2-91 サイバネティクスとオカルティズムの幸福なマリアージュ⑦



 【廉施者】というのは、医術を用いて病人を無報酬で助ける者という意味だ。彼はかつて【大神院】が管理するとある病院修道会で五人の部下と共に各地を巡り、傷病者を救うことを己の使命と定めていた。高貴な血筋と家柄、恵まれた家庭環境。そして育まれた高潔な精神性。優れた神働術、とりわけ医術に適性があった彼は、それこそを神への献身である天職だと信じ、また周囲の誰もがそれを肯定していたという。


 その運命が一変したのは、世界槍の迷宮で戦う【松明の騎士団】の衛生兵として配属された時のこと。危険の少ない後方支援のはずだった。第八魔将ハルハハールによって操られ、お互いに殺し合う仲間達。呪術抵抗が高かったために、彼だけが理性を保てた。そして仲間を助けるために仲間を殺すという残酷な運命。


 奇跡的に魔将を打ち倒すが、遺された力では負傷した仲間達の全員を助けることはできなかった。彼には傷が残った。物理的な外傷ではない。その重傷度から優先順位を決定し、救うべき命を選択したという傷。そして最優先で助けた一人すら力及ばずに助けられなかったという絶望。


 その過去から、彼はある渇望を心に抱くようになった――そうトリシューラは推測していた。守れなかったという後悔。失ったという絶望。奪われたという憎悪。それらが彼の身体を強引に動かしていく。


 力を求めての、がむしゃらな修行。豊かな才能と幸運、財力と人望、その他のあらゆる要素が彼を後押ししていた。聖騎士として迷宮に挑み、仇である異獣を駆逐していった。更なる力が欲しいと転生者との戦いにすら身を投じた。そして彼は勝ち続けてしまった。


 彼はトリシューラとの戦いの果てにある呪術を会得し、ついにその術に至る。

 価値を操作する呪術。それを神働術と組み合わせ、治療に用いるという発想。呪術医でもあるトリシューラだからこそ、同じ発想に至れたのだろう。彼女はその術をこのように名付けた。


 パラドキシカルトリアージ。致命傷と軽傷という比較からその二つの価値を逆転させ、あらゆる重傷をただの痒みや痛み程度にまで貶める、無敵の医療神働術。時間によって変動する優先順位を操作することによって、負傷が本人を死に至らしめるまでの時間を無限に引き延ばす。死を未来へ遠ざけて、その瞬間の訪れを誤魔化し続ける詐術。それがその超回復能力の正体だった。


 救える者は全て救うのが医術の大原則である。トリアージというのは基本的には災害時など、キャパシティオーバー、リソース不足などの例外状態でのみ行われるが、【松明の騎士団】と異獣とは一定のルールに基づいてという但し書きが付くとは言えど、交戦状態にある。戦時であるため、迷宮ではトリアージが常態化していた。


 その状況を打開するために、トリアージの優先度を操作して、放置すれば死んでしまう負傷者を救おうというのがその始まりだった。それは恐ろしいまでの執念と渇望が可能とした、彼の理想そのものだった。


 そしてキロンの圧倒的強さを支えるもうひとつの力――超高速移動も同じように価値操作の呪術だ。


 蝶の魔将ハルハハールは幻惑の呪術使いだったらしい。その鱗粉には己を美しく見せて魅了するという性質がある。それをアトリビュートの神働術で美の神ミエスリヴァと重ねて強化し、更に価値操作呪術で冗談のような効果を発揮しているのだという。己の強さという価値を極限まで高めるという、ただそれだけの理屈に支えられた術。『美しい』『神々しい』『強そう』などのイメージを纏う事で、実際に強くなってしまう。漠然とした、けれど効果的な自己強化術。神とはただ圧倒的に下界の全てを超越して美しく強大であるという認識を、強制的に現実にするのがその力の正体だ。倒す事は不可能に近い――あくまでも、理論上は。


 種が割れてしまえば、実際にはそこまで対処法が皆無な術ではないとトリシューラは語った。

 

「まずは、相手の強大な力そのものを利用して勝つ、という方法。キロンの生まれついての能力――運命力の補正。あらゆる判定を有利に働かせ、いかなる不利な状況をも覆す絶対の英雄適性。それ自体を逆用して、キロン自身の力でキロンを倒すとかね」

 

 しかしそれは失敗した。正確には成功したのだが、あと一歩の所で邪魔が入ったのだ。それもまた、危ういところで助けが入るという補正なのかもしれないが、いずれにせよあれだけでは足りない。


 その絶対的な強さを支えているのは三つの力だ。運命力、超回復力、神の如き力。一つだけでは足りなかった。俺はこれら三つの障害を、同時に打ち破らなくてはならない。

 

「まずは目に見えて危険な、ミエスリヴァから対策しようか。私は裏から、アキラくんは表から。両面から攻めて、厄介な力を完封しよう。そのためには私達ではなく、アキラくんが必要なの。この世界の知識を持たない、アキラくんがね」

 

 アトリビュートは引喩――アリュージョン系統の神働術だ。

 神働術は神やその御使いといった上位者の力を借用・引用することを得意とする呪術であり、【星見の塔】の四大分類では宗教的世界観の具現化は邪視、宗教的記号の運用は呪文、高位の霊的存在との交信は使い魔、聖遺物などの使用は杖という解釈がされる。


 しかし、そうした特定の様式スタイル記号コードはそれを自明のものとして理解していなければただの装飾的で思わせぶりな言動でしかない。知識のデータベースを参照する者。情報を共有している者。すなわち同じ世界という文化圏に属していなければその情報は読み取れない。


 コルセスカはこの術を引喩アリュージョンと称したが、そもそも詳しく解説されるまで俺はそれがどういう意味なのかも理解できなかった。日本語に翻訳されていたにも関わらずだ。俺はその参照先すら知らない。知らないが故に、それが絶対的な効力を及ぼしにくい、らしい。


 それゆえ、俺が同じ系統の力をウィッチオーダーで行使する時にも威力が制限されてしまうというデメリットもあった。長く使い続ければ知識と理解が深まってより使いこなせるようになるとの事だが、今はとにかくキロンに対抗できればそれでいい。


 加えて、彼の持つ運命力も同様の理由で俺に対しては効果が薄い。『正義の味方や善玉が勝つ』というようなよくある物語のパターンは二つの世界で共通している為、ある程度までは転生者にも通用する。しかし、俺はこの世界に於ける典型的な勧善懲悪物語を知らない。この世界で生まれ育ち、ある程度の時間を積み重ねていけばそういう文化的な常識を身につけることもあるだろう。だが俺の場合、つい先日まで言葉すらままならなかったために、そうした知識に触れることができなかったという事情がある。


 俺と他の転生者達との差は恐らくそこだ。俺よりも遙かに真っ当な形で転生を果たし、この世界に根付いて生活していこうとしていた彼らは、きっとこの世界の情報を貪欲に吸収していたに違いない。


 そして恐らく、半年もの間、誰にも心を許さずにやってきたわけではなく、周囲と打ち解け、仲間、友人、恋人といった関係性を築き上げていたはずだ。

 

「フィクションだと、仲間の存在はキロンのそれと同じく勝利の鍵となるパターンが多い。同じ条件なら、優先度が高いのは単純に仲間と積み重ねた時間が多い方――つまり訪れたばかりの転生者よりも、生まれてからずっとこの世界で生きてきたキロンの方が逆転時の判定に有利なんだと思う」

 

 もし仮に、幼児期からの転生者がいたならば話は変わっていたかもしれないが、その分キロンの神働術に抵抗力が無くなっていくので、一長一短である。そもそも、この世界と元の世界との初接触から一年と半年ほどなのでありえない話なのだが。いずれにせよ、俺が引喩の元ネタを知らないことで、アトリビュートの力を軽減することができる。


 無知は力だ。対話すら不可能な相手には、まともな戦闘すら成立しない。

 

「なにより貴方は、あらゆるものに価値を見出さない、あるいはあらゆるものに同じだけの価値を見出す殺人鬼でありたい人だもの。他者による価値の操作を忌避する精神性。自分の値札は自分で付けろ、だったよね、アキラくん。そんな『価値観』を有する貴方だからこそ、キロンの力を打ち破れる可能性があるんだと、私は信じているよ」

 

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