2-70 そんなことよりゲームをしよう③

「正直、望み薄だと思っていたんですよ? 最初に出会った時、貴方には既に二つの注釈と、敵性マーカーが付けられていました。付けられたのは揃って半年ほども前のこと。ああ、他の魔女にもう唾を付けられているのだと、あの段階でほぼ確信していたんです。――実のところ、他の候補者からの刺客という可能性も疑っていました。【公社】からの依頼も不自然でしたし」

 

 だから今、達成感で満たされていますと満足げに口にされて、先程の暴挙を咎める気が失せてしまう。そもそも、驚きから叫んでしまったが、痛みは最初の一瞬だけでその後はむしろ、なんというかその。

 

(気持ち良かったんでしょう。相手が苦痛で抵抗しないように、セスカの体液には呪的な快楽物質が含まれてるんだよ。常習性もあるらしいから気をつけた方がいいよ。――ああ、それでも構わないって? へー。サイテー。いやらしい。そのまま貧血で死ねばいいのに)

 

 ちびシューラのありがたい解説は、どこかやる気が無い。妙に虚ろな目で俺とコルセスカを眺めて、アンニュイに溜息などを吐いている。


 それにしても、コルセスカの言葉に引っ掛かりを覚える。敵性マーカーというのは、世界槍における審判役ヲルヲーラにつけられた【上下双方の敵】という理不尽なレッテルのことだろう。だが、二つの注釈とはなんだろうか。訊ねると、コルセスカの表情に陰が差した。

 

「――あまり言いたくないです。後追いの私では、入る余地が無くなりそうで嫌ですから」

 

「入る余地も何も、今この瞬間に俺と一番近い位置にいるのはコルセスカだろう」

 

(おーい、シューラは?)

 

 無視。俺の返答に、コルセスカは安心を取り戻したように雰囲気を柔らかくして、その先を続ける。

 

「そう、そうですよね。もう、何があっても大丈夫になったんでした」

 

 そう言って、くすくすと少々不気味になるほど朗らかに笑う。見ようによっては可愛らしいのだが、一抹の不安がよぎる。何かこう、逃げられなくなってしまったような――。

 

「注釈というのは、貴方の魂に書き込まれた呪的な情報のことです。それなりのレベルの呪術師にしか読み取れないようになっていますが、逆に言えばそのレベルの呪術師に対するメッセージでもある。二つとも別々の人物が、それもほぼ同時期に付けたものですね」

 

「情報って、どんな?」

 

「ええとですね。『この者、シナモリ・アキラの世界槍内部における行動の全責任を、アズーリア・ヘレゼクシュが負うものとする』という、免責事項に関する注釈です。――貴方からこの名前を聞いて、なるほど、と腑に落ちた気分でした。貴方が、この人物に執着する理由も含めて。私が保証しますよ。この人は芯から善人です。貴方に対して呪術を使った時、何かあれば貴方を丸ごと引き受けるという気でいたのでしょう」

 

 俺は、ただその言葉を聞いていた。感情は遅れてやってくる。たとえ【E-E】が健在だったとしても遮断できないのではないかというほどの、凄まじい激情。

 

「そっか――ずっと、守られてたんだな、俺は」

 

 明かされた事実は、一つの責任を俺に自覚させた。俺の振る舞いは、全てあの気高い恩人の背にのし掛かってしまう。であれば、俺はアズーリアに迷惑はかけられない。しかし俺が選んだ道は【騎士団】とは相容れないものだった。最善の行動がわからないまま、俺はもう一つの注釈が何かという問いを発した。

 

「それがですね。――『わたしの』」

 

「は?」

 

「ですから、『わたしの』という一言だけです。所有代名詞のみ。誰が付けた注釈か、この頭の悪さと幼稚さから何となく察していただければ幸いです」

 

(誰の頭が悪くて幼稚だってっ!?)

 

 脳内でちびシューラが激昂する。語るに落ちていた。

 

「このポンコツぶりとガラクタぶりから察していただければ幸いです」

 

(セスカ、言ったね! 言ってはならないことを言ったね! もう泣いて謝っても許してあげないからね!)

 

「全く、何が『わたしの』ですか。ていうか冷蔵庫の氷菓子じゃないんですからっ! もうちょっとまともなこと書いて下さい、先のアズーリア・ヘレゼクシュの注釈と並べられると姉として恥ずかしいことこの上ないんですよ!」

 

(セスカは名前書いても勝手に食べるから嫌いっ!)

 

 半ギレで捲し立てるコルセスカとちびシューラ。俺の視点からは二人が苛烈な舌戦を繰り広げているようにも見えるが、実際は各々勝手に喚いているだけである。


 ――しかし、トリシューラの注釈。独占欲、所有欲か。今となっては虚しく馬鹿馬鹿しいものにしか見えないが、彼女の感情の在処、その本当の所は、どうなっているのだろう。


 俺に向けた視線は底冷えするような低温で、その失望は取り返しのつかない関係の破壊を示しているように思えた。その一方で、ちびシューラは子供のように駄々をこねて、俺の感情を波立たせようとしている。


 トリシューラという存在が、俺には未だに理解できていないのだろう。俺がコルセスカをまるで理解できていなかったように。


 意を決して、コルセスカに訊ねてみた。トリシューラというもう一人の魔女のことについてを。他の相手への質問に気を悪くするかとも思ったが、むしろこちらの気持ちを察するようにしてコルセスカはゆっくりと自分とトリシューラの事について話し始めた。その語りを、安心感のようなものが取り巻いているような気がした。

 

「この目が義眼だという話は、前にしましたっけ」

 

「したような、初耳のような。記憶が流れ込んできた時にその知識も入ってきたかもしれない」

 

 言葉だけは、一番最初の三日という期間の中で数多く積み重ねてきた。そしてあの吸血。情報を吸い取り、また与えていく双方向性の行為は、喩えるなら血と生身による零距離の会話だ。

 

「私の本物の右目は、昔トリシューラに抉られたのです」

 

「それは、――なんというか衝撃的な過去だな」

 

「まあ、それ自体はちょっとした行き違いと言いますか、私の方にも落ち度があったので、仕方の無い事だと思っています。それよりもですね、今お話したいのはその後の事でして」

 

 本人が大して気にしていないようなので、俺は深く追求しないことにした。二人の過去はけっこう気になるが、恐らく積み重ねてきたであろう膨大な時間を一つ一つ振り返っていては夜が明けてしまうだろう。

 

「今は気にしていないといっても、あの当時はとてもそんなことは考えられず、私はずっと右目を抉り出された恐怖でトリシューラと顔を合わせることが出来ずにいました。それでもあの子のことは気になって、度々様子を見に行ってはやっぱり怖くなって途中で帰ってきてしまって」

 

 言葉とは対照的に、彼女は遠い日々を追想しながら、どこか楽しそうに頬を緩めた。その思い出が、尊いものであるという確信を抱く。

 

「そんなある日、私は彼女がなにやら熱心に呪具を作っているのを見つけました。呪具の作成は、当時から彼女が私に勝っていた数少ない分野だったから、ちょっとした対抗心もあって私はその様子を覗きました。そうしたら、彼女は何を作っていたと思います?」

 

「話の流れからすると、その右眼?」

 

「正解です。邪視を擬似的に再現する義眼。邪視系統が苦手中の苦手のくせに、必死になって作っていたんです。けれど、いくら彼女が呪具作成の天才だからといって、苦手分野の邪視を再現する呪具というのは当時の彼女には荷が重すぎました。何度も失敗して、その度に項垂れて、最後にはぐったりとして、まあちょっと見るに堪えない状態に陥ってしまいました」

 

 その光景を思い出しているのか、ちょっとおかしそうに、そしていとおしいものを見るように、その左の瞳が柔らかな光を宿す。おそらくは、無機質に見える右の義眼の奧にも似たような輝きが湛えられている。そんな気がした。

 

「そこでようやく、私の恐怖も消え去りました。その時のトリシューラは、私にとって恐怖の対象ではなく、庇護すべき対象に思えたのです。私は彼女の手をとって、協力して呪具を作ることを提案しました。彼女はかなり長い間迷っていたようでしたが、最後には頷いてくれました」

 

 そうして出来たのが、この義眼というわけです。そうやってコルセスカは昔語りを締め括った。

 義眼は、二人の共同制作物。そのエピソードから俺に伝えようとしたトリシューラの人となりについて、もう一度深く噛みしめる。

 

「――無軌道で身勝手な行動ばっかりやらかす、傍迷惑で邪悪な魔女。今と変わらないな」

 

「ええ。人に黙って無茶ばかり。きっと今頃、無謀な準備をしているんだと思います」

 

 何を考えているのかわからない。その身勝手な横暴さを、我ながら酔狂なことに好ましいと思ってしまった。なら、見放されたことすらも「彼女らしい」と考えるのが道理だろう。感情的に割り切れるかどうかはともかくとして。余計な感情をすべて捨て去って、衝動のままに行動できればと、強く思う。


 コルセスカの表情には、強い決意が漲っている。やるべき事を見定めたという表情。俺は、もう一度自らに問い直す。彼女と共に進めるのか。本当に、恐怖を振り払えるのかどうかを。

 

「私は、もう一度キロンと戦います。偏執的な拘りだと分かっていても――私がやらなくては駄目なんです。この戦いは、私のゲームだから」

 

 その言葉の内側に『誰かの為』を押し隠して、コルセスカは己の為だと言い切った。彼女は戦いの性質を自らで決定した。ならば俺の関わり方も、自ずから定めていくのでなければならないだろう。それがきっと、共に戦うということだから。

 

「これだけ沢山、私のことを話したのは、私のことを知って欲しいからです」

 

 コルセスカは、俺との間にあった氷の卓を指の一振りで真横に移動させる。二人の間を遮るものがなくなり、ゆっくりとその身体がこちらへと近付く。

 

「知識を、感情を共有したい。私の感情に共感して欲しい――もしそれが叶わなければ、これは虚しい試みに終わるでしょう」

 

 その右の瞳が、赤い色彩に染まっていく。この様相は以前にも見たことがあった。吸血鬼としての彼女の側面が表出するとき、彼女の義眼は血の色に変わるのだ。

 

「貴方は共感を脳の誤作動だといいました。けれど、誤作動でも脳の――心のはたらきの一部でしょう? その価値を定めるのも同じ心です。悪意を持って共感作用を利用クラッキングすることができるなら、善悪を問わない利用ハッキングだって、可能なはずです」

 

 ふたつの上顎犬歯が、鋭く伸びていく。よく観察すれば、拡張された牙は氷でできた呪術の細工だ。俺の首筋に付けられた専用の吸血孔に、白い顔が寄せられていく。ぐっとアップになって迫ってくる細い白銀の髪と繊細な陶磁器のような横顔に、心臓が大きく脈打った。まるで、彼女に捧げるための血液を送り出すかのように。

 

「貴方の感情を、情動を、心を波立たせる全ての要因を――余さず奪って、凍らせる」

 

 それはすなわち、シナモリ・アキラの感情全てをコルセスカが引き受けるという宣言だった。俺の意思を挫いて揺るがせてしまう、痛みと恐怖、不安と絶望の全てを、彼女の牙が取り除く。

 

「成功すれば、貴方はあらゆるストレスに対して眉一つ動かさない、不動の心を持った戦士となる。けれど、恒常的に呪力の経路を繋ぎ、常に感情を流出させる術の性質上、満たさなければならない条件が一つあります」

 

 俺が耐えきれない痛みを、全て彼女に投げ出してしまえば、俺は楽になれる。凍った瞳の中の揺るぎない意思が、頼れと無言で告げていた。これを甘えと呼ぶならばそうだろう。依存と名付けるならばそれも適切だ。それでも、その約束を交わすことで俺が彼女の力になれるのであれば。俺はそうしたいと、思ってしまった。

 

「その、条件は――?」

 

「貴方が私に対して全てを委ねてくれること。心を開いて、私を受け入れてくれること。私に共感してくれること。そうでなければ、この試みは失敗に終わるでしょう」

 

 なんだ、と拍子抜けして、強張った肩を弛緩させる。代わりにぐっと胸を張って、姿勢を正して相手を迎え入れる態勢を作った。心の準備よりもまず、肉体の準備を先に済ませる。

 

「それなら、もう満たしてる」

 

 目を瞑って、その全身を目の前の少女に委ねた。

 

「――信じてくれてありがとう、アキラ」

 

 甘やかな、熱と痛み。

 首筋に入り込んでいく冷たさを感じながら、全身へと『冷たさ』が広がっていくのを感じる。自分の中から無数の感覚が失われていくのと共に、それらが全て傍にいる誰かと一体になっていくという安心感。


 その心地よさすら希薄になって、残るのはぞっとするほどの寒さ。俺は全てを捧げ、それを対価にして揺るぎない冷たさを得たのだと理解した。


 目を開けた時、世界の寒さに、反射的に身体が震える。首筋に顔を埋めてほとんど密着している少女の姿。そうした外界の全てに、まるで心を動かされていないことを確認して、俺は二度、三度と瞬きを繰り返す。


 ――ああ、『俺』は戻ってきたのだ。

 敗北を経て、ようやく手に入れた、それは心の平穏だった。


 コルセスカの肩に手を置こうとして、それができないことに気付く。仕方無く、口のすぐ近くにあった形の良い耳に向かって囁きかける。

 

「ありがとう、コルセスカ。お陰で、いつになく気分が良い」

 

「ひゃぅ?!」

 

 理由はよくわからないが、何故かびくりと肩を震わせて激烈な反応を示すコルセスカ。妙な感じだった。感覚的にどうしてこのような反応をしているのかは理解できる気がするのだが、その理解が端から食べられて虫喰いになっているような気分。


 以前は感情や感覚の取捨選択を自分で行えたのだが、今は全てコルセスカに委ねている為だろうか。コルセスカは首から離れると、そのまま過剰なほどに後退して距離をとった。その白い頬がかつてなく赤く染まっている。血を吸った直後だからかもしれない。

 

「――あのですね。貴方には自覚が無いだけで、貴方が抱いた感情や欲求や痛みは全て私が知覚しているんです。ですから、なるべく妙な事を考えたり、危険な状況に陥ったりしないこと――と、私が言っても拘束力はないでしょうけど、とにかく色々控えて下さい。貴方の存在はもう貴方一人だけのものではないのですから」

 

 それはつまり、シナモリ・アキラ自身の事を本人以上に鮮烈に感じているということでもあり、より深く理解しているということでもあった。


 更に付け加えられた説明によると、二人の繋がりは目に見えない呪術的なものであり、二人が共感し続けている限り途切れないらしい。どちらかが相手を共感可能だと思う限り、その呪術は破れない。


 ならば、この呪術は盤石だ。この感情を吸い取る呪術が俺の性質を保とうとする限りにおいて、この関係性は揺らぎようが無いからだ。

 

「ええ、それはいいんですけど――これから余り私に近付かないでいただけますか?」

 

「何故?」

 

「いえ、だってその――ああ、もう何で私ばかり!」

 

 まるでこちらの視線から隠れるようにして両腕で身体を抱くコルセスカ。何故か顔を俯けて身悶えしている。本当にどうして苦しんでいるのかが理解できない。体調が悪いとかだったら、人を呼んだ方がいいのか?


 そんなことを考えていると、今度は急に近付いてくる。荒く息を吐いて、その瞳は赤く染まっている。明らかに吸血をしようとしていた。

 

「貴方が、貴方がいけないんですからね!」

 

「いや、何を言っているのかわからないがちょっと待て。これ以上吸われると血が足りなくなってやばい」

 

「ふふふ――もう何を言っても無駄です。アキラは私専用の孔なんですから黙って吸われなさい」

 

 意味不明の発言と共に、容赦のない穿孔、そして吸血。抵抗すらできず、自らの中から熱が奪われていく感覚を最後に、意識が急激に遠ざかっていく。

 暗転。

 

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