2-86 サイバネティクスとオカルティズムの幸福なマリアージュ②


「防いだのは俺じゃない。サイバーカラテだ」

 

「何?」

 

 呪力とはミーム――摸倣子を媒介にして人から人へコピーされる情報のことであるという。社会や文化を構成する様々な習慣、技能、物語といったものが呪力と呼ばれるエネルギーを生み、呪術を発動させる。


 俺が転生者として価値を見出されたのは、異なる世界の異質なミームを保有していたからに他ならない。


 同様に、外世界から持ち込まれた戦闘技術――【サイバーカラテ】という情報からも呪力は生み出される。呪術への抵抗力を持たない俺が今までこの世界で戦えてきたのは、ひとえにこの事実の為だ。この世界に来てからというもの、サイバーカラテは新しい性質を得ていたのだ。


 すなわち、サイバーカラテにおける特定の型や特定の動作を行っている時、それは『技』や『術』と見なされて発動を呪術によって妨害されにくいという特性である。この世界ではサイバーカラテそのものが強力な呪術となり得る。ゆえに、俺は演舞めいた大仰な型をなぞるだけで呪術を跳ね返すことが可能になるのだ。コルセスカに言わせれば、俺の技はキャンセルしにくいということらしい。


 多少の小技では妨害にもならないし、その守りすら貫通するような強力な呪術であれば、コルセスカから与えられた右腕がその役割を果たす。鏡の中の幻腕は、大抵の呪術を打ち消すことが可能である。


 外世界人、日本語、そしてサイバーカラテというミーム、更には『鎧の腕』というそれらしい異名。見ただけで分かるレッテル。ラベリングという呪術。半年間で積み上げた狂犬の悪名。箔が付くことによって呪術的な力は増大していく。そしてなにより、サイバーカラテの使い手がキロンではなく俺だと認識されていることが真贋を分け、その信用度を増していく。


 先だってトリシューラが通信講座を始めようなどと言ったのも、俺をこの世界に於けるサイバーカラテの第一人者として世間に認識させるためらしい。そうすることで俺という個人とサイバーカラテとを紐付けし、セットでの認識を浸透させる。拡散した俺とサイバーカラテの情報が、膨大な呪力を生み出していく。


 単純にサイバーカラテだけをコピーしたキロンよりも、その呪力は遙かに上である。

 ネット上にアップロードされた動画で紹介された俺の動きを、そのままなぞっていく。サイバーカラテの技は、行為と仕草そのものが呪術の儀式とみなされ、キロンの神働術を容易く打ち破る。


 呪術名は【サイバーカラテ】――動作によって効果を引き出される、身体性と結びついた【杖】の呪術。

 

「君はもうサイバーカラテをほとんど使えないはずだ。その記憶は確かに砕いた。身体が覚えていても、あらゆる状況に対応するための戦術データがもう残っていない」

 

「確かに。完全にぶっ壊されて跡形も残ってない。俺の中にはな」

 

 視界の隅に浮かび上がった幻影の魔女――ちびシューラが架空の映像を俺の網膜に映し出す。


 脳細胞に刻印された呪術的なパターンが特定の呪術効果を生起させる。外部の端末と同期。遠隔地からこちらの状況をモニタリングしているトリシューラの意識とリンクして、俺の中に膨大な情報が流れ込んでくる。

 

(バックアップって大事だよね!)

 

 サイバーカラテ道場の膨大な戦闘データを全て保存できたわけではない。基本的な型のパターンなどはトリシューラが記録していたものの、膨大なデータを参照してあらゆる状況に対応するというサイバーカラテ本来の強さは発揮できないままだ。それではサイバーカラテを再現したとはとても言えない。


 しかし、【サイバーカラテ道場】は失われたが、その精神性、方法論までもが失われたわけではない。

 蓄積された前世の戦闘経験は全て消えた。しかし、ならばこれから積み上げていけばいい。


 俺の脳細胞が形成する【脳内彼女クランテルトハランス】、ちびシューラが第五階層の各所に設置されていた監視カメラを乗っ取り、【公社】が外部委託していた警備会社のシステムに侵入する。治安維持の為という名目で、実際は第五階層の住人を撮影してその命運を握っていた悪辣な仕組み。この世界において撮影という行為は魂を奪い、呪術への抵抗力が低いものなら簡単に呪殺してしまえる最悪の犯罪である。【公社】によって掌握されていたその命をかすめとり、かわりに膨大な記録映像を利用させて貰う。


 今まで第五階層の各所で繰り広げられてきた暗闘や乱闘、数々の戦闘記録。探索者達が上下の階層から持ち帰り、仲間同士で共有していた戦闘データ。そうした、この世界における戦闘の記録を収集し、整理し、一定の規則に従って再配列していく。


 更にはネット上から様々な通信サイバーカラテユーザーの意見をリアルタイムでフィードバック。膨大な戦闘データの蓄積と共有。

 そしてそれらを統合して判断を下す、超高度な人工知能。


 戦術判断AI、ちびシューラ(道着バージョン)がどこからか戯画化された人体図を取り出して、俺の視界の端に設置する。各所に俺と相手のバイタルデータが表示され、厳選された戦術パターンが選択肢として並べられていく。今回のバージョンではご丁寧にちびシューラによる各戦術への考察コメントが付けられている。


 全て、この世界の呪術、【杖】の技術によって再現したものだった。

 

「そうか、呪術による擬似的な再現――だが、オリジナルに近い俺の方が精度が高い!」

 

 キロンの言葉は正しい。しかし、今の俺が用いるサイバーカラテは、かつてのサイバーカラテには無い要素が存在する。


 高速で繰り出された蹴りを回避し、続けて打ち込まれた掌底に、見覚えのある輝き。かつて俺の右腕と記憶を破壊した強力無比な神働術、【災厄の槍】だ。


 掌から至近距離で解き放たれた絶大な破壊力を、俺は構わずに右腕で殴りつける。凄まじく重い衝撃が右腕から肩、全身へと伝わっていくが、俺はそのまま膝を軽く曲げて踏みとどまった。渾身の踏み込みと共に、燃えさかる骨の槍を強引に押し返す。常軌を逸した呪力――コルセスカが引き起こす絶対的な停止現象によって、その神働術が正面から凍結、粉砕されていく。

 

「馬鹿な、高位の神働術を砕いたというのか――打撃のみで?!」

 

 呪的発勁。それは魔女の使い魔である俺の、最大の特性。

 コルセスカとトリシューラ、二人から与えられた呪力を左右の腕から放出し、発動した呪術を物理的に殴打することを可能とする攻防一体の奥義。

 

「ありえん。そんな技は、サイバーカラテには存在しないっ!」

 

「その認識は間違っている。サイバーカラテに『ありえない』は無い。この世の事象、その全てがサイバーカラテの包括範囲だ。呪術が有る世界に転生したなら、それを体系内に取り込むまでのこと」

 

 前世で蓄積した膨大なデータベースから具体的な戦術を参照して瞬時に判断することはできなくなったが、長年の鍛錬で身体に染みついたサイバーカラテの理念は忘れていない。


 サイバーカラテの真髄は外力を高効率で伝達して打撃力に変換することにある。呪術なるものが物理的に存在する世界を訪れたなら、その呪力だかミームだかを伝達するエネルギーに含んでも構わないと俺――そしてあらゆるサイバーカラテユーザーは考える。


 何しろサイバーカラテには磁力を伝える電磁発勁や、熱量を伝達する熱学発勁の概念などが存在するのである。義肢のスペックにもよるが、それがエネルギーで有る限り、サイバーカラテはそれを体系内部に取り込むことができる。呪術もまた例外ではない。


 そうやって実戦データをフィードバックしてアップデートをし続けることこそがサイバーカラテの強さに他ならないからだ。そもそも機械化義肢の運用を前提とした武術という時点で、技術革新や新技術が登場する度にその理論が根底から覆されるなんてことがざらにある。


 サイバーカラテユーザー達は、その度に半笑いで悪態を吐きながら、新たな戦術理論を構築すべく研鑚と議論を重ねてきたのである。つまり、いずれにせよ呪術が存在する世界に持ち込まれた時点で、呪術の運用を前提にしたものに一度生まれ変わらせる必要があったのだ。


 その点では、キロンに感謝してもいいくらいだった。

 データが全て水泡に帰したというのなら、もう一度最初から積み上げていけばいい。サイバーカラテの理念と方法論はまだ健在なのだから。


 終わったのなら、似たような事を始めればいいだけのこと。

 偽物のサイバーカラテ。粗悪な劣化コピー。方法論の類似品。


 だが、サイバーカラテはあらゆる義肢、あらゆる戦場、あらゆるOSに対応した万能の戦闘術。その戦術理論において置換不可能なものなどない。ならば、サイバーカラテそれ自体もまた交換可能なものであると言えるのである。


 更にこの呪術世界では、アナロジーが力を持つが故に、その二つのサイバーカラテは同一であるとみなされる。

 

「【サイバーカラテ道場】、ここに復活だ――発勁用意」

 

 ちびシューラが用意した人体図が仮想の輝きを宿す。足の部分が赤く発光。続いて下腿、膝、上腿、骨盤が展開して腰に力が充溢し、腹部からねじるように上昇していく力が胸、肩、そして生身の腕から義肢部分へと一切の遅滞もロスも無しに伝達されていく。


 踏み込みから流れるように右、左と順に打撃を叩き込む。視界を流れていく「Good!」の文字がどこか懐かしい。次々と叩き込まれていく打撃がキロンの裸の上体を打ち据えていく。

 

「何故だ、何故圧し負ける?!」

 

 後退しながら、キロンがへし折れた両腕を振り回す。鞭のようにしなった両腕が伸びていき、一瞬で元の状態に復元される。異常な回復能力もまた健在のようだった。


 敵の攻め手も、けっして手緩いわけではない。その回避や防御が遅いというわけでもない。キロンのサイバーカラテは十全に機能している。しかしながら、両者の差は確実に出始めていた。


 突き出された貫手を右手で身体の外へ捌き、その側面へ左掌での打撃を叩き込む。続いて右から弧を描いて相手の死角に貫手を滑り込ませる。紙一重で回避するその喉元を、伸び上がった指先が強烈な指圧によって抉り取っていく。致命傷に血を吐くキロンの無防備な胴に、渾身の左拳を打ち込んだ。


 たたらを踏んで後退し、翅をばたつかせて態勢を立て直すキロン。その喉には既に傷一つ存在しない。俺を見る目が、何かに気付いたように見開かれる。

 

「そうか、手数。そして落差か」

 

 単純な事実として、現在の俺は過去の俺よりも強い。文字通り、手の数が増えているからだ。キロンは以前に片腕のみで戦う俺の姿を見てしまっている。その印象が、彼の判断を鈍らせている。


 加えて言えば、【サイバーカラテ】は機械化人体の運用とセットで考案された戦闘術だ。


 義肢を持たないキロンが使う意味は薄い。元の使い手に心理的な衝撃を与えることはできるが、感情が凍った今となっては、その効果も無い。サイボーグやアンドロイドを破壊するための効率的な戦闘方法は会得できるものの、それを簡単に許すほど今の俺は――俺達は甘くない。


 近接格闘における分の悪さを悟ったか、キロンは浅く息を吐くと、嘆くように天を仰いで掌で目を覆った。隙だらけの状態に思わず足を踏み出しかけるが、寸前で思い留まる。その気配の色が、急激に変化しつつあった。


 ぎょっとして、息を飲む。キロンの掌と顔の隙間から、一筋の雫がこぼれ落ちていた。

 あろうことか、この男は戦いの最中に落涙していたのだ。それも、おそらくは。

 

「ああ――なんてことだろう。拳で制圧することは適わないのか。それができるほどに、君は容易い男ではないということなんだな。本当に、なんということだ。できれば、君を殺したくは無かった」

 

 この男は、本気で俺の事を想って涙を流しているのだった。

 あまりの異様さに、攻め入る機を逸してしまう。彼の内心は、掌に隠れて窺い知れないままだ。

 

「初めて君の事を知った時、その境遇に哀れみを覚え、そして共感した」

 

 ぽつぽつと、キロンは胸の内を語り始めた。その様子があまりに鬼気迫り、また切実さを感じさせるものであったから、思わず俺はそれに聞き入ってしまう。普段の俺ならば容赦なく攻めるべきだと判断しただろう。だが、一度だけ目にした彼の慟哭が脳裏に甦り、冷静な判断を鈍らせてしまう。

 

「君の嘆きが、痛みが、俺には手に取るように理解できた。そしてこうも思ったんだ。君は俺の事を理解してくれるのではないかと。儚い期待だったが、それでも俺は君と共に戦えたらいいと、本気で考えていた」

 

 掌がゆっくりと下ろされていく。いつのまにか涙は止み、彫刻めいた表情が再び明らかになる。その瞳に宿っていたのは、深く暗い絶望の色。

 

「好意を抱いた相手を殺さなくてはならない。これほどの苦しみが、他にあるだろうか」

 

 瞬間、俺は想起した。魔将の呪いに取り込まれ、狼と同化して死を願う一人の男。その余りにも無残な最期を。おそらく、同時にキロンもまた似たような光景を想起していたのだろう。交錯する視線がかすかな共感を呼び起こし――そして火花のように消えた。


 ありえない可能性、あったかもしれない未来を幻視して、即座に否定する。俺は魔女の使い魔だ。その事実は、たとえどのようなことがあろうとも揺るがない。

 迷いを振り払ったのは、二人同時だった。

 

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