2-80 ごっこ遊び①


 

 氷の部屋に帰還すると、俺はまずトリシューラが以前のように活動できるようになっているかどうかの確認を行った。目覚めた彼女はちょっとだけ照れくさそうにして、それから寝台の隣で氷の椅子に行儀良く座って目を閉じているコルセスカを優しそうな瞳で見つめた。


 未だ目覚めぬコルセスカは、なにやらトリシューラの内部に蓄積した呪術的な汚染を除去してから戻るとかで帰還が遅くなるらしい。トリシューラが起きている状態でもできるようなので、そんなに大した処理ではないと思うのだが。


 それにしても家主が不在(意識が)の中、二人きりでじっとしているのも何か妙な感じである。何か話題を振ってみようかと思うものの、今後の計画については三人揃ってから話したいし、さてどうしたものか。


 思案していると、トリシューラの方から話題を振ってきてくれた。

 

「ねえ、本当に、これで良かったと思う?」

 

「少なくとも今この瞬間は、これしかないって思ってるよ。結果は後になってみないとわからないけど」

 

「それは当たり前だけどさあ、もうちょっとなんていうか」

 

「嫌か?」

 

 問うと、彼女はふと不安そうな表情をした。気のせいか、彼女の感情表現のバリエーションが広がっているような。立ち上がり、寝台の傍に立つ俺の肩を掴むと、無造作に自分の横に引き寄せる。どうやら、一緒に寝台に並んで座れ、と言いたいらしい。え、マジで? 隣にお姉さん居ますよ?


 馬鹿な思考が伝わったのかどうかは不明だが、トリシューラは眉根を寄せて、そっと意味のとれない問いを投げかける。

 

「私はきっと、アキラくんのパールヴァティにはなれないよ。それでも本当にいいの?」

 

「ごめん、意味が分からない」

 

「うん、いいの。分からないように言ったから」

 

 謎かけのような言葉の中に、どんな思考を隠したのか。それすら曖昧なまま、トリシューラは目を閉じる。


 ねえ、アキラくん。夢の中の囁き声のように、それは俺の現実に甘く溶けていく。

 

「アキラくんを私のものにしてあげる。だから、アキラくんは私に使われてくれる? そうして、私の有用性を証明させて欲しいんだ」

 

 道具や機械が意思や自我を持つということは工学上ありえない。自律的な行動や意思決定を行う場合でも、それは使用者の意思を先んじて汲み取って行われるものであり、古いフィクションに見られるような『ロボットの反乱』というような古典的なクライシスは起きようが無い。最大でもただのバグか故障などによる大事故。その程度だ。


 問題となるのは例えば、多数の意思を反映するような政策決定に人工知能が関わる場合などだ。ネットワークから民意を汲み取るタイプの人工議員はその性質上、全ての国民の意思を反映し切れなかったり、参照関係から一部の人々を排除してしまうために、差別や格差などの問題を浮き上がらせてしまうといった問題点がある。


 トリシューラと俺という一対一の関係は、片方は人ではなく、片方は人であるという非対称性を抱えている。先述した工学的な――おそらくはこの世界における【杖】の理屈に従ってトリシューラの意思というものを考察すると、彼女が立証しようとしている己の意思とは誰かの無意識下の意思を読み取って先取りしただけのエコーでしかないということになってしまう。


 トリシューラはあらゆる他者の意思を無視した行動を取らなくてはならない。他者を蔑ろにしてでも己を尊重すること。それはつまり『悪』であり、彼女が『邪悪な魔女』でなければならない理由でもある。しかしそれだけでは「俺は唯々諾々と従う相手を望んでいない」というような意思を先取りしただけというケースが生じうる。


 『あえて服従しないという服従』。怪物であることを期待されて作り出されたフランケンシュタインの怪物は、予定調和の成果物でしかない。トリシューラを取り囲んでいるのは『人に従う機械』という迷宮だ。俺に欲望される/されないという二者択一の問題設定は、どう足掻いても抜け出せない陥穽に嵌ってしまうことになりかねない。


 俺は主体性が無く、意思決定や責任を外部委託したがるような心性の持ち主だ。『E-E』を例に出すまでも無く、トリシューラのように独立した意思を持つ人工知能は俺にとってこの上なく魅力的である。


 俺の目には、彼女が魅力的なツールであると映ってしまう。従属し使われる事を俺が望んでいるのなら、俺を自分の物として扱うことは結局トリシューラが俺に使われる道具に成り下がる事に等しい。それは強固な自我を拠り所に存在するトリシューラにとっては耐え難い事実のはずだ。


 トリシューラのような自我を持った機械――まるで古典的フィクションに登場する意思を持ったロボットやアンドロイドのように――が製作されるためには、呪術的だったり宗教的だったりと非生産的な目的が必要となる。


 人を作るというのは神秘主義的なアプローチであり、それを実際に成功させてしまうのはこの世界特有の事態であると言えるだろう。しかしここで別の視点が導入される。俺が元いた世界の発想では、この様な機械が生まれるためには需要が必要だ。それは意思決定や責任などを外部に預けたいという、あらゆるものを道具や機械にアウトソーシングしてきた人間が持つ最後の欲望だ。


 俺はこういう発想から抜け出すことがどうしてもできない。ゆえに、トリシューラの用途をこことは異なる世界の論理で勝手に規定してしまう。トリシューラから俺に向けられる俺を使いたいという欲望は、俺の使われたいという願望によって俺からトリシューラへの欲望に上書きされる。


 トリシューラを道具と見なし、その本来の用途が『使用者を使う道具』であるとするならば、俺の存在はトリシューラの需要に合ったものであるとも言えるだろう。ここで欲望の方向性は再びトリシューラから俺へと矢印の先を変える。ここでは欲望は二重化されてしまう。非対称性は非対称性のまま風見鶏のようにくるくると回って向きを変えていく。人のための道具という構図は、道具のための人という構図をも生み出している。


 それはきっと視点の問題で、関係性をどう捉えて名前をつけるかという言葉遊びでしかないけれど。


 はじめにトリシューラは行為の主体を自らに設定した。それは行為の責任を全て機械であるトリシューラが担うということを意味する。だがそれだけでは使用されたいという俺の意思や欲望に従っているだけだ。責任や意思、決断すら他者に委ねるというだらしのない欲望に。それは俺みずからが彼女を道具と見なしてその人格を否定しているに等しい。

 ゆえに俺はこう返した。

 

「俺はトリシューラに使われたい。だからトリシューラ、俺を使ってくれないか」

 

 反照して、欲望を相手に向ける。絶えざる相互参照によって、双方向的に欲望を取り交わす。人と機械である俺たちは、どうあっても非対称性の中から逃れられない。対等ではいられないし、いつだって一方的に欲望を向けて、相手の人格や尊厳を損なってしまう。


 だから、せめてその向きを変えるのだ。非対称の向きを変え、上下関係を交互に入れ替え、要求を受け入れては拒絶し、利用して利用される。


 そのように変化し続ける構図すらも人と機械という非対称性の断絶の前にはやがて力を失うだろう。ゆえにトリシューラは『人になること』を指向し続けなければならない。いつか人として完成したとき、彼女は逃れがたい非対称の絶対的上位に立つことができるだろう。であれば、俺が目指すべき道は一つしかない。


 俺は『機械になること』を指向すればいい。道具になり、誰かに使われることを己に課し続ければいい。不可避的に非対称性の中に組み込まれ、絶対的下位に置かれる、そんな存在になることが、俺の暴力性を制御するための道になるはずだ。

 

「俺はトリシューラに従属する。使い魔として、その身を守り、その意思を貫く為の手助けをすると誓う」

 

 俺たちの関係性は古典的な人と道具の力関係を転倒させたものだ。それがひっくり返ったとき、そこには「人同然の道具」が「道具同然の人」を使うという、当たり前のようで転倒している、錯綜した絵図が出来上がるのだろう。


 それは当たり前の光景過ぎて、一周回って面白いかもしれないと、俺は思った。

 

「何か妙な事を考えてるでしょ」

 

 頬を膨らませて、トリシューラがこちらの脇腹を小突く。相変わらず異様に距離が狭い。

 

「こっちの考えてる事は筒抜けなんだから、わかるだろう。ちょっと長くて口で説明しづらい」

 

「知らないよ。今はちびとの同期を切ってるし、それに、ねえ、わかるでしょう?」

 

 いや何が? 不満そうに頬を膨らませる、俺にとっては未だに不可解な少女。少し考えて、思い当たる。

 

「言葉だけで意思疎通した方が『それっぽい』とか?」

 

「良かった、わかってくれた!」

 

 二人の間でだけ通じる符号。それが確かに伝わるという事実を、なにより大切そうにして、喜びの色を浮かべる少女。俺は閾値を超えない程度に不安を覚えた。そんな風にして人と共有できる喜びを、俺だけに向けているのではないかという余計な心配だ。

 

「トリシューラ。その『それっぽい』振る舞いを重視しているってスタンス、ちゃんと周囲にも伝えてるよな? 例えば、コルセスカとか、レオとか」

 

 口にした直後、激しく後悔した。穏やかだったトリシューラの表情が、獣のそれに変貌したからである。ぎろりと緑色の瞳を光らせて、殺意すら見え隠れする視線が俺の眼球を貫通する。

 

「どういうこと。なんでここでセスカとかレオの名前が出てくるの。私とアキラくんの話をしている時に」

 

「いや、単に俺でなければならない、などという驕りが万が一にも意識に生じないようにしているだけで、それ以上の意味は無い」

 

 トリシューラの眉が危険な角度に吊り上がりつつあるのを見て、慌てて俺は答えを返す。すると彼女は深々と溜息を吐いて、頭痛を堪えるように額を指で支えた。

 

「アキラくん、嫉妬心とか独占欲とかないわけ?」

 

「人並みにあるけど」

 

「本当かなあ。なんだかアキラくんって、セスカと同じ匂いがするんだよね」

 

「匂い?」

 

「そ。私、クレアノーズお姉様仕込みの呪的嗅覚があるんだから。古典派の電磁波感知式だから精度は抜群。セスカと同じ匂いっていうのは、来るもの拒まず去るもの追わずのくせして色んな人に手を出してはその気にさせるだけさせておいてあとは放置、みたいな」

 

「コルセスカはそんなタイプには見えない」

 

 あとそれって電磁波関係無いだろ。

 

「あーあ、すっかり純粋な目で信じ切ってるよ可哀想に。あの鬼畜にこれから泣かされることになるとも知らないで――」

 

「さっきので関係は修復できたように見えたんだが、相変わらずコルセスカに厳しいな」

 

「何を勘違いしているのか知らないけど、セスカはアキラくんに何かを与えたりはしないよ。ただ奪うだけ。前の二人に対してもそうだったし、きっとこれからもそう。前科持ちの浮気性。忠告しておくけど、セスカはまたやらかすよ。誰にでも優しいだけの人なんだから」

 

 ちょっと待て、マジで不安になるようなこと言うの止めろ。あの優しく生真面目でまっすぐな少女が、そう簡単にこちらの感情を蔑ろにするような真似をするとは思えない。それこそ、今回のように俺が頼み込んだとかでなければ。

 

「あれで婚約者いるんだもの。先のこと考えてなさ過ぎて参っちゃうよ。本当に、どうするつもりなの、アキラくん?」

 

「はい?」

 

 耳を疑うような単語が飛び出したような気がするんだが。え、なに? 蒟蒻がどうしたって?

 

「厳密に言えば運命の人かな。前世から定められた恋人。夫となることが決定されている相手。――何、知らずに使い魔になったの? ええ、嘘、説明無し? うわセスカ最低。人の事言えなーい」

 

 幻滅したように姉をけなすトリシューラだが、俺にはその言葉のほとんどが届いていなかった。完全に思考が凍り付いて、何をどうしたらいいのかわからない。いや待て、そんなことはない。別にコルセスカが誰と結婚しようが構わないはずだ。彼女が望むならそれは祝福されるべきだ。

 

「誰だ、その相手は」

 

「えっと、今すぐ殴り込みに行きそうだから教えない。どうせ、この状況を乗り切らないと向かえない場所にいるんだし」

 

 少なくとも、第五階層にはいないらしい。安堵か落胆かわからない感情が生まれ、自分の中の思考や意思を整理しきれない。仕方無い、後で本人に直接尋ねるしかないか。


 ふと、自分で検索するという手段があったなと思い出す。冬の魔女の前世ということは、伝承に残っているということだ。手がかりくらいはネットで探せば出てくるかもしれない。ひとまずこの事は忘れて話題を変えよう。

 

「だいたい、コルセスカはともかくトリシューラはどうなんだよ」

 

「へー可愛い。言って欲しいんだ?」

 

 トリシューラの表情が、意地悪そうに微笑む。細い指先がこちらの胸元をなぞり、ぐるぐると円を何度も描いていく。スキンシップ過剰というか、これは幾ら何でも。

 

「ちゃんと私に関心はあるんだね。よしよし、心配しなくても、私にはアキラくんだけだからね」

 

 ぐっと顔を寄せて、目で殴りつけようとするみたいに視線を合わせてくる。最近気付いたことだが、トリシューラはコミュニケーションをする時に目と目を正確に対応させてポイントしてくる。ゆえに、檻の中で猛獣に睨まれて釘付けにされたような感覚があるのだ。

 

「だから、私とアキラくんだけの思い出を、他の誰かに渡したりしないで」

 

「それは例えばコルセスカでも?」

 

「当然っていうか一番駄目! 血や命を吸わせるのはまあ許すけど、私との秘密は死守! 約束できるよね?」

 

 一も二もなく頷く。首を横に振ったら殺すという無言の威圧に俺は屈した。

 真剣な表情のまま、トリシューラは微かに瞳を揺らして続ける。

 

「もう、記憶の一欠片だってキロンには渡さないで。私が、セスカと一緒に守るから。だから私のこと、ちゃんと貴方の心の中に住まわせて欲しい」

 

「――わかった。約束する。俺はもう、絶対に負けたりしないから」

 

 間を置かずに、そう答えた。安心したように表情を緩めると、トリシューラは俺から顔を離していく替わりに、こちらの肩に頭を乗せてくる。


 これ、果たして本当に魔女と使い魔の関係で合ってるんだろうか。この世界の常識に乏しいからわからない。しかし満足そうに体重をこちらに委ねてくる彼女を見ていると、それを問う気も失せてくる。

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