2-83 ごっこ遊び④

 コルセスカの右目が赤く染まり、犬歯が鋭く伸びていく。不安そうだったトリシューラが意外そうに首を傾げて、コルセスカと俺を交互に見て言う。

 

「セスカ、もう呪力が残ってないんじゃないの? 第六階層でストックしてた余力は使い果たした上に、キロンと戦った時に無理して氷血呪なんて使うから、もうボロボロなはずだけど」

 

 ま、だからさっきは勝てたんだけど、と小さく呟くトリシューラ。二人の圧倒的な実力差が垣間見えてしまったが、それはともかくコルセスカが立て続けの無茶でもう限界であることは俺も承知している。凄まじい精神力で耐えているだけで、キロンと戦った後は立っていることすら苦痛だったはずなのだ。

 

「ええ、ですから、今回は余力を全て彼に預けて、私は裏方に回ることにします。キロンを倒すのは、私達の呪力を与えられたアキラです」

 

「俺の中に呪力とかそういうものを注ぎ込んで戦う為の準備を整えるってことか。それなら構わないけど、俺は今自力で服を脱ぐのも難しい状態なので手伝ってくれると助かる」

 

「そうですね。では私がやってあげます。――そうだトリシューラ。ついでですから、貴方のメンテナンスも私がやりましょう」

 

「聞いてたの?!」

 

「ええ、ばっちりと。時間も無いことですし、私がアキラに呪力を注入する作業と平行して進めてしまいましょう。私が後ろからアキラの首を噛みつつ腕の代わりになってトリシューラを整備するので、二人とも向かい合ってくれます?」

 

 コルセスカはこちらの意思などお構いなしにどんどん話を進めていく。寝台の横の台に置いてあったトリシューラのポシェットから次々と複雑な形状の道具や部品などを取り出していき、巨大な氷の長卓を出現させてそこに並べていく。そして俺の背後に立つと、下から服の中に潜り込んで二人羽織の状態となる。何だこいつ。

 

「おいその動作必要ないだろ」

 

「気分を出す為です。さあトリシューラ、服を脱ぎなさい。それとも脱がせて欲しいですか?」

 

「え? ええ? ちょっと待って、何この構図。意味わかんない」

 

 安心しろ、俺もだ。

 普段はまともそうな振りをしているが、一旦暴走を始めるとトリシューラに輪をかけて頭がどうかし始めるコルセスカに、俺達は困惑を禁じ得なかった。待ちきれないというように、俺の服の袖から伸びたコルセスカの両腕がわきわきと妙な動きをする。俺がやってるみたいで変な気分だ。

 

「震えてるのか? 安心しろ、すぐに温めてやる」

 

「声と口調作るのやめろ! 俺が言ってるみたいだろうが!」

 

 あと耳元で低い声が囁かれるとぞくぞくして心臓に悪い。ただでさえ密着状態で色々当たってやばいというのに。全体的にほっそりとしていため普段は目立たないものの、コルセスカはそれなりに女性らしい体つきをしているのだ。普通ならこの状態は理性を失っていてもおかしくはない。だというのに俺がそこまでその気にならないのは、その分の欲求がコルセスカの方に流れているということであり、それはつまり。

 

「もう限界です。刺したり抜いたり出したり吸ったりしたいので噛んでいいですか。いいですね」

 

 返事も待たずに、鋭利な感触が首筋に滑り込む。一瞬の熱さと、やがて訪れる恐ろしいほどの冷たさ。寒気に全身が震えるが、強く背後から抱きしめられて震えごと抑え込まれる。思わず漏れた苦悶と、後ろで上がった微かな嬌声が混ざり合った。舌がそっと肩を撫でていき、冷たい吐息が濡れた箇所を冷やしていく。


 呆然とこちらを見ていたトリシューラに、コルセスカが一度顔を上げて問う。

 

「いいんですか? そんな風に呆けていたら、私が全部食べちゃいますよ?」

 

「だ、ダメっ!」

 

 慌てたように言って、何か自分でも行動を起こそうとするトリシューラだったが、とっさに何をすればいいのかわからなかったのかあたふたと手を彷徨わせてしまう。ふと気付いて自らの服に手をかけるが、そこでこちらの視線を見とがめてきっと睨み付けてくる。

 

「服脱ぐから、あっち向いててくれる?」

 

 俺が反応するよりも速くコルセスカの両手が俺の視界を遮った。何か言おうとしたが、首筋に走った衝撃によって強制的に沈黙させられる。

 

「もう、いいよ」

 

 消え入りそうな声と共に冷たい両手が下ろされていく。

 墨を垂らしたような、深い漆黒。


 露わになったトリシューラの裸身は、濃い黒色を基調とした素体に、複数のメタリックな銀と灰色のラインが入った無機質でありながらもどこか人間的な流線型をしたものだった。


 服を脱いで全てがさらけ出されたゆえにはっきりとわかる。生物的な凹凸の存在しない、男性とも女性ともつかない身体のラインは、俺には『人間的』としか形容しようがない。彼女の全身は、少なくとも生身の血肉によって構成された有機物ではありえないのだ。


 ふと、視界の隅に先程までトリシューラの肢体を包んでいたと思しき衣類を発見してしまい動揺しかける。あのトリシューラさん、綺麗に畳んであるのはいいんですけど、下着を上に置くのはどうなんですか。

 

「あんまり見ないで。恥ずかしいから」

 

「悪い」

 

「ちゃんと見て。私が機械なんだって事を確かめて」

 

 どうしろと。

 ある意味いつも通りの理不尽さで、すこし安心する。トリシューラは恥ずかしがるように片手をもう片方の腕に沿えて、すらりと長い脚を内股にして片膝を軽く曲げて立っている。


 そこで気付いたが、トリシューラの顔が身体と同じように黒銀の色に変化している。こちらの疑問に気付いて、トリシューラが説明する。普段は呪術によって体表に立体的な映像を浮かび上がらせ、同時に呪的なテクスチャを貼り付けることで肌や皮膚の色彩、質感を獲得しているらしい。

 

「たとえば、こうやって赤褐色系にすれば」

 

「あ、おい止せ」

 

 自分が服を脱いでいることを忘れているのか、トリシューラの全身が褐色の肌に一瞬で切り替わる。当然、一糸まとわぬ姿が露わになって俺の目に焼き付いた。


 直後に自分の軽率な行動に気付いて、はっと両腕で身体を隠して呪術を解除するトリシューラ。じっとこちらを睨み付ける。

 

「――見た?」

 

「見てない」

 

「嘘ですよ。超喜んでますこの人」

 

「うぅーっ」

 

 コルセスカの余計な一言で、トリシューラがしゃがみ込んで唸り声を上げる。反応に困る。しばらくして立ち直ったトリシューラは、大型の端末を取り出して操作し始めた。直後、俺達の周囲に複数の立体映像が投影される。無数の、様々な角度から捉えた脳。複数の断面と刻々と変化していく色彩。トリシューラという知能を構成していると思しき、人工脳の活動を画像化して地図状にしたものだ。

 

「骨相学系の呪術師なら頭蓋骨を積み上げるんだけど、私はこっち。あまり気にしないで、アキラくんは私に集中して」

 

 実際に手を動かすのはコルセスカなのだが、あくまで俺にやらせるのだという事を強調するトリシューラ。この状況で俺にできるのは吸われて見るという、ただそれだけの事しかないのだが、彼女たちは真剣だった。

 

「マニュアルを表示するね。やり方はそれ見れば分かるから。だから、私に全部任せるつもりでして? アキラくんは私の言った通りにしていれば、そのうち全部終わってるから」

 

「トリシューラ? その言い回しに他意は無いんだよな? この行為はあくまでトリシューラの不安を緩和するためのものであって、他の含みは無いはずだって自分で言ってたよな?」

 

「うん。今アキラくんが考えたようないやらしい意味は一切無いよ。だから変なこと考えるの止めてね、私アキラくんのこと軽蔑したくないから」

 

 そうは言うものの、この二人が明らかに悪意を持って俺をからかおうとしているのは明らかである。さっきから後ろで「綺麗だよ、トリシューラ」とかいい声を作って遊んでいるコルセスカといい、人をなんだと思っているのか。ペットになら何でもしていいと思うなよ。

 

「あのねアキラくん。男女の間に必ず恋愛を持ち込んでいたら、性別ごと社会を分断しないとまともな人間関係が構築できないと思わない? 貴方がそういう含みを私たちの関係に持ち込む度、いちいち純粋に目的に向かうための軌道修正をしなくちゃならないんだよ。それがどれだけ無駄な手間かわかる?」

 

「ごめんなさい」

 

 そう言われると、俺がセクハラをしているだけのような気がしてきた。というか自分の言動を振り返ってみると、相手の窮状につけ込んで性的関係を強要しているだけでは。

 深く息を吐く。先程はトリシューラに強引に言わされただけだったが、どうやら俺は本格的に彼女に執着しているらしい。この気持ちが、彼女の望みを無視した一方的なものでしかないと自覚しなくてはならない。


 そう――トリシューラの言う通りだ。これはただ戦いの為に必要な事で、俺は仕事をこなすように、淡々と作業を進めればいい。そこに欲望の入る余地は無い。仮想的に表示されたマニュアルに従って、寝台に横たわったトリシューラの傍らに近寄る。コルセスカの腕が淀みなく動いていき、その胴体の上部が蓋のように左右に開いていく。


 明らかになったその内部構造は、やはり生物のものではない。機械部品が内臓のように組み合わさり、それらを繋ぐ複雑な配線、そして用途が想像もつかない呪具に妖しい輝きを放つ呪石。映像に表示された説明と見比べながら、それぞれの構造を確認していく。俺が表示された映像から必要な情報を口頭でコルセスカに伝え、彼女の腕が整備を実行する。度重なる戦闘で摩耗し、破損したパーツが予備のものと取り替えられていき、動力源である高純度の呪石に予備バッテリーから呪力を注ぎ込む。

 

「私のコアは全部で九つあるの。全身に分散していて、脳に二つ、あとは脊髄、心臓、両手と両足にそれぞれ一つずつ」

 

「ひとつ足りないような気が」

 

「最後の一つは秘密。一回身体を許したくらいで、何でもかんでも教えるとは思わないことだね」

 

 そういう言い方をして必要以上に相手を挑発する態度には問題があるような気がするのだが、セクハラにせずに指摘するにはどうしたらいいだろう。

 頭を悩ませつつ彼女の身体を眺めていて、あることに気付く。

 

「――そうか。この構造は、つまりそういうことか」

 

 そして俺は理解した。トリシューラの異称、【きぐるみの魔女】の本当の意味を。

 むしろ、彼女はこの為に俺に己の内部構造を明かしたのかもしれない。キロンと戦い、勝利するために。


 であれば、俺はそれに応えなければならない。決意を新たにして作業を続けていく。

 

「あっ、やだ、そこ、そんなに強くしないで」

 

「――だそうだけど、コルセスカ?」

 

「へっへっへ、そんな事言っても身体は素直のようだぜじゅるり」

 

「いやっ、アキラくんの意地悪、変態!」

 

 息ぴったりだなこいつら。あと俺はそんなしゃべり方をすると思われているのか。地味にショックだった。


 さめざめと泣くふりをしながら「アキラくんに辱められた、もうお嫁にいけない」とか言っているトリシューラを、腕があったら殴ってやりたい。こっちは指一本触れてないというのに。


 この世界に転生して以来、およそ考え得る限りもっとも間の抜けた時間が過ぎていき、どこか儀式めいたその行為が終了した頃には、すっかり夜も更けてしまっていた。


 ほとんど何もしていないにも関わらず、深い疲労感を覚えて嘆息する。

 前後から「お疲れ様」と声をかけられるが、返事をする気も起きない。というかさんざん二人に弄ばれた結果として、無視する癖がついてしまった。まともに相手にするだけ馬鹿を見ると気付いたのだ。


 トリシューラが身体を起こして、自分が正常に動くかの最終点検を行う。満足したように頷いて、いつもの微笑みを浮かべた。

 

「ありがとう。私の事を、知ってくれて」

 

 真面目な声音だった。どう返すべきかわからずに黙っていると、トリシューラはそっと手を伸ばす。その先には、俺の失われた左腕がある。断端をなぞる指先が、接触面で硬い感触を伝えてくる。対称を為すように、コルセスカが右の断端に触れた。

 

「今度は、アキラの番です」

 

「私達の味方になってくれるアキラくんに、新しい力をあげる」

 

 交互に投げかけられる声。まるで輪唱するかのように涼やかな音が響いていく。

 すぐ後ろで、冷たい気配が情熱的に囁いた。

 

「私が右手を」

 

 そして正面から、無機質な気配が獣のような瞳を向ける。

 

「私は左手を」

 

 前と後ろから包み込んで、丸ごと飲み込んでしまいそうな、それは余りにも深い熱情。所有欲と独占欲が過剰なまでに迸り、ついには自らの一部を埋め込みたいという欲求に変化する。二人一緒に手を加えてしまえば、それは二人の『もの』になるのだと、そう確信して。

 

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