2-60 転生者殺し⑥

 白と黒だけの世界。

 色を失ったその空間の中心で、蝶が羽ばたいた。


 無色透明の光、そうとしか言いようのない何か――恐らく視覚以外で捉えられる何らかの微弱な電磁波が辺りに放射されたのを感じる。

 凄まじい暴風が吹き荒れ、キロンを中心にして竜巻が発生する。


 粉塵に包まれてその内側がどうなっているのかは不明。しかし、この展開はまずい。

 何がまずいのか、上手く言語化できないのがもどかしいが、これはつまり――。

 

「メタテクストが改変されていく――ハイパーテクスト系、いえ、これはアリュージョン系の神働術――! やられた、これは最初に優勢な方が負けるパターン!」

 

 ああ、それだ。

 相変わらずコルセスカは胡乱なことばかり口にするが、しかしこの世界において彼女の言うことはだいたい正しかったりする。とすれば、そういう型にはまるのが世界のルールとしてまずいということも充分あり得る。


 ある種の物語のセオリーに従って現実が変容する、なんて、デタラメも良いところだが。

 それがこの異世界のルールなのだと言われてしまえばそれまでだ。

 

「なんてこと、絶体絶命からの逆転劇を演出されました! このままだと、私では流れ上勝てない――アキラ! 何か勝てそうな言動をして下さい!」

 

 無茶振り過ぎるだろ。

 とは言え、必要ならやらなくてはならない。とにかく思いついたものを片っ端から試してみる。

 

「コルセスカ、この戦いが終わったら結婚しよう」

 

「はいっ? えっ、あのっ、そんな、まだ私達は出会ったばかりですし私にはやるべき事があって、じゃなくてそれは負けたり死んだりするパターンです! 真面目にやって下さい!」

 

「まだだ、まだ終わっていない、俺達には負けられない理由があるんだっ!」

 

「それです! その理由を具体的に詰めて下さい! 大事なのはディティールです!」

 

「えっ、そうだな。うーん」

 

 負けられない理由。何かあったっけ?


 人間が死のうが生きようが大した意味は無いしなあ。命に価値を見出すなんて傲慢な真似、神ならぬこの身にはとてもできやしない。極論、勝ち負けや生死なんてどうでもいいとすら言える。あらゆる存在はいずれ死を迎えるのだ。全ては塵になって消えるのみ。

 

「無いんですか、何も?! 貴方の今までの人生は一体何だったんです?!」

 

「何だったんだろうな」

 

 本当に、塵みたいな人生だった気がする。

 転生しても性格が変わらないんじゃあ似たような結果になるのも納得といった所だ。

 

「ああもう落ち込まないで下さい面倒な人ですね! すみません言い過ぎました!」

 

 注文が多い。

 そうして俺達が無駄に時間を浪費している間に、敵の準備が整ってしまったようだった。


 風が弱まり、竜巻が消えていく。

 中から現れたキロンの姿は大きく変貌している。俺は、一瞬それが本当にキロンなのかどうか、我が目を疑った。


 まず鎧の上体部分が綺麗に消滅しており、裸身が露わとなっている。引き締まった肉体美はその顔と同じように彫像のようだが、不可解なのは貫かれた胸も、両腕も綺麗に元通り、傷一つ無い状態になっていることだ。


 そして目を引くのが、背中から生えた蝶の翅。【下】の種族にはそういった身体的特徴を有する者も数多く、見た目にも華やかなそれは好まれやすい。そのため娼婦達の中にはそれを売りにしている者も多い(というか、そういう種族が性的搾取を受けやすい)。


 だがキロンの翅は、あまりにも巨大すぎた。片方の翅だけでもその体躯を上回る全長、おそらく二メートルはある。

 そして極めつけに、色が異様だった。


 巨大な蝶の翅、そして何故か急激に伸びて胸元まで垂れ下がった長髪。ゆるくウェーブしたその色彩が、赤、緑、青、黄と多様に変化する。


 翅は煌めく粒子を周囲に放射しており、更には表面に微細な構造が刻まれていて、それによって光を複雑に干渉させているようだった。


 異形の姿。しかし彼は【下】では無く【上】の種族だ。だとすれば、この変貌の原因は一つ。異獣を肉体と同化させた聖騎士。つまりは【異獣憑き】だ。

 

射影聖遺物アトリビュート・第九番――散らばった大地から舞い降りるミエスリヴァ」

 

 暗い瞳に明確な排除の意思を宿して、新生した聖騎士がその威容を露わにした。


 対峙しただけで感じる、圧倒的なまでの威圧感。巨大な翅が視覚的な威嚇効果を生んでいるのだろうが、恐らくそれだけではない。何らかの呪術的な力が働いている。でなければ、感情制御をしている俺が、微かにとはいえ恐怖を感じることなどあり得ない。【E-E】は正常に機能していて、エラーは一切検知されていない。ということはつまり、敵の呪術は俺がこの世界に持ち込んだアプリの機能を無視して機能するということだ。

 

「異獣は全て駆逐するんじゃなかったのか」

 

 恐怖を紛らわせるための軽口も、どこか勢いがつかない。

 

「これは意思無き奴隷だ。邪悪な意思を排し、その能力のみを人の為に役立てる。服従し、隷属するのであれば生かしておく意義もあるだろう」

 

 排除と劣等化の複合タイプ――そうやって自分を納得させているのだろう、多分。しかし、様子は大幅に変化したものの、こうして話しかければ普通に答えてくる。仕掛けてくる様子が無い。


 キロンから感じる威圧感は本物だ。何かをされるまえに攻撃した方がいいのは明らかだが、恐怖感が警戒心をかき立て、最初の一歩を踏み出せない。もしかしたら、この状況そのものがすでに敵の攻撃なのかも知れない。


 コルセスカも勝ちパターンがどうのと言っていたし、迂闊な行動が敗北に繋がってしまう可能性もある。行動を躊躇っているのはそうした理由もあった。


 一方で、そのコルセスカは眉を顰めながら何事かを思案しているようだった。

 

「確かあの蝶は第八魔将ハルハハール――自らを美しいと認識させる魅了系の呪術使い。大して強くもない、下位魔将だったと聞いています。ミエスリヴァというのは、槍神教の聖人名を上書きして支配力を高めている?」

 

 魅了とか認識とか、話を聞いていると精神攻撃が得意そうな感じに聞こえる。

 とすると、直接殴りにいくのが一番だろうか。

 

「俺が先行して身体でギリギリまでそっちの視線を隠すから、いいと思ったら小さな音でいいから合図をくれ。回避する」

 

「アキラ?」

 

「俺の背中を撃て」

 

 返事を待たずに走り出す。

 かすかに当惑する気配を背後に感じた。しかし今は少しでも情報が欲しい。ルールがどうとかはよく分からないが、この場で状況を打開する力があるのは明らかにコルセスカだ。ならば俺が盾となり囮となり、少しでも彼女の支援を行うのが最善だろう。


 【サイバーカラテ道場】が導き出す最適な動作を実行、拡張空間に表示された人体図が足から順番に発光し、右腕に運動量が伝わっていく。放たれた打撃力が正確にキロンの剥き出しの喉へと向かう。


 鈍い音がして、衝撃が走る。

 俺の腹部にめり込んだキロンの左拳が、続けてもう一撃を顔面に叩き込む。


 視界が揺れる。回避しようとするが失敗。右腕が掴まれていて完全に動きを封じられている。だがいつの間に相手に腕をとられるようなことに? 俺に認識できない程の速度と技量で行ったというのか?


 ありえない。俺に感知できなくとも、【サイバーカラテ道場】と【Doppler】を並列起動させている俺の索敵能力はこの世界の常識的な水準を大きく上回っている。これまでの半年間、この二つのアプリは確実に通用していたのだ。


 だが俺は、今まで通用していたからといって、それがいつまでも通用するとは限らないという当たり前の事実を失念していた。

 

「構うな! 俺ごと凍らせろっ」

 

「やってますっ」

 

 何だって?

 気がつく。俺とキロンを中心としてた円形の空間の外側が、全て凍り付いていた。今のキロンは、コルセスカの邪視すら無効化できるというのか。

 

「君は音で聴いてから回避しているのだろう? ならば対処法は二つある」

 

 再び拳が腹部を抉る。喉から迫り上がった吐瀉物とそれに混じった血液が吐き出されていく。

 これは、臓器をやられたか?

 致命的な予感に、肌が粟立つ。

 

「一つは音を立てずに奇襲すること。特殊な修練を積むか呪術を用いれば可能だろう」

 

 上空から襲来する氷の円盤の軌道が、翅を微かに動かして発生させた気流の渦によって乱れる。接近してきた円盤を見上げることもせず、角度が傾いた鏡面を指先で軽く叩く。円盤に亀裂が入り、粉々に砕け散る。

 

「もう一つは、もっと単純だ。音よりも速く動くこと――つまり、こうだ」

 

 何が起きたのかすら理解できなかった。

 気がつけば俺は仰向けに地面に叩きつけられていて、俺のすぐ真横にコルセスカが転がって来たという事実を遅れて認識する。


 圧倒的だった。幾ら何でも、強さのレベルが跳ね上がり過ぎだろう。

 先日交戦した異獣憑きはここまでの強さではなかった。しかし、半年前のアズーリアはその力で魔将エスフェイルと対等に渡り合う程だったわけだから、宿している異獣の強さにも関係しているのかもしれない。確かさっき、コルセスカが魔将とかなんとか言っていた。苦痛に呻きながら、コルセスカがどうにかして起き上がろうと足掻く。

 

「そうか、美術における記号属性アトリビュート

 

「なんだ、それ?」

 

「絵画に於ける【お約束】のようなものです。特定の持ち物を描くことで、それと関連した聖人や神話の登場人物だと特定させる手法を指します」

 

「流石は冬の魔女、博識だな。ご名答だよ。つまり、【蝶】のモチーフから同じ属性の聖人ミエスリヴァを再現し、その力を増幅させているというわけだ。私をただの【異獣憑き】だと思わない方がいい」

 

 凄まじい寒気。キロンは間近に立って、倒れている俺達を見下ろしていた。

 冷気は、敵を見上げて邪視を解き放ったコルセスカから放たれていた。全身全霊でキロンを凝視することに集中している為か俺まで凍結することは無かったが、それでも全身が震え出すほどに寒い。


 すでにこの辺り一帯は氷点下。だが、キロンは平然とコルセスカを見下ろしている。今まで、彼女をこうまで一方的に追い込んだのは巨獣カッサリオだけだった。悔しさを滲ませながら、コルセスカが言葉を繋げる。

 

「ミエスリヴァは大神院が北辺帝国を教化した際、人気のある神格を零落させて聖人に仕立て上げたものだと聞いています。その原型は、確か芸術で栄えたかの地における美の神にして主神。つまり貴方は」

 

「一つの神話体系における、主神に等しい力を振るえる、ということだ」

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