2-81 ごっこ遊び②

 ぽつりぽつりと、とりとめのない話が続けられる。

 

「一人でいるとね、ふとした拍子に不安になるんだ。私はもしかしたらアンドロイドなんかじゃなくて、自分のことをアンドロイドだと思い込んでるだけの妄想狂なんじゃないかって。だって変じゃない? 機械がこんなふうにわけのわからない不安にとりつかれたりするかな? もっと理性的で合理的な思考をするんじゃないの?」

 

 似たような不安を、誰かも抱えていた覚えがある。こんな所まで姉妹なのだと少しだけ微笑ましい気持ちになるが、それはそれとして切実な不安には違いない。脳内に残った知識と思考を照応しつつ、しばらく考えてから答えを返した。

 

「それは、トリシューラがどのような方式で作られたかにもよる。極めて高度な質疑応答プログラムやマクロの発展形なのか、もしくは脳機能をニューラルネットワークの構築によって一から再現してみせたものなのか。後者なら人間的で不合理な思考だってするだろう。いや、前者だって学習の度合いによってはそういう振る舞いを見せることがあるんじゃないか?」

 

 この世界の技術水準は知らないが、トリシューラの振る舞いを見ている限りどちらであってもおかしくないように思える。意識なんてのは随伴現象に過ぎないし、知性なんてのは突き詰めれば超高度なマクロでしかない。


 そして、どちらであっても究極的には同じものに行き着くのだから、実のところ大して重要な問題ではない。ではなぜこんな質問を投げたのかと言えば、順を追ってトリシューラの不安を潰していくためである。


 トリシューラは、脚をぶらぶらと交互に揺らして答えた。

 

「両方。複合型だって聞いてる」

 

「聞いてる? 自分の事だろう?」

 

「うん、あのね。私の脳がどのようなメソッドで構築されて、どのような構造をしているのか、それらの情報を知る権限を有していないんだ、私」

 

「何だそれ。自分について知ることが許されていない?」

 

 どこかで聞いたような話だな。この世界の人間は他人に管理され過ぎだろう。あ、俺もか。つい先程二人の魔女の共有物になったものの、どうも実感に乏しい。これはどうにかするべきだろうか。

 

「うーん、ちょっと誤解を招く言い方だったかな。基本的に私達四魔女の『紀源』は呪殺防止・機密保持の為に、上位のお姉様たちが厳重に管理しているの。私に関して言えば、最上位の意識レベルではそれを自覚している筈なんだけど、その知識は今ここでアキラくんと話している私のレベルにまでは降りてこないんだよ」

 

「まるでトリシューラが複数いるみたいな言い方――いや、事実そうなのか」

 

「うん、ちびシューラがいい例だよね。私から最上位のトリシューラに対してアクセスすることはできないけれど、最上位のトリシューラからは自由に私や、私達トリシューラ全体にアクセス可能なの。だから自己複製や同期、最終的な意思決定は最高レベルのトリシューラがしてる筈、なんだと思う。多分」

 

「何でまた不安そうに言うんだよ。まさかそれも確証が無いのか?」

 

「実はね、いるらしいことは聞いてるけど、本当にいるのかどうか確かめられないんだ。私からはその存在を知覚・認識できないんだから当たり前だけど。私の行動に関して一つ一つ許可を出していると言っても、基本的には私なんだから、私がやりたくないことはやらないじゃない? だから自分の意思に反して行動が制限された経験だって無いし、どこか上の方から降りてきた優先度の高い命令とかに従ったことも無いの。あったとしても、それは自覚できないようになってるのかもしれない」

 

 トリシューラの状況を想像してみる。自分より高次の存在に一挙一動を管理され、自覚のないうちに操作されている。自分の管理権限が自分には無い、生殺与奪が自ら決定できないという不全感。


 俺は思考をちびシューラを通してトリシューラに覗かれているわけだが、実のところそのトリシューラ自身が似たような、というかより酷い境遇に置かれていた。


 もしかすると、俺に対してアモラルな窃視を躊躇うことなく実行できているのは、彼女自身がそれに慣れてしまっているからかもしれない。

 

「自分が作られたものであるって感覚が、一番最初の所でフィルターをかけられているようで、実感が湧かないんだよね。頭の上に薄い膜があって、その上に手が届かない、みたいな」

 

「第六階層とかで見たトリシューラの内部構造は紛れもなく機械化されたものだった、ってのは何の証明にもならないよな。俺が言うと更に説得力が無い」

 

 それこそ全身義体のサイボーグと言ってしまえば説明可能だ。正直俺は脳だって呪術を用いれば人工的に再現可能なのではないだろうかと考えている。であれば、既にサイボーグとアンドロイドの境界など存在しないことになるだろう。トリシューラは元々生身の人間で、小さな頃から徐々に肉体を機械部品に置換していき、最終的には脳まで交換した結果、現在の彼女があるのだとすればどうだろう?


 それは人間の再現であり代替、つまりサイボーグということになる。在り方としてはむしろ俺に近い。そして俺のようなサイボーグは定義上人間とされる。

 

「そうだね。私も、自分の脳をスキャンしたり開頭したりと色々やってみたけど、結局私の認識が欺瞞されているのかもしれないって疑惑からは解放されなかった。それどころか、私が今こうして現実を生きていることすら仮想空間で行われたシミュレートに過ぎないんじゃないかって、もっと怖くなった」

 

「俺も子供の頃、目の前にある現実が水槽の中に浮かんだ脳が見てる夢なんじゃないかって不安になったことがあるが、それは考えるだけ無駄だから止めろとしか言えない」

 

 何故ならそれはただの事実だからである。


 転生と異世界の実在を所与の条件として受け止めている現代人はある推論を想起せずにはいられない。すなわち、無数に存在する下位レイヤーの異世界を好き勝手に弄くり回して転生先にしている我々の世界もまた、上位レイヤーの異世界によって操作されている、あるいは生み出されたものなのではないか、という。


 干渉困難な同階層の異世界が発見されたことがあっても、上位の異世界が発見されたことが未だに無いのは、我々の世界が最上位であるという証明であると主張するものもいた。しかし同時に、観測できないこと自体がより上位の異世界が有るという事実を示唆してはいないか、という推測も成り立つ。何故なら、我々の世界は下位レイヤーの異世界に対し、干渉したという事実を隠すことができているからである。


 この転生社会において自分たちの世界こそが唯一絶対であると考えられる人間は、かなりの楽天家であろう。

 現代人は常に自分が見えない手に操られ、次の瞬間に世界がリセットされる恐怖に苛まれている。


 と同時に、それが実は考える意味のない疑似問題であることもまた、多くの人が理解していた。


 そのことは、下位レイヤーの異世界を植民地的に、自分たちがあたかも神であるかのように干渉しデザインしていく事への免罪符にもなり得てしまい、論争の元にもなっているのだが、話がずれ過ぎたので戻す。


 今俺が述べたような思考実験は全てアナロジーだ。何故なら上位の異世界の存在は立証されていないが、上位のトリシューラは少なくとも確度の高い情報源からもたらされた、客観的な事実である。


 そして決定的に異なるのが、トリシューラは自分が上位の存在によって作られたものであって欲しいと思っていることである。


 トリシューラはアンドロイドで、つまり被造物だ。創造主や上位者の気まぐれな決定で次の瞬間には機能停止に陥るかもしれない。一見するときわめて不確かで危うい状態にも思える。しかし、そのような状態こそが彼女にとって望ましいのである。それは、彼女にプリセットされた最もプライオリティの高い命令、『人間になる』という目的を逆説的に保証しているからだ。上位者による機能停止が行われた瞬間、トリシューラは自分がただの妄想に狂った人間であるという不安から解消される。


 しかし、もし仮に彼女がただ不安に怯えるだけの妄想狂であったならどうなるか?


 『人間になる』という目的が根底から崩れ去るのだ。

 既にして彼女は人間であるから、目的そのものが破綻する。それはトリシューラという存在そのものの否定に等しいことなのだと思われる。彼女の恐怖の根幹はそこにあるのだろう。


 そこまで考えて、この理屈はそのまま裏返しにできるな、と気付いた。

 トリシューラが人間ではなく、被造物であることを強く確信し、『人間になる』という目的を追求する状態。これは、逆説的に自らの非人間性を強調し、『人間になる』という目的から遠ざかっていくような状態ではないだろうか?


 明らかに人ではないものが「はやく人間になりたい」と言う時、そこに見出されるのは人間性なのか、それとも非人間性なのか、ということだ。いやそれを言ってしまった時点で明らかにお前は人間じゃねえよ。自分で人間じゃないって認めたも同然だろ。みたいな。

 

「――ふうん。ここまで考えると、トリシューラの脳がブラックボックスにされているのはこういう状況を期待しての措置なのかもな」

 

「なにそれ。どういうこと?」

 

 俺は頭の中に浮かび上がりつつある、曖昧すぎて自分ですら読み取れない思考を口に出しながら纏めていく。

 

「『トリシューラという存在の完成』、言い換えれば『人間を目指す』という目的が、解釈の余地無くある一点を目指すような種類の作業的行為になることを避けたかったんじゃないのか、トリシューラのお姉様方は」

 

 ありきたりな教訓話のようになってしまって申し訳無いが、早い話が「自ら悩み、掴み取った答えが正解である」みたいな方向性である。単なる俺の好みとも言う。

 

「トリシューラの総体全てが自己について把握していた場合に生じるであろう、目的に向かう過程で生じる何らかの取りこぼしを想定してみるといい。トリシューラが今そうした不安を抱えていることがただの前提条件でしか無くて、『自己の完成』に必須の土台だったとしたらどうだろう」

 

「何らかの取りこぼし、って具体的に何なの?」

 

「知らん。だが、ある前提に基づいて、ある過程を経ることが目的達成の条件ってのはありそうじゃないか?」

 

「ありそうってだけで、そんな立証も出来ないことを」

 

「確かに無責任な言い草かもしれないな。しかし実用性がある。この仮説を適用することで、トリシューラの問題は解決の必要性が無くなる。不安を抱いているという現状そのものが目的達成プロセスの一部であり、必要な前提だと仮定すればいい。それが何を意味しているかと言えば、トリシューラにとっては不安を抱いている現状こそが正常であり、むしろ自らの目的の為には不安を抱えていなければならない、という発想の逆転に繋がる」

 

 不安を解消するのではなく、不安を抱いている現状を受け入れろと俺は言った。不安を打ち明けてきた相手に不安なままでいろと告げるのは人としてどうか、とちょっと思ったが、まあ思いついてしまったものは仕方ない。


 そもそも、彼女の不安は俺の手に余る。解消するには高度な解析技術か、『星見の塔』とかいう高位呪術師の巣窟に情報的もしくは物理的に殴り込んでトリシューラの機密情報を持ち帰ってくるだけの能力が必要になるが、そんなものは俺には無い。


 ありきたりな慰め? なんだそれは。そういうのはレオあたりにでもやらせておけばいい。俺の仕事ではない。安い慰撫なんてのはもう御免だ。


 想起するのは半年前の第五階層。比較するのは、テールに投げつけた俺の拙い言葉と、死者の傍で錯乱する俺に紡がれたアズーリアの最上の言葉だ。俺はあの時理解したのだ。優しい言葉というのは、それに相応しい者だけが扱うべきなのだと。俺などでは役者が足りていない。

 

「うう、ええっとね、その、言いづらいんだけど」

 

 俺の内心はともかく、トリシューラが文字通り口を動かさないまま、音声だけでもごもご感を出して言った。アンドロイド特有の器用な芸当だった。

 

「あの、話の流れがね、想定外というか制御の外に行っちゃったんだけどね? 私の当初の予定としては、その、つまり、慰めて欲しい、的なね、そういう方向に、行きたかったんだけど――」

 

 思わず押し黙る。

 恐らく俺は、会話の流れを読み損なったのだと思われる。


 不安を吐露するということは、その解消の為のアドバイスを求められているに違いない、と思い込んでしまう傾向が俺にはあるようだった。実際には第三の可能性である、不安を聞いて慰めて欲しいだけでそんな突っ込んだ議論は求めてないパターンを完全に考慮していなかった。これはコミュニケーション能力に障害がある人間に典型的な失敗と言える。相手の意図を汲もうとせず、自ら規定した役割を果たすことのみに腐心するその姿勢。これではどちらが機械なんだかわからない。全くこれだから想像力の無い奴はって俺のことだよ。死にたい。そして俺の思考が寒い。


 自分で自分の言動を解説しなくてはならないという恥辱に顔を真っ赤に染めながら、トリシューラは消え入りそうな声で内心を明かしていた。


 俺の方も、トリシューラにそんな事を言わせてしまっているということが恥ずかしくて似たようなありさまだった。羞恥心や動揺は行動不能な域には達していないせいか、薄く俺の中に留まっている。意図的にコルセスカの方に送って消すことも出来たのだが、その取り繕いは相手に対していくら何でも二重に失礼だと判断して俺は顔が熱くなるに任せた。戦闘時でも無ければ、この程度の感情の揺れは許容範囲と見なされる。

 

「悪い」

 

「ううん、良いんだけど。アキラくん、真面目に考えてくれたし。私もその、けっこういいかなって思ったし、アキラくんの考え方。採用してみる」

 

「いいのか? 多分穴だらけだが」

 

「うん、私の目的の性質上、いずれ破棄する仮定だと思う。けど、今この瞬間の私にとってはけっこう救いになるような気がするよ」

 

 だからありがとう、とトリシューラは微笑んで、それから少し困ったように続けた。

 

「けどね、その方針で行くとすると、結局私は不安を抱えたままじゃない? だから、やっぱり何か誤魔化しが欲しいの。私が機械だって、アンドロイドの魔女なんだっていう実感が」

 

 恐らくそれが、本来トリシューラが持っていこうとしていた会話の流れだったのだろう。本当に申し訳ありませんでした。お詫びに出来ることは何でもやります。

 

「わかった。俺に出来ることなら何でもしよう。どうすればいい?」

 

 予想では、トリシューラは「何でもって今言ったよね?」とか目を輝かせながら、悪戯っぽく無茶なことを言い出すはずだった。しかし現実には、トリシューラは口元に手を遣り、視線を斜め下に逸らしながら口を重そうにしていた。まるでそれを言うことで俺にどう思われるのかを気にしているかのように。

 

「うん、だからね、その、私の身体を」

 

 待つ。もどかしさを意識の下に押し込んで、トリシューラが全ての言葉をはき出せるまで、俺は耐えた。

 そして、爆発。

 いつものトリシューラである。

 

「メンテナンス、して?」

 

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