2-55 転生者殺し①


 

 トリシューラの部屋に向かう途中、レオとすれ違った。

 

「おはよう。昨日は相当叱られたみたいだったけど、大丈夫か?」

 

「えっと、あれは僕が悪いので。お使い用に頂いたお金が浮いたからって、勝手に使ったらだめですよね、やっぱり」

 

「お金が浮いた? あいつ、そんなに沢山渡したの?」

 

「いえ。なんだか、僕が行くと皆さん色々おまけしてくれたり、安くしてくれたりするみたいなんです。僕は普通にお買い物してるだけなんですけど」

 

 ふしぎですよねー、と首を捻るレオは殺人的に可愛らしい。

 この魔性は既にして一つの価値、ということらしい。天然の値切りスキルとか羨ましいことこの上ない。

 

「で、こんな朝早くからどこに行くんだ?」

 

「あ、それがですね。先生から昨日の活動を続けるようにって言われまして」

 

 昨日の活動というのは、例の貧民街での慈善活動のことだろうか。

 それをトリシューラに指示された? 彼女の狙いが今ひとつ見えない。

 

「なんでも、いざという時の布石になり得るからって。あと、僕はこの場所以外にも『足場』を作っておいたほうがいいんだそうです」

 

 足場、ときたか。

 その言葉で気付く。何も自らの依って立つ場所を、ひとつきりに限定してしまう必要は無いのだと。

 

「最初に会った時も、レオは誰かの為に動いていたんだよな」

 

「はあ。そうなんですか? ごめんなさい、よく覚えて無くって」

 

 でも、とレオは一拍おいて続けた。純粋な瞳はしっかりとこちらを見て、優しげに微笑んでいる。

 

「アキラさんは確かに僕を助けてくれました。だから、僕も誰かの為にできることがしたいなって思ったんです。もちろん、一番はアキラさんや先生たちのお手伝いをすることですけど」

 

 善意や優しさは、強い意志に支えられている。

 美しいひとだと、ただ思った。

 半年前にも、こんなふうに綺麗な言葉を紡ぐひとを見たことがある。


 全てが色褪せて見えた世界で、錯乱した俺は一条の光を見つけた。いいや、あの時俺は、あの人に見つけてもらったのだ。


 それだけを、ずっと忘れなかった。それだけを覚えていたくて、それだけを大事にしたくて。それさえ守る事ができれば、俺はどこにだって行けるのだと。


 目の前には、幾つかの道が伸びている。そんなのは錯覚だった。

 俺の道は、最初から決まっている。


 あの色のない左手を差し伸べられたその時から、ずっと。

 あとはその想いを追認するだけ。

 

「ありがとう、レオ。お陰で気持ちが定まった」

 

「よくわからないけど、アキラさんの力になれたのなら良かったです」

 

 愛らしい微笑みに、心が軽くなっていく。

 そうだ。俺に葛藤は似合わない。

 悪いがキロン。強制された決断なんざクソ喰らえだ。


 今の俺は、戸籍とかその他諸々が無いアウトローだ。あるのは第五階層の住人に与えられる創造能力ひとつ。いわば【生ける死体】で【人狼】の人間未満。引っ越し、就労、その他様々な権利が、【上】に行けば保証されるかもしれない。

 

「ま、大した事じゃないだろ」

 

「本当にいいの? そんな適当で」

 

「地上での安定とやらに心惹かれないわけじゃないが――もう少し面白そうな奴を見つけたからな」

 

「ふぅん」

 

 俺の気のせいでなければ、気のない風に相槌を打つトリシューラは少しだけ嬉しそうだった。


 そんな彼女の本日の服装は、飾り気のない黒いブラウスにアイボリーのロングスカートというシンプルなものだった。編み上げのブーツが「らしい」感じだったが、全体的におとなしめだ。


 トリシューラの服装センスはよくわからない。どういう傾向なんだこれ。その日の気分で適当?

 

「アキラくんの、私を着せ替え人形にしたいっていう無意識の欲求に応えてるだけだよ?」

 

「そんな馬鹿な」

 

 愕然と震える俺を無視して、トリシューラは椅子から立ち上がってつかつかと歩いていく。

 例によってトリシューラの執務室(的な部屋)である。


 窓際で「ぴっ」と口でリモコン操作をすると、ブラインドサッシが光量を自動調整していく。

 光が強まる。眩しさに眼を細めると、明るさの中で魔女が微笑んでいた。

 

「ねえ、本当は私がセスカより弱くて、勝ち目が薄そうだからこっちについてくれたんでしょう? 私が負けても死なないように。私を守るために」

 

 おいよせ、言い方ソフトなだけで、俺がすごい上から目線で感じ悪い人みたいだろそれ。


 ――まあ、思考を覗ける奴を相手に取り繕っても仕方ない。断じて口に出したりはしないが。

 

「考えすぎだ。下らない事を言うな」

 

「はあ。まあいいけど。それでも、ひとつだけ聞かせて。もし私が勝ったら、アキラくんはセスカをどうするの?」

 

「俺はトリシューラの物だ。道具は使い手の意思を最優先する。お前の為すべき事、為し遂げたい事を全て代行してやる。いいか、お前の望む全てをだ」

 

 たとえそれらの望みが、お互いに相反するものであったとしても。

 トリシューラは、俺の意思を精確に察して、もう何度目になるかも分からない溜息を吐いた。


 俺の方からはトリシューラの意思を精確に読み取ることはできない。それでも、信じられる事はあった。

 トリシューラは、勝利を強く望んでいる。


 そして同じくらい、コルセスカの生存を望んでいる筈なのだ。

 きっとそれは、あちらも同じ事なのだと思う。

 

「私の望みかあ。そうだね、私は、セスカを」

 

 その先を口に出そうとして、トリシューラは途中で失敗したように音を掠れさせた。消えていった音がどのようなものだったのか、もう本人にしか分からないだろう。だが俺はそこにトリシューラの本心があるのだと確信していた。下らない内心の忖度。予断や勘繰りでしかないのかもしれない。


 それでも、トリシューラは敵手であるコルセスカを、愛称で呼ぶのだ。

 トリシューラは諦めたように目を伏せて、新たな問いを口に出した。

 

「勝敗ははっきりさせるけど、生きるか死ぬかの勝負にはさせないってこと? 土台からひっくり返すようなこと思いつくよね」

 

「押しつけられた選択肢なんざ糞だろ。それが生き死にの問題なら猶更だ。それに」

 

「それに?」

 

「どうせ勝つなら、完璧に勝ちたいだろ。勝負事ってのは負ける奴がいないと成立しないし、優越感ってのは負けて悔しがる奴がいないと味わえないんだからな」

 

「アキラくん性格悪っ」

 

「お前もだろーが」

 

 棘を含ませた罵声を浴びせ合って、お互いに距離を取り直す。このくらいの間合いが一番心地良い。この魔女は油断ならないが、それゆえに遠慮のないやり取りが気安くできるような気がした。

 

「それでキロンの方だけど。馬鹿正直に私の味方になるって言って、そのまま殺されるの?」

 

「まさか」

 

「なら、このまま知らない振りする? 逃げ回っていればなんとかなるのかな」

 

「そんな筈ないだろ。アイツは元々トリシューラを追ってきているんだ。俺がどんな道を選んだって必ずトリシューラを付け狙い続けるだろう」

 

 だとすれば、トリシューラを守るためにするべきことは一つだ。

 

「トリシューラの力になると言っても、実際にそうなれるかどうかはまだわからないわけだろ? その前にテストをするのもいいんじゃないかと思う」

 

「テスト?」

 

「ああ。この局面を乗り切って、無事にトリシューラに降りかかる火の粉を払えたら合格、晴れてトリシューラの使い魔に、ってわけだ。つまり――」

 

 聖騎士キロンは、俺が倒す。

 はっきりと、自らの決意を打ち明けた俺に、トリシューラは一瞬だけ目を見開いて、それからすぐに駄目だよ、と否定の言葉を返した。

 

「あのね、アキラくん。気持ちは嬉しいけど、それは無謀っていうか」

 

「知ってる。検索したからな」

 

「ならどうして? アイツは、アキラくんとは最悪の相性なんだよ?」

 

「別に死を覚悟して戦うとか負けると分かっていても戦わなくちゃならない時があるとか、そういうことを言うつもりは無い。とっておきの対抗策を考えてきた。安心しておけ」

 

 我に秘策あり、とばかりに俺は不敵に笑う。

 トリシューラはしばらく沈黙して、やがて一言。

 

「キモい」

 



 

 

 酷い。あんまりだ。こんな扱いは許されざるだろう。

 傷ついた心が自然と癒しを求め、いつしか俺はその場所に辿り着いていた。

 

「あら、お客様。よくお会いしますね」

 

「こんにちは。奇遇ですね」

 

(なんか、どこにでもいるよねこの人。っていうか傷ついたとか嘘ついてもわかるんだからね。シューラが何言っても全然心が動いてないクセに)

 

 俺が居て欲しいと思った時に常に現れて荒んだ心を癒してくれる、まさに女神のような人である。


 いつもは階層の中心近い場所でバイトしてたように思うのだが、本日の彼女はキロンとの待ち合わせの場所にほど近い場所で露天を開いていた。この辺治安あまり良くないけど大丈夫だろうか。

 

「今日のこの時間はクレープ屋さんのお仕事なんです。お客様はよくお会いしますから、買って下さったらちょっとおまけしちゃいますよ」

 

 なにそれ超うれしい。

 クレープというのがまた女子感に溢れていて可愛らしい。まさに天女である。






 ちびシューラが死ねとかはよ行けとか言っているが無視。待ち合わせた時間にはまだ少しあるし、軽く腹ごしらえしても問題は無いだろう。


 当然のことであるが、この世界のクレープとは日本で発達したクレープ文化とは来歴が異なる。クレープと訳されているクレープに相当するそれは、主に鶏肉やハム、チーズや野菜、穀類にトマトソースなどをかけた軽食であり、元となったフランスで食べられているクレープに近い。


 ――はずなのだが、円形のプレートで焼き上がった生地に包まれているのは、生クリームやフルーツなどがふんだんに使われた甘味だった。

 少し驚いて、店員さんを見る。

 不思議そうに細い小首を傾げている。可愛い。

 

「何か、至らぬ点がございましたか?」

 

「いいえ、全てにおいて完璧です。店員さんの仕事に文句をつけられるような人間などこの世に存在しません」

 

(アキラくんもう本当にキモい)

 

 まあいいか。単に自然発生しただけだろう。発想が一カ所からしか生まれないというわけでもないだろうし、世界が独自に発展していれば似たような文化は遅かれ早かれ必ず誕生するはずだ。


 糖分を補給しながら、第五階層の街並みを眺める。

 店員さんだけではない。この空間には多様な人種が集い、懸命にその日の糧を得ようと足掻いている。


 俺はずっと暴力だけを頼みにしてこの階層の薄暗い面しか見てこなかった。

 だが、こうして普通に日々の労働をしている人々もいるのだ。


 【公社】にだって後ろ暗い方面とは無関係に、純粋にインフラ関係の仕事に打ち込んでいる人々は居るはずなのだ。


 慈悲の心のままに他者に働きかけようとするレオや、寸暇を惜しんで労働に励む店員さんのような懸命に生きようとする人間がいる。

 それだけで、この場所で生きてもいいかと思えてくるから不思議なものだ。

 

(想像力が身近な相手限定なんだね)

 

 仕方ねえだろそれくらいしか知り合いがいねーんだよ。

 まあ、これが終わったらそれも少しずつ改善していけばいいだろう。

 この場所に足場を定めれば、それはきっとできるはずだ。

 

「――ごちそうさま。それじゃあ、俺はこれで」

 

「ありがとうございます。またのご来店をお待ちしていますね」

 

 微笑む店員さんの表情を目に焼き付けながら、俺はこの場所へ再び帰ってくることを胸に誓うのだった。

 

(何か釈然としないんだけど!)

 

 人がせっかく決意を新たにしたというのに、この二頭身バーチャル魔女は何が不満だというのだろう。

 不思議で仕方が無い。

 

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