2-51 春の魔女⑪


「上と下、双方に邪悪な呪いをばらまき、凄惨な戦いを煽るような魔女の狙いが真っ当な物であるはずがない。かならず危険な企みがあるはずだ。俺はそれをなんとしても阻止しなければならない」

 

 付け加えるなら、今の第五階層、つまり擬似的な中立地帯を形作ったのはトリシューラだ。


 対立する二大勢力の戦力を強化し、戦火を拡大させる。中立地帯を作り上げ、物や人を行き交わせる事で技術の発展を促進させる。事実だけを並べていくと、確かにそのような結論が導き出されるのも無理は無い。


 そして俺は彼女の目的を既に知っている。

 自らを邪悪な魔女であると規定し、己の存在証明の為にどのような非道すらも厭わないというその意思を。


 であれば、トリシューラのコウモリというか、戦争中の両国に武器を売りつける死の商人みたいなやり口は全てその目的の為なのだろう、とは推測できる。


 何も、おかしな事は無い。納得できないことなどひとつもない。

 俺は【異獣憑き】であるアズーリアの力で救われた。

 ならば、間接的にはトリシューラがもたらした技術が俺を救ったと言うこともできるだろう。


 だというのに俺は、視界の隅にいる仮想の少女を直視することができなくなっていた。

 何故なら、トリシューラが地獄側に技術を提供しなければ。


 カイン達は、あんな無残な死に方をすることもなかったのではないか、という最低の思考が消しても消しても次々と湧き上がってくるからだ。

 わかっている。俺は一度トリシューラの邪悪を肯定した。今もそれを肯定し、追認し続けている。


 その事自体はいいのだ。俺もまた邪悪であるのだから。

 問題は、いざその邪悪さが自分の身近な人に向けられた時にだけ、都合良くトリシューラを非難しそうになったというその無責任さそれ自体にある。

 醜悪極まりない選別。


 結局の所、俺もまた人間に値札を付けて回る身勝手で傲慢な輩だったのだと、改めて思い知らされる。

 この程度の覚悟でトリシューラと共に行くなどと決意したつもりになっていたのか、俺は?

 

「魔女の居場所を俺に教えてくれ。そうすれば、俺は君の味方になってやれる。あの大罪人の処刑に貢献したという実績があれば、君が我々の仲間を不幸な行き違いで殺害した件に関して『恩赦』が下るようにするのも不可能ではない」

 

「それは」

 

 都合の良い話など存在しない。これは取引なのだ。

 既に松明の騎士団と敵対してしまった俺が再び地上側に付こうとするには、相応の選択が必要になる。

 その為に、俺はトリシューラを売ることができるだろうか?

 

(アキラくん、あの――)

 

 俺の葛藤を読み取っている為か、小さな仮想の表情は不安げだ。当然だろう、俺は迷いすぎるぐらいに迷っている。今まで俺の内面をずっと読み取ってきた彼女にはそれがよく理解できているのだ。客観的な事実として、俺には決断能力が欠けている。


 こういう時、判断を機械に委ねるのが俺にとっての正しさだが、このような場合に状況判断をするアプリケーションは生憎と手持ちに無い。

 

「少し、時間が欲しい」

 

 またそれか、と自分でも思うが、現状では結論が出せそうにないのも事実だった。


 キロンはしばし目を細め、こちらの表情からその思考を探り出そうとするようにじっと視線を向けてきた。X線で体内を精査されるような、一瞬の緊張。

 

「いいだろう。では明日、同じ時間と場所で待つ」

 

 キロンの背後には目印としてわかりやすい自動礼拝機が設置されている。高度な技術が用いられた精密呪具であるため、インスタントに生成・消去される建造物を目印にするよりもずっとわかりやすい。

 

「ただし、もし刻限までに来なかった場合」

 

「心配せずとも逃亡なんてしない。どうせ俺には逃げ場なんて無いんだからな」

 

「――色よい返事を期待している」

 

 そうして、男は第五階層の雑踏の中に去っていった。後を追って羽ばたく蝶の鱗粉と翅の構造色が、煌めくように軌跡を描いて、やがて消えていった。

 

 

 

 勿論、トリシューラを売る気は無い。

 だが、積極的にキロンと敵対する気があまり起きないのも、彼の誘いに心が動いているのも事実だった。

 

「どうしたもんかな」

 

 深く長く、息を吐く。

 手詰まりだった。


 いつもやかましい仮想の二頭身も、今回ばかりはじっと押し黙っている。何か余計な事を口にして、俺の決断の針が妙な方向にぶれることを恐れているのかもしれなかった。


 実際、今の俺はちょっとしたことで選択を揺らがせてしまいかねない状態にある。

 炎上騒ぎに【公社】の反撃、そしてとどめにキロンの誘い。


 のべつ幕無しに襲来する面倒事。コルセスカではないが、布団にくるまって現実逃避したい気分だった。

 

(あのさ、アキラくん。話は変わるんだけど、レオはどうしようか?)

 

「あ」

 

 そういやそうだった。探している最中にキロンに遭遇したおかげですっかり忘れていたが、レオを見つけなければならない。

 周囲を見回して、それらしい姿が無いかどうか探す。


 このあたりはただでさえ治安が悪い第五階層の中でも特に無法地帯に近い。レオのような小さくか弱い存在が一人で歩いていたら、どんなことになるか。

 

(アキラくん、過保護)

 

 いや、お前は知らないだろうけど、初対面がまさにそういう状況だったんだよ。

 あの少年には、良い悪いを問わず他人を引きつけるような所がある。目を離すと大変な事になりそうで不安なのだ。


 【Doppler】をフル活用して探すこと数分。

 案の定、というべきだろうか。レオは樹木系種族が固まって住んでいるあたりにいた。昨日から気にしていたそぶりは見せていたので、予想はできたことである。

 

(連絡も無しに寄り道されても困るけどね)

 

 まあ、そこは後で注意してもらうとして。

 俺は声をかけようとして、失敗した。


 レオがしていることを見て、完全に思考が停止してしまったのだ。

 彼はひたすら話していた。声を張り上げていた。必死に。夢中になって。明らかに通じていないが、それでも何故か意思疎通に成功しているようだった。


 いや、よく見れば噛み合っていないのだが、それでもジェスチャーなり行動なりを繰り返し、どうにかそれらしいコミュニケーションもどきが成立しているのだった。


 レオが話しかけ、はたらきかける相手は様々だ。傷病者、物乞い、昆虫系種族、幼子を含む街娼。

 その選択基準が、俺には理解できた。


 昨日目にした、施しの手からこぼれ落ちた者達に、何かをしようとしているのだ。あれはなんだろう、食料? 比較的安価な携帯糧食だろうか。糖分を補給できるタイプの、捉えようによっては菓子のようなアレだ。レオはそれを、人々に配っているのだ。つまりは施しのつもりなのだろう。


 明らかに、歓迎されていない空気だった。それはレオ自身も感じていることだろう。だが、そんなことはほとんど表に出さず、濡れそうになる瞳をきっと鋭くさせて、次の行動に移る。


 無視される。これはよくある。悪態を吐かれる。何度も何度も。貰うものを貰って、礼も言わずに去っていく奴はまだ善良な方で、レオに襲いかかって身ぐるみを剥ごうとする者もいた。そういう奴は大抵即座に第五階層住民の権利を剥奪されて、【人狼】になる。そうなるともう、【生きた死体】同然という扱いで、ぼろ雑巾の状態で路地裏に放置される。レオは、そうしたクズにも悲痛な視線を向けて、しばらくうつむいて、それでもまた同じようなことを続けていく。


 最悪なのが、樹木のような種族――【ティリビナの民】だった。

 彼らはその静かなイメージに反してかなり攻撃的で、暴力を振るうことに躊躇いがなかった。おまけに、外皮が硬い。鎧を纏っているかのように硬く重い。彼らはレオの言葉に耳を貸さず(理解できないのだから仕方が無いのだが)、その太い丸太そのものの腕で少年の矮躯を吹っ飛ばした。散らばった糧食に一斉に群がる物乞い達。


 ティリビナ人たちの暴力行為に、創造能力略奪のチャンスを見出した者は多かったが、直後に肩を落とすことになった。彼らは既にそうしたものを持たない最下層民――【人狼】【生きた死体】なのだった。最下層どころか、層の外側、アウトローとでもいうべき存在である。


 が、その硬質の肌と見上げるような巨躯、悠久の時を重ねて来た大木を思わせる重厚な雰囲気に呑まれて、彼らに立ち向かおうとする者はいなかった。


 レオは、猫耳をぴくぴくと震わせながら軽やかに立ち上がる。幸いダメージは小さかったようだ。

 肉体的にも、精神的にも。彼はまったくへこたれていない。


 レオは行動を続けた。邪険にされようが失敗しようが言葉が通じなかろうが、己の信じたやりたいことを必死にやり遂げようとしていた。

 それを見て、なんだか俺は。

 

(お使いサボって何してるんだか。まあ【猫】に勤勉さなんて期待してないから、いいけどねー)

 

 笑いすら含んだ許し――けれど、俺にはとてもじゃないがそんな楽な心境にはなれない。俺はあの光景が怖くて仕方が無い。あれを、これ以上直視していたくない。


 ああ――だって彼は。

 あんな風に誰からも邪険にされて、拒絶されているのに、強く、朗らかに笑っている。


 言葉が通じていない。

 その程度の事実など、何の障害にもなりはしないと、証明するかのように。


 レオが作り出すその表情の、行動の、なんと尊いことだろうか。圧倒的な善性。溢れんばかりのフィランソロピー。人は、見知らぬ誰かに優しくすることができる。


 俺にはない資質だ。

 言葉が通じなかった俺は、彼のような事はできなかった。だからよりわかりやすい暴力に走った。


 だが、もしかしたらああやって、どうにかして真っ当なコミュニケーションで人間関係を構築していくことは、可能だったのではないか?

 俺が未だに居場所を持たないのは、言葉のせいではなくて。


 俺とレオとの、決定的な差異。

 レオにある尊い資質。それを俺は、有していない。ただそれだけなのだ。

 それだけの事が、どうしてかたまらなく苦しくて。


 俺はレオの奮闘を長いこと見つめたまま、呆然とその場所に立ち尽くしていた。

 

「なんか、もう一回死にてー」

 

 口の中で、小さく呟く。

 ただ一人それを聞き咎めたちびシューラが、何かを言おうとして、口を閉ざした。


 なあ、ロドウィ、キロン、トリシューラ、コルセスカ。

 どいつもこいつも、何故か俺を高く見積もっているようだけど。


 多分それは金メッキのトロフィーに価値を仮構するような、偽りの値札なんだよ。ゲーム用のおもちゃの通貨。舞台用のマクガフィン。俺そのものには大した価値が無いんだ。本当はそうだ。


 正しい意味で、求められるだけの価値を持っている人物は、他にいる。

 俺ではない。俺では、あんなことはできなかった。

 できなかったのだ。

 

 

 


 

 

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