2-69 そんなことよりゲームをしよう②

 

 長い、あまりにも長い語りが、氷の中で終わりを告げようとしていた。締め括る言葉は、いつか差し伸べられた掌にも似て。

 

「――私はこの迷宮ゲームを最速で踏破クリアして、火竜メルトバーズを今度こそ殺してみせる」

 

 それは。

 

「おとぎ話の魔女として、そして今この世界に生きる探索者として。荒ぶる竜を討ち滅ぼし、猛る世界の残酷を、人の摂理に基づきまつろわせる」

 

 あまりにも荒唐無稽で、馬鹿げたスケールの。

 

「そうして私は、現実を更新する。神話なんて、私の後ろを追いかけてくればそれでいい」

 

 俺の運命だった。

 

 ようやく俺は、『コルセスカ』と出会った。


 俺は見た。そのアシンメトリーな異相を、深い青の左目を、氷のような右目を、白雪のような肌を、白銀の髪を、隠された両腕を、その身を包む黒と白の衣服を、光沢を湛えた氷の靴を、氷細工のように煌めく姿を、怜悧な仮面の奧に燃え上がるような意思を秘め隠しているその表情を、過酷な運命を乗り越えようとするその力強い抗戦を。


 俺は、コルセスカを見た。

 言葉が選べない。拙い言葉が、何かを壊してしまいそうで怖かった。

 壊したくないと、思ってしまった。

 荒々しい静寂が辺りを包み込み、

 

(ちょっと待ったぁぁっ! 何それ何それ何なの今の、ねえちょっとアキラくん聞いてる?!)

 

 シューラの時のコピペってどういうこと! というちびシューラのマジギレ声が頭の中でガンガンと響き渡る。


 何故こいつがここにいる、という疑問は、瞬時に文字情報としての知識が視界に流れて解消される。ちびシューラは死んだり消滅したりしたわけではなく、今までは単に敵の攻撃で休眠状態であったこと。回復後も空気を読んで静かにしていたこと。そしてずっと俺の思考を監視していたこと。


 こいつは脳内のマイクロチップ内に潜んでいたわけではなく、よりにもよって脳細胞そのものに刻印された呪術式が電気的な情報のパターンを形成することで生起される存在だということ。


 つまり、脳そのものが物理的に損壊しない限り、ちびシューラは殺せないのだ。キロンの攻撃によってマイクロチップは破壊されたが、彼女は生存していられたのはそれが理由だった。

 

(はあああぁぁっ?! はあああぁぁっ?! 信じられない! 意味わかんない! 一体全体どういう心理が働いてそうなったの?!)

 

 やかましい。凄まじい煩さだった。懐かしいほどの鬱陶しさにちょっと涙が出そうになる。それにしても、どういう心理も何も無い。力を失ったらあっけなく掌返して放り出したくせにさも自分が裏切られたような態度は心外である。捨てた相手の心変わりを責めるか普通?

 

(シューラ、心の中のすごく大切なものを穢された気分だよ! あれはシューラに対する特別な感情じゃなかったの?! ああいうのはシューラだけなんじゃないの普通! 誰にでも思うことじゃないよね!)

 

 精神的につらい状況で優しくされたりすれば、それだけで心が揺らぐのはごく普通のことなのではないだろうか。頭の中の騒音に顔を顰めて対処している俺を、コルセスカが不思議そうに見ている。彼女にはちびシューラのことを話してもいい気がする。考えてもみれば、わざわざ隠しておくような事でも無い。

 

(へえええええそうなんだアキラくんは誰にでもこういうこと思っちゃうんだ例の店員さんのこともそうだったけど要するにアキラくんは誰でもいいんだね雰囲気がそれっぽければ簡単に流されちゃうんだ)

 

 否定はしない。しないが、釈然としない。なぜこっちが悪いみたいな感じになっているのだろう。そして、同時に妙な違和感。頑なに俺の事を以前の俺と同一視して呼ぼうとしなかったトリシューラだったが、こちらのデフォルメイメージは変わらずに以前の名前を口にしている。

 

(不潔! 男子ってサイテー! もうアキラくんの言うことも考えてることも何一つ信用できない!)

 

 どっちかというと、不信感を露わにして激怒するのは俺の方ではないだろうか。あちらにやられてしまうと、かえってそういう心情が薄れていくのが不思議であった。ちびシューラがあまりにしょうもない騒ぎ方をしているせいかもしれない。幼稚すぎて腹も立たないのである。

 

(知りたくなかった。こんな残酷な真実を知ってしまうくらいなら、人の心の中なんて覗くんじゃなかったよう)

 

 他人の思考を読める、というのは普通に考えればこの上なく巨大なアドバンテージだ。しかし人の技術や英知は時にこうして使い手にその牙を剥く。過度の情報化は知りたくない事、知る必要のない事までも明らかにしてしまう。幻の涙を流して夫の浮気を知ってしまった妻のように泣き崩れる二頭身の身体。


 相手をするのが馬鹿馬鹿しくなって、俺は現実のほうに意識を傾ける。そちらはそちらで、なんだか思っていたのよりも深刻さの方向が違うようだったが。

 

「じゃあ、メクセトの神滅具は全て自分が集めるっていうのは、因縁があるから義務感や使命感に駆られてってわけじゃなくて」

 

「我ながら困った性分ではあるのですが、フルコンプしないと気が済まないのです。因縁があるアイテムだったらなおさら思い入れだって湧き上がりますからね。可能な限りやり込んで、アイテムも仲間も全て回収。トレードオフの関係にあるものは一回性の体験として潔く諦めますが、これは私の譲れないプレイスタイルです」

 

「すると俺は何か。仲間キャラだから加入イベントの為に必死に助けようとしている、と?」

 

「ええ。私は貴方が、中盤に加入する暗い過去を背負った武術家クラスの仲間キャラだと確信しています。丁度、前衛も強化したかった所ですし。更には私と似て非なる転生者。これは間違い無く新しい仲間のイベント開始のフラグだと私の経験が告げていました」

 

「そうか。そんなコルセスカにクソオタの称号を献げよう」

 

「あの、それは罵倒なのですか賞賛なのですか」

 

「強いて言うなら敬意を払っている」

 

 引きこもりとクソオタをこじらせた果てに主人公として覚醒するとか一体どういうことだ。何だこいつ面白すぎる。

 

(アキラくん、女の子を魅力的だって思うポイントおかしいからね?)

 

 何もおかしくは無い。おかしいのは手放したモノに何時までも張り付いて独占欲丸出しにしているちびシューラである。

 

「でも、最初の頃はそれなりに距離を置いて接していたと思うんだが、その時点で仲間にするって決めてたのか? 気のせいでなければ、なんかぐいぐい来てた覚えがあるんだけど」

 

「そうですね、正直な所、頑なで攻略が難しそうだなとは思っていました。ですが、私はそういうタイプの男性を数多く見てきました。そして彼らのうち、最終的に私に対して心を開かなかった相手はいません。こう見えて私は百戦錬磨の女です。男性と結婚エンディングを迎えたことも十や二十ではきかず、果ては九人同時に攻略して全員を囲ったことまであります」

 

 ああ、うん。何か分かってきた。トリシューラが言っていたのはこういうことだったのだ。確かに俺はコルセスカの事を何一つ理解していなかった。こいつはつまり。

 

「着々とイベントを消化してきた筈なのに、なぜか上手くいかなかったのは競争相手が参加したせいでしょうね。対戦では私が勝ち越してきましたが、このジャンルはいつも一人でプレイしていたので横殴りは想定外だったのです」

 

 俺をゲームの攻略対象キャラクターとして認識している。やばい。今まで全く気づけなかったが、コルセスカはトリシューラに負けず劣らず、というか輪をかけて頭がおかしい。そしてものすごく面白い。


 他人と一緒にいて楽しいと思えたのは久しぶりである。俺にはコルセスカから離れようとしなかったという二人の気持ちがわかるような気がした。確かにこれは、色々な意味で目が離せそうにない。

 

「先程、トリシューラに対して貴方は言いました。トリシューラが自分を押し通していく様が見たい、それが愉快なのだと。その理屈を、私に対しても適用できないでしょうか。トリシューラには不評でしたけど、私はあの言葉に、ちょっと感心していたんですよ。確かに、今までの貴方らしくはなかったけれど」

 

 コルセスカが口に出す言葉に、一切の衒いやごまかしが含まれていないことを理解して、俺は胸を突かれるような気がした。押さえるための腕すら無いことが、その感情を証明しているようで、身体がうち震える。

 

「貴方やトリシューラはヒロイックな言動に照れや誤魔化しがあったり茶化したりしているようですが」

 

 細い眉を少しだけ下げて、氷の表情が柔らかく溶けていく。現れたのは、雪の重さにも折れることのない、力強い高山植物の顔。純白の笑顔。

 

「私は好きです。格好いいものは、きっと当たり前に格好いいんです」

 

 何もかもが砕けて原形を留めていない残骸の悪足掻きを、それでもいいと肯定して。その意思すら押し通せない情けなさと弱さを見て、それでも諦めないと宣言して。氷の魔女は、失敗した試行をやり直す。

 

「私は氷血のコルセスカ。火竜を殺す冬の魔女。アキラ、私の使い魔になって下さい」

 

 俺は居住まいを正して、正面から彼女に向き合う。氷の奇眼と青く美しい左の瞳を見据えて、彼女なりの真摯さをそこに感じ取って、ゲーム感覚の台詞選択による告白を受け止めた。

 

「ああ。俺を、コルセスカの仲間にして欲しい」

 

 頷いて、その重さに背が震えそうになる。両腕を失っても、まだ脚だけは残っている。それならば、進むべき場所、立つべき位置くらいは、自分で決めることができるはずだった。


 俺の言葉を聞いたコルセスカは、一瞬言われた内容を理解できなかったようにきょとんとしていたが、やがてその意味がゆっくりと浸透していったのか、ゆるやかに表情が喜色を浮かべていく。そして。

 

「いただきます!」

 

 その脳内で、なにがどういう文脈で接続されたのか。鋭利な牙を伸ばした魔女にして吸血鬼という少女が、勢いよく俺の首に齧り付いてきたのであった。

 絶叫が、氷の室内で反響した。

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