2-58 転生者殺し④
拳ほどの大きさの、剥き出しになった眼球。
忘れもしない、第六階層で俺達の前に現れ、巨獣カッサリオを召喚した奇怪な目玉が、迷宮の隅で俺と同じように超人たちの戦いを監視しているのだ。
「気付きましたね。恐らくアレが現在展開されている迷宮結界の基点です。こちらに気付かれてまた魔将クラスの怪物を召喚されても厄介なので、一撃で潰す必要があります」
「なるほど、ということは、この迷宮を作り出したのは前にカッサリオを呼び出したのと同じ奴ってことだな」
「察しが良くて助かります。あれと同じ個体がおよそ八百ほど、分散して迷宮改変を行っていたので対処に手間取りました。個別に潰していくという地道な作業もこれで最後です」
「そうかそうか――で、コルセスカさんは一体そこで何を」
していらっしゃるので、と言いながら振り向いたら意外と距離が近い。感情制御が無ければ危なかった。いや何がとは言わないが。
白い袖無しのワンピース。極端に短いスカートから、黒のタイツに包まれたすらりとした脚が伸びている。いつも通りの白い長手袋は二の腕までを覆い、ノースリーブの肩と首から上だけが白い肌色を晒していた。
そして相変わらず感情表現に乏しい表情と、巨大な氷の右目。
トリシューラと対をなす、冬の魔女がそこにいた。
「今まで一体どこで、というか何を」
「ちょっと色々と。野暮用がありまして」
野暮用って。適当に誤魔化すつもりのようだが、こっちは疑問だらけである。
見れば、荒く息を吐いており随分と疲弊しているようだ。
「少しくらい説明して欲しいんだがな。それともやっぱり、俺達の敵に回ったってことなのか?」
「いえ、そんなことは無いのですが、その」
何故か、コルセスカは恥ずかしそうに言い淀んだ。
口に出すと、何か余計な事を俺に勘ぐられるのではないか、というような疑念があるのだろうか。
だったらそれは考えすぎだ。
「安心しろ。今の俺は極めて無感情に近い状態だからコルセスカがどんなことを考えていても何も思わない」
「それはそれで何かイヤです。――まあいいでしょう。とにかく、私はその、見込み無しといいますか、つまりええと――うぅ、『振られた』わけです。トリシューラはすっかりアキラと共に歩んでいく準備を整えていますし、これ以上近くにいても仕方が無いかな、と思いまして」
「はあ」
心底それを口にするのが嫌というふうに内心を吐露するコルセスカ。
どうやら、この間のトリシューラの自慢が思いの外ダメージになっていたらしい。
「それで、地上に帰ろうかと思っていたら、なんだか不穏な動きが幾つかあるみたいじゃないですか。あのコも曲がりなりにも言語魔術師ですから、大丈夫かなと様子を見ていたらなんだか詰めが甘い、注意が足りない、楽観的過ぎて隙だらけ、挙げ句あっさりトレースを許すほど危なっかしいし、見ていられなかったんです。で、陰ながら支援しようと思っていたら、この事態です」
「普通に姿を見せて協力してくれれば良かったのに」
「私は既に貴方とは無関係ですし、トリシューラとは基本的には敵ですから」
「なのに、今は助けてくれるのか?」
「それはだって、貴方やトリシューラを放ってはおけませんし」
――なんだこいつ超めんどくさい。
下唇を噛んで指先を弄っているその姿を見れば、感情が動きやすい状態の俺ならば何らかの心の揺らぎがあったのかもしれないが、今はらしくないことをしているという事実が記憶の中に蓄積されるだけだ。
「まあいい。助かるよ。ありがとう。それで、どう動く?」
「本当に淡泊な反応ですね――まあ人の事は言えませんけど」
コルセスカは表情を引き締めて、視線を再び浮遊する眼球に向ける。
「いいですか、あれは邪視系の使い魔【アブロニクレス】といって、邪視に強い抵抗力を持っています。消耗した今の私が即座に凍らせるのは無理ですが、アブロニクレスは物理防御能力が低いので打撃が有効。つまり貴方の出番です」
「あそこまで飛び出すと俺はあの超人どもの戦いに巻き込まれて死にそうなんだが」
無論、それしか選択肢が無いならやらない理由は無い。が、別に俺も自殺志願者というわけではないので、代案か対処法を求めて訊き返す。
「そこは私が押さえます。邪視は邪視で拮抗できる――邪視同士の戦闘は防御側の方が有利なんです。今の私でも、投射型の石化邪視なら押し返せます。ついでにあの聖騎士も」
コルセスカの視線が、キロンに留まり、そこで彼女は硬直した。左目が右目に迫るかと思うほどに大きく見開かれ、聖騎士を――正確には聖騎士の周辺を愕然とした表情で凝視する。
だがそれも一瞬の事で、彼女はすぐさま次の行動に移っていた。
「とにかく私が飛び出して両方とも相手にします。その隙に、あの使い魔を一撃で、速やかに潰して下さい。あとは私が全て片付けます」
ほとんどコルセスカ頼みなのが気になるが、まあ実力差を考えたら仕方が無い。
合図もなく白い影が飛び出した。「凍れ」という声が響いて、激しく相争う両者の動きが止まる。
絶好の機会。
俺は勢いよく飛び出して、無防備にふよふよと浮かんでいる眼球型の使い魔に背後から接近していく。
撃ち出された右手は正確にそれを掴み取って、そのまま一気に握り潰す。
これでもう、厄介な怪物を呼びだされる心配はないわけだ。
俺があっけなく終わった一方で、コルセスカは未だに激しく戦い続けている。
灰色の石化現象が縦横無尽に世界を駆け巡ったかと思えば、氷がその上を覆い尽くし、煌めく破片と共に砕け散った後には石化が解除された空間が残される。
視認するだけで世界を書き換える能力を持つ両者が相対した時、その戦いは世界の改変合戦の様相を呈する。一瞬ごとに景色が塗り替えられていく。
膨大なエネルギーが発生し、俺にすら視認可能な程になった呪力が放電現象を引き起こす。
コルセスカが右から左へ視線を巡らせれば世界が端から凍結していき。
アルテミシアが迎え撃つようにして髪を振り乱せば逆側から石化現象が拡大、浸食していく。
左右からぶつかり合う二つの領域。
凍結と石化、共にあらゆる者の生存を許さない停止の世界。その二つが、お互いを食らいつくそうと激しく鬩ぎ合う。空間の境界線がスパークし、閃光と轟音、高熱とイオン臭を撒き散らして火花を散らす。
その瞬間、勝敗が決した。
飛び散った火花が巨大な猛火へと成長し、膨れあがる勢いそのままに石化した領域へと一気に襲いかかったのである。
どのような理由か――コルセスカは氷だけではなく、その真逆とも思える炎にも支配力を働かせているらしい。
赤い奔流が白い少女の身体を飲み込み、続いて灰色の世界が一瞬で凍土と化していく。
「くそがっ」
悪態を吐きながら、片目を押さえてうずくまるアルテミシア。服は焼け焦げ、目から血が滴っており、更にはその手足が霜に覆われて凍傷を負っている。
駄目押しとばかりに、コルセスカの周囲を衛星のように浮遊する氷の宝珠が無数の氷柱を射出、アルテミシアの全身を串刺しにしていく。
「自らへの確信を失った邪視者ほど脆弱な存在もない。格付けは済みました。貴方はどうやっても私に勝てない」
「おのれ、その奇眼、確かに目に焼き付けたぞ! お前はいつか、必ず私が殺すっ」
「逃がしませんよ――凍れ」
その場から逃れようとするアルテミシアの肉体が、足下から凍結していく。
だが、そこでアルテミシアは驚嘆すべき行動に出た。
自らの脚を石化させたかと思うと、それを根本から砕き、へし折ったのだ。
唖然とするコルセスカに向けて投擲された石の脚が、中空で微細な砂塵となって飛散する。
思わぬ目眩ましに凍結の邪視が遮られている間に、アルテミシアはその身体を地面と同化させ、地下へと沈み込んで消えていった。
俺が眼球を握りつぶした結果なのか、周囲から迷宮の壁が消え始める。
以前の第五階層、曲がりなりにも街であった空間に戻っていく。
そんな中で、聖騎士キロンが漆黒の槍を手に、何か言いたげにこちらを向いている。
俺は無言で右半身を前にして身構えた。
「どうしても、戦うしかないのか」
「当然だ。俺と【松明の騎士団】は敵同士。殺し合うのはいつものことだろうが」
俺は半年前からずっと、【松明の騎士】達の振る舞いを見てきた。
エスフェイルを倒し、第五階層が放棄されて以来の、奴らの徹底した俺への敵視。
あの時、俺はトリシューラに助けられていなければ地獄の勢力に殺されているはずだった。それを地上は黙認した――【騎士団】にとって俺は死んでもいい存在だったわけだ。
彼らにとって俺の死は正しいことなわけだ。
仮に俺がトリシューラを裏切り、彼女の身柄を売ったとして、どう考えても俺が快く地上に迎え入れられるとは思えない。
たとえキロンが約束を守ったとしても、彼が所属する組織の方はどうだろうか?
まさに半年前、アズーリアがそのようにして俺を見捨てざるをえない状況に陥ったのではなかったか。
考えて、俺が出した結論は一つだった。
【松明の騎士団】は信用に値しない。
故に、俺が悩んだのはどのようにして彼らを打倒するか、どのようにして騙し、陥れ、裏切り、殺害するかという事だけだ。
悩んでいる最中にプラス材料は見つかったが、それはそれ、これはこれだ。
もしかすると、何かもう一つでもあちらを信じられるような要素があれば結果は少し違っていたかもしれない。
だがまあ、どっちにしてもトリシューラを裏切るような真似はしなかっただろう。
「そうか。俺は理解していなかったんだな――君がアズーリアに対しての信頼を失っていないようだったから、俺達に対してもそうなのだと勝手な希望を」
キロンの表情には悔恨とも憐憫ともつかない感情が入り交じっているかのようだった。もしかすると自嘲や悲哀も含まれていたのかもしれない。
まあ、どうでも良いことだが。
「アキラ、君は我々を――【松明の騎士団】を、憎んでいたのか」
「さあ。生憎と今はそういう判断ができないんだ。ただ、こっちは毎晩夢に見てるんでな。そう簡単に風化するような記憶じゃないのは確かだ」
とは言うものの、感情制御を取り払えば、残るのは怒りと憎しみが大半だろうとは想像できる。無論、それだけの単純な感情ではない。アズーリアやカイン達の事もあるし、リーナとのメールで言ったように、地上の者全てが信用できないというわけでもない。
だが、【松明の騎士団】という組織全体は明らかに俺の敵なのだ。
もし【E-E】が無くなったとしたら、冷静な判断力を失った俺は奴らに対してどんな感情を抱くのか、正直なところ想像もつかない。だが確かなことがひとつだけある。
感情を制御していても、意思は消えない。
敵意は判断だ。
ゆえに、俺はこの状態でもキロンを殺すことを躊躇ったりはしない。それが俺の正しさだからだ。
崩れゆく迷宮の中で、俺とキロンは正面から対峙する。
少し離れた位置にコルセスカ。
生き残っていたのか、しつこく沸いてくる悪鬼の群れ。
「俺は最初の時点でとんだ勘違いを――いや、もうよそう。既にそういう段階では無いらしい」
「納得はしたか? まあしなくてもいい。死ね」
崩れ落ちる迷宮、その最後の障壁が消滅するのと同時に、俺の右足が床面を踏み砕き、全身を風のように疾走させる。【サイバーカラテ道場】が導き出す最適な体重移動、滑り出すようなスタート、肉体を運んでいく脚が体幹へと運動量を伝導し、推進力へと変換する。
対するキロンは、観念したかのように瞑目し、左手をそっと、傍らの少年の頭に置いた。
「――?」
奇妙な動きだった。何の意味があるのか理解できない動作。
つまり呪術だ、という判断よりも速く、閃光が迸った。
高熱と衝撃。
右腕を盾にして咄嗟に後退する。
「な」
何だアレは。
キロンの手の中で、少年が裸身を光り輝かせている。
その全身が黄金の煌めきに満たされたかと思うと、その輪郭が不意に歪み、異なる形状へと変化していく。
曲線を描くシルエット。弧の両端を繋ぐ、燐光を放つ細い弦。
白い、弓?
黒い槍はいつの間にか姿を消し、キロンの手には純白の弓が握られていた。
その現象に呼応してか、右側の籠手が変形していた。親指の部分がより巨大に、人差し指と中指が一体化している。おそらくは弓を使用するのに適した形状なのだろう。
背後から兜のパーツが前に伸張していき、彫刻のような美貌を覆い隠す。
表情と瞳が視界から消えるが、その戦意は十分すぎるほどこちらに伝わってきていた。
「武器の擬人化――私と同じ、メクセトの禁呪に連なるもの」
コルセスカが何か妙な事を言い出した。
視線はキロンの手に握られた白弓に向けられている。普段の冷淡な表情が嘘のように気色ばんで、動揺、あるいは興奮を隠し切れていない。
「貴方、そんなものを何処でっ」
「ほう、やはり同属のことが気になるか、冬の魔女」
言いながらキロンは右手親指の付け根部分に弦を掛ける。矢も番えずに何を、と思う間もなく、下方から急速に弓が持ち上がる。体幹の中心線から斜め前方にスライドした位置で一瞬静止すると、そのまま台形を描くようにして弓と弦とが引き分けられていく。
阻止に動いた俺の前に、三人の少年たちが立ち塞がる。
コルセスカがいつになく鬼気迫る凝視を行うが、残る一人がキロンの目の前に立ち塞がり、彼を守る。
少年の展開した不可視の障壁が凍結を拒み、彼とその背後のキロンを避けるようにして床面が凍結していく。
それでも負荷が大きいのか、盾となっている少年はコルセスカの視線を受け止めながらきつそうに顔を顰めている。見れば、片方の腕が丸ごと灰色の石と化している。アルテミシアとの戦闘が尾を引いているのだ。
弓が完全に引き絞られ、今にも解き放たれそうな状態へ安定する。何も番えられていないことが、かえって呪術的な効果を予想させる。
あれは間違い無く撃たせてはならない。
今頃になって、トリシューラが戦う前に言っていたことを想起する。
(いい、アキラくん。聖騎士キロンは槍術、棍術、騎乗術と武芸一般に秀でた一流の聖騎士だけれど、本当に危険なのは彼の弓術と神働術)
トリシューラ曰く、この世界では【弓】とは扱える者が極めて限られた呪具なのだという。神働術というのは体裁のために呼び名と形式が異なるだけの、聖騎士が用いる呪術らしい。
つまり、キロンが弓を持ち出した時、彼はその最大の力である呪術を発動しようとしているということになる。
槍を構える少年に拳を叩き込み、もうひとりの腕と一体化した方形盾での一撃を回避し、三人目の敏捷な脚捌きに翻弄されてこちらの脚が止められた瞬間、それが起きた。
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