2-67 涙の価値④

 先行させた【氷】が数メフィーテ先の悪鬼を察知。数は六。自動的に攻撃を開始した氷の球体が前衛の三体を次々と串刺しにする間に、交叉路の手前で呪術の起動を準備しておく。氷柱の攻撃に追い立てられて飛び出してきた残りの悪鬼達に襲いかかる猛烈な吹雪。周囲から熱源が消えた事を確認して、コルセスカは腕の中の相手に声をかけた。

 

「終わりました。もう少し移動しますから、しっかり掴まってて下さい」

 

「あの、俺歩けるんだけど」

 

「何かあったら大変ですから。離れないように」

 

「いや、それだってすぐ傍にいればいいわけだし、俺だってまだ多少は戦ったりも――」

 

「痛みどころか辛さで泣いてしまうような人を戦わせたりできません。おとなしく私に守られて下さい」

 

 コルセスカが言及したせいで先程の醜態を思い出してしまったのか、抱きかかえられた男は途端に押し黙る。コルセスカは引き続き周囲を熱探知しつつ、入り組んだ迷宮の中を進んでいった。


 第五階層は、再び迷宮と化していた。先程コルセスカが眼球型の使い魔――アブロニクレスを潰したことで一時的に迷宮化は解除されていたのだが、どうやらキロンとの戦いの後、何者かによる階層の支配が再開してしまったらしい。


 その何者かの正体にコルセスカは心当たりがあったが、姿を見せないその相手に対抗する手段が今の所は無い。そのため「まだ裏で動いている何者かがいる」と警戒を促す程度の事しかできないのだった。余計な予断を与えて判断を間違わせるのも危険だった。


 幸い、トリシューラが設定した第五階層の新秩序はそれなりに強固であったらしい。迷宮化は階層の全域までに及んでいるわけではなく、所々に円形の空白地帯が存在していた。おそらく四つの大禁呪の一つ、鮮血呪の力を用いたと思われるルールそれ自体の変更。いかに同格の敵と言えど、簡単に第五階層を支配することはできないようだった。

 

(ここは探索者の街。であれば、世界改変に抵抗できるレベルの呪術師もいくらか存在しているはず。そうした人々が避難し、集まっている場所を探せば――)

 

 現状、最も問題なのは階層の四方に存在する転移ゲートと階段が封鎖されてしまっている事だった。階層を迷宮に改変しつつある何者かは、真っ先に退路を断ち切ることから始めたのである。このため戦える者も戦えない者も第五階層から退避することが適わなくなっていた。


 いずれ戻ってきて【下】の住人を皆殺しにするであろうキロンに対処すると共に、迷宮化を行っている何者かをどうにかしなくてはならないのだが、その前に腕の中で居心地悪そうにしている彼の安全を確保する必要があるのだった。


 案の定、暫く迷宮を進んでいくと迷宮化していない区画に立て籠もっている集団に遭遇した。ひとまずはそこで今後の対策を練ろうと考えたコルセスカだが、そこで困った事態が発生した。


 集団は【上】の住人が中心となって構成されていた。そこで、【下】の住人、それも非戦闘員が取り囲まれて暴行されていたのである。

 現在、悪鬼たちは上下の区別無くただ無差別に襲撃を繰り返している。


 が、そんなことは【上】の住人達にとっては関係の無い事で、ただ目の前の状況から「以前の状態に戻った」という認識を持ち、戦闘を開始しただけなのだろう。もはやペナルティなどあってないようなものなのだ。


 ゆえにコルセスカは対処に迷った。これは正常な光景だ。探索者としてのコルセスカは【下】の住人――異獣を倒すことを間違いだとは思わない。しかし、これはトリシューラが望んだ光景では無い。


 だからなんだというのだろう。決別した相手の事情だ。次に見える時には敵と定めたではないか。


 視線を下げると、同じように判断に迷っている表情に出会った。立場の不確かな彼にとっては、より困難な状況なのかも知れない――そんなことを考えているうちに、新たな動きが生まれた。


 人混みを割って、奇妙な集団が現れたのだ。

 一見して【上】とも【下】とも判断しがたい。なにしろ、その集団には両方の住人が雑多に含まれていた。そしてなにより驚くべきは、集団の先頭に立っているのがコルセスカ達の知る人物だったことだ。

 

「レオ?」

 

 青年の戸惑いを感じながら、コルセスカは状況の推移を観察していた。黒い耳を持つ少年――レオは、揉め事の中心に割って入ると、驚くほどに穏やかに、それでいて快活に言葉を弄して、状況を収めてしまったのである。


 虐げられていた側の【下】住人を自らの率いる集団に組み入れるという形で。この結果は彼の弁舌が優れていたというわけではない。

 そもそも、彼の用いる古グラナリア語は誰にも通じていない。単純に数の優位であった。彼が率いている集団の総数が、この場の【上】の集団よりも多く、また装備などの面で勝っていた。それだけが事態を決定付けていた。


 ゆえに真に恐るべきは、あの少年がその集団を統率してのけているというその一点である。より精確には、そのカリスマの発露が腕力や知謀、意思力によるものではなく、単なる少年の【愛らしさ】に依るものだということ。


 視線という不可視の現象を専門とするコルセスカだからこそ、そこで起きている異常事態を正確に把握することができていた。背後の集団から少年に向けられている視線は、全てが慈愛、そして保護欲である。

 

「天然の魅了――なんて恐ろしい」

 

 極端な容姿はただそれだけで呪術性を宿す。ゆえに優れた呪術適性を持つ者はその容姿が極端に美しいか極端に醜いか、あるいは異形かのいずれかであることが多い。呪術師としての能力を向上させるために整形呪術を受ける者もいるほどである。コルセスカの異様なほどに巨大な義眼も同じ理屈で象嵌されている。


 レオという少年のかわいらしさは、ただそれだけで魔性の魅力を振りまくのだった。その小さな頭の上に乗った耳が、ぴくりと動く。少年の大きな瞳がこちらを向いたかと思うと、ぱっと明るく光り輝いた。彼が手を大きく振りながら二人の名前を呼ぶ声が、周囲に響き渡った。

 

 

 

 

「二人とも、ここでゆっくり休んでて下さいね。僕はちょっと、他の人達の様子を見に行ってきます」

 

「忙しそうですが、それで貴方自身は平気なのですか?」

 

「僕にはこれくらいしか――つらそうな人に言葉をかけるくらいしかできませんから。えっと――それじゃあ、また後でお話しましょうね」

 

 最後の一言は寝台に横たわる男に向けたものだった。唸り声のようなかすかな返事に、それでもレオは華のような笑みを浮かべて室内から出て行った。


 レオが形成した集団が陣取っている領域に案内され、コルセスカはひとまず自分用の宿を構築した。迷宮化していないということは、未だトリシューラの設定したルールが有効であるということだ。


 複雑に光を回折させる氷の家を実体化し、守るべき青年を運び込んで自分用の寝台に横たえた。「冷たい」と文句を言うので端末内に圧縮していた敷布を解凍して、寝台の上に厚めに重ねる。これで氷の寝台も多少は常人が横たわれるようになっただろう、と思うのだが、男の方は居心地が悪そうに寝台の上でもぞもぞとしていた。何が不満なのだろうか。

 

「良かったのか」

 

「はい? 何がでしょう」

 

 問いに込められた意味がわからないという振りをして、コルセスカは逆に問い返した。その問いは意味が無いもので、今更だ、としか答えようが無い。

 

「トリシューラとあんな別れ方をして、本当に良かったのか」

 

「彼女の言うとおり、いずれは敵対する関係だったのです。これが正しい形なんですよ」

 

「それでも!」

 

「大丈夫ですよ。あれは、彼女の本心じゃないんです。戦えなくなった貴方を巻き込むまいとしてわざと冷たくしているだけなんです」

 

 コルセスカは強引に話をすり替えた。無理矢理作り出した話題すら中は空洞だったけれど。言っている本人すら信じていない――信じたいと必死に願っているような、空虚な言葉。触れられれば、脆く砕けてしまう。


 今の所、彼の精神は均衡を保っているように見える。しかし、だからこそ危険であることを、その涙を見たことでコルセスカは実感していた。不用意な言動は破綻を招いてしまう。


 ただでさえ、一方的に守られているという状況である。彼の現在の心境を正確に推し量ることは難しいが、それでも自尊心を揺るがす事態であることは想像に難くない。トリシューラの下から出て行った直後、震えるように礼を口にする彼を目にして、コルセスカはそれ以上の精神的な負担をかけまいと決意していた。


 慰めてはならない。かといって何もしないわけにもいかない。しばしの思考を経てコルセスカが至った結論は、果たしてこのようなものだった。

 

「ゲームを、しませんか」

 

 寝台の横に氷の卓を形成すると、コルセスカは気安さを装ってそう提案した。いつか、巡槍艦の病室で彼に同様の提案を持ちかけたのと同じように。

 

「――こういう時は気晴らしに限る、とでも?」

 

「月並みな行為は効果的だから月並みなんです。多くの検証を重ねられて淘汰圧から生き残ってきたという信頼性は折り紙付きです」

 

 直面している危機に対してのプランは、実は既に思いついていた。問題は、それを実行に移すための段取りが必要な事。その前段階、仕込みのために、コルセスカはあえて遠回りのようにも見える行為を始めようとしていた。

 

「まあ、それなりに説得力はあるか」

 

 溜息をついて、青年はコルセスカと正面から向き合った。そして肘から先のない両腕を軽く振って苦々しげに笑う。

 

「わかった、付き合うよ。けどこの通りの状態なんでな。手を貸してくれ、文字通りに」

 

 

 

 

「――俺の手番だな。【災厄の槍】で自分と相手にそれぞれ9点。こちらのHPはマイナス7だが、【沙羅双樹】を構えているため敗北とはならずに体力値を1点減らして終了だ」

 

「【霧の防壁】で軽減します。端数切り捨てで4点。【災厄の槍】にトリガーして【シャルマキヒュの凍視】が受動で発動。【災厄の槍】の発動コストに含まれるスキル及びパネルに一巡のみバインド。【沙羅双樹】の維持が解除されるので、敗北条件の変更効果が切れます。貴方のHPは0以下なのでこれで終わりです」

 

「――っあー! また負けた!」

 

「三タテでしたね」

 

「初心者相手に大人げなくないか?」

 

「容赦するほうが嫌かなと思いまして」

 

 相対する男の眼球運動を凝視しながら、コルセスカは事も無げに言葉を返す。今の彼女の右目は対象の目の動きを読み取って一定の処理を行うセンサーだ。卓上に立体投影された遊戯盤のスクロール、クリック、文字入力といった多彩な操作を、目の動きからその奧の意思を予測して代行する。


 眼球と視線に関する理解において、邪視者の右に出る者はいない。右の義眼が行う処理を自動化し、コルセスカ自身はその情報をあえて遮断することで、ゲームに於ける公平性の確保も抜かりない。だというのに、勝負の展開はほとんど一方的なものだった。

 

「今までゲームといったら――ええと、何だったか。補助アプリ? とか攻略サイト? とかに頼り切りだったからなあ。俺自身の地金が見えたってことか」

 

「確かに、前より下手になってますね」

 

「本当にはっきり言ってくれるよな」

 

 苦々しげな表情。感情を露わにする彼というのは、以前なら決して見られなかった光景だ。それがそう悪いものではないと感じ始めている自分を認識して、内心で厳しく戒める。


 コルセスカにとって望ましい状況であっても、それは彼にとっては苦痛でしかない。ならば、それは否定されるべきだった。相手に気付かれないように薄く息を吐いて、言葉を続けた。

 

「では、今の教訓を生かしてもう一度やりましょう」

 

 ともすれば、相手の無力を思い起こさせて痛めつけるような行為。そのことを改めて感じてしまったのか、男は僅かに眉をひそめて苦言を呈した。

 

「これ以上やってもどうしようもないだろ。知識も経験も実力も、何もかも歴然としてる」

 

 こんなことを続けてお前は一体何がしたいのか、ということを問いかけられて、コルセスカは神妙な表情になって相手の瞳を見返した。今度は、左の目でも相手の視線を捉えて離さない。

 

「いいですか、今から重要な事を言うので良く聴いて下さいね。あのですね、ゲームのやり方というのは、死んで覚えるものなんですよ」

 

 死んで、という言葉を特に強調する。おそらく彼は失われたものを想起したことだろう。見る間に表情が硬く凍り付いていく。己の舌禍がもたらした厄災に心を痛めつつ、その感覚を自ら凍らせて続きを口にする。

 

試行錯誤トライアンドエラーの果てしない積み重ね。そうやって蓄積したプレイヤースキルで勝利条件を達成することが、ゲームの楽しさというものです。だから、失敗は必要なことなんです」

 

「――だから、負けたことを許容しろっていうのか。全部失って、それも必要なことだったって?」

 

「失敗したら、やり直せばいいんですよ。やり直しがきかないのはクソゲーなのでもっと高品質なゲームを探しましょう。これでも色々やってきたので選別眼はそれなりのつもりです。私でよければお手伝いしますよ」

 

 一回性の体験を尊ぶタイプのゲームを都合良く無視して、コルセスカは言葉を紡いでいった。それはどうにかして慰めに見えないように遠回りを重ねた、しかし見え透いた慰めだった。それで彼が少しでも前を向ければ良いと、そう考えての迂遠な行動。気晴らしを緩衝材にして、感情がひび割れることが無いように細心の注意を払った。だが、そうした気の回し方が必ずしも実を結ぶとは限らない。

 

「ふざけるな」

 

 その声の、あまりの棘の無さに、かえってコルセスカはたじろいだ。暴力の嵐を何度も潜り抜けてきた男とは思えないほどに、その様子は弱々しい。

 

「もう、俺には何も無いんだよ! この両腕を見ろ、これから新しい何かを手にすることだってできやしない! わかるだろう。こんな風にみっともなく喚いている時点で、正常に理性を働かせることすらできなくなってるってことが。感情が抑えられないんだよ、ただ不安で、怖くて、惨めで――戦いたい、取り戻したい、行動しなくちゃならないってわかってるけど、それでも何もできないんだ」

 

 理屈の上でコルセスカの言葉を肯定しながら、それでも無理だと彼は叫ぶ。駱駝の背を折る、最後の藁。何もかも失った彼に最後に残されたトリシューラへの想い。それを当人によって砕かれたという事実は、その傷付いた精神を再起不能なまでに叩きのめしていた。


 あらゆる外圧が許容できる量を超えて、彼を内側から壊していた。再起の意思があるかないかなどは関係が無い。ただ痛みに対して、肉体は反射的に丸く縮こまってしまう。それが不合理な行動だと理性が判断していても、脊髄は理性を拒絶する。敗北の痛みに震えながら、折れた心をさらけ出して男は絶叫した。

 

「あんな化け物に、俺なんかが勝てる筈ないだろうが!」

 

 そこに残されているのは、ただの残骸だった。その心は死に瀕している。ここまで苦痛を長引かせ、追い込み続けたのは他ならぬコルセスカ自身だ。


 命だけを救ったはいいが、それ以外の全てを取りこぼした、愚かな救済者。守るなどと、聞いて呆れる。トリシューラも激怒するはずだった。自分は彼を本当の意味で救い出すことなどできていなかったのだと、コルセスカは痛感した。彼に対して積み重ねてきた失敗に、与えてしまった傷の多さに、ただ歯噛みする。


 やりなおしが可能なのは、失敗が許容可能なレベルのダメージしかもたらさない場合に限る。それが自分以外にも痛みをもたらすとすれば、なおさら失敗など許されるはずもない。他者の痛みに直面することで、コルセスカは己の行いを激しく後悔した。半不死ゆえに自らの痛みに鈍感な彼女を苦しめるのは、いつだって誰かの嘆きだ。


 目の前にある感情が、その時大きく揺らいだ。罪悪感に苛まれるコルセスカの方を見て、それと似た後悔を抱えてしまったのだと知れた。合わせ鏡になった瞳の中に、他者を傷つけたという事実だけが繰り返し反射する。


 長い沈黙の後、コルセスカは静かに口を開いた。はじめに、「すみませんでした」という形式をなぞる。空虚であっても、縋らざるを得ない言葉がある。

 

「私も、転生した身ですから。だから、あなたの気持ちに寄り添えると思っていました。前の人生と今の人生、その落差に戸惑い、足下の不確かさに怯える気持ちを、わかってあげられると」

 

 戸惑うような気配。未知の情報をどうやって受け止めればいいのかと困惑する相手に、コルセスカはゆっくりと噛んで含めるように説明していく。

 

「といっても、貴方のように異世界から転生したわけではなくて、この世界の内側でのことですけれど。厳密には異なるカテゴリです。気持ちが分かるだなんて、とても言えませんね。それでも、力になりたかった――ごめんなさい。こんな、身勝手な独善で貴方を傷つけてしまった」

 

 それでも、聞いて欲しいとコルセスカは続けた。この瞬間を逃せば、どんな言葉も届かなくなってしまうという確信があった。

 

「そう――これは私の我が侭です。けれど、たとえ身勝手でも私は貴方と共感したいと思ってしまった。貴方に、共感して欲しいと感じてしまった――お願いがあるんです。これから私がする話を、ただ聞いて欲しい。少し、長くなりますが」

 

 ――私のことを、話してもいいでしょうか。


 そう言って、透明な瞳を向ける理不尽な語り手に対して、彼は何を思ったのだろうか。呆然としたままの表情で、彼はその異形の現象を見続けた。

 作り物のような右目から流れ出す銀色の雫。


 頬を伝って零れ落ちていくそれは、涙だった。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る