2-82 ごっこ遊び③


「――はい?」

 

 その、恐らくいつもは自分でやっているであろう行為を俺が代行する意味とは一体?

 

「アキラくんの手で、整備して、点検して、お手入れしてもらって」

 

 トリシューラの表情は赤みを帯びているとかのレベルを通り越して熱で溶けそうだった。もしその頭の中にあるのが生体脳であればとっくに死んでいるだろうからきっとトリシューラはアンドロイドだよ、良かったね。


 じゃなくて、その表情に出力してる感情表現は素なのか意図してのものなのかどっちだ。意図的だとしてどのような意思が込められているのか。俺にどう反応しろと?

 

「大事に使ってもらってるっていう、かたちが欲しいの」

 

「他者によって整備されることで、機械であることを強調しようって事か? だが、それなら例えば自分の身体の中を自分で見ることで同じような効果が得られるんじゃないのか」

 

「自分でやるんじゃなくて、あなたにそうしてほしい。だってそのほうが『それっぽい』でしょう?」

  その魔法の言葉を口にされると、もう何も言えなくなってしまう。あらゆる冷静な反論は、それで封殺された。『それっぽい』の魔力は俺とトリシューラの間にある共通の理解、合理性とか機械的な論理とかのシンプルで受け入れやすい道のりを簡単に飛び越えて行ってしまう。余りに勢いがあるから、俺やトリシューラでさえ何処まで飛んでいくのかわからないくらいだった。


 正直死にたい。

 トリシューラはこれを言うために、不安だったり恥ずかしい思いをしてまで俺と迂遠な話をしてきたのだ。俺の察しが悪いせいで大変な遠回りだったろう。というか理想は俺の方から言わせることだったのかもしれない。まあそれはちょっとトリシューラに都合が良すぎるが。


 どうするんだこの空気。

 決まっている。決まっているのだが、本気か? というか正気か俺は。何でもやると言った手前、ここで引き下がるようなことは言い難い。思考が暴走しかかるが、ふと首筋の穿孔痕とそこから繋がる感覚を思い出して、ブレーキがかかる。

 

「なんかそれ、色々踏み越えてないか。他人に身体いじられるんだぞ?」

 

「私だって見知らぬ他人に身体を触らせたりしたくないよ。だから、逆に一度身体を許したらもう他人じゃないって気がしない?」

 

「おい言い方に気をつけろ」

 

 トリシューラはべ、と小さく舌を出して答える。こいつわざとか。軽い苛立ちと共に諫めるように言葉を重ねる。少しだけ身体を彼女から離していく。

 

「せめて、もうちょっとお互いを知り合ってから――」

 

「付き合いはじめで距離の詰め方がわからない恋人同士みたいな事言うよね、アキラくん」

 

「お前は一体何を言っているんだ」

 

 こちらが離れようとするのも構わずに、ぐいぐいと迫ってくる。獣のような視線だけで、掴んで離さないと宣告し、そのまま押し流すような言葉の奔流。

 

「大事なペットだもの。色々な資料を調べて勉強したんだ。普通の男性はこんな風に、恋人のように接すると喜ぶんだって。ね、アキラくん。こうやって私といちゃいちゃできて嬉しいでしょう。嬉しいよね?」「まあ、そうだな」「良かった。じゃあアキラくんは私のことが大好きなんだね」「いやそれは」「大好きって言え」「まあ、もう認めるけど。最初に見た時から好感は抱いてたよ、正直」「そっかー。私のこと、愛してる?」「会ってから一週間経過してないのにそこまで要求するか普通」「普通かどうかなんて聞いてない」「いやでも」「言え」「――」「言、え」「――愛してる」「私のためならなんでもできる?」「ああ、何でもやってやるよ」

 

 やけくそ気味に叫ぶ。ほとんど強制的に言質を取られてしまった。このまま一方的にやられっぱなしという不満感が、俺に余計な一言を口にさせてしまう。

 

「それで、その、トリシューラはどうなんだよ」

 

「何が?」

 

「だから、トリシューラは、俺の事をどう思っているのか聞かせて欲しいんだけど」

 

「ああ、好きかどうかってこと? 別に好きじゃないけど」

 

 ――――――――。

 

「だって私そういう性愛とかの機能は無いもの。アキラくんが慕ってくれる分には可愛がってあげようとは思うけど。大事なペットだし、しっかりとお世話しないと。それに、飼い主とペットで恋愛だなんて起こりえないでしょう。恋愛って対等な立場でするものだって資料に書いてあったよ。それにアキラくんみたいな、出会ってからすぐに愛してるとか言っちゃう軽薄な人は私はヤダなあ。そうそう、私とセスカ以外の相手に発情したらいけないんだからね。そういうのはしっかり私が管理制限します。とりあえず去勢しないとだね」

 

 そうだ、トリシューラはこういう奴だった。


 思い切り高い場所に登らされた後で笑顔で足場をたたき壊されたような気分。不快なのかちょっと気持ちいいのかもよくわからないので、微妙な感覚が消失したりもしない。


 それか、ひょっとすると衝撃が大きすぎて感情が根こそぎ吹っ飛んでしまったのかもしれない。深い、深すぎる溜息を吐こうとして、間近でトリシューラがこちらの顔を覗き込んでいることに気付く。そのあまりにも整い過ぎた顔と大きな瞳に息をかけるわけにもいかない。顔を横に向けて溜息。目を先に逸らした事が、何か敗北したようで屈辱。

 

「色々言いたいことがありすぎて何から突っ込むべきかわからないが、とりあえず去勢はやめてくれ」

 

「私に突っ込みたいから?」

 

「マジで押し倒すぞてめえ」

 

「やれるものなら」

 

 挑発的な笑みを浮かべて、出し抜けにトリシューラの腕が動く。胸の辺りを押されて、その力強さに抵抗もできずに倒れてしまう。


 そういえばこいつは見た目よりも重量と腕力があるのだった。逆に押し倒された俺にのし掛かるように覆い被さってくるトリシューラ。頭の横に、鋭く掌が振り下ろされる。真上から見下ろしてくるトリシューラの表情は、完全な上位者のものだった。

 

「あのね、良いこと教えてあげる。私はアキラくんが期待しているようなことができないように設定されてるの。最初から未実装なのか、それともプロテクトがかけられているのか、私には判断できないけど」

 

「期待してるとか断言するのやめろ。あと本当に去勢は勘弁してください」

 

「じゃあ鍵でも付ける? そっちの方が不便だし、壊されたらどうしようもないよ。アキラくん節操ないから何の対処もしないのは無しね。ペットがそこら中で粗相してぽんぽこ子作りしちゃったら、飼い主の責任を果たしてないってことになるもの。私はアキラくんの立派な飼い主でありたい」

 

 だからちゃっちゃと取っちゃおうか、とどこからとも無くメスを取り出して、強引にこちらの下履きを脱がせようとしてくるトリシューラ。「おいちょっとまてここでやらかす気か」「大丈夫死なないよ、ちゃんと治療するから」などとじたばたやっていると、呆れたような声が投げかけられる。

 

「何をやっているんですか貴方たちは。いつ敵が戻ってくるかもわからないのに」

 

 冷ややかにこちらを見据える氷の瞳。闇の中から意識を帰還させたコルセスカが、寝台の上で揉み合っている俺達のすぐ傍まで歩み寄り、興味深そうに口を開いた。

 

「――実際に切除した場合、その痛みは私に来るのでしょうか。未知なる幻の痛みがあるのか、それとも何も感じないのか、多少の興味はありますが」

 

「発生学的には陰核が痛むんじゃないか」

 

 適当に答えると、コルセスカの白い頬がさっと赤く染まり、直後に血の気が引いて蒼白となる。トリシューラの軽蔑のまなざしが突き刺さった。「アキラくんサイテー」「トリシューラ、やっぱりそれは止めましょう。鍵をあとで作るのがいいと思います」「そう? じゃあ二人で頑丈なの作って二重に管理しとこうか」「それがいいと私は思います」当事者不在のまま、二人は勝手に話を進めていく。こいつらは本気だ。身の危険を感じて、どうにか話をそらそうと頭を回転させる。

 

「それより今後の方針とかについて話した方が有意義だと思うんだが。二人で共通の使い魔にするっていっても、基本的に俺はどっちの指示に従えばいい?」

 

「トリシューラの味方をしてあげてください」「セスカを助けてあげて」

 

 同時に正反対の事を言う魔女姉妹。息の揃ったことである。噛み合わない意見に、二人はお互いを睨み付ける。

 

「セスカの方が戦力が必要なんだからセスカでしょ」

 

「トリシューラの方が頼りないですし、ここはトリシューラでしょう。そもそも私には既に二人仲間がいますから、すぐに前衛が必要になるのはそちらの方です」

 

「俺もコルセスカに賛成だ。どうせ俺はこの階層と上下一層ずつしか移動できないし、コルセスカには必要になった時だけ手を貸すって形で、基本はトリシューラの所にいればいいだろ」

 

 俺の方の現実的な事情を口にすると、さすがに渋々と納得して頷くトリシューラ。どちらにせよ、俺は当分この階層を拠点にしていくしか無いのである。ならば同じく第五階層を拠点に活動するトリシューラと行動を共にするのが理に適っている。

 

「今の所、目的が競合したりはしていないんだろ? 当面は共通の敵とかいう他の候補者――トライデントだったか? そいつを倒す為に協力するってことでいいんじゃないか。その後のことは、そうだな。例えば、二人同時に勝利して二人で一人の【最後の魔女】ってことにはできないのか?」

 

 二人は揃って微妙な顔をした。どうやらまずい質問だったらしい。こちらから身体を引き離して、不機嫌そのものといった様子でトリシューラが答える。

 

「それは無理。っていうか、できたとしても嫌。私は立派なキュトスの魔女になる。【塔】の誰もが認めざるを得ないような、優れた魔女に。その為に、誰からも文句を言われない、言わせない私一人の実績が欲しいの」

 

「そうか。二人同時の勝利なんてことになれば、期待をかけられていないトリシューラは優秀なコルセスカのおこぼれでその座を手に入れたとか、おんぶにだっことか言われる可能性があるんだな」

 

 認めるのが屈辱なのだろう、ふいと顔を背けて、それでも小さく頷くトリシューラ。続けて、コルセスカも自らの意見を口にする。

 

「私も同じ気持ちですね。たとえ二人同時の勝利というものがあったとしても、そこには順位が存在するべきです。私はその時に一位でありたい。確かにトリシューラは切り捨てたくありませんし、助けてあげたい。それでも許すのは二位までです。手を抜いたり温情で勝利を恵んだりするような事はしたくありません」

 

 コルセスカらしい言葉だった。二人の考えを頭の中で並べて、しばらく思案してみる。どちらも蔑ろにすることはできない。であれば、俺はどういう答えを出すべきだろうか。俺は一つの問いを投げかけることにした。

 

「ところで話は変わるが、トリシューラは【塔】の全員と仲がいいのか? それとも大切なのはコルセスカとか例のクレアノーズお姉様とかくらい?」

 

「まあ正直、【塔】の人達にあまりいい思い出は無いよ。クレアノーズお姉様が守ってくれて、それとセスカがいてくれたから、私は今までやってこれたと思う」

 

 その素直な答えに、コルセスカは左の瞳を揺らして妹の手をとり、「トリシューラ」「セスカ」と見つめ合う。水を差すことが躊躇われる光景だが、話を進めなくてはならない。

 

「麗しい姉妹愛は結構だが、姉妹と呼ばれているからといって必ずしも友好的とは限らない、ということだよな。むしろ認めさせてやる、見返してやるとか思っている方向か」

 

「まあ、そんな感じ」

 

「じゃあ上の席を獲るか」



 軽く代案を提示すると、二人は馬鹿を見る表情をした。

 

 「はい?」「正気ですか」

 

「正気だよ。ポストが限られてて、最後に残った一番下の席を取り合ってるんだろ? なら他に空きを作るしかない。空席を作ってそこに座ればいい」

 

「無茶だよ! 確かに第六番の席はずっと空席になってるけど――」

 

「なんだ丁度いいじゃないか。そこにねじ込もう。文句言えないだけの功績とか物理的に排除とか、具体的な方法は追々考えるとして」

 

 後者の場合、そんなことをして周囲が許すのかという問題はある。だが競い合いによる追い落としというやり方そのものは、現在彼女たちが行っている選定そのものだ。それはつまり、【星見の塔】ではそうやって優劣を付けてより相応しいものをその座に着けるという手法が認められているということではないだろうか。


 トリシューラは、学生の馬鹿げた仮定を聞かされた教師のような顔をして言い返す。

 

「無理だよ、だって六番目の席にはずっと代理としてラクルラールお姉様が座ってるんだ。事実上の第六位はあの人で」

 

「事実上って時点で正式じゃないんだろ。なら割り込む余地はまだある。それにその名前、お前の記憶の中で聞いた覚えがあるぞ。トリシューラのことさんざん否定して苛め抜いてた奴じゃなかったか? どうせだからぶっ飛ばして見返してやれ。というか俺が殴りたい」

 

「簡単に言わないでよ、できたらずっと前にやってる」

 

 想像するのも恐ろしいというように、トリシューラが身を震わせる。どうやらかなりのトラウマになっているようだった。俺の中でろくに知らないその人物に対しての敵意が膨れあがっていく。

 

「知らないとは恐ろしいですね。無謀を通り越して空想的です」

 

「え、そんなに?」

 

 コルセスカまでもが呆れたように言う。二人から否定されると、流石に自信がなくなってきた。

 

「相手は【杖】の学派を代表する最強の人形遣いですよ。トリシューラの創造主の一人でもあり、素体部分の設計と製造はほぼ彼女の手によるものです」

 

 二人の言葉には、本物の畏怖があった。どうやら想像以上の大物らしい。その上相手はトリシューラの創造主であるという。そんな相手に立ち向かえというのは、流石に俺も考え無しだったかもしれない。ところが、コルセスカが薄く笑みを浮かべて続ける。

 

「ですが、中々面白い発想です。上位姉妹の圧倒的な力を知ってしまっている私達からはとても出てこない。そして、今アキラが言った事は正論でもあります。永劫の時を重ねるキュトスの姉妹たちの中で、最も古い叡智をその身に宿していたという、偉大なる六女、ミスカトニカお姉様――彼女が自ら滅びを選んで以来、筆頭の弟子であったラクルラールお姉様が代理に立ってはいますが、【代替わり】が正式に認められた事はありません。これはつまり、先代があまりに偉大であったために、未だ第六位の座に相応しい者が見つかっていないということではないでしょうか。少なくとも、九姉評議会はそう考えているからこそ第六位の襲名を熱望する彼女の訴えを退け続けているのだと思います」

 

「ちょっと、セスカ?」

 

「トリシューラ。どうせいつかは対峙しなければならない相手なのです。相手は当代最高峰の【杖】。それを超えれば、アンドロイドの魔女トリシューラという名は確たるものとして【塔】と世界に刻まれる」

 

 それは、トリシューラの目的にも適うことではないのかとコルセスカは問いかける。真剣な色を宿す姉の言葉に、妹はどこか気弱そうな、恐怖を耐えるような表情を浮かべた。

 

「でも私、怖いよ。セスカは直接あの人と向き合ったことがないでしょう? あの人の前に立つとね、自分の一挙一動、思考のひとつひとつまで、全てが操り糸で思い通りにされているような気がしてくるの。全能感を裏返されて、この世界で一番小さな存在に貶められて、一人になっていくような――」

 

「貴方は一人じゃありませんよ。私も、アキラも傍にいます」

 

 柔らかく、それでいて力強くコルセスカが保証した。その横で、俺もまた無言で頷く。トリシューラの表情が、少しだけ明るくなって、それから小さい声が零れ落ちる。

 

「――うん。ありがとう、二人とも」

 

 雰囲気が和らいでいく。立ちこめていた閉塞感が少しだけ消えていくようだった。柔らかな空気を共有しながら、穏やかな心持ちになっていた俺だったが、直後にコルセスカが口にした暴言で、再び場が不穏になっていく。主に俺に対して。

 

「では、まずは現状を乗り切らないといけませんね。ちゃっちゃとキロン対策をするので、アキラ、服を脱いでください」

 

「いやいやいやいや」

 

 信じていた相手に裏切られたような気分だった。姉の方は妹と違ってそういうことは言わないと思っていたのに、なんだこの姉妹。もう嫌だ。

 

「何を勘違いしているのか知りませんが、服をはだけて首筋を出して下さいということです」

 

「アキラくんから、これ以上命を吸うつもり?」

 

「いえ、逆です。私の呪力を注ぎ込んで彼を強化します」

 

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