2-54 リーナ・ゾラ・クロウサーより②

 それにしても、世間の手の平返しの鮮やかさといったら。「生きてて恥ずかしくないの?」とかわざわざ日本語で書き込んでいた奴が同じ口で「ネットイナゴの標的にされるとか運が無いね」「本当に同情するわ」「また槍神かいい加減にしろ」などとSNSで情報を発信している。トリシューラの文体解析にかかればネット上の発言を元に同一人物であると特定することなど簡単らしい。俺はむしろトリシューラが怖かった。

 

「なあ、槍神って何だ?」

 

「上の宗教。槍神教のこと。松明の騎士団が最高神として崇めてるね。あと探索者にも信仰してる人が多いから、地上では最大のマジョリティかな」

 

 なるほど。そう言えば、キロンの話に出てきた気がする。

 

「しかし、このリーナ・ゾラ・クロウサーって人には感謝だな」

 

 こちらが動くまでも無かったようにも思えるほど、彼女の発言は決定的な影響力を有していた。


 当事者に近い人からの実名での発言は、その真偽はともかくとして情報としての確度が高そうに思える。事実かどうかはともかくとして、この場合はそれらしさというものが重要だ。


 炎上の当事者であるこちらが抗弁するよりも、こういう信用できそうな第三者の意見の方が素直に受け入れやすい心理が存在するのだろう。

 

「アドレス書いてあるけど、お礼のメールをしておきたいな。公開して炎上のネタになっても嫌だし、個人的に感謝を述べるって形で」

 

「うん、いいんじゃない? 私としてはイメージアップの一環として感謝文を公開したい所だけど、アキラくんが言うようなリスクもあるしねー」

 

 そうして俺が直接書いた感謝の意を示すメールに、しばらくして反応があった。

 

『私はただ、筋違いな理路を正したかっただけであり、お礼を言われるような事はしていません。あれは不当に他者を貶め、栄誉と利益を独占しようとすることへの個人的な怒りの発露であり、私の自己満足に過ぎません』

 

 文面から、正義感の強さが窺える。敬意を払うに値する善良さだ。丁寧でありながらも意思の強さを感じさせる文章から、謙遜というよりただの本心だと思われた。

 

『差し出がましい真似をしてしまったこと、むしろこちらからお詫び申し上げます。公式でより精度の高い反論をされていたようですし、私の行為は一般に余計なお世話と呼ばれる類のものでしょう』

 

 すぐさま返信する。

 そんなことはない、とても助かったしなにより感謝している。他者の苦境を目にして自ら正しいと思える事を行える貴方を尊敬する。


 何をこんなに熱くなってしまっているのか自分でもわからないが、そうしなければならないような気がして必死に相手への文章を綴った。


 相手が自分の行為を否定し、それを俺が肯定し直す、不毛で冗長な、第三者が見れば何をそんなに意地になっているのか、と呆れられるようなメールの応酬。


 トリシューラが作業をこなす傍らで、俺はずっとそんなやりとりを繰り返していた。

 そのうち俺は、あまりにも強く自分の行為に価値を認めようとしないこのリーナ・ゾラ・クロウサーなる探索者がどういった人物なのかに興味を持ち始めていた。


 不埒な関心である。文面から好奇心が滲み出ないようにするのに苦労してしまう。

 そうこうしている内、相手の返信の色合いが少し変化を始める。

 相手はどうやら、この件で俺が地上に対して悪印象を抱いてしまったのだと思っているようだった。

 

『この事で、貴方はきっと地上に対して不信や嫌悪を強めたことでしょう。怒りや憎しみを向けたとしてもそれは仕方の無いことです。ですが、もし今後地上の勢力が貴方に対して似たような、あるいはより敵対的な行動をとった時には、慎重に行動して下さい。おそらく貴方は、理不尽な事態が降りかかった時、自らの拳で状況を切り開こうとする人だと思います。しかし松明の騎士団は強大な組織です。どうか無茶をせず、ご自身の安全を優先して下さい』

 

 深い心配と憂慮が伝わってくる。この相手は、芯から善良なのだと確信する。

 俺はその心配が不要なものだと伝えようとした。相手の心を煩わせる重みを、どうにかして取り去りたいと思ったのだ。

 

『貴方は私が地上を憎むだろうと言いましたが、それは少し違います。一部だけを見て全体を判断できないということを、他ならぬ地上の探索者である貴方が証明してくれました。それに私は今、地上から来た人の世話になっていますし、なによりこの世界に来たばかりの頃、私は地上の人々に助けて貰いました。彼らは松明の騎士団に所属しており、ひとりを残して皆戦いの中で亡くなりました。これから状況が推移して、たとえば松明の騎士団と敵対することになったとしても、私は彼らのことを憎むことはできそうにありません。件の三人の探索者の方々に関しても、魔将に対して果敢に挑んだ結果であり、それに悪感情を抱くことは少なくとも私には無理です。彼らの冥福を祈ります。彼らのご友人であったという貴方には本来これを先に言うべきでしたね』

 

 しばらく反応が無かった。当然かもしれない。相手にとっては、本来知人の死を不当に利用されたという怒りが先にあった筈なのだから。俺の事はついでだろう。


 そう考えると、こうして長々とやりとりを続けている自分がただの迷惑な人だという気がしてくる。そろそろ切り上げるべきなのだろうが、こういうメールのやりとりってどうやってやめればいいのだろう。


 逡巡していると、向こう側からメールが来る。しかし、今度のは何か今までと様子が異なっていた。

 

『本当に、恨みは無いのでしょうか。聞けば貴方は魔将を松明の騎士の生き残りと共に倒した後、その騎士に放置され、見捨てられたといいます。そのせいで貴方は半年もの長い間、第五階層に取り残されてつらい思いをすることになった。本当に、その恥知らずな騎士を恨んではいないのですか』

 

 違和感と苛立ちが同時に浮かび上がり、混ざり合って思考にノイズが走る。この文面には妙なところがある。地上一般に対する偏見や反射的な悪意を心配するという話題から、いつのまにか特定の個人に対して恨みがあるかないかという話題にシフトしているのだ。


 そしてその違和感はすぐに塗りつぶされる。文中の恥知らずな、という言い回しに強い不快感を覚えて、それを訂正しなければ気が済まなかったからだ。

 

『そんなことはありません。むしろ、私はその人に深く感謝しています。貴方は恥知らずと言いますが、私はそうは思いません。何かの事情があったのだと私は思っていますし、そういう仕方の無い事情を抱えた人を恥知らず呼ばわりすることは、それこそ筋違いで、道理から外れているのでは無いでしょうか』

 

 何か、余計な事までも書き連ねようとしている。そう思うものの、手は止まらなかった。思うままに空中に表示された日本語対応のqwerty配列に指を打ちつけていく。

 

『この世界に来てすぐ、私はある出来事のために錯乱し、ある種の筋違いな思考に取り憑かれました。勝手な思い込みで、自分だけでなく他人や、既に亡くなった人の気持ちまで傷つけようとした。その思い込みを指摘して、どこに行けばいいのかも分からず混乱する私に指針を示してくれたのが、その人です。この世界に来たばかりの私がどうしようもない状況に陥った時に、あの人は手を差し伸べてくれた。その事に対する感謝は、どれほどの言葉を尽くせばいいのか分からないほどです。あの人がいなければ今の私はありません。そのことに対して感謝を伝えることだけを目標に、私は今日まで生きてきました。その意味で、私はあの人に救われ続けているのかもしれません』

 

 勢いに任せて書かなくてもいいことまで書いてしまった。思わず送信してしまったが余計な情報が多すぎる。きっと相手は引いているだろう。

 長いこと反応がなかった。ほらやっぱり。


 そのまま時が過ぎ、なんだか消化不全な感覚が残ったまま夜を迎え、未解決のタスクを抱えたような気持ちのまま床につく。

 その夜、寝付きはひどく悪かった。

 

『ごめんなさい』

 

 メールが送られてきたのは、深夜を数時間回った頃だった。『夢枕Guard』のお陰で熟睡中でも端末の振動を感知できたのが幸いし、すぐに反応ができたが、普通ならば寝入っている時間だ。緊急の連絡でもなければ非常識な行為と見なされても仕方がない。メールの文面から礼儀正しい人だというイメージがあったので、少々意外と言えば意外だ。

 

『ごめんなさい、ただ謝られても意味が分からないですね。個人的な都合ですぐに返信できず、このような時間に衝動的に送信してしまいました。これは本当に、私の個人的な問題です。ですから詳しく説明することはできません。そして今の私は、貴方に対して謝罪の言葉しか持ち合わせていないのです。理由は明かせません。ですが、どうか私の謝罪を受け取っていただけないでしょうか』

 

 正直な所、困惑していた。意味が分からない。相手もそれを理解していながらこのようなメールを送っているようなので、正確に意図が伝わっていると言えなくも無い。

 

『この期に及んで顔も見せずにいる非礼を、やはり文章でしか謝罪できない私の卑劣さをどうかお許し下さい』

 

 奇妙な言い回しだった。彼女は実名という個人情報を晒しているのだ。この呪術社会においてそれがどれだけ重い事なのか、俺は既に知っている。

 どうやらクロウサーというのは呪術の大家らしく、呪いをかけたりすれば返り討ちにあうのがオチだというから、そのへんの心配は不要らしかったが、それでも個人情報は個人情報である。

 

『よく事情が飲み込めませんが、訊かないで欲しいというのにこれ以上突っ込んだ質問をしようとは思いません。言葉のまま、受け取っておくことにします。何を許すべきかも分からないので、それ以上の事は申し上げられませんが』

 

 これだけだと素っ気なさ過ぎる。と、ふと思いついたことがあり、付け加える。

 

『それでもなお謝罪を続けるというのなら、代わりに頼みを聞いていただけませんか。私はその松明の騎士、アズーリアという人物のことを探しています。もしその所在を知る機会があったら、その時は私に教えて欲しい。実を言えば、このように自らの事を世間に喧伝しているのはそれが狙いなのです。そして、私が無事であるとアズーリアに伝え、もしこちらの安否に関して不要な懸念や心配を抱えていたら、それを取り除きたい。それが叶えば、私の目的はもうほとんど達成されたようなものなのです』

 

 地上にいるからといって繋がりがあるとは限らない。この相手とアズーリアが知り合いという可能性は残念ながら無いだろう。しかし敵対的な松明の騎士団に直接訊くよりは、迷宮で出くわすかもしれない探索者に頼んだ方がまだ望みがあるのではないだろうか。


 その後、しばらく返信は無かった。それほど本気の頼みではなく、ついででいいのだが。真剣に検討してくれているのだとすればありがたいのと申し訳無いのが半々という気持ちである。


 そろそろ寝ようかと思った時、メールが届いた。

 

『残念ですが、私にはその人に関する情報をお伝えする事はできません』

 

 まあ、仕方が無いと言えば仕方が無い。

 あまり期待はしていなかったのでそう落胆はしなかった。だが、この相手ともこれで繋がりが切れてしまうかな、とぼんやりと眠い頭で考える。


 文章には続きがあった。一体それは、どういった意図が込められていたものなのか。文脈が読めずに困惑したまま、それを読む。

 

『ですがきっと、その人はこう言うでしょう。貴方がそこに無事でいることを、とても、とても嬉しく思う。今もまだ、その場所で戦い続けている貴方を、私はいつか必ず』

 

 そこで、俺の意識は途切れた。

 

 

 

 いつもと同じ、出口のない悪夢を見た。

 不思議なもので、今が不安定だからこそ、代わり映えのしない夢を見ることでかえって安心感が生まれるようだった。


 憂鬱極まりないアズーリアを待つ時間も、どこか穏やかに過ぎていった。

 そんな不確かなモラトリアムも長くは続かない。

 差し込む光。

 朝だ、と思って見上げると、鋼鉄の籠手に包まれた手が差し伸べられていた。

 

「え?」

 

 かしゃん、と音がして、籠手が外される。

 あらゆる光を飲み込むような、色のない左手。五環の金鎖。

 

「遅くなって、ごめんなさい」

 

 息が止まるような静寂が世界を支配する。口を開こうとして動かなくて、手を伸ばそうとして失敗する。心臓が破裂しそうになって、それでもこの動作不良を起こした身体が動くのなら心臓くらい破れても構わないと叫び出しそうになる。ずっと求めていた。半年間。一瞬だって忘れることなく、待ち続けてきたのだ。

 

「私は、必ず貴方を迎えにいくから」

 

 直後、夢が弾けた。

 

 

 

 

 朝だ、という認識に、昨夜の意識が追いついてくる。昨日はキロンに対する返答の結論が出ないまま夜を迎え、次の日の午前中にトリシューラと話し合うことになったのだが、寝ても何かが解決したりはしないのだった。


 時間は非情に過ぎていく。

 目が冷めた時、手の中にある端末内には『力になれそうにない』ということを伝えるだけのメールが残るのみだった。眠りにつく直前に目にしたあの文章は、あるいは夢が見せた願望だったのだろうか。


 しばしの間、寝台に横たわったまま顔を伏せる。死にそうな程の羞恥に身体が震える。

 代弁でもいいから、アズーリアの言葉を聞きたいなどと。

 それこそ、恥知らずな欲望だろう。


 朝の光を浴びながら緩慢に身体を起こすと、もう何度目になるかも分からない、一日をまたいだメールが届く。

 

『昨夜はごめんなさい。力になれない我が身が不甲斐ないばかりです。ですが、今回の騒動で貴方の存命はアズーリア・ヘレゼクシュの耳にも届いたと思います。貴方の目的のほとんどは既に達成されている筈です。ですからどうか、これからはご自分の為に生きて下さい。その場所で無事でいることが分かっていれば、きっと安心する筈です』

 

 キロンの誘いを、もう一度思い出す。

 俺があの誘いに心を乱されている最大の理由は、アズーリアの存在があるからだ。


 だが、こちらの生存を伝えることに成功しているのなら、もう目的の半分は達成できているのではないだろうか? 俺は、ただアズーリアにもう一度会うためだけにトリシューラを売れるのか?


 いずれにせよ、今のところは目の前の事態に対処するくらいしかできない。いつだって俺はそういう風にしてきたし、これからもきっとそうなのだろう。


 この相手とも随分と長いやりとりになってしまった。というかよく付き合ってくれたものだ。よほど几帳面な性格をしているらしい。あるいは、お人好しなのか。


 文章だけの付き合いとはいえ、ずっと言葉を交わしてきたこの相手とこれきりだという事に味気なさを感じてしまう。喉の奥に小骨がひっかかったようなもどかしさ。言いたいことがあるし、それが何かはわかっているのだが、さてどうやって切り出そうか。そんなことを思っていたのは、どうも俺だけではなかったらしい。


 躊躇っているうち、俺はそれを相手に言わせてしまう。

 

『もしよろしければ、これからもこうしてお話していただけませんか』

 

 収獲と言えば、今回の一件での最大の収獲がこれだった。

 文章だけの繋がりではあるが、俺はリーナ・ゾラ・クロウサーという探索者の知己を得た。


 どうしてかやたらと俺なんかの近況を知りたがる奇妙な探索者。あちら側からは探索者としての迷宮内の冒険譚などを聞いたりして、空いた時間に情報をやりとりする。


 そんな、なんということのない関係が出来上がったのである。

 

 

 

 

 

 

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