2-53 リーナ・ゾラ・クロウサーより①
状況を確認しよう。
第五階層の覇権を巡って対立する【公社】とトリシューラの抗争は、当初トリシューラ優勢だと思われたが、俺の炎上や新たな紙幣発行などの応手によって状況は逆転。
一時は俺に仲間になることを求めてきたコルセスカが【公社】に付いているのではないか、という疑惑も浮上。その行方は杳として知れない。
加えて、【松明の騎士団】のキロンという男が現れ、俺にトリシューラを裏切れば地上に迎え入れるという誘いをかけてきた。
――そして、まず承諾することはあり得ないが、【公社】からも誘いがあった。
トリシューラ、コルセスカ、【騎士団】、【公社】。
それぞれの思惑はどこか不透明で、俺はその中からいずれかを選択しなければならない。
昨日まではトリシューラの元に身を寄せると決めていた筈なのに、状況が少し動いただけでこうも決断が鈍るというのは、我ながら不誠実であると言う他無い。
「ま、仕方無いと言えば仕方無いよね。誰も敗軍の将に付きたいとは思わないだろうし」
無感情に呟くトリシューラは、椅子に座ったままぐるぐると回って見せた。暢気な様子だが、その瞳は真剣なままだ。
「要するに、私が勝てばいいんだ。そうだよね、アキラくん?」
「や、まあそうだけど」
それだけの単純な問題でも無いと言いかけてやめる。それくらいの事、トリシューラだって分かっているのだ。それでもそう言うしか無い、彼女の強さがそこにあった。
「昨日からずっと【公社】の呪的セキュリティが強化されてる。あっちにもそれなりに手強い言語魔術師がいるみたい」
「大丈夫なのか?」
「頑張る」
今日のトリシューラは、昨日までとはまた一段と様子が異なる。
頭部をすっぽりと覆う巨大なヘッドギア。無数のコードが据え置きの端末に繋がり、室内にはファンの回転する音がBGMとして響いている。
「アストラル界にダイブして、【公社】のサーバーに
「なんちゃってクラッキング描写やめろ」
「――何で怒ってるの? ちゃんとした、必要な準備なんだけど?」
「いや、わかってるけど! 異世界でこんなツッコミ野暮なだけだってわかってるけどさ!」
うん、アストラル界が何とか言ってるし、呪術に関係した技術なんだってことぐらい推測はできる。
しかしなんだろうなこのむず痒さ。
直視できない。
「確かに、実際にはこんな『それっぽさ』は必要ないんだけどね」
「おい」
「それでも、こういう巷間に流布した視覚的なイメージは呪術的な強化に繋がるの。仰々しさは儀式に繋がるし、直観に則した外観が科学性の外――すなわち呪術の力を強固にする」
この世界に来て半年だが、未だにこの妙な理屈には困惑させられる。
戸惑うこちらを余所に、空中に立体映像の窓が投影。表示されたのは、盾と銃で武装したちびシューラだ。
ポリゴンで構成された通路を飛行して進んでいく様は、旧時代のビデオゲームのようである。
更に高速で打鍵するトリシューラ。
「その打鍵、一体何をしてるんだよ」
「打鍵速度は言語魔術師の技量とイコールだと見なされているの。だから速ければ速いほど侵入の成功率は上昇する」
答えになっているんだかいないんだか分からない返事。
その間にちびシューラが謎のアニメーションと共に壁を壊したりセキュリティを欺瞞したりと奮闘している。
ぼんやりとその光景を眺めつつ、ふと俺は訊ねてみた。
「もし――コルセスカが敵に回っていたんだとしたら、どうするんだ?」
しばしの沈黙。
競争相手だと聞いてはいても、実際に二人が争っている場面を見たことがあるわけではない。
実際に彼女たちが相争う事になれば、俺は恐らくトリシューラの側に付くことになるだろう。しかし、コルセスカに対してこの右手を振り下ろせるかと問われれば、幾ばくかの迷いが生じる。
彼女は恩人だ。何の躊躇もなく敵対できるかと言えばそれは否である。
「お前がやれと言うなら、俺は構わないけどな。抵抗はあるが、それは感情制御でどうとでもなる。だから問題はお前自身の意思だよ」
コルセスカと正面からぶつかる覚悟。
お前にそれがあるのかと、俺は問いかけた。
トリシューラの表情は大きなヘッドギアに覆い隠されてわからない。
打鍵の音が響く中、いらえはどこか途切れがちに返る。
「わからない。けど、もしセスカが私と戦う事を選んだのだとしたら――私は、勝ちたい」
その言葉に、どれだけの思いが込められていたのだろう。
俺は彼女たちの間に横たわる膨大な時間を知らない。敵とか味方とか、そういう単純な二項対立では割り切れない関係性がきっとあるのだと思う。
それでも、トリシューラは答えを選択した。
ならば、俺も覚悟を決めなければならないだろう。
その時、画面のちびシューラがいままでで最大の壁に行き当たる。
赤熱する立方体が、次々と発光するエフェクトを射出してくるイメージ。それらを紙一重で回避していくちびシューラだが、圧倒的な物量によって次第に押されがちになる。
「大丈夫なのか?」
「話しかけないで」
早口の拒絶が返ってくる。あ、これヤバイ状況だ。
画面内部に、水滴をモチーフにした少女型のアバターが出現する。流体じみた少女は赤熱する壁を盾にしながら流水の鞭を伸ばし、ちびシューラに攻撃を加えていく。
と思えばそれは囮だったのか、水流はその背後に伸び、画面のこちら側へと迫ってくる。
その速度はまるで現実世界へと出てきそうなほどの迫真性であり――ってあれ?
「やばっ、トレースされたっ」
焦るトリシューラの声。水流はそのまま画面から飛び出し、物理的な実体を獲得、そのまま等身大の少女の形をとる。水によって形作られた瞳がこちらを視認。どろりとした口が言葉を紡ぎ出す。
「見つけた」
ちょっと待て。
それが急を要する事態なのだと、脳が即座に認識しきれない。あくまでも情報的なやりとりで、即座に物理的な殺し合いに発展するわけではないのだと高をくくっていた。
そうではない。これは呪術師同士の呪術戦。
言うならば、銃口を突きつけ合った状態も同然だったのだ。
こちらの認識が甘すぎた。
右腕を前にして身構えるが、敵呪術師の攻撃の方が速い。
水流は槍となって襲い来る。
一つ、二つと回避するが、続く攻撃を躱しきれない。右腕の防御が間に合うかどうか。トリシューラの叫び声もどこか遠く、時間がゆっくりと流れていく。
瞬間、水流の槍が一斉に凍結し、その動きを停滞させた。
「あれえ? 何これ」
不思議そうな様子の水の呪術師。その周囲に、次々と氷の障壁が生成されていく。
「これ、セスカの【氷】だ」
まあ、見たまんま氷ではある。
「そうじゃなくて、攻性防壁。セスカの、
「あー、何? 呪術師にも細かい職種とか専門分野とかがあったりするみたいな感じか」
「うん。私の
暢気な解説の間に、水で構成された敵呪術師の肉体が氷の障壁に押しつぶされ、次第に凍り付いて行く。
「アイス――つまりIntrusion Countermeasure Entrancementの頭文字をとってICEってことなんだけど」
「ごめん、聞き間違いだと思うけどさっき英語が聞こえたような気がした」
「意訳すると、侵入対抗入神機器って感じかな。呪的侵入に入り口で対抗する呪具、みたいな? 正確には呪具に記述されたプランが構築するセキュリティシステムのことなんだけど。エントランス、つまり変性意識状態への
こいつ、ツッコミを無視して話を進めやがる。その上、相変わらず何を言っているのか意味が分からない。
惚けたやりとりと平行して断末魔を上げる敵呪術師。凍結した身体が砕け散り、同時に画面内部ではちびシューラが障壁の奧へと侵入を果たす。
「勝ったのか?」
「【公社】の言語魔術師のことなら、まだ生きてると思うよ。アストラルの一端を削り取られて、しばらくは再起不能だと思うけど」
その隙に、ちびシューラは目的の場所に辿り着いたようだ。
箱状のオブジェクトに取りついた二頭身のアバターはどこからともなくドリルを取り出すと、勢いをつけて内部へと穿孔していく。
「トリシューラ、さっきのは」
「――セスカが助けてくれたんだと思う。多分まだ第五階層のどこかにいて、こっちの動きを監視してるんだ」
「ってことは、コルセスカが敵に回ったってのはただの早とちりってことか」
「その判断も早計だよ。どうして姿を見せないのかは未だにわからないままだし」
それはそうだが、単純に敵というわけでもないらしい。
先程の助勢で劣勢だった状況がかなり改善されたようだし、それなりに信用してもいいんじゃないだろうか。
「うう~。なら、セスカのことは保留! 考えるのやめた! 後から決めればいいよもう」
ヘッドギアを持ち上げて、膨れ面を見せるトリシューラの表情が、どこか嬉しそうに見えるのは、俺の気のせいではないと思いたい。
トリシューラの【公社】への攻撃が功を奏している一方で、炎上騒ぎの方は未だに沈静化する様子が無い。
ともあれ、現在進行形の炎上を消火しなければならない。
「明らかにこれ、仕掛けてる奴がいるよな。すっげえ古典的な手口だ。――相手がこちら側の動きを妨害したい連中だとすると、想定されるのはどこだ?」
「自分の所以外が魔将討伐の功績を残すのが気にくわない【騎士団】か探索者協会。あるいは、アキラくんを取り込んでおきたいけど、余計なことはされたくない【公社】あたり」
全て【上】の勢力である。なんだか本格的に地上と対立し始めているようで頭が痛い。
積極的に敵対する気は無かったのだが、こういうことをされて黙ったままというのはあまり性に合わない。
元々エスフェイルとの戦いでは大した事をしていない自覚があるので、トリシューラの過度な持ち上げに心理的な抵抗があったのだが、このように他人から「お前は大した事をしていないから膝を丸めて縮こまっていろ」と言われるとかえって反発したくなる。
つうかてめえらは何もしてねえだろうが。知ったような口をききやがって。
古典的な手口はシンプルなだけに効果的だが、当然対処法も確立されている。こちらも古典的に行くまでだ。
「トリシューラ。騒ぎをまとめてるブログの記事投稿日時、ソースになってるスレッド立てとレスポンスのタイミング、SNSで情報拡散してるアカウントの作成日時を調べられるか」
「お、やる気になった? やっちゃう? 戦っちゃう?」
俺の言葉を聞くと、待っていたとばかりに瞳を輝かせて反応するトリシューラ。視界隅でちびシューラがシャドウボクシングを始める。どうもトリシューラは、こちらの反応を窺っていた節がある。
「ああ。量が多いだろうけど、そういうの得意だろ? これはアンドロイドに対する偏見じゃないよな?」
「どっちかっていうとスペックに対する期待とか信頼だね。まっかせて。余裕だよ」
トリシューラはそう意気込むと、猛烈な勢いで打鍵を再開する。浅はかな情報操作や工作など、見るものが見ればすぐにわかる。この世界の情報リテラシーは俺の見立てでは至極まっとうに高い。にもかかわらずあっという間に風説が流布され歪んだシナモリアキラ像が出来上がっていったのは、この世界が呪術的であるためだろう。論理に反し、直観に則した現実が常に目の前に存在する世界。そのような空間では、一度現れた世論は極端に膨れ上がり急速に固まっていく。
裏を返せば、壊れる時も急速である。
「プロクシ通そうが端末変えようが、記述の筆致から個人を特定するのなんて言語魔術師にとっては朝飯前なんだから。あらゆるテクストには『筆致』や『文体』という呪術的痕跡が必ず残る。情報量が多くなればなるほど、統計に基づいた文体論的推定は容易になるの」
「それって証拠になるのか?」
「なる。なりすましや入れ替わりといった物理的な自演だって見破れるよ」
ID晒すよりずっと効果的だと言いながら、トリシューラは工作を暴き立てていく。
理路整然とした反撃。この時点でもはや趨勢は決していたが、そこに駄目押しが加わる。
トリシューラのものより情報量が少ないが、別口から工作や自演を指摘する声が上がったのである。
それが匿名ではなく、実名を明かしての意見の発信であったことも大きかった。身元の確かな探索者で、名前はリーナ・ゾラ・クロウサーという女性らしい。更に彼女は半年前にエスフェイルに敗れた三人の探索者のうち一人と知り合いだったらしく、彼は実力的に魔将に勝利できるレベルになく、探索者協会の抗議はただの言いがかりであると主張。
更に情報の拡散が速すぎること、恣意的なまとめ方が多い事、それらが連動しておりタイミング的に工作である疑いがあることなど、こちらがやろうとしてた対策が次々と行われ、流れがあっという間に変わっていく。
俺は詐欺師から一転して不当に貶められようとした被害者になり、同情的な世論が形成されて、かえって以前よりも同情や好感を集めたようだった。
「あのさ、ここまで全部トリシューラの自演とか無いよな?」
「アキラくんは私を一体何だと思ってるわけ?! そんなことしないよ! さすがに怒るよ!」
「悪い」
さすがに失礼過ぎた。
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