2-57 転生者殺し③
コルセスカと同じタイプの呪術師。
聞いただけで嫌になる情報だが、ということはもしかして、見ただけで何かの呪術にかけられるとかそういうことがあったりする?
「宣名によりて我が世界の枷を解き放つ――我が魔名はアルテミシア。まことの名を【フレウテリス】。呪祖レストロオセの呼び声を聴き、現世全てに災いを運ぶ者なり」
名乗りと呪文の詠唱。
トリシューラとコルセスカの時のことを思い出し、即座にやばいと思ったが、射線から逃れられそうな通路の先にはアニスやローズマリーの部下、悪鬼たちが立ちはだかっている。
絶体絶命の状況を覆したのは、風のように俺の目の前に立ち塞がった一人の男だった。
「カーイン?」
「何をしている、さっさと逃げろっ!」
いや、何でこの男がここに?
というか俺に味方する理由がわからない。
「邪魔を――」
白い少女、アルテミシアの前に立ちはだかったカーインは俺に向けられるはずだった視線を遮りながら、躊躇無く貫手を繰り出す。
奴の事情はともかく、この隙に包囲された状況から抜け出さなくては。
横合いから迫るアニスの打撃を左右に身体を揺らして回避しつつ、巨体から生み出されるパワーを両拳に乗せて振り下ろしてくるローズマリーの部下の攻撃を右腕で受ける。
(アキラくん、伏せてっ)
銃声が鳴り響き、全裸の巨漢たちが血飛沫を上げて倒れ伏していく。
上空から、巨大な質量が降ってくる。
アニスの真上に飛来したトリシューラの強化外骨格が、黒と赤の胴体を輝かせながら救援に訪れる。
脚部からスラスタを噴射させながら着地、銃弾をばらまいていく。
カード型の端末を取り出して、そのうち四枚から呪符の効果を引き出す。一枚につき一度の使い切り呪術で再使用の為には再ダウンロードが必要になるが、使い勝手は紙の呪符よりもずっと良い。
空中に制止した四枚のカードからアニスに向けて、立て続けに閃光と爆風が放たれる。
咄嗟に両手の旋棍で防御を行うが、衝撃と熱を殺しきる事はできないはずだ。
俺は即座に反転して走り出す。トリシューラが銃撃を停止し、腰から赤熱するナイフを引き抜いて突進。斬殺されていく巨漢たちを回避しつつ、奧のローズマリーに接近していく。俺の動きを察知して、すかさず手に持った鞭でこちらを打ち据えようとする。
「受けてごらんなさい、私の愛を。病みつきになるわよ」
蠱惑的な声から、いい知れないほどの淫蕩さが醸し出される。リビドーを直接かき立てるような凄まじく艶美な声質、そして芳醇な芳香が辺りに漂う。特定周波数の音声を発する魅了呪術だとちびシューラが看破し、続いて生体強化された嗅覚が大気分子に異常な化学物質を検知。恐らく体臭に含まれるフェロモンが呪術的な洗脳効果を発揮しているものと思われる。既にローズマリーの手にする鞭で躾けられたいという欲求が湧き上がっている。一度でも鞭が俺の肉体を掠めれば、即座に従順な奴隷と化してしまうだろう。
聴覚をミュートにしてもいいが、それだと【Doppler】で風を切ってしなる鞭の起動予測を行うことが難しくなる。であれば、やることは一つだ。
「さあおいで、可愛がってあげる!」
「せっかくの美人のお誘いだが」
鞭と男たちの連係攻撃を裁きつつ、最適な攻め時を探し出す。敵集団の連撃の隙間、呼吸の間隙を【Doppler】が探り当てた。
「今の俺に、性的な誘惑は効かない」
目の前の女性を【魅力的だ】と感じる脳のはたらきと、実体として存在する【魅力的な肢体】という五感から入力された情報を結びつけて認識することができない。
【E-E】が感情を分離したことで、相手の客観的な魅力や価値といったものが自分とは関係の無い事のように感じられる。今の俺はあらゆる魅力的な存在を魅力的だと認識できるのだが、それは違う生き物――例えば【魅力的な猿】を見るような感覚に近い。
【サイバーカラテ道場】が腕の動きから鞭の起動を読み切って最適な回避パターンを提示。すぐ傍に護衛として残っていた巨漢の首を右腕で砕きつつ、体幹の動きによって左の簡易義肢を駆動させる。
ものをひっかけるくらいの動作しかできないが、今はそれだけで充分だった。カード型端末が起動し、ローズマリーの眼前で呪術が発動。オレンジ色の火炎が炸裂し、その顔が燃え上がる。
「ああああっ! 顔が、私の顔がぁっ」
絶叫するローズマリー。首を右の貫手で突いて黙らせた。
同時にトリシューラが最後の一人となった巨漢の首を切断する。
いつのまにか、仮想の視界内部でちびシューラが以前見たことのある流体の少女を打ち負かしていた。
(そう何度も不覚はとらないよっ)
「よしっ、これで自動機銃のコントロールが戻るはず!」
強化外骨格の頭部にあるスピーカーから勝ち誇る声が響く。
迷路の奧から走ってくる四脚が、こちらに向けて銃弾をばらまく。
「おいトリシューラてめえ何しやがるっ!」
「ちがっ、アレは私じゃないよっ」
「ならちびシューラてめえ何してやがる、コントロール戻ってねえぞっ!」
(あれー?)
おかしいな別の言語魔術師がいるのかなあ、などと惚けたことをいいながら首を傾げるちびシューラ。
強化外骨格を遮蔽物にして射線から逃れるが、このポンコツいい加減にしろよ。
(ポ、ポンコツって言った! 撤回! 撤回して!)
「して欲しかったらこの状況なんとかしてくれっ!」
「あーもう、自分で作った物を壊すのって気分悪い!」
今度はトリシューラが物理的な銃撃で自動機銃を破壊していく。
しかし妙に引っかかる。自動機銃を乗っ取ったのが先程ちびシューラが倒した流体の少女ではないのなら、一体誰がそれを行ったのだろうか。
俺達にはそういうことができそうな人物に、一人心当たりがあった。
(あーもうセスカは敵なのか味方なのかはっきりしてほしい!)
同感だが、お前この前は基本的に敵とか言ってなかったか?
いずれにせよ、こうも混乱した状況では事実を確かめる余裕など無い。
敵はこちらの都合などまるで考慮してくれないのだ。
今だってほら。
「壊れろぉぉっ!」
ジェット噴射で旋棍を加速させて、衝撃と閃光のダメージから回復したアニスが襲いかかってくる。黒服には耐火加工でもしてあるのか、あれだけの猛火を浴びて焼け焦げた様子ひとつ無い。
回転する暴力が向かう先は俺ではなく、トリシューラの人狼型強化外骨格だった。
「何それ何それ何それ! 硬そう、強そう、すっごい壊し甲斐がありそうな強度! 楽しい楽しい楽しい、ねえそれ私に砕かせてよお願いだからっ」
異常とも言える破壊への執着。俺への興味はどうやらトリシューラの方に移ったようだ。もの凄い勢いで引いているちびシューラを見ながら、俺は呟く。
「な? 別に好かれても嬉しくないだろ?」
(アキラくんウルサイ!)
俺は目の前の相手しか見ていない隙だらけの横顔に右腕を叩き込む。続いてトリシューラが腹部から胸部にかけてまんべんなく銃弾を浴びせると、流石にアニスは動かなくなる。
「アキラくん、あの邪視者はほっといて、一旦この場所から離れよう!」
賛成だった。一度状況を整理して、体勢を立て直さないことにはやっていられない。
悪鬼や自動機銃と戦っているキロン、アルテミシアと交戦しているであろうカーインはここから離れていったのか、今は姿が見えない。
トリシューラの先導に従って進む。途中数体の悪鬼を倒しながら進むと、混乱した第五階層の状況が明らかになっていく。
どうやら、大量の悪鬼があちらこちらで暴れているらしい。
俺を付け狙うだけならばともかく、無関係の住人にまで襲撃を仕掛け、あちこちで戦闘が起きていた。
ほとんどの住人は探索者であり戦闘能力を有しているから、悪鬼程度の雑魚異獣ならどうとでも対処できるのだが、中には例外もいる。
全体としては少数だが、決して無視できない数の弱者。非戦闘員。
「レオ!」
名を呼ぶと、不安げに曇っていた表情がぱっと華やぐ。
レオは一人の少女に寄り添っていた。背中から蝶の翅を生やしていること、服装から娼婦ではないかと思われた。体調を崩しているのだろうか。片方の手で大きな熊のぬいぐるみを綿がはみ出るほどにきつく抱きしめ、もう片方の手で頭痛を堪えるように頭を押さえてうずくまっている。
「怪我は?」
「僕は大丈夫ですけど、この人たちを放っておけなくて」
少年の周囲に、昆虫系の種族や植物系の種族、障害のある者や娼婦、物乞いといった者達が集まっていた。
すぐには動けない者も少なからずいるようだ。文字通り根を張っている者すらいる。
仕方無い、とカード型端末の中から実用系のものを全て抜き取ってレオに押しつける。手元に残しておくのは最低限必要な通話用の端末だけになるが、仕方無い。
「これで自分の身を守れ。あとトリシューラ、この場所でレオを守ってくれ」
「はあ? それでアキラくんはどうするつもりなの?」
「この状況を作り出した奴をぶちのめす。とりあえずキロンとあのアルテミシアとかいう奴だ」
「無茶だよ! アキラくんは上級聖騎士や
見ただけで呪術を発動させるような怪物、コルセスカじゃなくてもヤバいことくらい理解できる。
それでも、このまま手をこまねいているわけにはいかないだろう。
「お断りだよ。アキラくんが戦うなら当然私も戦う。当たり前でしょ、
勇ましく言い放つが、強化外骨格の動作が一瞬遅延する。
(あれ?)
仮想のちびシューラの周囲に、半透明の壁が出現する。
まるで先程、現実世界で迷宮が構築された光景の再現だった。
実体の無い迷宮がちびシューラを取り囲んだかと思うと、その身体が俺から切り離されていく。
ずっと共にあった存在が、何の前触れもなく消失する。
まるで、主要な骨を抜き取られたような感覚。
「防壁迷路?! まずい、こっちのコントロールも奪われる!」
言葉と共に、トリシューラの強化外骨格が赤熱するナイフを引き抜いて俺に斬りかかる。
制御を奪われた、ということなのだろうが、こういうのってスタンドアロンにできないものなのだろうか。できたらやってるか。呪術って不便だな。そして最悪だ。
ギリギリで回避、仕切れずに左腕の先端が切り落とされる。右には及ばないとはいえ、自らの一部同然であった左の義肢を奪われ、怒りに心が沸く。
「ごめんアキラくん! ここから逃げて! 今強制シャットダウンしてるから!」
火器管制が別系統なのか、強化外骨格はナイフを振り回すだけで射撃をしてこない。彼女の言葉を信じるなら、逃げ回っていればこれ以上の危険は無いのだろう。
次第に勢いを減じていき、その動きを停止させる強化外骨格を横目に見つつ、俺はその場を離れる。
その場に片膝をついた巨大な機械は、もはやただの棺桶である。閉じ込められたトリシューラは中から出てこない。手動で開けられない造りなのだとしたら、改良の余地があるだろう。
この場所も安全では無い。留まってレオを守る事も考えたが、それよりも元凶を取り除くのが先だと考え直す。
トリシューラのバックアップが完全に受けられなくなってしまったが、元々単独で戦うつもりだったのだ。大した事ではない。
――そう思い込もうとしてはみたものの、数日間ずっと間近にいた存在が急に感じられなくなり、妙に不安に駆られているのも事実だった。
感情制御のレベルを変更し、更に冷静な域に降りていく。
ここからは、一瞬の動揺が命取りとなる。
周囲の音を探り、索敵に注力。迷宮内部に反響する多様な音の中から、必要な情報だけを取捨選択していく。
そして気付く。
この辺りは、あまりに静かすぎる。
「中々手強かったな、あの男はお前の何だったんだ? シナモリアキラ」
不遜の響きを宿した、少女の声。
白い裾が翻り、アルテミシアがその姿を現す。
「随分と必死に食らいついて来たぞ? まあ無意味だが」
その周囲に立ち並ぶ、無数のシルエット。
多様な種族、物体、そのいずれもが、彼女の周囲で巌のように動かない。
少女は完全に停止した自動機銃を蹴り飛ばしながら、破滅をもたらす瞳を爛々と輝かせた。
「そら、隠れてないでさっさと出てくるがいい。どうせ私の前では、誰も彼も同じ運命を辿るのだから」
白い少女の周りで、ありとあらゆるものが石化していた。
睨み付けただけで対象を石にする呪術。
まともに相対することすらできない、最悪の攻撃だった。
俺は音でアルテミシアの動きを探りつつ、迷路によってできた壁の陰に隠れている。この状況を作ったのが誰かは知らないが、アルテミシアでは無いような気がする。彼女の能力をフルに活用する為には、視界を遮るものが少ない方がいい筈だからだ。
しかしこのままでは手詰まりだった。どうにかして背後から攻撃できればいいのだが。
――仮に後頭部を強打したとしても、先程のように弾き返されるという恐れもある。
どうしたものかと唇を噛んでいると、新たな動きがあった。
「おや、誰かと思えば、聖騎士様じゃないか」
「何のつもりだ。首領殿には手出しを控えるように申し上げたはずだが」
「そうかそうか。だが私は知らないな。連絡の行き違いがあったらしい。しかしそちらこそ、このような大規模な儀式呪術で街を混乱に陥れるなど、事前に連絡してしかるべきではないかな?」
「何のことだ、この迷宮はそちらの仕業では無いのか」
現れたのはキロンとその配下の少年たちのようだった。
おまけになんだか知らないが、アルテミシア――【公社】側と揉めているようだ。
「聖騎士様は惚けるお顔も優雅だねえ。その面の皮、どれだけ厚いのかちょっと確かめさせてよ」
「ええい、話の通じないっ」
両者が交戦し始めたようだが、どうにも妙だった。
まさか、こいつらの他にもまだ見ぬ敵がいるのだろうか? だとしたら、そいつはどこにいる?
耳を澄ませるが、それらしい音は見つからない。というより、多種多様な音が入り交じっているせいでどれが怪しい音なのかが判別できないのだ。第六階層の時は数種類の心音と呼吸音を聞き分けるだけだったからまだ何とかなったのだが。
その間にも、呪術師と聖騎士の戦いは白熱していく。
「これは驚いた。何年ぶりだろうな。私に傷を負わせた者は」
「おのれ、よくも私の【盾】をっ」
壁際からそっと覗き見ると、両者の戦闘は熾烈を極めていた。
少年の一人が文字通りキロンの盾となって石化の視線を受け止め、他の少年達が背後から火の玉や稲妻の呪術で支援を行っている。いつの間にか漆黒の槍を手にしているキロンは穂先の動きが霞んで見えなくなる程の速度で突きを繰り出す。
奇妙な事に、キロンは払う動作を一切行わない。
松明の騎士に特有の技術なのか、全ての攻撃が突き技のみで構成されているようだった。
そして、驚くべき事にその攻撃の全てがアルテミシアに通っていた。
あの異常な防御能力を誇る少女の柔肌(といって良いのかどうか不明だが)に次々と漆黒の刃が接触したかと思うと、その場所に貫通創が生まれていく。
だが少女はまるで痛みなど感じていないかのように不敵に微笑み、流れる血を指先ですくい取りながら、一瞬だけ傷口に視線を向ける。
すると、瞬く間に傷口が石で塞がれ、血が凝固していく。
「第五階梯――いや第六階梯の邪視者か。厄介な」
「貴様の槍ほどではあるまいよ。私の絶対防御を貫通する呪具など、古今東西の伝承を探してもそう無いはずだがな」
お互いが獰猛な笑みを浮かべ、殺意を込めた視線を交錯させる。火花が散っている、などと形容したくなるが、実際にこの世界では視線と不可視の盾が激突して火花が散るという現象が起きていて、比喩がもはや比喩にならない。
迂闊に両者の間に飛び込めば死は免れないだろう。
これは漁夫の利狙いでどっちかが勝った瞬間を狙うのが一番良さそうだなあ、と思った時、奇妙な音を近くに感じた。
すぐ近くだ。呼吸音、心音、足音、いずれも無いので今まで聞き逃していたが、確かに音が聞こえた。
風が揺らぐ音。
距離がもう少し遠ければ、そしてこの場所が迷宮化して大気の動きが制限されていなければ、きっと聞き逃していただろう。
それは、宙を浮いていた。
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