2-78 鏡《ミラージュ》⑤

「え――はあ?」

 

 トリシューラはわけがわからないと、呆けるよりも怒りを表に出して疑問符を突きつける。あまりにも、今までの彼女たちを馬鹿にしきった答え。それでも俺は言葉を連ねる。

 

「俺が選択し決断することが自明のものであるかのような状況が既におかしいんだよ。何が葛藤だ馬鹿馬鹿しい。ジレンマ? 二者択一? そんなストレスと真面目に向き合う必要性がどこにある? 死ねはこっちの台詞だクソが」

 

「じゃあアキラくんは、どっちも選ばないってこと? これまでのこと、全部ふいにするっていうの?」

 

「そうだ。お前らと過ごした時間になんて、大した価値は無いからな」

 

「そんな、ひどいよっ! アキラくんはそういう人だって知ってるけど、言い方ってものが」

 

 本気で傷付いたように抗議するトリシューラ。後ろからぐいぐいと耳を引っ張る力を感じるが、多分これ痛いのはコルセスカさんの耳ですよね?

 

「一体俺に何を期待してるんだ? 配慮のできる優しさとか強い意志力とか最適な答えを導き出す知性とかか? ねえよそんなもん。主体性も無いから決断とか無理。最初にコルセスカに誘われたとき保留したろ? 人間性なんてそうそう変化しないから、今また決断突きつけられてもやっぱり決められないってことだ。相手が悪かったなトリシューラ。選べない相手に選択を強いても最後まで選べないだけ。無いものを精神論で捻り出したりはできない。この世界ではできるのかもしれないが、俺は異世界出身なんで無理だ」

 

 背中に強烈な一撃。背骨が折れるかと思った。選んだ過去を無かったものとして喋る俺に、冷たく静かな怒りがぶつけられる。

 

「開き直るな! ただの屑じゃないそれ!」

 

「そうだよ前に言わなかったか? 俺は屑だ。――だからトリシューラ。お前が選べ」

 

「――私が、選ぶ?」

 

 思わぬ選択肢を突きつけられて、少女は緑色の目を瞬かせた。考慮の外側――というより、当たり前のようにしていることを、もう一度やれと言われたような不条理感を味わっているのだろう。


 確かに彼女は俺を選び、俺に選ばせる為に積極的に行動してきたが、俺に言わせればまだ手緩い。

 この二人は、俺の事を考えすぎだ。

 

「そうだ。お前がだ。他ならぬトリシューラが自分で選ぶんだよ。俺なんかに選ばれるんじゃない、他ならぬ自分自身の手で決定しろ。戦って勝ち取れ、欲しいなら奪って自分のものにしろ。選ばれる側じゃなくて、選ぶ側に回るんだ。他人の行動に生死とか自己の存在を規定され続けるなんて、そんなストレスに耐え続ける必要なんてない。せめて自分が生きるか死ぬかくらいは、自分の行動如何で決定されるべきだ」

 

 理想論だ。実際にはそうそう上手くいかない。それでも、己を尊ぶ心は、肯定されるべきだ。


 コルセスカがそうであるように。レオがそうあろうとしているように。今、誰もが苦境に立ち向かっているように。半年前のアズーリアが、自らの生存確率を下げてまで俺に手を差し伸べることを選んだように。

 

「これは最初から、俺じゃなくてトリシューラとコルセスカが選ぶ話だったんだよ。俺はあれだ、演劇で言うところのマクガフィンって奴だ。替えの効く舞台装置。重要なのは主役がどう行動するかだ」

 

 なにせ俺には主体性というものが無い。目的意識も希薄だ。転生したはいいがどうやって生活をしていけばいいのかも分からずその辺のごろつきに成り果てる有様だ。精神的に大分参ってるから、適当に甘い言葉かければすぐに転がって腹を出す程チョロい。俺の決断なんてタイミング次第で簡単に揺らぐ適当で価値の無いものだ。トリシューラが言うとおりの駄犬。いやそれ以下だ。


 ――まあその分、誰にでも尻尾を振る傾向があることは認めよう。が、それなら尻尾を掴んで手許に引き寄せればいいだけだ。コルセスカに目移りしていることくらいどうってこと無いだろう。強引に奪ってしまえばあとはトリシューラのものになる。勿論、その逆も然り。

 

「仮に俺がコルセスカを選んだとして、だから何だというんだ? 俺が誰かを選んで、トリシューラが選ばれなかったからといって、トリシューラの価値が損なわれることは無い。そう思っているならそれは錯覚だ。その二つは独立している」

 

 これはレトリックだ。一般的には独立しているが、競争関係にある両者の価値は相対的に変動することもある。その二つの条件を、俺は強引に錯誤させた。屈折し破綻した論理、しかしそのまま結論にまで持っていく。

 

「トリシューラの価値はトリシューラが決めればいい。他人のつけた値札なんて無視、いやいっそ剥がせ、拒絶しろ。自分の値札には好きな値段を書き込んでしまえ」

 

 俺は、この価値観だけは彼女と共有したかった。彼女の力強いエネルギーに溢れた姿を見て、彼女とならこの言葉に、たとえわずかでも共感し合えると信じた。

 

「俺の意志なんてどうでもいいものを気にするな。そんなものに顧みられるだけの価値は無い。トリシューラは自分の事だけを考えろ」

 

 俺の価値観では、心や意思、知性や判断なんてものは全て脳の活動に伴なう随伴現象に過ぎない。火を起こしてできる煙とか影みたいなものだ。


 しかし俺にとってはそうでも、この異世界で生きる彼女にとっては違う答えがあるのかもしれない。俺の内心には尊重される価値が無いが、彼女の内心はそうではない。たとえその存在が虚構であっても、その虚構こそが今このときに必要とされているものだからだ。そこに需要があるのなら、空虚な価値は本物の価値に変わる。


 本来は交換できないものを、交換できるものに変えること。

 生贄を捧げて、人知を超えた神秘的現象を引き起こすこと。

 どうやらそのような行為を、人は呪術と呼ぶらしい。

 

「トリシューラに心はある。これからお前自身がそれを証明する。今この瞬間に下した決断と意思がそれを裏付ける。前を見ろ、現時点での自分を感じろ」

 

 脳の生化学的な反応を測定したところで、そこから見出せるのは一瞬前の過去の記録だけだ。その先をシミュレーションした所で、それは過去から演繹された、まだ現れていない未来に過ぎない。データの蓄積という過去から未来への時間的な秩序の中に、果たして心は宿るのか?


 俺にはそんなものは無いという結論しか下せない。それが俺という人間の限界で、脳を制御することに慣れきった人類の末路だ。

 おそらくアンドロイドであるトリシューラも同じ病理を抱えている。心と言う最後の聖域を信じきることができずにいる。


 だが、トリシューラはあの世界ではなく、この世界で創られたアンドロイドだ。呪術が強く作用する、神秘の世界。ならば、一縷の望みがある。

 必要なのは、自分と言う意識が現在に――いま、ここにあるという確信なのだ。


 その為に俺がトロフィーとして必要だというのなら、幾らだって使えばいい。そのくらいの肩入れは、ごくありふれたことに過ぎない。

 

「だからトリシューラ、俺を攫え。コルセスカから略奪してみせろ」

 

 俺がこの世界に転生してから紡ぎ出した言葉の中でも過去最低に酷い台詞が口火となって、その戦いは始まりを告げた。


 俺の長い口上を聞きながら、トリシューラは何かを堪えるようにぶるぶると震えていたが、俺の酷すぎる要求を聞くや否や、かっと目を見開いて絶叫する。

 

「この――アキラくんのヘタレ、弱虫、無責任、最低男! もうここまで言われて黙ってられるか、セスカをぼっこぼこにやっつけた後でアキラくんを飽きるまで足蹴にして、気が済んだら捨ててやる――!」

 

「貴方にそれができますか?」

 

 俺の前に進み出たコルセスカが、その指先に青い燐光を灯して不敵に挑発する。漲る圧倒的な自信。その威圧感は勢いだけのトリシューラを思わずたじろがせるほどのものだった。しかし、トリシューラは深く息を吐いて、冷静に高い位置に浮遊する相手を見上げた。

 

「そっか。気にくわないけど、アキラくんの言うとおりだ。最初から、こうしてればよかった」

 

 その両腕の周りに赤い光が集まっていき、形成されていくのは見たこともない形状の重火器だ。巨大な砲塔から内側に伸びたグリップを両手で握りしめたトリシューラが、砲口をコルセスカに向ける。光の粒子が細かな部品を次々と生成し、それらが一瞬で組み合わさっていく。トリシューラの背中に、巨大な鋼の円環が組み上げられたかと思うと、それは強烈な光を放つ。


 それは神仏が発する後光の如く。機械仕掛けの光背から不可視の推力を発生させたのか、彼女の重量級の全体が急激に浮上していく。

 先に上をとったトリシューラが、両腕から砲弾を撃ち出す。

 

「私たちは、アキラの意思を気にしすぎた」

 

 対するコルセスカは、顔色一つ変えずに眼前で砲弾を停止させる。圧倒的な威力の質量も、彼女の前では運動エネルギーを奪われて無力な重量物と化す。初撃が凍結することは予め織り込み済みだったのか、続けざまの砲撃が位置を変えて、タイミングをずらして、緩急を加えて放たれる。

 

「お互い恨みっこなし、勝ったほうがアキラくんを手にする」

 

「何か勘違いをしているようですね。『これ』は既に私のものです」

 

 全ての攻撃をわずかに視線を向けただけで静止させていくコルセスカが、何を思ったか俺を引き寄せて、強引に片腕で抱きかかえる。

 

「欲しければ、奪って見せなさい」

 

 なんだこの構図。

 自分でけしかけておいてなんだが、凄まじく微妙な精神状態である。この感情はコルセスカにも流れ込んでるはずなのだが、不思議と彼女は「どうです羨ましいでしょうフフン」みたいな表情だった。見せつけるようにこちらの首筋の噛み痕を指でなぞるコルセスカ。全身に走るぞっとした寒気。しかし効果は覿面だった。トリシューラは面白いように憤激している。

 

「アキラ。私が勝ったら、その鬱陶しそうなクランテルトハランスを追い払って差し上げます」

 

(えっ、こっち?)

 

「脳内彼女なんてもういらないでしょう。それもトリシューラに無理矢理植え付けられたような理想とはほど遠い代物。全く、やり口がいちいち狡くて小さい。まあトリシューラらしいと言えばらしいですが」

 

「言わせておけばっ! こっちにだって事情が!」

 

「まあ鬱陶しいと言えば鬱陶しいな」

 

「アキラくんまでっ! 酷い!」

 

 酷いのはどっちだ。頭の中を常時監視される方の身にもなってみろ。しかしコルセスカが勝ったらこの状態から解放されるわけか。それはそれで魅力的だが、少し寂しくもある。


 が、俺はあえて気持ちの片方だけを表に出した。

 

「あー、なんだかコルセスカを応援したくなってきたなあ」

 

「ふふ、そうでしょう。そら見なさいトリシューラ! 彼は私の方が良いと言っていますよ!」

 

「最悪! アキラくん最悪! もうセスカもアキラくんも嫌いだー!! 死ねええええ!!」

 

 光背から無数の光線が放たれて、次々とコルセスカに襲いかかる。ぐっと強く抱きしめられる感触と共に凄まじい速度で景色が動いていく。高速で飛翔するコルセスカの背後を、無数の熱線が蛇のように追いすがる。


 次々と追撃を放ちながら、トリシューラが手をぶんぶんと振り回して叫ぶ。

 

「セスカの馬鹿ー! アキラくんを離してー! 離さないと、昔セスカが書いてた恥ずかしい小説をネットで公開するからー!」

 

「あれなら、既に自分で公開していますが?」

 

 衝撃の事実に、俺とトリシューラの精神が震撼する。トリシューラの精神世界である深海そのものに激震が走った。

 

「昇華してた?!」

 

「というか今も連載継続中ですが」

 

「まさかの現在進行形!」

 

「へえ、どんなの?」

 

 俺が訊ねると、コルセスカは空いた片方の手から放った青い光で高熱の光線を迎撃していく。激突した光が凄まじいエネルギーを放って消滅する。

 

「ええとですね、最初にお話ごとに大まかな筋書きとキャラクターシートを用意するんです。設定したルールに従ってプレイするアナログゲームを物語り仕立てにしたもので――」

 

「リプレイ?」

 

「――風の小説です。ダイスロールであらゆる正否が決定するので、私にも予想できない展開になったりしてはらはらします」

 

「手の込んだ独り遊びだな」

 

「独り遊びは得意分野ですので」

 

「ちょっ、仲良く話すのやめてってばー!」

 

 戦いの最中に緊張感の無い会話を始めた俺達を咎めるトリシューラだが、敵意や怒りよりも幼稚な所有欲や独占欲が前に出てきている気がしなくもない。

 

「話題を提供したのお前だろ」

 

「みんな死ね!」

 

 光背がばらけて無数の実弾となり、弧を描いて放射状に襲いかかってくる。コルセスカはそれを凍らせようとするが、その寸前で弾丸が爆発。熱や破片ではなく、漆黒の煙幕が俺とコルセスカの視界を遮る。


 視界を遮る。単純にして効果的な邪視対策は、しかしあっさりと破られる。周囲の微粒子そのものが凍結していくと同時に、生成された鋭利な無数の氷柱がコルセスカの上下左右に槍衾となって突き出される。更に、幾本もの氷柱を高速旋回させることによって旋風を生み出し、一瞬で煙幕を晴らしてしまう。


 だが一瞬の間隙を、トリシューラは無駄にはしなかった。

 深紅の髪をなびかせて、背後から赤熱するナイフを手に強襲するトリシューラ。最大の死角を狙ってくることを読んでいたコルセスカが、振り向きざまに邪視を発動させる。

 

「このメンヘラレイヤーッ!」

 

「この邪気眼ワナビッ!」

 

 その概念、この世界にもあるのかよ。この世界での罵倒に対応する日本語が選択されたのだと思いたいが、ゲームとか普通にある世界だし多分そのままの意味なんだろうなー。きぐるみとか邪視って言葉、もう真顔で口にできない。


 激突の結果、軍配が上がったのはコルセスカの方だった。あらゆる攻撃を停止させる凍結の視線に正面からぶつかれば、この結末は必然とも言える。だが、勝利したはずのコルセスカの表情に焦り。凍結したトリシューラの姿が明滅し、歪んで消える。その内側から出現したのは、薄い皮膜を纏った流線型のミサイルかロケットのような機械。

 

「映像投影型の光学迷彩っ?!」

 

「正解。で、こっちが本命。メタマテリアル製のこの装置は、あらゆる電磁波を回折させる」

 

 声だけが選択してこちらに届く。コルセスカの胸から生えた、赤熱する刃。気がついた時には勝敗は決していた。驚愕の気配が身体を通じて伝わってくる。振り向いても、トリシューラの姿はまるで見えない。

 

「どうして――私の熱源探知は、赤外線をはじめとした電磁波だけでなく、周囲との温度差を測定して――」

 

「知ってるよ。その義眼のセンサー部分は私が作ったんだもの。でもさ、だったら私が熱源として感知できなくなればいいわけでしょう」

 

「まさか、ノシュトリお姉様の熱遮蔽装置サーマルクローキングデバイス――完成していたのですか」

 

「だから、メタマテリアルだって言ったよ。このフォノニック結晶は原子の振動を光を回折させるようにねじ曲げて、一方向に効率よく進ませることができる。あとはそっちのデコイに私と同じだけの熱量と映像を欺瞞させて、私はその隙に奇襲すればいい」

 

 事も無げに言うが、熱学制御は俺のおぼろげな記憶の中に残っている前世の常識でもかなり高度な技術だった気がする。トリシューラは、一体どれだけの技術力を有しているのだろう。


 刃がゆっくりと引き抜かれると共に、背後に出現する気配。光学的にも熱学的にも露わになったその姿は、どこか晴れがましい。整った顔立ちを勝利で彩って、トリシューラは不敵に笑って見せた。

 

「参ったか」

 

「参りました」

 

 どこか満足したような優しい微笑みを浮かべて、氷の少女は俺の身体を手放した。応じるようにして勝利者がナイフを捨てて、空いた両腕を開く。体当たりを仕掛けるようにして勢いよくこちらに抱きついてくる彼女の表情は、満面の笑み。内心の読めない柔らかな微笑みではない。激しく獰猛な、超高熱を一点に集中させたかのような感情の発露。


 鮮血で濡れた、それは猛々しい戦女神の笑顔だった。

 

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