2-48 春の魔女⑧


 

 

 昼食後、トリシューラが端末の固有アドレスを公開しようと言い出した。

 昨日、俺達に携帯端末を買いに行かせたのはそのためだという。

 

「それで何をするのかって? 決まってるじゃない、アキラくんへのアクセス性を高めるんだよ」

 

「いや、その目的を訊いてるんだけど」

 

「だから、武名を轟かせるんでしょう?」

 

 あー、そういやそんなこと言ってたな。道場だっけ? え、アレ本気だったの?

 

「私は冗談は言わないよ。アキラくん、モーションキャプチャーとインストラクションムービーの撮影、どっち先にやりたい?」

 

 トリシューラはマジだった。顔はいつも通りの微笑みだが目が笑っていない。

 さすがに顔が引きつる。こういうのは向いてないどころか苦手中の苦手分野だ。人にものを教える? 冗談だろう。

 

「面と向かって指導するんじゃないだけ幾らかマシなんじゃないの?」

 

「それはそうだが」

 

「もう公式サイト用意しちゃってるんだけどな」

 

「仕事早いなおい」

 

 退路が塞がれていた。至れり尽くせり過ぎる。俺は敷かれたレールの上を走るだけでいいらしい。楽すぎて駄目人間になりそうだ。

 

「とっくに駄目人間のくせに何を言ってるの?」

 

「トリシューラってけっこう毒吐くよな」

 

 今更だが、こんなんで俺はトリシューラとやっていけるんだろうか。

 なおも渋る俺を半眼で見ながら、トリシューラは仕方なさそうに嘆息して言葉を繋ぐ。

 

「それに、これはアキラくんの願いを叶える為のプロセスでもあるんだから」

 

「あー、それは、居場所的な意味合いで?」

 

 自分で口に出すと恥ずかしい渇望である。内心が全て筒抜けなのだから、トリシューラ相手に取り繕っても仕方が無いのだが。

 

「それもあるけれど、アキラくんの欠乏はまだ他にもあるでしょう」

 

 俺の欠乏?

 何だろうか。この世界に来てから、俺が失ったものといえば左腕と自らの足場、意思疎通の手段に、それから――。

 

「アズーリアとかいう聖騎士に会いたがっていたでしょう。連絡、しなくていいの?」

 

「――それ、トリシューラに話したことあったっけか」

 

 コルセスカに話したのは覚えている。だが、トリシューラにまで半年前のことを話しただろうか。

 視界の隅のちびシューラアイコンを見る。彼女は、俺の思考だけでなく記憶まで読み取ることができるのだろうか。

 

「私に読み取れるのは明確な形として言語化された表層思考だけだよ。けれど、夢は別なの」

 

「夢?」

 

「そ。眠りの中で再配列された記憶の泡が意識の表層に浮かび上がってくる時、それはちびシューラにも把握可能になるの。あれだけ毎日おんなじ夢を見ていたら、何を望んでいるかも分かるようになるよ」

 

 俺はこの世界に来て以来、ずっと同じ夢を見続けている。半年前の石の迷宮を無限に彷徨い、戻らないアズーリアを待ち続ける悪夢を。

 その事を知られていた、という事実にまず羞恥を覚え、続いて自己嫌悪に苛まされた。


 顔が熱い。

 いくらなんでも、これは。

 

「人の夢を、勝手にっ」

 

「思考覗いてる時点で今更じゃない?」

 

 俺が責めても、トリシューラは全く悪びれない。というか自らが邪悪であると開き直った相手には正論が通用しないので、利害をちらつかせるしかないのだが、俺には切れる手札が無いのだった。どうしようもねえ。最悪だこいつ。


 いつものからかいが来ると思って身構えたのだが、意外にもトリシューラはこの件に関しては特に茶化す事をしなかった。

 

「助けてくれた人に報いたい、恩を返したいっていうのは分かるから」

 

 言われて思い出す。トリシューラは、自らを支援してくれた【お姉様】の為に行動しているのだ。俺のアズーリアへの感情の中に、どこか重なる部分があったのかもしれない。

 

「私は指名手配犯だしアキラくんも聖騎士たちを殺しちゃってるから、こちらからアクセスはできないけど。アキラくんがここにいるって示せば、あちらからのアクションが期待できるでしょう。まあ、襲撃されるだけかもしれないけど、その時は返り討ちにするだけだよ」

 

 軽く言うが、結構なリスクを孕んだ行為なのではないだろうか。だというのに、俺の為にあえてしてくれるのだとすれば。

 細く長く息を吐いて、トリシューラの緑の瞳を真っ直ぐに見つめる。

 

「ありがとう、トリシューラ」

 

「――私の利益にも繋がることだから」

 

 特段の照れも無く、トリシューラは淡々と呟いた。

 他方、ちびシューラのアイコンが赤面しているのは、あざといのか素なのか単なる社交辞令なのか微妙なとこだなこれ。


 それからしばらく、【サイバーカラテ道場第五階層支部(仮)】の設立作業を二人で行ったのだが。

 結論から言うと、アズーリアから連絡が来ることは無かった。


 通信道場の仕組みそのものは問題が無かった。アドレスの公開と発信後、外世界人というラベルは当然のように衆目を集めた。調査研究や商業広告、果ては殺害予告まで幅広いメールが押し寄せたが、その中に目当ての名前を見つけることはできなかった。


 過度な期待を寄せていたわけでは無いにしろ、少々気が沈む。

 トリシューラにはまだ一日も経過していないというのに何を言っているんだお前はという視線と共にさんざん呆れられた。冷ややかな視線は絶賛継続中である。が、それにもめげず俺は端末の画面にしがみついていた。


 自動生成されたスパムの中に紛れていないかと、フィルタリングされた膨大なジャンクの列を探そうとしたこともあったが、百通に目を通す間に百通増えていく様子を見せられてすぐに諦めた。


 文化人類学者や言語学者、作家や記者らに対して、俺が分かる範囲での回答テンプレートを用意して、細部を調整しながら一括返信する。今回の試行は、どうやらこの世界の異世界研究や文化的創造行為に貢献するだけの結果に終わったようだ。まあ結構な事じゃないか、と多少の慰めを得る。


 それにトリシューラの狙いはそう言うところとは別にある。

 交流が厳しく制限されている外世界からの来訪者というのは、娯楽に飢えた人々にとっての格好のトピックだ。史上初というわけでは無いらしいが、世界槍のど真ん中に出現したこと、第五階層が変質したことが相乗効果を生み、様々な噂や憶測を生んでいるようだ。宣伝の手法次第だが、広告塔に使えなくもない。


 トリシューラは狂喜してそれらに応対していった。スポーツメーカー、アパレル産業、食品関連会社、その他にもこの世界特有の呪術産業が幾つか。


 俺は偶像崇拝を利用したエネルギー産業なんてものがあることにまず驚き、いつのまにか自分が崇拝対象になりかけていることに呆け、最後にトリシューラが肖像権侵害で訴訟することをちらつかせながら法外な金銭を要求している様子を見て絶句した。これはもう俺の手には負えない。

 

「このへんの雑事は私に任せてくれればいいよ。私がきっちりアキラくんをマネジメントしてあげるから」

 

「いや、なんか通信道場という当初のイメージからずれてる気がするんだが」

 

「他と同じことやってたらつまんないでしょ。悪いようにはしないから、まあ任せてよ」

 

 などと言いながら大量の情報を処理していくトリシューラの姿は普段に増して輝くようだ。生き生きとしていると言っていい。


 精力的な彼女の活動――立体的に展開された複数の窓を追う忙しない眼球運動や、音楽的なリズムさえ伴いながら軽やかに打鍵していく細く長い指、時折漏れ聞こえる幽かな鼻歌など――を見ながら、しばし俺はそれらが作り物の振る舞いであるということを忘れた。


 学術的なメールと利益追求のためのメールについてはこのような対応がなされたが、続いては利害調整のメールが届くことになった。


 松明の騎士団からの厳重な警告がそれである。

 この組織に所属しているというアズーリア個人からの連絡が来ないのも、まあ無理はない。


 元々関係性が最悪だったが、ここに来て松明の騎士団は俺を明確に敵視することを決定したようだった。理由はトリシューラの行動にある。

 

「別に私、間違ったことをした覚えはないけど。功績はきちんと評価されるべきじゃない?」

 

 シナモリ・アキラという名前とサイバーカラテ道場をセットで宣伝していくという方針を採用するにあたって、必要なのは箔だ。

 そこでトリシューラは、第五階層の魔将エスフェイルを倒した男という肩書きをでっち上げて喧伝し始めたのである。

 

「でっち上げじゃないよ。事実だもの」

 

「いや、交戦して生き延びただけで、倒したのはアズーリアだ。俺がやったのは時間稼ぎくらいで」

 

「アキラくんは、仕留めたのが後衛だったら前衛の働きは無視するの? こういう時はパーティメンバーの全員を評価するのが正しいやり方じゃないかな?」

 

 トリシューラの言うことは正論に聞こえた。ただ彼女の言い様は余りにも俺を持ち上げるためのバイアスがかかっている。目的を考えれば当然の偏向ではあるが、しかし俺にも譲れない言い分はある。

 

「ならせめてアズーリアたち六人の名前をちゃんと出してくれ」

 

「むー。わかったよ。上からクレーム来ても嫌だしね」

 

 トリシューラの渋々ながらの配慮によって、六人の名前が俺のものと併記される。これによってトラブルは回避される、かと思われたがそんなことは無かった。


 出火は予想だにしていない所から始まった。俺も完全に失念していたが、エスフェイルと戦ったあの場には先に探索者の三人組がいたのである。その情報がどこから出てきたものやら、探索者協会から猛烈なクレームが入ったのだ。彼らを無視するとは何事か、探索者に対する無自覚の軽視、魔将に勝てたのは彼らの犠牲があったからこそ、横殴りで勝利を喧伝するような恥知らず、というような。


 それに松明の騎士団が乗っかる形で、俺と共に魔将を倒した六人の扱いが不当に小さい、と抗議が飛び出してきた。あとはもう炎上一直線だ。俺は他人の功績を掠め取ろうとする詐欺師であるというような風評が流布しつつある。

 

「トリシューラ、これ本当に任せていいのか?」

 

「あ、あれえー?」

 

 間断なく響いていた打鍵の音が途切れ、張り付いた微笑みが若干引きつり気味なトリシューラの反応はどこか鈍い。おい駄目じゃねえかポンコツロボ。

 

「ポンコツって言うな!」

 

 とはいえ何もしていない俺が責めるのも酷というものだった。俺がやったとしても似たような結果になったはずだ。トリシューラは極めて冷静に対応した。指摘されたような意図は無い、という否定の文章を上げたのだが効果は薄く、火はその勢いを増すばかりである。公式な回答としてはごく真っ当なものだが、相手側の動きが速く、そして量が多い。

 

「情報の拡散と循環が速い――」

 

 見るも無惨な地獄インターネットであった。あちこちの掲示板とSNSとニュースサイトに転載され拡散されていく俺の情報。晒されるサイバーカラテ道場。『何がサイバーカラテだよ馬鹿じゃねえの』『腕気持ち悪過ぎだろ』などなど。

 

「ひどいなぁ」

 

「まあ気にしても仕方ないだろう」

 

 どんな異世界にもこういう暇な連中がいるらしい。まあ反応しても仕方が無い。こういうのは気にするだけエネルギーの無駄だ。軽く受け流すに限る。

 

「あ、何か『俺も転生者だからわかるけどこれ空手っつーより中国武術とかじゃね』だって」

 

「言っちゃならねえことを言いやがったなぶち殺すぞクソが!!」

 

「怒るポイントそこなんだ」

 

 サイバーカラテはサイバーカラテなんだよ空手でも中国武術でも無い新時代の純粋外家拳だからそういう安易なカテゴライズは不要なのわかる?! と一気呵成に捲し立てたかったが相手がいない。相手だけ匿名とかクソだな! 名前が分かったら呪殺してるところだ。


 ――そういえば今、なにか看過してはならない情報が含まれていた気がするが、はて。


 気のせいかな。別に転生者が俺以外にもいること自体は大した事じゃないし、気にするような事でも無いからいいんだが。俺がいるんだから他にもいるだろう。管理された下位異世界なら転生者一人が独占することもあるだろうが、ここは俺が元いた世界と同一レベルに存在するらしい異世界だ。事故や違法転生者が密かに、しかし大量に訪れているだろうことは想像に難くない。


 いずれ出会うこともあるかもしれないが、まあどうでもいい。

 既に一度死んだ身だ。元の世界に戻ることなど望むべくもないし、本来希望していた転生先に再転生するのも今更といった感じである。


 なんにせよ、現状ではこれ以上の事はできそうにない。余計な事をして火に油を注いでしまっても本末転倒だ。沈静化を待つしかない。

 トリシューラは珍しく沈み込んでしまっていた。仮面めいた微笑みもどこか力が無く、うつむきがちである。


 掛ける言葉を探して、自分の中に持ち合わせが無いことに気付いて歯噛みする。こういう時、相手に適切な言葉をかける能力を、俺は持っていない。

 誰かが躓いた時に、必要な言葉を必要なタイミングで用意できるどれだけ得難い資質なのか、俺は今更になって痛感していた。


 俺はアズーリアのようにはなれない。

 気付けば逃げるようにその場を後にしていた。

 行くあても無く、巡槍艦を出て、第五階層の喧噪の中にその身を埋めてしまいたかった。

 

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