2-56 転生者殺し②


 

 待ち人を見つけた時、その場所にいたのは彼一人きりではなかった。

 キロンの背後に控えるようにして、五つの人影。


 背丈はかなり低い。兜を後ろに跳ね上げているおかげでその容姿が露わになっているが、とんでもない美しさだった。いずれも煌めくような紅顔の美少年で、唇をきりりと引き結んで、俺を劇物か何かのようにして睨み付けている。

 

(データに無いけど、多分キロン隊の構成員だと思う。――どうする、一旦退いて作戦練り直す?)

 

 もう目の前まできてそれは無理だろう。基本的なプランはそのままでいいはずだ、と考えつつ、俺はキロンに声をかける。

 

「悪いな、少し待たせたか」

 

「いいや。それより答えを聞こうか。シナモリ・アキラ、君は俺と共に来るつもりはあるか?」

 

 問いに、俺は一拍を置いて答えた。

 

「ああ。俺は【松明の騎士団】に身を寄せる事に決めた。やっぱり、恩人と――アズーリアと敵対なんて俺にはできない。それに、こんな危険極まりない場所で生活するのもいい加減しんどかったしな」

 

 蓄積した疲労、孤独、不安感、そういった諸々を心底から吐き出すようにして、俺はそう告げた。

 それはようやく現れた救い手に縋り付くような、ある意味では情けない答えなのかもしれない。


 しかしキロンはそれを聞いて、明らかにほっとしたように息を吐く。

 

「そうか。――そうか! 安心したよ、アキラ。君は俺を信じてくれるのだな。よしわかった、君が決意してくれたのならば、俺は必ず君を守り抜くと約束――」

 

「お待ち下さい、お兄様」

 

 こちらに歩み寄り、手を差し伸べようとしていたキロンの脚が、その言葉で停止する。


 硬直した彫刻の美貌が、ゆっくりと背後を振り向く。

 涼やかな声を上げたのは、背後に控えていた少年達の一人。

 こちらの内心を見透かすように、透明な瞳で虚実を暴き立てる。

 

「策略です。その方は嘘を吐いています」

 

 凍り付いた時間の中で、キロンがふたたびこちらに視線を向ける。

 信頼できる仲間の言葉を、自らの中で咀嚼した表情だった。

 あ、駄目だこれは。


 【E-E】と【七色表情筋トレーニング】を同期させての完璧な演技も、呪術による読心術までは誤魔化せなかったということらしい。【サイバーカラテ道場】と【Doppler】を即座に起動したことによって【七色表情筋トレーニング】が自動終了。戦闘態勢に移行する。

 

(読心術とかはシューラがシャットアウトしてるから多分違うよ! 多分霊感系、ううん、あれは託宣――? あんなのデータには無かったのに!)

 

 あ、データ偏重過ぎて想定外の事態に弱い人だ。

 まあ失敗したものは仕方が無い。第二プランで行こう。

 

(アキラくんが悪いんだからー! シューラは失敗するからやめようって言ったのにー!)

 

 準備はできるから理論上は可能とも言ったけどな。

 一度はキロンに下った振りをして、共にトリシューラと戦い、その中で俺もトリシューラも両方死んだ事にするという完璧な作戦はこれで白紙になってしまったわけだ。

 

(穴だらけだよ! 確かにシューラなら偽装死体くらい作れるけど!)

 

 なにせ呪術医である。部屋にあった大量の人体部位からも分かるとおり、巡槍船には生体部品の備蓄があるのだという。何に使うのかはまあ、想像がつくのであえて訊ねなかったが。


 兎にも角にも、こうなれば正面から戦う他は無い。

 最悪の展開だが、どこかでこうなる気はしていたのだ。

 戦意を漲らせる俺だが、キロンの方の様子が何かおかしい。


 こちら側の敵意を見破り、攻撃を仕掛けてくるかと思いきや、わずかな逡巡が見られる。

 まるで、未だに事実を認められず、こちらを信じようとしているかのような。

 

「アキラ、俺はただ」

 

 キロンが、何かを伝えようとしたその瞬間だった。

 それは、久しく感じていなかった、足裏から響く振動。

 はじめは小さく、やがては激しく、縦にガタガタと揺れ動くその現象は、この世界に来て初めて体験する地震だった。

 

(嘘でしょっ、第五階層で地震なんてっ)

 

 階層を事実上掌握している魔女ですら想定外の状況らしい。

 そして、事態はそれだけに留まらない。


 街路が鳴動し始める。床面からせり上がってくるのは、無数の障壁だ。更に周囲に乱立していた建造物が全て光の粒子となって消滅し、同じような壁となって再構成されていく。建物の中から追い出された人々や道路を歩いていた人々が困惑の声を上げながら周囲を見回していた。

 

(何これ――信じられない、階層そのものを、局所的にとはいえ改変してるの? そんな、私の支配を上書きしての【迷宮化】なんて!)

 

 不規則に、迂遠に、猥雑に、困難に。無軌道に組み合わさった壁によって形成されるのは、まさしく【迷宮】である。


 それは、【世界槍】にとってのあるべき姿であったのかもしれない。

 であれば、この光景を作り出した何者かは、第五階層の簒奪者たるトリシューラからあるべき迷宮の姿を取り戻したということになるのだろう。

 

「状況としては、最初にカーインとかに襲撃された時と同じだが――」

 

 スケールが違いすぎる。これには人目を遮るためとかではなく、もっと攻撃的な意思を感じる。

 俺の思考が正解だったのかどうかは定かでないが、曲がりくねった通路の奧から、大挙して黒い影が到来する。


 皺の多い矮躯。爛々と光る眼に憎悪を湛えて、仇敵を引き裂かんと唸り声を上げる大集団。

 【悪鬼】たちだった。よりにもよってこんな時に。

 いや、こんな時だからこそ、なのか?


 異獣である悪鬼たちは【下】に属するが、場合によっては【上】と組むこともある。それを、俺は先日の戦闘で身をもって理解させられていた。

 

「やっぱ最初からこういう手筈か」

 

 対峙していたキロンに鋭く視線を向けて言い放つ。あまり人の事を言えた立場ではないが、結局の所どちらも相手の事など信用していなかったというわけだ。

 

「誤解だ。俺は君を罠にかけるような真似は――」

 

 銃声が鳴り響く。

 街中に待機させていた自走機銃がキロンへと攻撃を仕掛けているのだ。

 普段は掃除用機械や監視カメラに偽装しているトリシューラ謹製の呪具達は、四脚で銃身部分を持ち上げて、次々と銃弾を送り込んでいく。


 漆黒の異獣が次々と血飛沫を上げて薙ぎ払われる。

 一方で、キロンの方はその前に進み出た少年の一人が防御することによって傷一つ無いままだった。少年がかざした手の先に、何か不可視の障壁のようなものが生み出されているようだった。


 とりあえずは、先制攻撃が上手く行ったのは悪鬼だけか。確かに俺を執拗に付け狙うあちらを先に片付けた方がいいのだろう。いい判断だった。

 

(違う! これシューラが指示したんじゃないよ! コントロールを乗っ取られてる!)

 

「は?」

 

 自走機銃がこちらを向く。

 【サイバーカラテ道場】のアラートが鳴り響くよりも速く疾走。全力の回避が辛うじて間に合い、俺の背後を追いかけてくる銃弾の雨。


 入り組んだ迷宮の壁面に駆け込んで射線から逃れるが、息を吐く暇も無く次なる脅威が迫る。

 

「ア~キ~ラァ~」

 

 旋回する打撃力がジェット噴射で加速されてこちらの頭部へと叩き込まれる。

 右腕で受けようとするが、衝撃が強烈すぎる。ぎりぎりで受け流して後退。

 狂喜しながら旋棍を両手に構えるのは見覚えのある黒服の女。

 

「アニス! この破壊狂がっ」

 

「酷い言い草だ。私はこんなにもお前に焦がれているというのに」

 

 恍惚とした表情で、俺の右腕に視線を送る【公社】最悪の四姉妹、その四女が殺意を露わにする。


 半年間で何度か共闘したおかげで、人間を壊すことでしか発情できないイカレた女だと知ってはいたのだが、その対象にされると流石にぞっとする。

 最悪な事態は続く。


 床面を叩く鞭の快音。それに追従するように、くぐもった唸り声と複数の重々しい足音が近付いてくる。

 

「さあ豚共、ご褒美の時間だっ! あの男を、無茶苦茶にしてやりなっ」

 

 しなる鞭を手に持ち、露出度の高い派手なドレスに身を包んでいるのは、【公社】が経営する娼館の主でロドウィの三女、名前は確かローズマリーとかいったはずだ。以前何度か娼館の用心棒をやった時に顔を合わせた事がある。


 鞭でけしかけられているのは、その仕事の時にも見た娼館付きの用心棒達。その数は十数名にも上る。屈強な肉体を全て露わにし、頭部をラバーマスクで覆い隠してボールギャグを口に咥えているという変態的な格好だ。

 複数の脅威に挟まれた俺は一瞬対応に迷う。


 だが、【Doppler】が微かな音を捉えたことにより【サイバーカラテ道場】が頭上への応戦を迫る。

 頭上に構えた右腕に、凄まじい加重。


 ここが崖であれば、岩盤の落石かと思っていただろう。それほどまでに重い一撃。

 上空から奇襲してきた敵手は身軽にも空中で一回転し、俺から数歩離れた間合いに着地する。


 白い少女だった。

 フリルがふんだんに用いられた華やかな衣服。大きな鍔が広がる帽子も白なら、パニエで膨らんだスカートも、そこから伸びる脚を包むタイツもまた白。


 流れる髪の色素は薄く、輝くような金の色。

 冷ややかな瞳が、凄絶な圧力を伴ってこちらを見据えている。

 無言のまま、再度の交錯。



 相手の身長は俺の腹部のあたりまでしかない。この体格差を生かさない理由は無い。一切の躊躇無しに頭部へと全力の蹴りを浴びせる。

 殺す気で仕掛けた。


 だというのに、左足は完璧に止められていた。

 自分に数倍する質量の岩石を蹴りつけたかのような錯覚。

 地を割り砕く威力の蹴りをまともに側頭部に受けて、白い少女は微動だにしていなかった。


 ぞっと、鳥肌が立つ。コイツは別格だ。

 確信と共に脚を引き、右からの掌底。【サイバーカラテ道場】が「good」を叫ぶ、会心の一撃。

 しかし。

 

「訊くがお前、馬鹿なのか?」

 

 衝撃。

 細い、あまりに小さな繊手が、俺の腹部に突き刺さる。

 

「がっ」

 

 咄嗟に後ろに跳んで衝撃を軽減する。正面から受けて耐えるという選択肢は、直感的に避けていた。

 そうでなくても信じがたいほどの打撃力。俺の身体はそのまま宙に浮き、床を転がっていく。

 

「打撃など無意味だ。誰も、私の世界を傷つける事はできない」

 

 傲岸に、少女が宣告する。

 受け身を取りながら腰の収納に手を伸ばす。トポロジー的に圧縮された空間から投げナイフを指先で抜き取り、投擲。鋭利な刃が回転しながら少女の最も脆いと思われる急所に吸い込まれていく。


 硬質の音を響かせて、破壊がもたらされる。

 俺は愕然と、砕け散った刃を見た。

 眼球に命中した刃が砕けるだと?

 

「馬鹿が。そこは私の最も強固な部位だ」

 

(最悪っ! このコ、セスカと同じ邪視者だっ)

 

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