2-71 そんなことよりゲームをしよう④


 目を覚ますと、今度は首から血を注ぎ込まれていた。

 寝台に横たわった俺の首筋に、上から覆い被さるようにしてコルセスカが牙を立てている。距離が近いな、とぼんやりした頭で思考した直後、がばりと頭が起き上がってまるで汚物に触れてしまったような表情で俺から離れていく。ひどくないかこれ。

 

「あの、今更ですけど。私なんかのどこがそんなにいいんですか?」

 

 何だその意味の分からない質問。しばし沈思黙考して、恐らく求められているのはこの回答だろう、と当たりを付ける。

 

「面白い所?」

 

 聞こえよがしな深い溜息が響いた。なにをそんなに疲れているのかは不明だが、どうやら不正解だったらしい。コルセスカはまあいいです、と距離を置いたまま気を取り直すように言って、これからの事を話し始めた。キロンと戦い、この状況を切り抜けるための手段を。計画の内容はそれなりに納得できるもので、俺自身が戦う為の方策も含まれている。だが、冷静な思考は成功の公算が低い事を告げていた。

 

「何か、もう一つか二つ、勝つための材料が欲しい所だな」

 

「ええ。ですから今から外を回って、他の探索者たちに協力を仰げないかどうか交渉してみます」

 

「それなら俺も」

 

「貴方は安静にしていてください。ただでさえ術を定着させた直後で精神が不安定になりがちなんですから。それに、アキラはどうやらこの階層では悪名の方が広まっているようです。はっきり言って交渉の邪魔なのでついてこないでください」

 

 そう言われると、引き下がるしかない。コミュニケーション能力において、俺は万人の下を行く。それはそれとして、コルセスカが意図的に排除した選択肢について言及するべきだと考えて、口を開く。視界の隅で、小さな影が身動ぎした。

 

「その作戦、トリシューラと協力した方が成功率上がるよな?」

 

「――今更、どんな顔をして彼女に頼みに行けというのですか」

 

「どんな顔でもいいだろう。必要な事ならさっさと済ませてしまえばいい」

 

「簡単に言ってくれますね。私がそうしているとは言え、どうしてこんな人を――」

 

 どこかおかしそうに俺を見返して、コルセスカは呟いた。それから、少し考えさせて欲しいと言って、部屋から出て行こうとする。

 そうだ、と思い出したように振り返って、彼女はこう付け加えた。

 

「ここでの事は、トリシューラには秘密にして下さいね」

 

 恥ずかしそうに言うコルセスカを見て、全て筒抜けであるということが言いづらくなってしまった。視界の隅で微妙な顔をしているこの二頭身の魔女を、どうしたものだろう?

 

 

 

 一人になれる瞬間というのが、ここ最近どうも少ない気がする。

 ちびシューラが静かになったと思った途端、氷の床面から何かがぬっと迫り上がってくる。クリアな氷の板が水面のように波打ったかと思うと、真下から湧いて出てきたのは一人の少女型機械。

 

「ようやく元に戻ってくれたね、アキラくん。さあ、一緒に行こうか!」

 

「俺はお前ほど鮮やかに手の平を返せる存在を他に知らない」

 

 いっそ曲芸じみていた。変わらず朗らかに笑う美しいつくりものの顔が、俺の心に浮かぶ邪気を根こそぎにしていくようだ。いや、単に生まれた傍からコルセスカに流れているだけかもしれないが。

 

「あんまり怖い顔しないでよ。せっかく良いとこをセスカに譲ってあげたんだし。ま、後は私が新型義肢を用意すれば二人とも万全の体勢で戦えるよね。うんうん、お膳立てした甲斐があったよ。私ってば優秀有能♪」

 

「何をわけのわからないことを――というか、さっきから何がしたいんだお前は」

 

 頭の中の小人は現在も俺の視界の隅に居座って、空中に腰掛けて無意味に脚をぶらぶらと揺らしている。人を一度完璧に拒絶したかと思えば、別の方を向いた途端に激怒したり、擦り寄ってきたり。こちらの心情を考えれば、反感を買うことくらいわかりそうなものだが――ああ、そうか。

 

「だからこのタイミングで来たのか。俺が感情的にお前を追い返さないであろう、この状態を」

 

「アキラくんはさー。根っこの所で私を信用しきってないんだよねー。一番最初に開頭してごめんねって謝った時、もの凄い警戒と拒否の反応があったよ。嫌悪感が大きすぎてすぐに遮断してたけど。だから『もう一回私のやり方で感情制御機能を取り戻してあげるから手術させて』って頼んでも嫌がられると思ったの」

 

 そう、前世で手術されるならいざ知らず、この世界のよくわからない技術水準、そして腕は確からしいが無資格の闇医者、そして何か碌でもない仕掛け――具体的には洗脳装置とか仕込んできそうな邪悪な魔女と、不安になる要素しかない状態で、理性より感情を優先する俺は間違い無く彼女を拒絶する筈だ。たとえ、それが俺を安定させる為に必要なことであっても、俺は不信感と恐怖から受け入れられない。

 

「セスカはああいう心理的な侵入が私より上手だからね。私ができないならセスカにやらせればいいんだよ。こう、飴と鞭っていうのかな? そういうやり方をすれば、アキラくんを元に戻せるかなって思ったんだけど、大成功だったよ」

 

「その割には、結構真に迫った毒舌だったが」

 

「本心だからね」

 

 さらりと言ったその表情は、いつもと変わらない微笑みの形――冷徹な無表情だった。使えない状態の俺には価値が無い。であれば、使えるようになれば価値が有る。全く持って理に適った態度だ。トリシューラは首尾一貫している。終始自らの為だけに行動する、それが彼女だ。

 

「じゃ、行こうか! 今なら冷静に判断できるでしょう、アキラくん。高性能な義肢が欲しくない? 健康面の管理も重要だよ。今なら各種予防接種も付けちゃおう! それに、この局面を乗り切れば第五階層での確かな足場が手に入る。知ってる? セスカみたいな探索者は、収入が不安定で生活が大変なの。おまけにセスカは最下層目指してガンガン攻略していくグループだから、すっごいしんどいよ。こっちの方が楽ちんだよ」

 

 臆面もなく、トリシューラは俺を連れ出そうとする。恐らく直前のやり取りを全て知っているにも関わらず、素知らぬ態度でコルセスカではなく自分を選べと無言で要求してくる。


 これは、価値観にも拠るだろうが。

 異様だった。明らかに、距離感が壊れている。


 人間にはパーソナルスペースというものがある。近付かれることで不快さを感じる距離。コルセスカも大概狭いが、トリシューラはそういった概念を持っていないかのように振る舞う。出会って数日の相手に許す間合いでは無い。そして、俺自身がそれを知らず知らずのうちに許容している事がまずおかしいのである。俺は、肩に手を置くトリシューラを強く睨み付けてある疑惑を形にした。

 

「俺に侵入しただろう、トリシューラ」

 

「うん」

 

 らしい、というべきだろうか。肯定もまた、あまりにもあっさりとしたもので、それが悪いというような価値観は一切持ち合わせていないようだった。そう、この魔女はそういう性質なのだ。

 

「アキラくんが想像しているような、生理学的な処理を脳に施してそれと気付かれないように洗脳! みたいな事はしてないよ」

 

「そうなのか? わかった、信じる」

 

「随分あっさりだね、疑ったりしないの?」

 

「疑いの底が無いタイプの疑問はそもそも持たない事にしている。お前がどう回答しても証明にならないんだからな。それより今の、気になる言い回しだったな」

 

 気付かれないような洗脳をしていないということは、気付かれるような洗脳はしているということではないのだろうか。もしくは、生理学的な処理ではなく呪術的な処理とか。

 

「うん。アキラくんとの距離を短期間で縮める為にちょっと悪いことはしたよ。これは証明できるし、アキラくんもすぐに確認できること」

 

「――そうか。その為のちびシューラか」

 

 ずっと俺の意識の片隅に有り続けたデフォルメされた魔女が、悪戯がばれた子供のような表情をした。おいやめろ、舌をぺろりと出すな。

 

「その為だけの存在じゃないけどね。ちびシューラをアキラくんの内部に常駐させることで、トリシューラという全体に対しての心理的障壁を取り払う。アキラくんは簡単に誰かに心を許すタイプじゃないから、最初に強引にドアをこじ開けて、足を無理矢理ねじ込ませるみたいな方法が効果的だって」

 

「誰かに指示されたみたいな言い草だな――ああ、わかった。例の『お姉様』の入れ知恵だな?」

 

「うん。言いつけを守る私、偉いでしょう! 褒めてもいいよ!」

 

「馬鹿じゃねえの死ね」

 

「アキラくんひっどーい!」

 

 ひどいのはお前の頭だ。だいたい、こっちの視界や表層的な思考を覗けるというのならわかっているはずだ。今更こんなふうに俺の目の前に表れても、もう無意味だと言うことぐらい。


 そう考えた瞬間、目の前にあるトリシューラの笑顔が急に無表情になる。その緑色の瞳からは光が消え失せ、あたかも電源を落としてしまったかのよう。視界の端からちびシューラが中央に進み出て、トリシューラの前に出てきてその意思を代弁するかのように口を開く。

 

(そうだね。その通り。アキラくんがどういう決断を下したのか、シューラにはわかってる。でも、わかってても意味が無いって気付いたんだ。アキラくんにとって、今考えてる事なんて何の意味も無いんだ。だって、同じような決断をシューラの時もしていたでしょう? シューラの言葉に、キャラクターに魅せられて、私と共に行くと決意してくれた。とっても嬉しかったよ、だって私のことを認めてくれたって事だもんね。――その意思が、決意が、ほんの少しの時間で覆ってしまった。心の中の過去や現在を把握しても、結局は何にもならないんだって、よくわかったよ)

 

 デフォルメされている割に、その表情は微妙なニュアンスまで正確に表現できていた。頭身ゆえに幼く見える彼女の表情に、諦観と自嘲が暗い影を落としている。

 

(特別な感情なんて無い。特別な想い、意志、決意、そんなものは無いんだね。全部、他と替えが効くものでしかない。シューラはアキラくんにとって、他と交換可能な存在でしかないんだ)

 

 こいつは一体、何を馬鹿なことを――当たり前の事を言っているのだろう、と思った。

 そんなのは今更だ。俺のそういう性質を見込んで誘いをかけてきたのはトリシューラの方だというのに。


 俺はトリシューラの言葉や意志、在り方が好ましいと思った。その姿に価値を見出した。価値を見出すということは値札を付けるということだ。言い換えればそれは、交換可能性を認めるということ。


 同様に、コルセスカや他の相手に価値を見出すこともごく当たり前の事だ。これらは独立した事象であり、同時に相関関係が見いだせる事象でもある。交換可能性という論理に貫かれているからだ。つまりコルセスカもまた交換可能なものの一つであると言える。彼女たちが、俺の相対的希少性に値札を付けたように、俺もまた彼女たちに値札をつけてその価値を吟味する。競争とはそういう事だろう。


 それゆえに俺は三日間というゲームのルールを提案し、彼女もそれに同意した。だからこれは想定されてしかるべき展開である。

 それに何か誤解があるようだ。たとえ俺の内心がどうであったとしてもそれは――。

 

(じゃあシューラは、アキラくんにとっていらない子? コルセスカと比べて、有用性が低いって事なのかな)

 

 トリシューラはあくまでも、有用性という点での優劣を比較したがった。需要と供給とか、買い手側の心理とか、時間と価値の関係とか、そういった現実的な問題を全て無視して、物事を単純化しようと躍起になっているようだ。しかし、二人の競争は単純な比較ではない、というのが前提だったと記憶しているが、違うのだろうか。

 

(そうじゃなくて! そっちの話じゃなくて、アキラくんにとってどうかを訊いているの。だって、そうじゃなかったら、わ、私――トリシューラは)

 

 耳の奥に異物をねじ込まれたような感覚。今、ちびシューラの発言に一人称の混乱が無かったか?

 デフォルメされた二頭身が、その全身にノイズを走らせ、何かにおびえるようにして視界の隅に縮こまる。恐ろしいものからその身を隠すように。

 

(シューラは、私、私、私、私だから、わた、わたわたわたわたわた――)

 

 ちびシューラの全身が一瞬だけかき消え、その場に杖型のアイコンだけが残される。緊急停止という無造作な情報だけが提示され、何の説明も無く会話が途絶する。


 わけも分からず呆ける俺の目の前で、ゆっくりと現実のトリシューラの身体が傾いていき、そのまま氷の床に倒れ伏した。

 

「は?」

 

 呆然と、俺はそのまま佇んで、頭を抱える為の腕がないことに気がつくと、ひとまずコルセスカを探しに行く事に決めた。

 

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