2-90 サイバネティクスとオカルティズムの幸福なマリアージュ⑥


 

 追想。記憶の中で、トリシューラは俺によく分からないことを話している。何を言っているかは不明だが、おそらくそうやって解説すること自体が彼女にとっては重要な儀式なのだろう。満足するまで大人しく耳を傾けるのが俺の彼女に合わせたやり方だった。

 

「この義肢は私の技術とアキラくんの身体性との融合。身体性の重なり合う拡張、言うなれば交差する杖。 聖婚の儀が生み出す、陰陽太極の呪装義肢。不可分にして完全なる性。アキラくんの世界で喩えると、ヘルマプロディートスの疑似再現って所かな」

 

 それがギリシャ神話における両性具有者を意味していることを知らなかった俺は何故かトリシューラに馬鹿にされたが、自分の世界の事ほど知らなかったりするのは良くあることだ。そういうのが好きで調べている外国人とか異世界人の方がこっちの世界の歴史や文化について詳しかったりするパターンである。


 俺の理解に伴って、手の甲を覆うように展開される立体積層曼荼羅の姿が変化し、いつかトリシューラの背後に現れた魔法円となる。その中心に浮かび上がる杖の紋章が、ふたつの杖が交差したものに切り替わった。


 呪装義肢アーザノエルの御手【ウィッチオーダー】は魔女の腕だ。男である俺が使う事で、陰の気と陽の気が合わさり、安定した呪力が得られると説明が続いた。

 

「じゃあ性自認が肉体の性別と異なる人の場合はどうなるんだ? その人は既に安定してるの?」

 

「そういうことだね。この世界において、そういう人たちは呪術師としての才能に溢れている」

 

 そしてこの義肢は同様の効果を俺にもたらしてくれるということらしい。

 知らず、背筋が伸びていた。俗な言い方をすれば異性の目を意識するような感覚。細かな所作から手に触れるものまで全てを把握されている気がして、自分の立ち居振る舞いを見直したいという意識が持ち上がってくる。無論、ここでそわそわするのは余計にみっともないので平然を装う。


 そんなこちらの心情を知ってか知らずか、コルセスカが口を挟んで来た。

 

「そのたとえですと、ヘルマプロディートスよりはアンドロギュヌスの方がより適切に思えますね」

 

「どうして? 異なる性同士の合一者がヘルマプロディートスなのに対して、アンドロギュヌスは両性具有者が別たれて男女が生まれたっていう、正反対の発想だよ?」

 

「ええ、だからこそです。私達は元は一なるキュトスから生まれたとされるキュトスの姉妹。それを参照する左手だというのなら、喩えるべきはむしろアンドロギュヌスであるべきではないでしょうか」

 

「ふうん。男女は元来同じものであった、か。本当は異質なものなんてない。それとも、異質さなんてどうでもいいことにすぎない、みたいな感じかな。セスカの考え方」

 

「いえ、そこまで単純化するつもりはありません。ですが」

 

「ですが?」

 

「異なる他者を結びつけ、融和させ、一つのものにしてしまおうというその発想は、貴方や私のものというよりも、むしろ」

 

「ああ、わかった。トライデントの発想だね、これ。――はい却下、今後ヘルマプロディートスという単語を一切口に出すことを禁じます。なんか長いし」

 

 うんざりしたように嘆息して、ぱっと表情を切り替えたトリシューラの瞳には嫌悪が映っている。私は不快です、と思い切り表明していた。

 

「嫌われてるんだな、そのトライデントってのは」

 

「それはほら、不倶戴天の敵だから。私達全員で最後の魔女になろう、なんて目的を掲げてるふざけた魔女」

 

「うん? それって俺が前に出したアイデアそっくりだよな。あそこで嫌な顔したのはそのせいか。そんなにそいつと一緒に最後の魔女になるのが嫌なのか」

 

「当たり前だよ。だってトライデントは使い魔の魔女だもの」

 

「ああ、つまり事実上の従属を強いられる?」

 

「もっと悪い。アイツの禁呪がもたらす【関係性の拡張】は『個』を生贄にして、複数の『個』をより巨大で新しい『個』に作り替える。トライデントが目指す勝利って言うのはね、私やセスカの意思や個性を消滅させて、自らの内部に取り込むってことなの。それは事実上、トライデントの一人勝ちを意味する。あいつはね、他の候補者を全滅させて自分だけが勝利するって宣言しているわけ」

 

 それでようやく理解できた。そのような相手ならば、交渉の余地は皆無だろう。融和を求める交渉そのものがこちらの存在を否定する攻撃に等しいのだ。トリシューラもコルセスカも、揃って敵視するはずだった。

 

「遠からず、トライデントの使徒たちと戦う事になると思う。気をつけてアキラくん。あいつらには個我が無い。多分アキラくんみたいな人ほど飲み込まれやすいと思う」

 

「そして、己を捨てて他の何かの為に戦おうとする彼らは、恐ろしく強い。四魔女で個体として最強なのは私ですが、総体として最強なのは紛れもなくトライデントです」

 

「わ、私セスカに勝ったし」

 

「はいはい第六位(予定)のトリシューラお姉様はとっても強くて素敵です」

 

「棒読みやめろ!」

 

 口うるさく言い争いを始めた二人を静かに眺めつつ、俺は静かに考えにふけっていた。


 であれば、俺も遠からずトライデントと対峙し、その禁呪の恐ろしさを実感することになるのだろう。いや、事実として第六階層では相当苦戦させられた。要するに、複数の使い魔を融合させてより強力な使い魔にしてしまうという能力の持ち主なのだろう。使い魔の魔女らしい能力だと言えた。いつかまた戦う時の為、対策を考えて置かなくてはならない。


 それはそれとして、今日はこれからキロンとの戦いが待っている。まずはそちらに専念しないと――。


 そんなことをつい数時間前に考えていたばかりだった。呪わしい気持ちになる。もっと真剣に、トライデント対策も練っておくべきだったのだ。

 いつかまた戦うだろう。その見通しは正解だったが、少しばかり先のことだと見積もりすぎた。


 まさに今、俺はトライデントの禁呪【融血呪】の恐ろしさを体感している最中だったからだ。端的に言って、最悪だ。このままでは本当に死ぬ。


 浮遊する人馬の左手がこちらを照準する。クロスボウから放たれたのは白い閃光。あらゆるものを焼き尽くす破壊の光を、俺は右手で生成した氷鏡で反射する。だが同じ手を食らうキロンではない。神速の飛翔によって既にその場を離れ、馬の四つ脚で疾走しながら文字通り矢継ぎ早に光の矢が俺に襲いかかる。


 縦横無尽な動き、不規則な連射、直撃すれば死は免れないギリギリの攻防。一瞬でも防御が遅れれば、俺の肉体はこんがりローストされて誰かの夕食になるのだろう。どうせだったらコルセスカに食べさせてやりたいが、その未来は当分先に回したい。今は使い魔として彼女たちを守らなければ。


 先程までのキロンは完全に追い詰められ、見るからに勝てそうな雰囲気を漂わせていた。しかし今のキロンは気力体力呪力全てが充実し、はっきり言って勝てる気がまるでしない。神滅具と完全な融合を果たした事で、その総合的な呪力が上昇しているのがはっきりとわかる。相手の攻撃を呪的発勁で押し返そうとする時、確実に一撃が重くなっているのを感じるのだ。

 

「――ッ」

 

 ぐらり、と視界が揺れる。まずい状況だった。痛みの感覚が無いために忘れがちになるが、キロンの呪力が上昇したために、防御をすり抜けて着実にダメージが蓄積されているのだ。


 瞬時に間合いを詰められ、閃光のような刺突が繰り出される。その勢いといい鋭さといい、かつての神速を完全に取り戻している。むしろ融合したことで槍捌きが更に熟練しているようにも思えた。危うい所で防御が間に合い、穂先を左腕で受ける。硬質な金属音と共に衝撃が走る。そこで槍は停止して防御は成功したかに思われたのだが。

 

「なっ」

 

 腕を貫いて、漆黒の槍が喉元に迫る。仰け反りながら右手で周囲の時間を減速させ、槍を引き抜いて飛び退る。左腕を確認すると円形の貫通創が生まれていた。確実に防御は成功していたはずだ。にもかかわらず、槍は腕を突き抜けた。というよりも、あの槍はこちらの防御を無視して貫通という結果だけを生んでいる感じがする。

 

(アキラくん、今の)

 

 ちびシューラもその違和感に気付いたようだった。幾度かの交戦を経て、黒槍のデータを分析した彼女の推測が述べられていく。

 

(さっき槍が当たった時、穂先から微量の呪力反応があったよ。その後で左手に孔が発生して、そこに槍が滑り込んでいったように見えた。つまりあの槍は物理攻撃用じゃなくて呪術攻撃用の【杖】なんだと思う)

 

 再び繰り出される連撃を、右手の防御と左手の反撃でどうにか凌いでいく。しかしダメージを受けた左手から呪力が漏れ、不吉な音が鳴っては呪力がスパークしていく。長くは保ちそうになかった。

 

(キロンの真の名、その経歴、シューラから奪った鮮血呪による価値操作呪術、そして神滅具――そこから導き出される推論は一つ。キロンを殺すことは誰にもできない。この仮定が正しければ、やっぱり第二プランを実行するしか無いと思う)

 

 その結論は、ある意味で予定調和な代物だった。とある外部からの働きかけによって可能となる、もう一つの選択肢。できればこの戦いは自分たちだけでどうにかしたかったが、背に腹はかえられない。大きな借りを作ってしまうこの作戦は後々トリシューラに害を為すかもしれないが、今を乗り切れなければどのみち未来は無いのだ。

 

(向こうには連絡したから、後は時間までどうにか持ち堪えて!)

 

 それしかないとはいえ、実際にやる方にとっては無体な要求だった。なにしろ今のキロンは、高速の飛行と疾走を組み合わせてありとあらゆる地形を神速で移動する怪物だ。


 俺が今なお生存できているのは、ひとえに右手の能力によって周囲に停滞の呪力を張り巡らせているおかげである。いかに高速で動いても、俺に近付いて攻撃する瞬間には僅かな遅れが生まれる。遠距離からの射撃を防いでいるのも右手の能力なので、これがなければ即座に消し炭になっているであろうことは想像に難くない。


 コルセスカは下手に超高速で動いてしまったばかりに、キロンにそれを上回る速度で圧倒されてしまった。自己を強化する能力を持つキロンに対して、同じく自己強化で応戦するのは悪手なのだ。必要なのは、こちらは必要以上に強い力を用いずに、なおかつ相手の足を引っ張ること。高速で移動するキロンを減速させる弱体化呪術こそが最善の選択である。


 そしてこれから行う策もまた、キロンを弱体化させるための罠。

 そもそも、融合によって飛躍的に上昇した、その無尽蔵の呪力はどこから来ているのだろうか。


 揺るぎない意志の根幹。戦う為の動機を形成する、精神力のリソース。

 融血呪は複数の個体間の結束を強化する。つまりキロンに力を与えているものは、彼自身の外側に――そして過去にある。


 終わりのない波濤のように続き、確実にこちらにダメージを刻んでいく猛攻を凌ぎながら、俺の思考は過去へと沈んでいく。トリシューラが語った、キロンという男の来歴。その本質を。

 

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