2-74 鏡《ミラージュ》①


 

 その男が五体満足で生きているという事に俺は少々の驚きを禁じ得なかったが、その一方でやはりという納得もあった。思わず声をかけてしまう。

 

「石になって死んでるかと思ったよ。案外しぶといな」

 

「開口一番にそれか。君の口も中々減らないな。礼も無しとは悲しい限りだ」

 

「うるせえな、わけのわからん恩を着せやがって。何で助けに来た」

 

「君を殺すのは私だと言わなかったかな?」

 

 飄々とした態度で言葉を返すのは、後ろで束ねた長髪と褐色の肌、長躯をゆったりとした道衣で包んだ男。天蓋にある呪力照明はキロンとコルセスカの激突、そして巡槍艦の猛威によって砕かれた。その為、世界槍外部での日暮れを反映するようになった現在の第五階層は闇に包まれている。探索者達の灯した弱々しい簡易照明に照らされるその美丈夫ぶりは忘れもしない、先日俺を散々苦しめた毒手使い、ロウ・カーインである。


 【公社】に襲撃された時に石化の邪視者アルテミシアから助けられたことは記憶に新しい。だからといって仲良くする気にはなれないのだが、礼を言わないのもこちらの精神に悪い。苦虫をかみつぶしたような気分が消えていく。コルセスカに内心で詫びながら、渋々と頭を下げる。

 

「あの時は助かった。感謝する――それと、悪いが再戦はしばらくできそうにない」

 

「だろうな。君の蹴り技がどの程度のものか、見てみたいという関心はあるが――流石に今のままでは戦う気が起きん」

 

 言葉通りにつまらなそうな顔でこちらの両腕に視線を送る。しかし奴の瞳は、その次を問おうとしていた。先回りして、言葉を繋ぐ。例のよく回る舌で会話の主導権を握られるのが嫌だったということもある。

 

「だが安心しろ。これで終わる気はさらさらない。丁度良い感じに作戦を立て終わった所なんでな。全部終わったらその時は――両腕を揃えて相手してやる」

 

「――ほう」

 

 瞬間、カーインの瞳が獰猛に光る。獲物を前にした猛獣の様相で、その爪を研ぐ準備を始めていた。気が早いことである。

 

「それは楽しみだ。その時、私は本当の意味でサイバーカラテと拳を交えることができるわけだな」

 

 そう言って、服の袂からシンプルな形状の端末を取り出す。画面に表示されたのは見覚えのある、どこか古くさいレイアウトのホームページ。中央にでかでかと埋め込まれた動画が動き出し、俺の身体に染みついている型を繰り返す。というか映し出されているのは俺だった。

 

「そういや、そんなのをトリシューラと一緒に撮ったっけな」

 

 思い出す。赤い髪の少女が不敵に邪悪に笑って邁進するその姿を。困難に直面し、悄然と項垂れる表情を。自らの価値を否定する言葉を、絶対に撤回させてみせると息巻いた、負けん気に溢れる緑の瞳を。

 

「サイバーカラテはそんな短い導入用動画で理解できるようなものじゃない。いずれ続きを配信してやるから、せいぜい楽しみに待ってろ」

 

 挑発めいた俺の口舌に、カーインは薄い笑みを返すのみだった。ていうかこれ有料配信なんだけど、わざわざ課金してくれたんだよな? 実は大事な顧客だったりするのか。もしかすると、俺が拳を交えた相手が次々と金を落とすようになるという殴り合い営業が有効なパターンなのでは。


 冗談はさておき。

 全てでは無いとはいえ、手の内を晒してしまった。分かっていてやったことなので動揺は無いが、奇妙な気恥ずかしさを感じる。そうした羞恥心も生まれた途端に首筋の孔から伸びる目に見えない管を通って氷の少女に送り込まれていくので、平然としていられるわけだが。


 とはいえ、これ以上この男と思わせぶりに火花を散らせても無い拳は交わせない。不毛なのでそろそろ退散しようとした時、視界の隅にそれが引っかかった。


 特徴的な黒い猫耳がぴんと立って、同じく愛らしい猫のような顔立ちを今は生真面目に緊張させて、なにか弁舌を振るっている。探索者たちによって構築された即席の街灯が照らす空間で、十名以上からなる集団を相手にしているようだ。


 どうもあの少年は、いつもトラブルに首を突っ込んでは巻き込まれているような気がする。彼が必死に話しかけている相手は、以前も彼がまるで相手にされていなかった樹木のような外見の種族だった。


 どうやら、周囲と馴染もうとしない彼らと他の住人達との間で衝突が起き、レオはその調停に当たっているようだった。突然の迷宮化による混乱でどの場所でも争いが再開されるような状況だ。元々は地上出身で最近地獄に移住し、更にその後第五階層に移った彼らに居場所は無いに等しかった。上からも下からも敵と見なされ、あちらこちらから追われてようやく辿り着いたのがレオが率いる種族混成のグループというわけだ。


 匿われたそこですら周りと合わせることができない彼ら樹木人を、俺は咎めたり責めたりできない。俺だって似たようなものだからだ。上下の勢力に対してどっちつかず、文化と言葉の違いから暴力に依存し、周囲を拒絶することしかできずに孤立する。


 どちらかと言えば、居場所が無いにもかかわらず、見る間に自らの居場所を作り上げてしまうレオの方が傑出しているのだと思う。今だって、レオが口にしている言葉は恐らく俺以外には理解できていない筈だ。彼の口から出てくるのは、不可解な響きの古代言語。どうしてだか俺にだけは理解できるその言葉は、彼ら樹木人にとってわけのわからないノイズでしかない。彼らに表情があるとすれば、こう語っていることだろう。「何だコイツは」と。野太い腕が暴力的に振るわれる。しかしレオは俊敏にひょいと回避して、細い両腕を使ってジェスチャーを試みる。一向にめげる様子が無い上に、彼らの暴力的な態度に慣れ始めていた。

 

「ティリビナ人か。レオも大した根性だな」

 

「――街路樹の民」

 

「何?」

 

「彼らに対する時はそう呼ぶようにとレオ――は言っていた」

 

 少年の名前を呼ぶ時、奇妙に言いづらそうにしたのが少し気になったが、そうした小さな疑問は続く言葉によって消えていく。カーインの説明したところによれば、レオはティリビナ人たちとのコミュニケーションが上手く行かないことに悩んだ末、対策をネットの海に求めたのだとか。彼にも理解できる日本語に翻訳された情報の海を彷徨い、どうにか見つけ出したのがとある新聞記事のコラムだった。ティリビナ人を特集したその記事には彼らを称して「あたかも街路樹のように街に馴染もうとする人々」という一文があったという。排他的なグループを形成する彼らに対してそのような言い回しを当て嵌めるのが適切かどうかはともかく、ものは良いようである。


 一目見てレオは「これだ」と猫耳を立てた。以来、ティリビナ人に対してこの呼称を定着させるべく、日本語と古代語で【街路樹の民】という言葉を周囲に広めて回っているとのことだ。街路樹をイメージしたシンプルなデザインのマークまで知り合いの探索者に用意してもらったようで、その交友範囲に舌を巻く。誰かと思ったらコルセスカだった。いつの間にそんなことをやっていたんだろう。

 

「観察した所では、あの集団内でも若い世代に受けが良い。都会人であるという意味を含ませたのが良かったのだろうな」

 

「そういうもんか」

 

 木のような肌をした彼らの年齢層など俺にはまるでわからないのだが、カーインの強い眼力で保証されると納得させられてしまう。

 

「そういや、お前レオと普通に話してるのな」

 

「それはだな、私が石化の呪術によって動きを止められ、その呪力にどうにか抗っている時に現れたのが彼だったのだ。彼は呪術医に持たされていたという石化解除の呪符で私を助け、共に来るようにと身振りで示した。自らを攫って利用した憎いはずの仇敵である私に対してだ。そんなことは些細なことだと言わんばかりに慈悲を振りまくその地獄の大海が如き広い心! 私は稲妻に打たれたような気持ちになったよ。このような気高く大きな器の持ち主がまだこの世に存在したのかと。そして今は彼の身辺に目を光らせ、その身にかかる火の粉を振り払う役目をこなしているというわけだ」

 

 一息に自らの事情を説明するカーインの表情に一切の揺らぎは無い。随分と淀みなく、まるで用意されていた台詞を喋るかのような解説だったが、こいつの長広舌は今に始まったことではないし、悪鬼の用心棒をしていた奴が雇い主を換えたというだけの話なので、そう不審な点は無い。

 

「ティリビナ――街路樹の人たちからの暴力はいいのか」

 

「あの程度の些細な暴力、レオ様――レオにとっては火の粉ですら無い。不要な心配だ」

 

 やっぱこいつ、レオに敬称をつけてやがる。いや、護衛対象で雇い主なんだからいいけど、一時は誘拐犯と人質という関係だったことを考えると、かなり妙な気分になる。


 当たり前の事だが、俺の与り知らぬ所でも人は考え、動き、それぞれに生きている。とりわけ関係性というものは水のように形が無く、流動的で捉えがたいものだ。相手が自分とは異なる他者であるということの果てしない困難さ。俺のコミュニケーション能力の低さもあるが、ままならないものを感じてしまう。


 どうにもならないこと。関係性の推移とは、獲得であり喪失でもある。

 氷の寝台で苦しみに喘ぐ一人の少女を想起する。それで終わりにしないために、俺にできることは何か。

 

「おや、もう行くのか。君はあの方を探してここまで来たのだとばかり思っていたが」

 

 その場を立ち去ろうとした俺を見とがめて、カーインが意外そうに声を上げる。その言葉は正解だったが、レオの邪魔をすることもないと思い、考えを変えたのだ。彼は彼のやるべきことをやりたいようにやっている。ならば、俺もそろそろ動き出す頃合いだ。

 

「全部終わったら、じっくり話そうと思ってるよ。そうだな、さしあたっては――眠り姫を起こしに行くとするか」

 

 そう言って、振り向かずにその場から離れていく。


 ――背後で、口を押さえて震えているカーインのことは記憶から綺麗さっぱり消去する。おい笑うんじゃねえ。羞恥心が無くなったせいか、他人が恥ずかしいと思う台詞も平気で口にできるようになってしまったのだろうか。いや前からだっけ? 記憶があやふやなものでちょっとわからないが、とにかくこの場合悪いのは俺じゃない。それ以外の何かだ。間違い無い。

 

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