2-61 転生者殺し⑦
おいおい本気か。
スケールの拡大が速過ぎるしインフレに歯止めがかからなさ過ぎだろう。コルセスカはまだいいかもしれないが、俺にはそんな急激なパワーアップは無理だ。ついていけなくて死ぬ、もしくはかませ犬になる。そんなのはごめんなので、どうにかして現状を打開しなくてはならない。先程の攻撃で身体はもう動きそうに無い。つまり、やることは一つだ。
【サイバーカラテ道場】と【Doppler】を終了させて、【残心プリセット】及び【盤外の夜】を起動。
【残心プリセット】に義肢部分のみの力で肉体を動かす命令を書き込み、【盤外の夜】が物理演算エンジンを駆使して細部を微調整していく。エンターテイメント用のシミュレーターとはいえ、その速度と精度はかなりのものだ。拡張視界の内部に右腕のモデルが表示され、予想される動作を先んじて行う。
多少不安があってもやるしかない。現実の光景を確認しながら、リアルタイムで【残心プリセット】への命令を送り続けることで筋力ではなく脳波によって右腕を操作するのだ。
片腕立て伏せの要領で身体を起こし、気力で脚を動かして立ち上がる。
不意の動きに反応して、コルセスカとキロンの視線がこちらを向く。凍り付いて行く肉体。丁度良い、足が固定されて安定する。次なる命令に従って右腕がキロンの長い髪に伸びる。
初動は喉元狙いというフェイクを一度入れて、本命は髪を掴んでの拘束である。何もしないよりはマシだ、その隙にコルセスカが少しでも打開策を思いつければ――。
「そんな状態で、まだ戦うのか、君は」
予定変更。次なる狙いは眼球。ジグザグの無茶な挙動を、右腕は正確に実行してくれる。鋭い貫手が、無防備なキロンの右目に突き刺さる。確かな手応え。攻撃の成果が確かめられたことで戦意が高揚する。腕を引き戻し、更なる追撃をしようとして、その手が止まる。
「哀れだな」
馬鹿な。
右目に、傷一つ付いていない?
何らかの治癒呪術を発動させたのか。治る瞬間すら認識できないほど素早く、右目の喪失という重傷をこうもあっさりと復元した? 確かに、コルセスカも一瞬で死んだり生き返ったりしていたが。
超高速で移動し、邪視を無効化し、負傷はすぐに回復する――こんな相手に、どうやって勝てばいい?
「時よ――」
そしてついに、コルセスカ最大の切り札が発動する。時間が細やかに流れていくような、異様な感覚。
氷球が三叉の槍に変化し、白銀の光そのものとなったコルセスカがキロンの背後に回り込んで刺突を浴びせる。
羽ばたきによる気流操作を全て回避してからの必殺の一撃だった。破壊力を伴った閃光が翅と翅の間、背骨と心臓を正確に貫く位置へと吸い込まれていく。
そして、当然のように止められる。
「初めてか?」
「な――」
「停滞した時間の中で、自分と同じ速度で動ける相手と戦うのは初めてかと訊いている」
二本の指が、三叉槍の中央の刃を挟んで動きを止めていた。
次の瞬間、キロンの姿が消失、コルセスカを背後から、真横から、頭上から、そして正面から打撃していく。俺の目にはその全てがほとんど同時に見えていた。動きの繋がりは全くといっていいほど見えない。ただ結果だけがそこに残っているだけだ。
「俺が今までに戦ってきた転生者達の中には、そのように極めて強力な能力を有しているものもいた」
事も無げに言うキロンが光となってコルセスカの背後をとり、同じように人知を超えた速度で移動するコルセスカも光の軌跡を残して相手とぶつかり合う。光と光がぶつかり合い、衝撃波と轟音が遅れて空間に伝播していく。
数秒後、凄まじい振動と共に大地に巨大なクレーターが出現する。その中央で倒れているのは、砕け散った三叉の槍を手にしたコルセスカだった。
その絶望的な光景を眺めながら、俺は思い出す。トリシューラが何度も言っていた、キロンが俺の天敵であり、絶対に戦ってはならないというその理由を。
(キロンは数多くの異名を持っているけれど、中でも最もアキラくんにとって忌み名となるのが【転生者殺し】。その名の通り、彼は外世界から転移、あるいは転生してきた存在の殺害で名を上げた聖騎士なの)
俺が転生する一年ほど前から増え出した転生者たち。その多くは探索者か、さもなくば過度に発達した巨大複合企業体同士のシェア争いを解決する為の非合法な工作員、通称【請負人】のどちらかになることが多いという。
俺などは典型的な後者であり、この半年間はほとんど【公社】やその他の組織の飼い犬となって食いつないできた。請負人同士の暗闘はこの第五階層の日常であり、何らかの理由で探索者から落伍した者達も同様に請負人に身を落としていることがよくある。
そうした転生者の請負人はほぼ例外なく強大な能力を有し、場合によっては組織に害を為す事もある。故に、用済みになった転生者を【始末】するための人材が必要となる。
そこで巨大複合企業体間の勢力争いから独立した宗教組織【松明の騎士団】に白羽の矢が立った。これによって【騎士団】は巨大複合企業体から多額の謝礼を得られる上、大きな強みを持てる。
無論強大な力を有する転生者と戦えば勝利はおろか生き残る事すら極めて難しい。幾度も失敗を重ね、【騎士団】が転生者たちから手を引こうとしたタイミングで、その男は現れた。
その戦績、十戦十勝。
全て、ここ一年ほどのことだという。
(外世界からの転生者が稀少なのは、ほとんどが彼によって殺害されてしまうから。だからアキラくんを守るためには、彼の殺害が必要だった。なのに、確かに殺したはずだったのにっ)
思い出してみれば、「確かに奴は死んだはず」というのはどう考えても生きているパターンだ。キロンには、そういうパターンが符合するとその通りになる能力があるのかもしれなかった。
浮遊するキロンが、ゆっくりと地上へと降下しながら滔々と語る。
「重力制御や空間制御、磁力制御の異能者たちはかなり厄介だったよ。光の速度で動ける者や一度見た呪術を再現できる者との戦いは流石に死を覚悟した。他には約束の遵守を強制する力やあらゆる攻撃から身を守る力、万物を断ち切る魔剣、高い知性と戦闘能力を兼ね備えた使い魔。変わった所では、世界を特殊な視界で捉え、あらゆる生命の詳細な情報を把握し、自らを自在に成長させるという能力の持ち主もいた。いずれも、俺一人の力では到底敵うはずの無い強敵達だった」
定番の転生後付与スキルがずらりと並ぶ。
契約時にオプションとして設定できるのだが、これは非常に高額である。定番と言われるステータス画面の閲覧とスキル振り能力ですら一流大を出た正社員の初年度年収を丸ごと吹き飛ばすくらいだ。
しかし、この世界ではいくら強力な【主人公補正】を持っていても、それを完璧に使いこなすだけの【メタ主人公補正】を持ち合わせていなければ、結局のところそれはただの宝の持ち腐れに過ぎない。そして恐らく、キロンにはそれがある。
「そういえば、転生者たちから得た知識によれば、君達のような人物を【ブシドー】と呼ぶらしいな。【カイシャク】という慈悲の作法があると聞くが、本当かな? 興味がある」
余裕を崩さないキロンの、力の底が知れない。
最初に相対した時とは明らかに力の質が違っていた。というよりも、窮地に追い込まれれば追い込まれるほどその底知れ無さが膨れあがっていく異様さに、もっと早く気付いていれば良かったのだ。
強大な転生者たちとの戦いで悉く劣勢に追い込まれながらも、最終的には勝利してきた男。彼は仲間を倒された怒りによって強くなっていった。
つまり、キロンは文脈、あるいは展開によって強化されていくという特質を有している。
物語の流れによる補正効果。
運命そのものを味方につけた男。
神の力を振るう聖騎士。
あらゆる困難を乗り越える、不滅の勝利者。
【転生者殺し】、その名はキロン。
「俺の戦歴に、万象を停止させる転生者と機械の腕を持つ転生者というのを付け加えておこう。君たちも手強い相手だったよ、【冬の魔女】コルセスカ、そして【鎧の腕】シナモリアキラ」
一瞬、我が耳を疑う。
今、キロンは何と言った? 言い間違いだろうか。
いいや、確かにさっき、コルセスカを転生者に含めていた。
何だそれは、初耳だ。彼女が、転生者だって?
倒れ伏すコルセスカを呆然と見る。目があった。揺らぐ左の瞳。浮かんでいる感情は不明。きっとキロンが言っているのは真実だ。それでも、コルセスカが悪意をもって隠し事をしていたのではないと思える。ただ言う機会が無かっただけだと信じたかった。
信じたかった。そうだ、ようやく気付いた。
俺は、彼女を。彼女も。
「っ!」
声なき声を上げて、一歩を踏み出す。膝が力を失って、前のめりに倒れ伏す。それでも諦めない。【残心プリセット】の指示で右腕が強制駆動。地を這ってでも前へ進む。
コルセスカを助ける。キロンを倒す。やるべきことはあまりにもシンプルだ。だというのに、身体の進みはこんなにも遅い。
コルセスカは、俺に言葉を――この世界で生きていくための形のない腕をくれた。足りないものを掴み取り、人と人とを繋ぐことができるようにと――確かな足場を築く為のツールを。
他者と関係性が築けず、暴力に依存するしか無かった俺を、前世の遺産に縋るしか無かった俺を、新しい世界で生きられるようにしてくれた。
それはきっと、欠けた腕を補うのと同じくらいに大切なことだった。ならばせめて、この片腕が動く限りは彼女の為に戦いたい。
俺の中で、二つの価値は等号で結ばれているからだ。感情制御によって自在に調整可能な精神も、機械義肢でいくらでも補綴可能な肉体も、等しく交換可能なものなのだ。それが【価値】であるならば、労働を、仕事を、行動をすることで幾らだってあがなえる。
だから動け、俺の右腕。
動いて、僅かでも価値を創出しろ。
「うご、け」
「エネルギー切れか。あっけない幕切れだな」
どこか落胆するような、上からの呟き声。
それは、至極当然の展開だった。最後に充電をしたのは約一週間前になるだろうか。ここ数日、激しい戦闘の連続で消耗が激しかったこと、半年間一切メンテナンスを行えなかった事も無関係ではないように思う。
この窮地で、遂にその限界が訪れたのだ。
うつぶせに倒れた俺のすぐ傍に降り立ったキロンが、どこか気遣わしげに膝を着いてこちらを覗き込む。
「何が君をそうまでさせるのか。いや、それが君の
まだ、口は動く。這いつくばったままでも、できることはある。
汚れ仕事専門の請負人、実際の所はただの無職。足場も前歴も一切無しの、塵みたいな人生を送ってきた俺でも、できることがたったひとつだけある。
うつぶせの頭部を一度地面に押しつけ、全力で真横に転がり、仰向けになる。
口に含んだ小石と砂粒を、真上から覗き込んでいたキロンの顔に勢いよく吹きかける。巨獣カッサリオが見せた技には到底及ばない。嫌がらせ程度の意味しかない、取るに足らない攻撃。それでもこれが今の俺にできるただ一つのこと。
石ころに等しい、これが俺の価値だ。
「がっ」
ところが、その時奇妙な現象が起きた。顔に小石を吹きかけられたキロンが、そのまま右目を押さえて苦痛に呻いたのである。立ち上がり、目を擦ろうとして思い留まり、顔を歪めたまま数歩後退していく。
傷が、治っていない?
何だ、今のは。さっき俺は、何をしたんだ? 俺は今、キロンを倒すための何かを掴みかけた?
分からない。必死に記憶を探るが、何か鍵となるような行動をしたような覚えは無い。小石が弱点? そんな馬鹿な。一体何が。
キロンは苦痛に喘ぎながらも、片側だけになった視線を俺に向けたままだ。
「その最後まで諦めないという姿勢は実に見事だ。敵ではあるが、君の闘志に敬意を表しよう、アキラ」
この状況でも、キロンは余裕を崩そうとしない。
――いや。もしかすると、崩せないのか?
動揺したり醜態を晒したりすると、勝てるパターンから外れてしまうから?
「君には一方的なものだが恩義がある。できれば命を奪いたくは無かった。しかし、君の転生者としての特質が、そして強すぎる意志の力が君自身を苦しめているというのなら、俺は慈悲の一撃を与えよう」
キロンの手の平に生まれる、燐光の渦。無数の粒子が螺旋を描き、赤と緑、そして灰色が混ざり合って一つの物質を形成する。それは赤と緑、二色の炎に包まれた歪な形の骨に見えた。
「来たれ【災厄の槍】よ」
遠くで、絶叫が聞こえた。
無理を言うなよ、コルセスカ。この状況で逃げるのは、流石に無理だ。
「【カイシャク】だ。シナモリ・アキラ」
それが切腹の後にする作法だと指摘する暇も無く、燃える骨の槍が俺の頭部を目掛けて解き放たれた。
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