカラテ道場を模した新生サイバーカラテ道場の表示枠が展開されていく。胴着を来た小さな魔女が、最適な戦術を導き出して俺に未来を指し示す。
聖騎士の強い意思を、俺は全力で否定した。
暴力に聖も俗も、善も悪もありはしない。
あるのはただ、速度と質量、そこから生まれる運動エネルギーのみ。この位置関係では、そこに高さすなわち重力加速度が付け加えられる。
(発勁用意)
飛翔してこちらの土俵に入り込もうとしていた人馬を、正面から打ち下ろした掌によって思い切り押し出していく。その勢いのまま弧を描いて上昇し、天蓋へと近付いていくキロン。下から攻める愚を避けて、上空から弓による射撃の雨を降らせる。
展開した氷の鏡がその全てを頭上に跳ね返し、天蓋の照明群が次々と破壊され、呪術の明かりが細く途切れていく。第五階層の頂点で無駄とわかり切った攻撃を繰り返す聖騎士の元へ、俺は一直線に突き進んでいく。
俺が一度に形成できる足場は六段が限界だ。キロンの上空からの攻撃は、こちらが一度に上昇できる高度には限界があると見越しての判断だろう。キロン復活後の攻防で十四番が破損してしまった今、その判断は正しい。
しかし、誰かが意図的に創造能力を移譲すれば、その限界は超えられる。踏み出した先に、七段目の足場が作り出された。空間そのものを凝結させたような、透き通った鏡面を晒す美しい氷。冬の魔女から受け取っていたその力で、俺は更なる跳躍を重ねる。
八段目。上空から襲いかかる閃光と空間制御の檻を右腕の能力で無効化して、更に上へと駆け上がる。
九段目。降り注ぐ雷撃呪術を多面鏡を砕いた氷の破片で散らしていく。
十段目。度重なる右腕の酷使と慣れない七段以上の足場生成に、脳が悲鳴を上げ始める。猛烈な違和感を無視して、燃えさかる骨の槍の側面を叩いて軌道を逸らす。
十一段目。防御も回避もできない不可視の重力子砲の一撃が迫る。サイバーカラテにおける『徹し』と『遠当て』の複合技術。巨大な質量に圧殺されるかのように俺の身体が粉々に砕け散り、その幻像を映し出していた十一段目の鏡面が破壊される。左腕から伸ばしたワイヤーが伸びているのはキロンの更に上。光学迷彩で不可視状態にある巡槍艦に向かってワイヤーを巻き上げ、俺は一気に上昇していく。横合いから放たれた弓の一撃を防ぎながら確信する。やはりキロンは厄介な重力制御を多用できないのだ。大技直後の隙を突くなら今しかない。
十二段目。これが正真正銘の限界だった。たとえ誰かから創造能力を受け取ったり奪い取ったりしていても、俺自身が耐えられない。呪術の才能がまるで無い俺にとって、これだけの数の足場を同時に展開することは巨大な負担となる。十二段展開している今の時点でも既に酷い頭痛の自覚に苛まれていた。コルセスカに痛みを送ってはいるため行動不能になることはない。しかし、痛みがあること自体を認識できなければ自らが危険な状態にあることすら自覚できないため、完全に消し去ることはできない。頭部で鳴り響く警鐘が、これ以上は脳に深刻な損傷を負いかねないと告げていた。
左腕を一番最初の形態――手の甲に歯車を乗せた黒い義肢に変えて、矢のように突撃する。位置関係はほぼ平行、真正面からの相対にあちらも覚悟を決めたらしい。黒い槍を構えてこちらへ渾身の突きを放とうとする。
その動きに、迷いが生まれた。刹那の攻防の中で、あってはならない逡巡。しかしそれがキロンの命運を分けた。何かの直感に突き動かされたのだろう、間近に迫った脅威である俺から目を離し、槍を大きく横に薙ぎ払いながら振り返ったのである。それはここに来て初めて彼が見せた『払い』だ。
空間を横切る一撃は空を切ったかに思えたが、それが成功した攻撃なのだと、その場にいる全員が理解していた。すなわち、俺とキロン、そして。
「トリシューラッ!」
視界隅でちびシューラとの同期が切断された事を確認して、絶望の叫びを上げる。光学迷彩が破れ、頭部を破損した魔女の姿が露わになる。血のように赤い髪が、第五階層の空に舞った。
事前に打ち合わせていた作戦はこうだ。天蓋近くで滞空する巡槍艦から降下し、フロート装置と光学・熱学遮蔽装置で姿を隠して接近していたトリシューラが、自我を形象化させた血液の針をキロンに投げ放つ。危険であっても、最後の保険としてトリシューラの力が必要だった。鮮血呪――同じ価値操作の呪術でキロンの回復能力を無効化し、決定的な一撃を与えるために。
だが、今この瞬間、その目論見は潰えた。一切の感知に引っかからない完璧な奇襲だった筈なのに、キロンは神懸かり的な直感でそれを打ち破った。運命も神の如き力も失った筈なのに、彼は最大の窮地を乗り切ったのだ。
「君は最後に、他者を頼ると踏んでいた――どうやら俺は読み勝ったようだな」
こちらの鼻先に漆黒の槍の石突を突きつけて、キロンは背を向けたまま自らの勝利を宣言した。
俺は傲慢にもキロンの内面を推し量り、それによって相手を揺さぶって有利に立とうとしていた。
しかし、俺が彼を観察して探っていたように、彼もまた俺を見ていたのだ。
白い弓が閃光の矢を放ち、駄目押しとばかりにトリシューラにもう一撃を加えた。
赤い髪が広がり、ゆっくりとその身体が傾いでいく。
砕け散る破片。割れた頭部。脳の破壊。
トリシューラの、完全なる死。
過去の経験を振り返っても、ここまで心が冷えたのは初めてだろう。完璧に制御された理性が身体を動かす。目の前の石突きを右腕で掴み取り、強引に引き寄せながら左手でキロンの背中に打撃を放とうとする。
キロンは、あっさりと黒槍を手放した。更に翅を羽ばたかせて【空圧】を己の背後に放ち、こちらへの牽制と移動を同時に行う。同化した黒槍を無理矢理引きはがしたせいで脊髄を始めとした全身から血が噴き出すが、即座に治癒する。その代わりとして新たな宿主を俺に選んだ呪われた武器が、こちらの右腕に無数の触手を伸ばしてくる。
即座に振り向いたキロンが、己が最も頼みにしている武器を構えた。白い弓に番えられた光の矢。正確な照準。槍によって防御能力を奪われた右手。左手の防御は間に合わないしそもそも圧倒的威力で貫通される。
死の確信を得て、心の内側に極大の氷塊が押し込まれた。
致死の一撃。生まれた隙を見逃さずにここぞというタイミングで放たれる、キロンの切り札。純白の弓から放たれた無形の矢。破壊の極光は俺の頭部を過たずに撃ち抜き、今度こそ完全なる死をもたらしていた。拘束具としての役目を終えた黒い槍が元の持ち主の手に戻っていく。片方だけ残った眼球が映す最後の光景は、悲しみに歪んだ彫刻の美貌。
かくして俺の意識は完全に消失した――
――『俺達』は見た。九層の秩序。多層化された心的領域を遊泳していく
――直後、シームレスに意識が覚醒し、俺は眼前の敵を見据える。
視界の端で、切り離したことによって砕けて散った俺の頭部が吹っ飛んでいくのが映った。
そして知らぬ間に左拳が敵の真芯を貫いている。
俺の意識が断絶している間に、事前に設定したプランに従ってインテリジェント義肢であるウィッチオーダーが自動で動いた結果だ。トリシューラが疑似再現した【残心プリセット】と言ったところか。
だが、頭部を破壊された俺が目を見開いて存在しているのはどういうことなのか。
勝利の確信が揺らぎ、驚愕しているキロン。無理もない。
「お待たせ! 新しいアキラくんだよっ!」
頭上の巡槍艦から降ってきた『もう一人のトリシューラ』が、その手に『現在の俺』の思考を司る頭部を持って、頭部を失った俺の首に勢いよく差し込んだのだ。
俺の身体は頭部を失ったことを認識すると、首のジョイントパーツ上部をパージし、接続部を露わにした。トリシューラはその部位にぴったりと、規格に合った俺の頭部を接続したのである。
バックアップは大事だというトリシューラの言葉は正しい。頭部を分離式にするための処置は突貫工事だが上手く行った。肝心の頭のほうは、俺自身の模型が既に大量に製作されていた為に新たに作るまでも無かった。トリシューラの寝室に大量に俺の模型が並んでいるのを見た時はちょっと引いたが。
あとは鮮血呪によって模造品を本物に変えるだけだ。発動の代償は、俺自身の死で贖う。
ばかな、と声にならない声。
「なんという男だ。首から上を失っても戦い続けるなど、まるで団長殿のようではないか――!」
正気じゃないと、絶叫している。
俺は嗤う。その敗色に満ちた声を、嘲笑する。
「悪いがな、俺の故郷じゃ意識の連続性なんてのは、ナチュラリストかロートルの繰り言って扱いなんだよ!」
俺が死んだからなんだというのだ。
端からそんなもの、元世界で死亡した後、全く同じ存在を異世界に再構成するという転生システムを受け入れている時点で気にしていない。
人は死ねばそこで断絶する。
同じものを作って『転生』とするのも、壊れた頭部と同じ頭部を作って『生存』とするのも、大した差異は存在しない。是非も善悪も、それを成り立たせる根拠は等しく同質的なものだ。秩序も混沌も、貴賤も貧富も、生と死すらも、流転する世界の一表出面に過ぎない。万物は斉しく同じもの。それが、俺の身体に染みついた現代日本のごく一般的な価値観だ。
そしてこの世界では呪術、すなわちアナロジーが最も強い力を持つ。
一秒前の俺と今の俺は極めて似ている。同一の設計図に基づいて再現されたトリシューラは同じものである。
呪術的に、これらの類似は同一だとみなすことが出来る。
転生とは、似たものが時間と空間を超えて出現することに他ならない。
ゆえに、『俺』はここに居る。
足を置いた者に死を強いる、新たな十三番目の足場を踏みしめた。
それは鮮血が凝固した、赤と黒の平面。俺の死を代償に生み出された、鮮血の魔女が用意する新たな地平。
死を踏破して、その先へ進む。
「十三段目――ここがお前の処刑台だ、転生者殺し!」
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