2-85 サイバネティクスとオカルティズムの幸福なマリアージュ①
それは、戦いが始まる前のこと。
「昨晩の件で確信しましたが、おそらく私達のような後衛寄りの魔女にとって、貴方は極めて相性がよいタイプの使い魔です」
コルセスカは寝台の上で朝食のスープを手にしながらそんなことを俺に告げた。
記憶によれば、この二人は普通に槍とかナイフとかで近接戦闘を行っていたはずだが、あれでも前衛とは見なされないらしい。あくまで護身用に身につけているだけで、その本領は後衛ということなのだろう。
「それには同意。私達って使い魔の専門職、
後からやってきたトリシューラが野菜ジュースのパッケージにストローを突き刺しながら口を挟んでくる。ちなみに彼女が口の中に入れた物は体内の呪力変換装置で全て呪力になるらしい。人の手が加えられていればいるほど含有される意味の量が増えるので効率が良いとか何とか。
コルセスカがスパイスの効いたスープを平然とした表情で飲みながら先を続ける。
「私に
「吸血鬼って使い魔を従えてそうなイメージあるけどな。コウモリとか、それこそゾンビっぽいのとか」
「感染型の血統、一般的な吸血鬼は使い魔の使役に長けていますよ。私は厳密には吸血系の呪術――生命吸収を会得しただけの魔女なので、純粋な吸血鬼ではないんです。感染したのではなく自力で成った、一代限りの始祖吸血鬼。なので、貴方のイメージしている吸血鬼っぽいことは吸血しかできないですね――話がそれました。とにかく、私達の使い魔スキルで質の良い前衛を用意しようとすると、どうしても人間になってしまうのです。呪具を与えたり強化術をかけたりしても、単純な頭しかない獣だとどうしても役者不足になってしまいます。長い時間をかけて調教を施すような術は使い魔の専門職でないとできません。その上で戦場で瞬時の判断ができ、痛みや恐怖に揺るがず、こちらの指示を聞いてくれて、私達キュトスの姉妹に偏見を持っておらず、最後に私達の目的を聞いても味方になってくれる、そんな都合のいい使い魔。それが貴方というわけです」
「でも俺、呪術の適性は無いんだろ? それってかなりのデメリットじゃないか?」
「ええ、貴方には呪力抵抗がほとんどと言っていいほどに無い。ですが、それは裏を返せば私達の呪術も通りやすいということ。一般的な使い魔である小動物や人形に比べて、呪術で肉体を強化した場合の呪力伝達率がかなり良いのです。私達が上手く調整すれば、増幅回路としての働きが期待できる」
そう言って、彼女は俺の右手に視線を向けた。二人の魔女による調整――戦う為の準備は、昨晩のうちに一通り済ませてある。俺は彼女たちから一つずつ義肢を与えられている。この左右の腕はそれぞれが極めて高度な呪術によって作られた特殊な義肢だ。そのような強力な呪具を肉体と繋げるということが可能となったのも、俺に呪術に対する抵抗がほとんどないからということらしい。普通ならそもそも機能しないか、拒絶反応でも起こしていたのだろう。
「ま、流石に抵抗力皆無だとその両腕に逆に喰い殺されかねないからね。私が最低限の底上げはしておいたよ。はいこれ」
「何だそれ、薬?」
トリシューラが差し出してきたのは、赤と黒のカプセル剤だった。話の流れからすると俺を『調整』する為の薬品なのだろうか。
「王獣カッサリオの骨を砕いて粉末にしたものと、鴉の鰓と兎の角、岩の吐息と転生者の細胞とか色々混ぜたお薬。その腕で戦う為に必要だから、幾つかセットで持ち歩いてて。無くなったらまた作って補充するから」
そう言って、カプセル薬が入ったプラスチックの成形シートをまとめて渡してくる。戦う前に一錠服用することで肉体を戦闘モードに切り替える、いわば安全装置のようなものらしい。つまり無くしたら戦えないわけだ。大切にしまっておくとしよう。
「気をつけてね、アキラくん。その両腕ではなく、直接身体にキロンの攻撃を受けたら、多分一撃で戦闘不能になってしまう」
絶対に腕以外で攻撃を受けないでと言うが、あの超人相手にその制限は中々厳しいものがある。そこで俺は、一つの提案をしてみせた。トリシューラとコルセスカは驚き、それから強硬に反対したが、最後にはしぶしぶそのアイデアを受け入れた。それが最善の手であると、彼女たちも認めざるを得なかったのだろう。相手はそれほどの強敵だ。
準備は万全。あとは時を待つだけ。二人の魔女が感覚を鋭敏にして索敵呪術を周囲に張り巡らせていると、やがてその網に引っかかった巨大な反応がひとつ。天蓋を盛大に破壊しながら、その男は迷宮と化した第五階層に舞い降りた。周囲に集まってきた悪鬼の群れを一瞬で薙ぎ払うと、彼は彫刻めいた美貌を不快そうに歪める。負傷した片目は一晩で治癒したのか、視界に隙があるということも無さそうだった。
たった一人で目の前に立った俺を視認すると、意外な、そして愚かなものを見るように大きく目を見開いた。
「スキルと装備が更新されているようだな? 一瞬だけ別人かと思った。凄まじい程に能力が上昇している」
ステータス参照能力。転生者から奪ったと思われる、キロンの持つスキルの一つだ。多様なスキルを自在に習得していくことが可能であり、現在どんなスキル構成であるのか、想像もつかない。なにしろ階層の狭間に追放されている間、空間操作のスキルに習熟するための特訓をひたすらしていたはずなのだ。戦いに備えて、その他のスキルも上げている可能性がある。
「なぜ逃げなかった? この期に及んで俺と戦う理由は? 俺は【きぐるみの魔女】と全ての異獣を討伐できればそれでいい。あえて君と戦う理由はないのだ。まして抜け殻となった今の君とは」
「生憎と、俺はその【きぐるみの魔女】の力になるって決めてるんだ。あいつに手は出させない」
「決断を他人に預けるな。それは怠惰さだ」
何が彼の逆鱗に触れたのか。キロンは瞬時に沸騰した。限界まで見開いた目が槍のような視線をこちらへと放射する。彼に邪視の能力があれば今ので俺は死んでいた所だ。キロンは一度の激発で熱を放出しきったのか、普段のような涼しげな表情を取り戻して続けた。
「――そして弱さであり、醜さでもある。君は醜いなアキラ。見るに堪えない、美観を損ねる。醜いというのはただそれだけで悪だ」
一歩前に踏み出す。ただそれだけで、大気が震撼し、大地が鳴動する。圧倒的な気迫が全身に突き刺さり、気を抜けば倒れ伏してしまいそうになる。
「君は邪悪だ、アキラ。邪悪な者は排除せねばならない。この胸に燃える正義の炎にかけて」
己の中でのみ完結した論理を展開して、聖騎士は裸の胸の前で拳を握りしめた。右手を前にして半身となる。その構えはもはや忘れもしない、俺こそが最も良く知悉した流派の武術。
「君自身の力で敗れるがいい。その身の無力をもう一度噛みしめろ」
言葉と共に、轟音が鳴り響く。地を砕く踏み込みは、かつての俺を遙かに凌駕した脚力で繰り出されている。その速度もまた常軌を逸しており、瞬く間に俺との距離を詰めると、最速でこちらの頭部へと掌底が放たれていた。
右手をその軌道に割り込ませて防御、続けて撃ち出されようとしていた左下段への蹴りを逆にこちらから踏み込んで左拳で迎撃しようとする。俺の行動の出を読んだキロンは重心を後ろへとずらし攻撃を中断。背中の翅を羽ばたかせて発生させた突風が衝撃波となって俺への牽制と自らの移動、双方を同時に行う。
その、瞬間。
キロンの美貌が、驚愕に歪んでいく。音もなく大地を踏みしめた俺が、風を裂いて前進する。それを可能にしているのは、右前腕部をくまなく覆い尽くす包帯のような呪具の力だ。蚯蚓がのたくったような呪文が記されているこの呪帯は、内側の呪力を完全遮断する封印の呪術がかけられている。それは、外からの呪力もまたはね除けることができるという意味でもある。キロンが発生させた突風の神働術――コルセスカが【空圧】と呼ぶそれを完全に無効化し、そのままの勢いで接近していく。
俺の左腕が打ち込まれ、キロンの左腕がそれを完全にガードする。その瞬間、骨が軋むような音がして、受けた方の眉がかすかに歪んだ。
黒を基調とした色彩に銀のラインが入ったその腕は、どこかその作り手を思わせるデザインだった。事実、彼女はそれを自らの体内に圧縮して隠し持っていたらしい。最も安全な場所で守られ、呪力を蓄積され続けたその義肢の性能は、俺が以前まで使っていた義肢と比較しても更に上の膂力を生み出す。激突の瞬間、手の甲に取り付けられた『歯車』が急速に回転し始める。途端、左腕全体に力が漲り、俺が強く踏み込むまでもなく自動的に義肢そのものが駆動、その場で打撃力を増大させていく。
拳そのものが巨大化するような錯覚。体幹をしならせて拳を振り抜く。その物理的な出力においてキロンを完全に圧倒し、その腕をへし折った勢いのままに胴体へと打撃を命中させる。
手応えから、浅いと判断して舌を打つ。
キロンは自ら凄まじい勢いで後方に吹っ飛び、そのまま地面すれすれを滑空するように進み、迷宮の壁面の直前で垂直に上昇。翅がはためいて、空へと舞い上がる。
「さすがは元サイバーカラテの使い手。肉体に刻み込まれた修練の成果はそう簡単には消えないらしい」
「エピソード記憶は削れても、手続き記憶は削れないみたいだな。試してないが、泳いだり自転車乗ったりはできるはずだ」
軽口を叩きながら、改めて意識を上空へと向ける。
迷宮化した第五階層は通路の狭さゆえに移動面での不便がある。しかし天井は吹き抜けになっているため、飛行能力を持つキロンにとってはそれは問題とならない。頭上からこちらを見下ろす彼の周囲に赤い燐光が灯っていく。合計三つの赤熱する球体を生成したキロンはそれをこちらに向けて射出すると、更に追撃の急降下を仕掛けてくる。
球体の神働術はどれも【爆撃符】に匹敵する威力を宿している。強力な熱と衝撃はたとえ腕で防いでも頭部や胴体を焼き、損壊させてしまうだろう。まともに命中すればこちらの命はない。更に駄目押しの空中からの跳び蹴りが加われば、万に一つも生き延びる術は皆無だと思える。
ただしそれは、こちらに呪術が通用すればの話だ。
さて、教えられたとおりに、上手くやれればいいのだが。
右手の先に確かな神経が通っている事を、研ぎ澄ました感覚で捉えていく。封印の内側、押し込められた幻の腕が、血も凍るような冷たさを感じ取る。
「凍れ」
俺の意思に従って、手の周囲に複数の鏡が展開される。幾何学的な形状の、多面の結晶。形成された氷の鏡に映し出されているのは半透明で輪郭の不確かな幻影のような腕だった。
新たな右の義肢――コルセスカが生み出した呪術の義肢は、俺の幻肢を実体として操作する。
複数の鏡の中に生まれた幻の腕が、それぞれ皮膚と筋骨を有し、血が流れているような錯覚を俺にもたらしている。俺は鏡の反射角度を調整しながら、映し出された像そのものを微かに、そして大胆に歪曲させる。それに伴って、腕そのものが広がっていくような強烈な違和感を覚える。構わずに腕の感覚を肉体から切り離す。一瞬にして幻肢の形態を実大型から遊離型へと変質させるという、呪術による超常の操作。離脱した感覚が拡散、分離して上空へと飛んでいく。
鏡の中の空間を高速で飛行していく右手が、掌を拡大させ、そのまま三つの火球をまとめて握りつぶす。それに従って、現実の世界では前触れもなくいきなり火球が消失。右腕の感覚を手元に引き戻すと、その周囲で氷が砕けていく。
急降下してきたキロンの蹴りを右手で受ける。凄まじい衝撃に足下が砕け、キロンはそのまま俺の腕を足場にして跳躍する。こちらの背後へと降り立ち、流れるように回し蹴りへと繋げる。振り返りつつ左肘で受けると、手の甲の歯車が高速回転を始める。未知の機構を警戒したのか、キロンが素早く後退していく。
「なるほど。君が得たのはこの世界の力――呪術の力か」
「それだけだと、本当に思うか?」
一瞬の静止状態を見逃さず、相手の呼吸の隙間を狙って拳を突き出す。腰から腹、胸から肩と体幹が順に波を立てるようにして動いていき、しなる身体が拳へとエネルギーを伝えていく。
対するキロンの応手は四つ。右半身を前に出しての迎撃――サイバーカラテの正道を行き、更には俺を超えた速度の踏み込みから為る神速の打撃。そして翅の羽ばたきが発生させる空圧、左から出現する火球、更には地面から迫り上がってくる岩の槍。物理的攻撃と呪術的攻撃の双方から攻めるキロンの手はまさに盤石の態勢。
俺はその全てを真正面から打ち破った。
踏み込みと共に右拳が火球を消し飛ばし、流れるように肘の一撃が風を切り裂いて相手の掌底とぶつかり合う。襲い来る衝撃のエネルギーを上方向に流しながら、身体を回すように相手の内側に滑り込もうとする。重心を低く保ったまま肩から背、全身そのものを回転させて叩きつける動き。下方から伸び上がった岩の槍が俺の無防備な脚に直撃するが、砕けたのは槍の方だった。驚愕する気配ごと、相手を全身で吹き飛ばす。
翅で衝撃を殺しながら、空中で制動をかけたキロンが、今度こそ驚きを禁じ得ないという表情でこちらを見た。
「今、何をした?」
「そっちがやってるのと同じ事だ」
両腕以外は呪術に対する抵抗力を持たないはずの俺の身体が、キロンの術を打ち破った。ありえない事態だが、これは俺の肉体が急に呪術に対して強くなったということを意味していない。
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