2-73 そんなことよりゲームをしよう⑥


「待て。まさか、勝利条件を満たせないと、トリシューラは死ぬっていうのか」

 

「その通りです。自己の存在証明を果たす事が生存とイコールである為、トリシューラ以外の候補者が【最後の魔女】になれば彼女は存在意義を否定されて自死するでしょう。そしてそれは、竜殺しの神話をなぞる為に生み出された架空の存在――私も同じ事。私も、そしてトリシューラも。敗者はただ死の中に埋没していくだけです」

 

 二人の魔女にとって、敗北は死に等しい。危機は最終的な敗北だけではなく、すぐ目の前にもある。俺に絶対的な存在として選ばれなければ、『唯一の存在である』というアイデンティティが損なわれたトリシューラは精神にダメージを受けてその意識のレベルを低下、最悪の場合死亡してしまう可能性がある。


 この『レッテルによる死』はトリシューラの予備の身体を用意するなどの物理的な手段では覆せないということらしい。今損なわれているのは、物理的な形の無い、あやふやな彼女の『価値』だからである。


 冗談じゃないと思った。

 トリシューラほど不死から程遠い存在もそういない。それどころか、この世界は彼女にとって死の可能性に満ちた危険な場所だ。交換可能性の論理に晒されない者が人間社会で生きていくことがどれだけ困難な事か。人とコミュニケーションを取る事すら自己を否定される可能性がある危険な試みだ。人里はなれた山奥で隠者のような生活を送ることが最も安全なのではないだろうか。


 にも関わらず、トリシューラは他者の視線に自分を晒すことを選択した。俺、あるいは第五階層の住人たちからの無遠慮な値踏みに。何故か? それはきっと、自分のためだ。トリシューラがそうしたいと思ったから、危険を顧みずにそのように行動したのだろう。『私』であるために。それはいい。そうしたいという意志に文句をつけるつもりはない。問題は、俺が彼女を選ばないということが彼女の死に直結するということ。冗談じゃないというのはそこだ。


 そんなものは、選択肢が無いのと同じだ。

 大体、その前提に立ってトリシューラを選んだとして、そこに本当の意味で価値は宿るのか? このまま俺がトリシューラを選んだら、そのまま死ぬという可能性は皆無だろうか。その選び方はトリシューラを――そしてコルセスカを馬鹿にしてないか?


 うんざりする。

 この手のクソみたいなジレンマ。選択肢の外側に置かれた絶対的な規範。倫理観を前提とした実は選ばせる気が無い誘導設問。決断の責任をこっちに丸投げするような選択肢を突きつける、出題側の無責任さと傲慢さ。


 反吐が出る。何もかもぶっ壊してやりたい。

 しかし、湧き上がってくる激情は片端から冷たく凍り付いていく。


 ふと、かつての自分を幻視した。怒りの感情が許容できる閾値を超えたことを示すアラート音が鳴り響き、深呼吸しながら『E-E』の操作によって精神状態を安定させる。失われた能力。今はコルセスカに頼り切りの、俺の弱さであり強さであるもの。


 目の前のコルセスカが、表情を強張らせて、強い憤りを感じているのがわかった。彼女は今、俺に代わって状況の理不尽さに怒ってくれているのだろう。その心の善性と優しさに従って。


 であれば、俺がするべきはコルセスカに代わって冷静な、感情を排した思考を行うことに他ならない。

 状況はシンプルで、解決方法は明快だ。


 トリシューラが俺を助ける行為が「目的の為の遠回り」であったということにすればいい。俺の存在がトリシューラの目的にとって有益ならば、トリシューラの行動に矛盾は生じなくなる。彼女は首尾一貫しており、整合性が保たれる。


 つまり、俺がトリシューラを選べばいい。理由はいくらでも再設定できる。理由と言うのもまた交換可能だからだ。そもそも、確かに俺はコルセスカに価値を認め、感情を全て委ね、共に進むと決意を口に出したが、だからといって実際にどのように行動するかは話が別だ。


 誰かに価値を見出して、そこに優劣をつけたからといってなんだというのだろう。価値と質は別々のものだ。価値が下がっても質が損なわれたりはしない。質が低下した結果として価値が下がることはあるが、その逆は必ずしも真ではない。


 人の思考を読んだくらいで人のことを分かったような気になっているあいつは、やはり正しい意味で人間を理解してはいないのだろう。


 人間の内心や感情、価値観なんてものはいくらでも交換可能であり、類型的なものに過ぎない。微細機械群によって自由に調整可能な、それはただの状態だ。


 近代までの人は、脳の神経伝達網を解析されて内心を覗かれる事に強い不快感を覚える傾向があったという。確かに俺もちびシューラを疎ましく不快で不躾で下品だとは思ったが、強く排除しようとまでは思わなかった。何故なら俺の思考になど大した価値は無いからだ。思考など、外側から推量できるものとあまり差は無い。脳の基本的な機能が同じなのだから、人間がそれぞれ違うことを考えている、感じているというのも幻想に過ぎない。正直に言えば、トリシューラが拘っていた転生者の特性だのなんだのという理屈は俺には戯れ言にしか聞こえなかった。ゆえにちびシューラが俺の脳内に常駐し、その思考データをトリシューラに送信しているのだとしても、元世界の倫理から言えばプライバシーの侵害であり法的には犯罪であるのだが、拒絶するほどのことでは無かったのだ。


 俺は別に、今までの過剰に近い距離感が嫌だと思ったことは無い。感情制御によって嫌悪感は消えるから当然なのだが。トリシューラとの密な時間は、むしろ居心地が良かったとすら思っていた。それをあの馬鹿、人に拒絶されたみたいな顔しやがって。たかが内心を読んだくらいで俺のことをわかったような振る舞いをされるのは、甚だ不本意だ。


 トリシューラとの契約が、状況を解決する。正答はもうわかっている。問題は答えに至るまでの過程だ。

 俺はもう結論を出してしまった。単純に選び直すにはコルセスカという比較対象が優れすぎている。かといってこのままコルセスカと共に行けばきっとトリシューラは深く傷付き、最悪死んでしまう。


 自問する。それは俺にとって、絶対に選べない道だろうか。

 コルセスカの、あの圧倒的に楽しそうなプレイスタイル。一緒に遊ぶならこの相手だという直感があった。とびっきり悲惨でハード、そしてこの上なく痛快な冒険が楽しめることだろう。選んだ先の道には、異世界転生の王道を行くハックアンドスラッシュの物語。トリシューラを切り捨て、物言わぬ残骸となったアンドロイドの成れの果てを踏み越えて、竜を殺しに迷宮に挑む。


 死はありふれている。屍を踏みつけていくことの是非を問うならば、カインたちの事はどうなる。彼らの死は耐えられるのに、トリシューラの死は耐えられないのか?


 何だそれは、俺は何様だ?

 コルセスカの誘いに乗った自分の事を肯定できると今でも確信している。それは揺るがない。だが、目の前の彼女は今どんな表情をしている?


 苦しみ、うなされる妹を見るコルセスカは、まるでその痛みが自分の身に降りかかったものであるかのように眉根を寄せて、下唇を強く噛んでいる。あまりにも強く、強大な生命力を有するがゆえに、自分よりも他者の痛みに強く苦痛を感じる少女。吸血鬼という性質ゆえに、他者から熱を、痛みを、命を、感情を、全て自らの身の内に引き受けてしまう。それを、俺は身をもって知っているはずだ。


 せいぜい出会って数日の俺に対して、世界まで天秤にかけようとするほどに彼女が、幼い頃から共に育ってきた妹同然の相手を切り捨てられるというのだろうか。その覚悟を決めていたとして、その余りにも巨大な苦痛を、俺は看過していいのか?


 トリシューラからこれ以上何かを奪う事はできない、とコルセスカは言った。コルセスカにできるのは奪い、停止させることだけ。何かを得て、前に進むことを望んでいるトリシューラとは、決して相容れない。


 生存のジレンマ。コルセスカとトリシューラは最終的にはどちらか一方しか生き残れない。二者択一、トレードオフの関係にある。それが、存在のあやふやな神話の魔女と、自意識の定まらないアンドロイドの魔女に背負わされた運命なのだ。


 一方は世界を脅かす危機に挑んで世界を危機に陥れようとしている英雄譚の登場人物。もう一方は人ならざる身にして人を超えた存在であることを世界に証明しようとしている魔女。


 どっちも最悪を一歩通り越して頭がどうかしているが、それだけに同じくらい面白いと俺は思う。

 今、両腕の空虚がなによりも呪わしく感じる。


 力が欲しい。

 コルセスカに報いる為の力。松明の騎士からトリシューラを守るための力。どうしようもない運命に抗う為の力。自分自身の居場所を守るための力。


 その時、ふと場違いに流れ出す着信音。【歌姫Spear】の【三叉路の染色分体】が奏でる不協和音のイントロが、服の内側で誰かからの連絡を知らせていた。コルセスカから向けられた視線にやや慌てそうになるが、すぐに音声入力機能の存在を思い出して、口頭でカード型端末の浮遊を命じる。目の前に浮かび上がった端末の画面を見て、誰からの着信かを確認。そして、俺は目を見開いた。


 全く予想外な、まさしくあさっての方向からの接触。

 リーナ・ゾラ・クロウサー。今朝方に関係性を築き上げたばかりの、新たな友人からの知らせが、窮状を鮮やかに塗り替えていく。


 記憶の彼方で、聞き覚えのある魔法の呪文が甦る。死の色すら飲み込む、それは光のない無彩色。

 世界を震わせる頌歌のように。


 身体の奧に刻印された、ある呪いが再び息を吹き返す。

 混迷を極めたような奇怪なメロディがぶつりと途切れて、端末から聞こえてきたのは知らない声。

 

「知り合いの物書きがさー『全員生き残って大団円で終わる筋書きと犠牲を払ったけどその悲しみを胸に強く生きていくみたいな筋書き、どっちがいいと思う?』って相談してくるんだけど、どう思う?」

 

「はい?」

 

 思わず間抜けに口を開いて呆けてしまうほど、それは場違いというか、空気感の断絶した言葉だった。当然かも知れない、端末のあちら側は地上で、この場所の緊迫した空気を共有できる筈も無いのだ。なにやら端末越しに揉めているような気配があり、複数のくぐもった声が言い争っている。音質が悪く、微かにしか聞き取れないのだが――。

 

「ちょっ、リーナ、やめてっ余計な事しないでっ」「えーいいじゃない。いつでも連絡して良いって言われたんでしょ」「だからそれは私じゃなくてリーナ!」「うん、私がかけてるよね、今」「そう言う事じゃな――あああ聞こえてる聞こえてる切って切って通話は駄目せめてメールにして!」

 

 なんだろう、どこかで、聞き覚えがあるような――?


 いや、気のせいかな。この慌てているせいかやけに高い声をもう少し低くして、あとは兜などを通したようなくぐもった感じで、【心話】の術で二重音声のようにすれば、かなりの確度で一致するような気配はあるのだが。


 それにしても、深刻に悩んでいる時に妙な問いを投げかけられて、すっかり思考が切り替わってしまった。むしろ余計な重さが肩から取り除かれたような気分で、その点で感謝するべきかも知れない。


 俺は軽く笑って、端末に向かって声をかける。

 

「個人的な好みで言わせてもらえば――悩むくらいなら両方の要素をぶち込んでしまえばいい。収拾がつかないとか辻褄とかバランスとかは気にしないで、滅茶苦茶なくらいが一番面白いと、俺は思う」

 

 瞬間、驚いたように息を呑む音。重要な示唆を得たかのように、向こう側の空気が変わっていく。

 ぶつ切りで通話が途絶して、直後にメールを受信。開封すると、予想通りの差出人。

 

『プロットをご覧いただいてもよろしいでしょうか?』

 

 それが、俺達が勝つための最後の鍵だった。

 

 

 

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