2-87 サイバネティクスとオカルティズムの幸福なマリアージュ③


「もはや出し惜しみは無しだ。来い、【トルクルトアの神託機械】よ」

 

 虚空から出現した光り輝く石版が、キロンの目の前で無数の文字列を立体投影していく。更にその周囲から漆黒の槍、古びた盾が出現して、下方から迫り上がってくる巨大なシルエットは見覚えのある黒馬。白い弓が盾の裏側に固定され、五種の神滅具は完全な状態で持ち主の下に集結する。


 コルセスカとの戦闘で確かに破壊されたはずだが、修復する手段があったのか、それともあの呪具は自動で修復する機能を有していたのか。少年達の姿はとらず、ただ戦力を集中して俺を即座に殲滅する構えのようだ。


 前触れもなく、その姿がかき消えた。ちびシューラが直前に発していたアラートによって回避、しようとするが失敗。移動を開始したにも関わらず、俺の全身はその場所から一歩も動いていなかった。いや、動いているのだが同じ地点に留まったまま、といった方が正しいだろうか。俺は同じ地点から同じ地点へと跳躍していた。


 キロンの空間操作能力だ。その理解が追いついた時には、凄まじい衝撃が真正面から襲いかかってきていた。

 

「凍れっ!」

 

 右腕を突き出して膨大な速度と質量、それによって生み出される運動エネルギーを零に近づけていく。停滞の呪力による絶対防御。


 だが相手は勢いを殺されながらも、キロン本体へと襲いかかる凍結の呪力を左手の盾で遮断し、更に右手の槍で神速の突きを放つ。予測していた俺は左手の甲で正確に防御。


 事前の耐久テストでは大口径の銃弾すら防ぎきった黒い左手を、キロンの神滅具は容易く貫通する。否、貫通したように見えただけだ。槍は意思を持っているかのように生物的にくねり、正確に俺の拳を回避しながら曲線を描いて俺の頭部へと襲いかかったのである。寸前で、辛うじて頭を横に反らす。耳たぶの一部を削いで穂先が背後へと抜けていく。


 俺は馬の頭部を蹴飛ばして背後へと飛んだ。距離をとって、右腕の周囲に多面鏡を展開。昆虫の複眼、あるいは亀の甲羅めいた氷の破片群が仮想の幻肢を映し出し、非現実の世界からキロンに対して攻撃を仕掛ける。


 だがその時、キロンの周囲で待機していた石版がその能力を発揮した。展開された文字列が鏡の世界の幻影の腕に対して接触すると、ワイヤーのように巻き付いてその動きを押し止めたのである。


 咄嗟に俺は鏡の角度を極端に調整し、合わせ鏡の状態にする。結果として無限に増え続けた俺の幻肢がその手数を増していくが、同時に凄まじい違和感が頭の中を荒れ狂う。強引に無数の腕で攻撃を仕掛けるのだが、石版は仮想の文字列をキロンの全方位に張り巡らせてそれを全て弾き返す。奴の身体に幻肢で直接触れることさえできれば、コルセスカの構築した攻性防壁【氷】によって脳を焼き切ることすら不可能ではないのだが、やはりそう簡単にはいかないようだった。


 再びの突撃を敢行しようとするキロンに対して、先んじて正面から突撃を試みる。たとえその加速が凄まじくとも、出足を挫かれれば意味は無いのだ。踏み込んだ瞬間、周囲の景色に違和感。空間に歪みが生まれ、俺は再び同じ風景に閉じ込められる。キロンの空間操作はたった一晩で熟練の域に達していた。


 だが、時空間の操作は何もキロンだけのスキルではない。今の俺の右腕には、世界そのものを停止させるという凄まじい力の片鱗が宿っている。展開された鏡を右腕の周囲で衛星のように回転させながら、今度は幻視全体を俺の周囲に広げていく。


 周囲の空間に干渉するキロンの力を感じ取り、それを強引に取り除く。漠然とした形の無い何かを同じく幻影のような感覚で摘むという処理に脳が悲鳴を上げそうになるが、それによってどうにか空間の無限ループから脱出。左手の歯車が高速で回転していく。呪力をスパークさせながら襲いかかる一撃は、しかしあっさりと空振りに終わる。


 確実に捉えたはずの間合い。それを覆されるという事態に動揺しかけるが、その焦りは即座に氷の冷たさが奪い去っていく。冷静さを取り戻して敵の位置を確認する。


 キロンは遙か上空で滞空し、こちらへと突撃の態勢に入っていた。飛行能力があるのだから、突進は上空から行えばいい。仕留め損なったら再び上昇してまた急降下。その繰り返し。合理的な選択と言えた。弓を使わないのは以前のように反射される事を警戒しているのだろう。こちらにコルセスカと同じ性質の力を宿した右腕がある以上、当然の警戒だった。


 上空のキロンの姿が、急激に遠ざかる。遠近感が狂いだし、空間の奥行きが果てしなく広がっていく。風景が奧へ奧へと吸い込まれるように歪んでいき、距離はおろか高低までもが歪む。騎士の姿が限界まで遠ざかり限りなく小さな点になり、消失点で映像として認識不能になる。


 それは空間操作の極致。凄まじい違和感が先鋭的な形となって襲いかかる。遙か上空から弧を描いて急速降下する黒い槍の穂先と、それを追いかけるようにして長大な距離を本体が疾走する。空間を限りなく引き延ばし、重力加速度によってその威力を極限まで増大させた突撃。前方を盾で守り、黒馬の蹄からはあらゆるものを融解させる汚濁を撒き散らし、聖騎士は流星となって地上に墜ちた。


 瞬きの余裕すら無い絶対の死。それを目前にして、俺は静かに呟いた。

 

「――廻れ」

 

 衝撃と轟音が、階層全体を揺るがした。

 舞い上がった噴煙が晴れていくにつれて、周囲の様子が明らかになっていく。周辺の壁は全て崩壊しており、被害の中心地は爆撃を受けたかのようにクレーター状に抉れていた。爆心地の中央に、盾を構えつつ槍を突き出した姿勢の騎士の姿がある。その顔が、驚愕と激痛に大きく歪んでいく。


 前足を地面に半ばまでめり込ませた馬の首にめり込んだ、俺の左拳。その手の甲で、黒い歯車が快音を上げながら回転を続けている。


 馬の首がめきめきと異常な角度にへし折れ、黒檀のような艶を持つ体表がぼこぼこと膨らんでいく。内側から破壊されていく馬の胴体を伝わって、奇怪な経路で伝達されていくエネルギーが鞍から騎乗者の股間、腰、腹、背へと抜けていき、その背後から一気に抜けていく。


 それは爆発だった。キロンの背に生えた蝶の翅もろとも骨と肉、内臓が諸共に吹き飛んで、大量の血と肉片が天に向かって飛散していく。馬の肉体、そして男の前面には一切の外傷が無いままに、俺の打撃はその致命的な破壊を為し遂げていた。

 

「う、おおおおっ」

 

 空間が歪み、その場からキロンが消失する。次の瞬間には遙か上空へと再出現しており、肉体の損傷は全て消えて無くなっていた。瞬間移動と超回復、その二つの絶技を同時にこなしておきながら、その表情に浮かぶのは余裕ではない。

 

「アキラ、君は今、何をした」

 

 キロンが見ているのは、俺と言うよりもむしろ俺の足下だった。俺が立つクレーターの中心。その場所だけ、一切の破壊に晒されなかったかのように地面が高くなっている。事実、俺の真下にはキロンの突撃による破壊力が届いていなかったのである。当然俺にもだ。

 

「さあ、何をしたんだと思う? なにしろ機能が多すぎてな。俺もまだ全部把握し切れてない」

 

「戯れ言をっ」

 

 事実なのだが、真面目な回答とは受け止められなかったらしい。

 聖騎士は石版を前に出し、今度は突撃ではなく大量の文字情報を周囲に展開していく。

 

射影聖遺物アトリビュート・第五番――神の万年筆を拾った少年」


 言葉と同時に、無数の輝く文字列が複雑に絡み合い、無数に枝分かれしてこちらに襲いかかる。右手から幻影を飛ばして防御を行うが、攻めに転じた石版は指の隙間を巧みにかいくぐってこちらへと侵入しようとする。


 キロンが使うあの神働術は、俺の知らない過去の聖人のエピソードを摸倣し、その性質を自らに重ねて自己を強化する術なのだと二人の魔女は説明していた。【松明の騎士団】が誇る膨大な歴史と伝統、その重みがそのまま呪力の強度となって襲いかかる。今までと同じように右手で防御しているだけでは勝てない。


 ならば、こちらからも攻めに転じて相手に攻撃の余裕を与えなければいい。

 脳内で仮想のデフォルメ体が叫ぶ。

 

(ビジュアルを転送。指定する印相ジェスチャーを左手で結んで)

 

 網膜に映し出された指示映像に従い、左掌を伸ばして口を覆い、舌で血を舐めるように掌に触れた。しないはずの、血の味がする。


 左側の手の甲で歯車がその回転数を増していく。視覚化した呪力が放電現象を起こして、その真の力を発揮していく。それは、神仏の力を借り受けるという相手と同じ性質の呪術だった。


 あちらが聖遺物の属性を利用して神や聖人の力を降ろすのなら、こちらも同様の手法で対抗するまで。

 

射影三昧耶形アトリビュート・十四番」

 

(No.14【ヴァレリアンヌ】エミュレート)

 

 刹那、脳裏に見知らぬ誰かの姿が浮かぶ。緑色の短い髪と、身の丈よりも巨大な斧が特徴的な背の低い少女。年の頃は十四かそこらのミドルティーン。その周囲には無数の扉。少女が一つの扉を開いて向こう側を覗き込むと、その他の全ての扉から少女の顔が現れる。【扉】――この世界における、空間制御技術。その叡智を統べる、【星見の塔】随一の扉職人ハイパーリンカーヴァレリアンヌ。そんな、知らないはずの知識が脳内を駆け巡り、やがて消えた。

 

仏眼仏母アーザノエルの名に於いて、ここに魔女の騎士団を招集する」

 

 俺と仮想の魔女は交互に言葉を連ねていく。すると、左手が爆発的な輝きに包まれて、増幅された呪力が高熱と衝撃を伴って周囲に放射されていく。間近にまで迫ってきていた無数の文字列が紙屑のように吹き散らされていった。

 

(コンバージョン開始。仮想採型を実行。シナモリ・アキラの呪的形状を転写)

 

 この左手の名は、アーザノエルの御手【ウィッチオーダー】。

 【星見の塔】の第九位、キュトスの姉妹の頂点に立つ九姉、その最後の一人が考案したこの義肢の能力は単純明快にして複雑怪奇。すなわち、キュトスの七十一姉妹全ての能力を個別に参照し、それに応じた能力を発動させるというものである。


 その薫陶を受けたトリシューラが自力で再現したこの左手は、作り手の性格を反映するかのように独特な方法で多様な能力を発現させる。

 左手が光の粒子になって消失し、一瞬にして再構成されていく。


 その質量はどこから持ってきているのか。

 答えは一つ。第五階層に住まう者に例外なく与えられる、共通のリソース。物質の創造能力――正確には、世界槍という小世界を掌握し、改変する能力である。トリシューラが階層そのものに干渉することによって、周囲の迷宮や地面が細かな光の粒子となって消滅していき、俺の左手を構成する一部となっていく。建造物という巨大な構造体ではなく、義肢という複雑で小規模な呪具を再現するアンドロイドの魔女の技量は一つの極致にある。今や第五階層そのものが俺の左手を再現する材料だった。


 模型のキットを成型するように、仮想の鋳型に呪力が流し込まれる。掌握者権限という名の合成樹脂が俺の意思という硬化剤と混合され、化学反応を起こして固体となっていく。


 この世界の神話に語られる七十一の魔女。その全てを再現する、この義肢は魔女の腕だ。

 戦いの前にトリシューラはこう言っていた。

 

『ウィッチオーダーは機能を自由に摸倣エミュレートして、外装を自在に変換コンバージョンする。伝承を再現する為のエミュレーターにしてコンバージョンキット。幾多の神話を内包したオールインワン』

 

 合成樹脂の神話摸倣者レジンキャストエピゴーネン。ありとあらゆる形態で敵対者を駆逐する、手段を選ばぬ最悪の盗作者。その手数は、総計七十一本。


 俺は見知らぬ世界の見知らぬ神話から、未知なる幻想を引喩アリュージョンして自らの力に変える。


 ウィッチオーダーがその十四番目の形態を完成させ、俺はその名を高らかに叫んだ。

 

「改型十四番・【縮地】」

 

 それは見覚えのある形状の義肢だった。当然である。数日前、第六階層で聖騎士たちや巨獣カッサリオと戦った時にトリシューラから託された円筒状の不格好な義肢。かつては斧から発生する空間の断層であらゆるものを切断する能力を有していたが、改良されたこの腕の真価は攻撃力には無い。


 空間制御。キロンが用いていた、転生者の能力。サイバーカラテに存在する【縮地】の技法が、この世界の呪術によって再現されようとしていた。


 振り抜かれた左手が、重い手応えと共にキロンの顎先を捉える。遙か上空から遠距離攻撃を仕掛けているはずのキロンが、今この瞬間だけ俺の眼前に出現していた。


 左手の能力が発動し、キロンと俺の間にあった距離を短縮してあたかも近距離の相手を殴るように攻撃を命中させたのである。反撃の刺突を繰り出すキロンだが、即座に距離を引き離されて無駄撃ちに終わる。


 そして、果てしないようにも思われる鬼ごっこが開始された。空間制御とサイバーカラテを組み合わせた特殊な歩法、縮地。


 それを使えるのは両者とも同じであるが、速度が速度として意味を為さなくなった戦いでは騎乗しているキロンは的が大きくなっているだけに過ぎず、有利不利の差は縮まっていた。


 両者が空間の圧縮と拡張を繰り返し、間合いの概念は消失する。高速の突撃と離脱、零距離からの寸打と遠間からの刺突が交錯していく。誰かがこの戦いを見たならば、きっと目の錯覚だと思っただろう。


 それはさながらトリックアートの戦場だった。一瞬で距離を詰め、直後に逃げられてしまうという繰り返し。

 

「ちっ、埒が明かんっ」

 

 焦れたようにキロンが舌打ちをして、盾を構えながら新しい神働術を発動させる。同時に、空間制御を解除する。違う転生者のスキルが来ると判断し、こちらも参照先を切り替える。左手の親指と人差し指で輪を作るような印相を結ぶと、ウィッチオーダーが光に包まれてその輪郭を消失させていく。

 

「六十四番!」

 

(No.64【漆黒のシャクティ】エミュレート)

 

 想起されたのは、黒い肌の尼僧。あらゆる異世界、あらゆる時空を想像と予測のみによって見透かすという恐るべき視野の求道者である。


 黒く染まった左手と、その手の甲に取り付けられた巨大な円環が再構成される。全く同時に、キロンから放出された不可視の斥力が大地をデタラメに破壊していく。正体不明の攻撃を、獲得した鋭敏な感覚で捉えて回避する。重力制御による防御不能、視認不能の攻撃が俺に襲いかかっているのだと今の俺には理解できる。


 回避性能に特化した義肢で数秒先の自らの死滅を予測しつつ、俺は左手の円環を回転させて上空に撃ち出す。回転しながら自動で標的を追尾する戦輪チャクラムが、キロンの構えた盾の防御を迂回し、背後から強襲してその背を切り裂いていく。

 

「複数の能力とは、厄介なことだ。尤も、俺が言えた事ではないか」

 

 キロンが平然とした状態で態勢を立て直し、そのまま右手の槍で円盤を串刺しにする。高速で自動回避を行う戦輪の動きを容易く先読みしたのだ。俺の額を、嫌な汗が伝っていく。


 俺は至極冷静ではあるが、現状は単に予想外のこちらの奮闘にキロンが攻めあぐねているだけであって、決して俺が優位というわけではない。かろうじて渡り合えてはいるものの、このまま決定打を与えられなければ先に斃れるのは肉体に攻撃を喰らったらおしまいな俺の方だ。攻めきれないのはお互い同じなのだった。

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